原爆症認定「集団訴訟」運動にご支援・ご賛同を

 日本被団協(都道府県の原爆被害者団体による協議会)は、2001年秋「原爆症の認定」制度の抜本的な改善を求めて、全国いっせいに原爆症の認定申請を行ない、却下された場合は集団で却下処分の取り消しを求めて裁判を起こすことを提起しました。これに応えて全国で多くの被爆者が厚生労働大臣に原爆症の認定申請を行なっています。しかしいまの「認定審査基準」では、すでに多くの人が却下されています。却下された被爆者の多くが全国の裁判所に提訴して争う準備をしています。

 「どうして58年もたった今?」と多くの人が思われるかもしれません。
 現在被爆者健康手帳を持っている被爆者は、全国に285,620人(2002年3月末)。多くの被爆者が被爆後健康を害し、癌や肝機能障害、甲状腺機能障害などの原爆後障害に苦しみながら、病気がちな身体に鞭打って生きてきました。
 一方ではたくさんの被爆者が世を去りましたが、最期は原爆の後遺症による苦痛に満ちた死にざまでした。
  生き残った被爆者も平均年令が70歳を超え、癌に苦しむ人が急増しています。
 また被爆者の多くはこうした身体の苦痛に加え、たえず「あの日」の悪夢にうなされ、「癌になるのでは」という不安におののきながら今を生きています。
被爆する前は健康そのものであったのに、「あの日」を境に病気がちになり、青春時代の夢を無残に打ち砕かれた人、病弱なために仕事が続けられず、何度も職場を変わった人、結婚をあきらめねばならなかったり、結婚はしても、被爆者であることを家族にさえ隠して生きざるを得なかった人など、被爆者は全生涯にわたってさまざまな苦しみに耐えて生きてきました。
 被爆者はこの苦しみが、原爆によるものであることを国に認めてほしいと、原爆被害への国家補償を求めて長い間運動を続けてきました。しかし、国はいまだにこれを認めようとはしません。それどころか国は、近距離で直接被爆した者以外の病気は原爆によるものではないとして、すべて切り捨ててきました。
 現在原爆症と「認定」されている被爆者は2000人あまりと、被爆者全体の0,75%にすぎません。原爆投下直後から市内中心地で、けが人の救援や死体処理を行なった人、肉親を探して何日も市内を歩き回った人などは、癌になっても放射線の影響がないからと却下されるのです。
 私たちは、これは原爆被害を過少に評価して、「核兵器はいつでも使用可能な兵器」であると考える国の姿勢の現われだと考えています。
 国が現在「原爆症」認定の「科学的根拠」としているのは、アメリカと日本が共同で作成した被曝線量評価方式(DS86)の機械的な当てはめです。
 被爆者は長い間、この「原爆症の認定基準」を前にして、「認定はむずかしい」と、申請をあきらめてきました。しかし、「我慢できない」と提訴した長崎の松谷英子さんや京都の被爆者は、最高裁や大阪高裁まで12年も、13年もの間苦しい裁判を闘い抜いて勝利しました。
 被爆者はこの判決によって認定制度が改善されることを期待しました。しかし、最高裁の判決の後に国が新しく採用した「原因確率」という認定審査基準は、最高裁で勝利した松谷さんさえも認定されないほど厳しいものでした。

 そこで被爆者は、もう我慢することはやめよう、と立ち上がったのです。
 ―58年前の原爆被害は過去のことではなく、全生涯にわたって今日なお被爆者を苦しめつづけていることを国に認めさせるために。
 核兵器がふたたび使われる危険が大きくなっている今、人類史上最大の殺戮であった広島・長崎をふたたび世界のどこにでも繰り返させないために。

 原爆症認定「集団訴訟」運動は、余命少ない被爆者の、日本政府と核兵器を持ちつづける国を相手にした「最後」とも言えるたたかいです。
 それだけに、これは被爆者だけの力でやりきれる運動ではありません。
 何としても広範な国民のみなさまのお力添えがなければなりません。
 どうか、ご理解をいただき、この運動をご支援いただき、ご賛同下さるようお願いします。

     2003年2月

日本原水爆被害者団体協議会
105-0012 東京都港区芝大門1-3-5
           ゲイブルビル902
原爆症認定のあり方を問う   「集団訴訟」運動の意義(2002.3) 集団訴訟のうごき
提訴者数04.12(PDF) 集団申請数 
  原爆裁判   トップページ