クワガタの走光性について

 

0.クワガタはなぜ街灯の下に落ちている?

この原稿を読んでいる方のほとんどが、蒸し暑い夏の夜、街灯の下でクワガタを探した経験をお持ちでしょう。青白い水銀灯の明かりに照らし出されてもがく黒い影に、心を躍らせた子供の頃の記憶がよみがえる方も少なくないのではないでしょうか。

そのとき、なぜクワガタは街灯の下に落ちているのか考えたことはあるでしょうか。「明かりに集まる性質があるからに、決まってるだろう。」という声が聞こえてきそうですが、「なぜ光に集まるのか?」「なぜ街灯のところで落ちるのか?」という疑問に、明確に答えられるでしょうか。私にも明確に答える自信はありませんが、光に集まるのには生態上の理由があるはずですし、そこで落ちてしまうのにもなにか理由があるはずです。

そこで本稿では、クワガタが街灯の下に落ちているという極あたりまえのことのメカニズムについて考察してみたいと思います。けっして、クワガタの走光性について学術的な見地からの答えを出そうというものではありませんので、軽い気持ちでお付き合いください。なお、本業の学者さんにおかれましては、この小文の内容について御指摘や御教授を頂ければ幸いです。

さて、街灯の下に落ちているクワガタが人間に拾われるためには、@街灯のところまで飛んでくること、A街灯のあたりで落ちること、Bある程度の時間落ちたその場にとどまっていることの3つの条件が必要であると考えます。以下、この3つの条件について、一つずつ検討してみたいと思います。

 

1.           なぜ街灯のところまで飛んでくるのか?

この疑問には、簡単かつ明確に答えられそうな気がします。その答えとは、「クワガタには走光性があるから」というものです。走光性とは「光に走る性質」の意味で、「生物が、光の刺激に対して一定の方向性をもって進む反応を示す性質」のことです。走光性には主に2種類あり、光源に向かって行く性質を「正の走光性」、光源から離れて行く性質を「負の走光性」と呼びます。クワガタが街灯のところまで飛んでくる理由としては、当然に前者の「正の走光性」を持っていることが挙げられるわけです。では、「正の走光性」のメカニズムとはどのようなものでしょう。

一般的に考えられているのは、「右目に入ってくる光の量が多い場合には右へと、左目に入ってくる光の量が多い場合には左へと、進む方向を補正する反射が働き、結果的に、目に入ってくる光の量が右目と左眼で同じくらいになる姿勢、すなわち光源を正面に捕らえた姿勢を維持し続ける。」というものです。この作用によって、飛んでいるクワガタは光源である街灯のところまで飛んでくるのです。

 

 

2.           なぜ街灯のあたりで落ちるのか?

街灯の所まで飛んできたクワガタは、なぜ街灯のあたりに落ちてしまうのでしょうか。

その理由として第一に考えられるのは、「ある程度光源に接近したクワガタは、正の走光性によって光源の周りを旋回し、最終的には光源に到達してしまう。結果、光源たる街灯の電球に衝突してバランスを崩し落下する。」というものです。

第二に考えられるのは、昆虫の平衡感覚の仕組みによるものです。動物が上下を判断する、言い換えれば自分の現在の姿勢を判断する方法には、いくつかの方法があります。脊椎動物においては三半規管などを使って重力の方向を感知することによる方法が一般的ですが、昆虫にあっては光の強弱によって天空と地面の方向を判断する方法が一般的です。この方法は、自然の状態にあって通常光源となり得るものは「太陽」と「月」であり、それ以外のものが光源となることは極々稀な例外ですから、「明るい方向=太陽又は月のある方向=天空の方向=上」という前提の下、明るい方向に背を向けていれば、常に自分の姿勢を一定に保って飛翔し続けられるというものです。「この平衡感覚の仕組みによって飛行していたクワガタが街灯にある程度接近したときには、街灯のあまりの明るさに天空と地面の方向を判断する機能が撹乱されて、重力に対抗するために必要な姿勢の制御に失敗し、結果、必要な揚力が得られなくなって落下する。」というのが、第二に考えられる理由です。

 

3.           なぜある程度の時間落ちたその場にとどまっているのか?

