「ノーモアヒロシマ・ナガサキ」を人類の思想に
ヒロシマ・ナガサキ
から60回目の夏が巡りました。
青い空。わき上がる
雲。降るようなセミの声――。どれも被爆者にとっては、「あの日」の記憶につながり、悪夢をよみがえらせます。
ヒロシマ・ナガサキ
は昔話ではありません。放射能後障害は被爆者をいまも殺しています。私たちは平和と「核のない世界」を望んできたのに、いま世界には憎しみと報復の連鎖が
あり、核先制攻撃が叫ばれます。地球に広島原爆三万発分もの核兵器が存在したまま、報復が繰り返されるなら、人類を待つのは滅亡です。核兵器廃絶が今ほど
緊急性をもったことはありません。
思い起こせば、1956年8月、初めて自分たちの組織、日本被団協につどった被爆者は「世界への挨拶」のなかで、「高らかに全世界に訴えま
す。人類は私たちの犠牲と苦難をまたとふたたび繰り返してはなりません」と声をあげることから歩みをはじめました。
私たちは被爆60年のことし、全国12の裁判所で原爆症認定集団訴訟をたたかいながら、国連原爆展を成功させました。さらに夏の「ノーモ
ア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議」、秋の「戦争も核兵器もない世界をめざす大集会」成功に向けて全力をあげています。その私たちからいま、ふたたび
「世界への挨拶」をおくります。
国際市民会議は
「ノーモアヒロシマ・ナガサキ」をかかげます。被爆者たちが60年前から叫びつづけてきたこの言葉が、いまこそ人
類共通の思想になってほしい――私たちはそう願っています。
なぜなら、これには
三つの大切な意味があるからです。
第一に、被爆地の瓦
礫のなかからあがった「ノーモア」の声は、広島・長崎をくりかえすことをけっして望まなかった被爆者の思いを映しています。これは、いまこそ世界の人にき
いてほしい、報復否定の叫びなのです。
第二に、生き残った
者が死者を忘れないという誓いを表しています。人類がヒロシマ・ナガサキを忘れたとき、核戦争がやってくる――広島と長崎の死者を記憶に刻むこと、そこに
人類の希望が託されています。
第三に、世界のどこ
にも第二、第三の広島・長崎をつくらせないという、国境を越えた友愛と連帯の熱い思いがあります。
「ノーモアヒロシ
マ・ナガサキ」。この言葉を世界の友におくります。
「戦争も核兵器もな
い地球」をめざし、ヒロシマ・ナガサキを語りつづける被爆者の新たな決意をそえて――。
2005年7月
日本原水爆被害者団体協議会