原爆裁判・集団訴訟
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 【東京原爆裁判】

 1955年(昭和30年)4月、広島の下田隆一さんら3人が、国を相手に東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて訴訟を提起した。被爆者に対して国が何らの援護も行わずに放置していた時期のことである。
 東京地裁は、1963年(昭和38年)12月判決を言い渡した。
 判決は、原告の損害賠償請求を棄却したが、「アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」とし、「被爆者は損害賠償請求権を持たない」が、「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般戦災者の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府及び内閣の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」と述べている。
 裁判は、「原爆投下は国際法違反」といわせたことをよしとして、1審で確定した。この裁判は、その後、被爆者援護施策や原水爆禁止運動が前進するための大きな役割を担った。訴訟提起後の1957年原爆医療法が制定され、裁判中の世論の高まりもあり、1968年5月には原爆特別措置法が施行された。


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