最高裁の判決に対して日本被団協および原爆松谷裁判ネットワークは次のような声明を出しました。

2000年7月18日
日本原水爆被害者団体協議会
声明
松谷裁判の勝訴について

   最高裁判決:「上告棄却、上告費用は上告人の負担」
 

 本日最高裁判所は、長崎の被爆者松谷英子さんの厚生大臣を相手とする原爆症認定申請却下取り消しをもとめる裁判において、国(厚生大臣)の上告棄却の判決を下した。
 長い苦しいたたかいをつづけてきた松谷さんと、力をつくしてこの裁判を支援してくださった多数の人々に心からの敬意を捧げ祝意を表する。
 松谷さんは、3歳で長崎の爆心地から2.45kmの地点で原爆に遇い、頭に被爆瓦の破片を受け、半身不随の身になった。この障害を『原爆医療法』にもとづいて原爆症とみとめるよう、1977年最初の認定申請をおこなったが、翌年厚生大臣は「原爆放射能に起因する可能性は否定できる」との理由でこれを却下し、異議申立ても棄却した。松谷さんは1987年、2度目の認定申請をおこなったが、これも同年暮れ不当に却下され、異議申立ても棄却された。多くの被爆者が「原爆放射能に起因する可能性は否定できる」という、根拠も示さない一方的な理由で認定申請を却下され、泣き寝入りを強いられているなかで松谷さんは、1988年国の冷酷な被爆者施策にたいし裁判でたたかうことを決断した。苦痛を押しての裁判を闘いぬくことによって松谷さんは、原爆被害がけっして「受忍」できるものでないことを態度で示し、全国の被爆者を大きくはげましつづけた。
 以来原爆松谷裁判は12年にわたって、長崎地裁(88年提訴、93年判決)福岡高裁(93年控訴、97年判決)で争われ、いずれも原告松谷さんの完全勝訴に終わった。
 もともと国が放射線の影響を問題にするとき、「DS86」という推定式を機械的に適用して、2kmを超えたところでは放射線の影響はありえないという、実態を無視した対応をしてきたこと自体が不合理きわまるものであった。国は、長崎地裁判決の段階で敗訴をみとめ松谷さんの障害を原爆症と認定すべきであった。しかるに国はこれを福岡高裁に控訴し、さらに最高裁にまでもちこんでいたずらに裁判を長引かせ、原告松谷さんを苦しめつづけた。
 この度の判決は、松谷さんに対する認定却下の不当性をあきらかにしただけでなく、国の被爆者施策の、実態を無視した冷酷さと原爆被害切り捨て、被害の過小評価の不当性を明らかにしたものである。
 われわれは、厚生大臣にたいし、大阪高裁、東京地裁、札幌地裁で係争中の認定をめぐる訴訟をただちに中断し、いずれもただちに原爆症と認定することを要求する。
 われわれは、国にたいし、原爆症認定制度のありかたをはじめ、被爆者施策の全般にわたり、被爆者の実態に即して対策を充実することを要求する。
 われわれは、国に対し、原爆被害の全体像をとらえるための包括的で、徹底的な科学的調査を実施し、その結果を内外に広く知らせるよう万全の措置を講ずることを要求する。
 われわれは、ひきつづき「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器なくせ、原爆被害への国家補償をおこなえ」の要求をたかくかかげてたたかいつづけることを誓う。


原爆松谷裁判ネットワーク 声明


 7月18日、原爆松谷裁判について最高裁判所で国の上告を棄却する判決が下されました。
原告の松谷英子さんは、12年間にわたり原爆症認定をめぐって厚生省と争ってきました。そして原爆松谷裁判ネットワークは、この裁判を支えるために全国的に支援の取り組みを広げてきました。
今回の判決は、原爆被害を不当にも小さく見せようとし、原爆被害を切り捨てようとする厚生省の姿勢を厳しく批判するものです。また、従来厚生省がおこなってきた原爆症認定に関わる行政施策の矛盾・欠陥が確認されたことは極めて重要です。私たちはさらに、今後実態にあった被爆者施策がおこなわれることを求め、また現在も原爆症の認定で係争中の他の裁判においても、一日も早く原告の勝利を確定させる運動をひろげることを表明します。

 原爆松谷裁判ネットワークは、今回の勝訴判決が被爆者と市民の協力による大きな力により成し遂げられたことを喜びあうとともに、これまで裁判を支援してくださった全国の市民のみなさんに心からお礼を申しあげます。私たちは、これからも国の被爆者行政を前進させ、核兵器のない世界を実現させていくために、松谷さん、そして全国30万人の被爆者のみなさんととともに歩んでいくことを決意します。

     2000年7月18日

原爆松谷裁判ネットワーク

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