もしも、街灯の下に落下したクワガタがすぐにその場を立ち去ってしまうのであれば、我々クワガタ採集者がこのクワガタと出会うには街灯の下で落下してくるクワガタを待っていなければならないでしょう。しかし実際の街灯での採集では、今まさに落下してきたクワガタに出会うよりも、すでに落下していたクワガタに出会うことの方が明らかに多いのです。このことは、落下したクワガタが少なくともある程度の時間は街灯の周りに留まっているということを意味しています。

落下したクワガタは、なぜその場に留まっているのでしょうか。

第一に考えられるのは、「落下の衝撃で、一時的なダメージを受けている。」「そこまでの飛翔で消耗した体力の回復を待っている。」「もともと、飛翔を開始することに対する積極性がない。」などの理由により、再び飛び立つまでに時間がかかるというものです。第二に考えられるのは、たとえすぐに飛び立ったとしても前述した正の走光性によってすぐに街灯の明かりに捕まり、再び同じような場所に落下してしまうというものです。恐らくは、この両方の理由によって、その場をなかなか立ち去れずにいるのでしょう。

また、これらの他に思い当たる理由として、「歩行時における正の走光性」というものがあります。ここまでは、クワガタが飛翔している場合の正の走光性について述べてきましたが、街灯下のクワガタを観察していると、この正の走光性は歩行時にも存在するのではないかと思えるのです。街灯下に落下したクワガタは「歩いている」「立ち止まっている」「ひっくり返っている」「潰れている」「食べられている」のどれかの状態で発見されます。このうち、「歩いている」場面に出会ったときクワガタがどっちの方向に歩いているか、注意して観察したことはあるでしょうか。全ての場合に当てはまるものではありませんが、私には街灯の方向に向かっていることが多いように思えるのです。ただし、これはミヤマクワガやノコギリクワガタについて言えることで、いわゆるドルクス系以外のクワガタに見られる性質のようです。つまり、ミヤマクワガやノコギリクワガタには、飛翔時のみならず歩行時においても正の走光性があり、街灯付近に落下したクワガタがその場に留まってしまう一つの要因となっているようだということです。

これに対して、オオクワガタをはじめとするドルクス系のクワガタは、これとは逆に街灯から遠ざかるように歩いていることの方が多いのが観察されます。このような、オオクワガタなど一部のクワガタの振る舞いは、飛翔時においては正の走光性が、歩行時においては負の走光性が発現しているかのように見え、これにより街灯下で出会う確率が低くなっているのではないかと思えるのです。

 

4.           光に誘発されて飛び立つのか?飛び立った後で光に誘引されるのか?

満月の夜は、クワガタの灯火採集の効率が下がります。これは、月という最も目に付きやすい光源があって街灯などにクワガタが集まりにくいためであるとされています。もし、クワガタが光に誘発されて飛び立つのであれば、満月の夜にはクワガタの飛翔する個体数は激増するはずです。しかし、我々が確認できるのは飛翔する個体数ではなく灯火に集まる個体数ですから、野外においてこれを確認する術は見あたりません。飼育個体を光源のある部屋と無い部屋に隔離し、その飛翔頻度をカウントして比べる実験などによって確認可能ではないかと考えますが、まだ実行したことはありません。

経験的には、気温と湿度がクワガタの活動にとって適正な範囲であるときに飛翔の頻度が高まり、また航続距離も伸びるため、街灯に集まる個体数が増加するのであって、光そのものに飛翔を促す効果があるわけではないように思えますが。皆さんは、どう思いますか?

 

5.クワガタはなぜ光に集まる必要があるのか?

