「被団協」267号−2001.4月

主な内容
1面 原爆症認定が370件も滞留 東京で原爆裁判のつどい 被爆者遺影の募集始まる
2面 「被爆者宣言」でディベート  南アフリカで被爆体験語る  中央相談所講習会   「核」かくしかじか
3面 3.1ビキニデーに1,700人 「平和の子ども像」運動  吉永小百合さん神奈川で原爆詩朗読
4面 相談のまど

原爆症認定が370件も滞留

 厚生労働省による原爆症の認定作業が大幅に遅れています。
 このため、申請した被爆者が亡くなってしまってから、審査結果が遺族のもとに届いた例が、分かった分だけで、広島で6件、長崎で3件、東京で2件おきています。
 広島の場合は、10人の申請者のうち四人が、胃がん、肺がん、多発性骨髄腫、肝細胞がんで認定、2人が白血病、肺腫瘍・食道静脈瘤・C型肝炎で却下となり、いずれも死後に、遺族のもとに文書が届けられました。
 東京では、13人の申請のうち6人が認定となりました。しかし7人は未審査で、認定された人のうち2人は「死後認定」でした。
 厚生労働省は、審査が遅れたのは省庁再編のあおりといっていますが、原爆松谷裁判の最高裁判決で、認定審査の基準としてきたDS86を単純に使うことができなくていることが影響しているとみられています。
 いずれにしても、未審査件数はいまでも370件におよんでおり、被爆者援護を業務とする厚生労働省の責任が問われています。
 日本被団協は、4月中央行動で、原爆症認定制度の改善を中心課題にかかげ、政府、政党、国会議員への要請をすることにしています。
 原爆症の認定は、厚生大臣の諮問機関「疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会」で行なわれます。
 医療分科会は、2月21日に半年ぶりに開かれ、つづいて3月28日にも開かれ、合計188件を審査。119件を認定、69件を却下、2件を保留としました。

東京で原爆裁判のつどい

 「原爆裁判の勝利をめざす都民のつどい」が3月24日、東京・大塚で被爆者、都民102人の参加で開かれました。
 肝臓機能障害で原爆症認定を求めて訴訟中の東数男さん(72歳)も、肺がん手術後の病躯をおして夫人同伴で参加。
 高見澤昭治弁護士の講演、東裁判の勝利をめざす新曲「叫び」の発表と全員合唱などで、すべての原爆裁判勝利への決意を固め合いました。



被爆者遺影の募集始まる

 広島、長崎に建設中の国立原爆死没者追悼平和祈念館に収蔵する、原爆死没者の遺影の募集が、3月26日から始まりました。
 受け付ける遺影は、原爆投下時から今日、未来に続くすべての原爆死没者です。被爆者手帳をもっているかどうかは問われません。
 写真の大きさは自由ですが、提供した写真は返却されません。
 登録申込者は、原則として遺族で、居住地や国籍は問われません。
 申込書は、大型封筒並みの大きさで、表面に登録申し込み者の名前と、死没者の氏名、死亡年月日、生年月日、被爆地などを記入し、裏面に被爆時の状況などが書けるようになっています。
 写真がない方も、死没の記録だけを書き送ることができます。
 公開が原則です。公開を希望しない方は、希望しないという欄に○印をつけます。
 申し込み用紙は、各都道府県の被爆者担当課においてあります。被爆者団体には、都道府県担当課から希望部数に応じて送られてきます。
 日本被団協にも、広島平和文化センターから、案内のポスターと申し込み用紙が50部ずつ送られてきました。申し込みの期限はありません。
 問い合わせ、および申込先は次のとおり。
▼広島=〒730−0051 広島市中区大手町3−8−11 植むらビル9階 
      財団法人広島文化センター追悼平和祈念館準備室 電話082−543−6271
▼長崎=〒850−8685 長崎市桜町2−22 長崎市原爆被爆対策部追悼平和祈念館開設準備室 電話095−811−3959



南アフリカ・世界女性法廷に参加して

 「戦争に反対し、平和を求める世界女性法廷」が3月6〜9日に南アフリカ・ケープタウンで開かれ、世界各国から3,000人の女性が集いました。
 主催者であるアジア人権評議会と国際NGOエル・タレーから、「女性の被爆者にぜひ証言を」との要請があり、「つたえようヒロシマ・ナガサキ」から私(横山)と通訳の朝戸理恵子さんが参加しました。

 次々に証言が
 八日に開かれた法廷は、デズモンド・ツツ大司教も出席。「ジェノサイド(集団殺戮)としての戦争」「貧困」「先住民」「女性に対する暴力」「抵抗」の5つのテーマにわかれ、それぞれ映像と専門家による導入証言のあと、関係者が次々に証言。私は第1のテーマで、被爆体験を語るとともに「かつて核兵器をつくったことのある南アフリカが、いまでは新アジェンダ連合の一員として核廃絶に努力している。政治的意志さえあれば核兵器廃絶は可能です」と訴え、大きな反響がありました。
 このテーマでは、カンボジアの地雷被害者、ベトナムの化学兵器被害者の母親、フィリピンの従軍慰安婦、またイラクから劣化ウラン弾被害の克明な証言があり、いつも戦争の最大の犠牲者は女性と子どもだ、と胸が痛みました。
 証言したのは21カ国36人。朝9時50分から始まった法廷が終わったとき、夜11時になっていました。

 ひろがる共感
 法廷に先立つ6日は、開会行事が南アの国会議事堂で開催されました。10年前まで黒人差別を続けてきたこの国会に、下院副議長、上院議長、司法副長官、そしてウィニー・マンデラ女史も国連から呼び戻されて出席。このあと7日まで円卓会議が続きました。
 7日夕方の黒衣デモでは、首に下げている折り鶴を欲しいと人びとが寄ってきて、「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」のプラカードの周りは、またたく間に連帯の鶴が連なっていきました。
 会場には「原爆と人間展」パネルも展示。戦争と暴力のない新世紀を築いていこうという思いを、参加したいろいろな国の女性たちと共感することができました。



近畿ブロックの相談所講習会

 近畿ブロックの中央相談所講習会が2月28日、大阪市内で開催され、近畿各県から50人が参加しました。
 肥田舜太郎理事長からは、被爆者が生き甲斐をもって長生きする意味と過ごし方について、伊藤直子相談員からは、介護保険と現行被爆者対策の介護手当活用などについて話を聞きました。
 参加した被爆者からは「孫への語り継ぎを考えることが大事」などの感想が寄せられました。

熊本で研修会
 熊本県被団協と中央相談所共催の研修会が3月14、15の両日、熊本市内の菊南温泉で開かれました。
 研修会では、日本被団協の中山高光代表理事が「被爆者宣言(案)討議の意義と現状」、伊藤直子相談員が「現行法の活用と介護問題について講演しました。
 参加した70人の被爆者からは、二世対策や施設介護など多方面の質問が出され、夜の懇親会、翌日の鞠智城見学など、有意義な研修会でした。 

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