ここまでは、「なぜ?」という疑問に対して、そのメカニズムのみを検討してきました。しかし、「なぜ?」という疑問には一般に二つの意味があります。一つめは、ここまで中心として検討してきた「どうしてそういう結果になるのか」という「そうなるメカニズム」について問うものであり、もう一つは、「どうして、そうしなければならないのか」という「そうすることの必要性」について問うものです。

「蝶はどうして飛べるのですか?」との質問には、「羽によって、自重を支えるに足る揚力を得ているからだよ。」と答えることもできるし、「良い産卵場所を探して、遠くまで移動できるようにだよ。」と答えることもできるでしょう。この場合、前者は「そのメカニズム」について説明したものであり、後者は「その必要性」について説明したものだということです。生きるために生物に備わった習性には、まずその習性の「必要性」が存在し、その習性を発現させるための「メカニズム」が存在するのは、当然と言えば当然のことなのです。

クワガタが街灯に集まる「メカニズム」についてはこれまで述べてきたとおりですが、ではその「必要性」とは何でしょうか。

クワガタの進化の歴史の中で、「街灯」という光源の出現は極々最近のことでしょう。したがって、クワガタが生き抜く上で街灯に集まる必要があったため、その習性を身に付けたとは考えられません。このことは、街灯に集まったクワガタの「キツネや鳥に食べられる」「ヒトに捕まる」「車に潰される」など、クワガタにとって不本意であろう結末を見ても明らかでしょう。クワガタが街灯に集まるのは本来の習性ではなく、街灯という人工の光源に惑わされた結果であり、その習性が本来ターゲットとすべき自然の光源が他にあるはずなのです。その光源とは、「月」であると考えられます。では、月に向かって飛ぶことに何のメリットがあるのでしょうか。

クワガタに限らず多くの昆虫にとって飛翔とは、生息範囲の拡大を目的とした繁殖のための新天地を求める長距離移動手段として、非常に有効性が高いものであると考えられています。しかし、この戦略が有効に機能するためには、いくつかの条件が必要です。第一に、飛翔の方向をある程度一定に保つ必要があるということです。いくら頑張って長時間飛行したとしても、方向が定まらずにふらふらとさ迷っていたのでは、出発点からの実質的移動距離は確保できません。最悪の場合、もとの場所に戻ってきてしまうこともあるでしょう。方向を一定に保ち、なるべく直線的に飛行することで、少ない労力で最大限の移動距離を確保することができるのです。したがって、自らの向かう方向を一定に保つための目印があるとよいということになります。第二に、到達した新天地で繁殖を行うことが最終目的ですから、同種の仲間がある程度の個体数で同じ場所に到達できる必要があるということです。発生場所から飛び立った仲間たちが、てんでばらばらな方向に飛び去った場合、到達点における個体密度が低くなるため雌雄の出会いのチャンスが減少してしまい、繁殖という本来の目的が達成できる確立が低くなってしまうのです。したがって、仲間たちが同じ方向へ飛んでいくための目印があるとよいということになります。

もうお解かりでしょう。飛翔時の方向を一定に保って移動距離を最大限に確保し、仲間みんなで同じ方角を目指すための目印。それが月なのです。月という光源は夜空にただ一つしかないため、気温と湿度が高くクワガタの飛翔に適した夜、たくさんのクワガタが一斉に飛び立ち、皆が月に向かって進路をとれば、より遠くの新天地にみんなでたどり着ける結果となります。クワガタの正の走光性は、そのために有効に機能しているのではないでしょうか。

 

6.なぜ太陽ではなく月なのか?

前項では、クワガタが飛行の方向を定めるために月を利用しているとの見解を述べました。しかし、天空に存在する光源は月だけではありません。夜空に輝く「星」は、その見かけの光量があまりにも小さくて利用できそうもありませんが、「太陽」は「月」以上に光量があり、十分に利用できそうに思えるのですが。なぜクワガタは、月を選んだのでしょうか。

この問いかけには、「クワガタは夜行性だから月を利用するしかないのだろう」との答えが帰ってきそうですが、私には「夜行性だから月を利用する」のではなく「月を利用する必要があるから夜行性」なのではないかと思えるのです。

前述のとおり、クワガタの飛行による移動には生息範囲を広げる効果があり、多くの仲間とともに同じ場所にたどり着いた方がその効果は高まると思われます。ところが、太陽も月も時間帯によってその存在する方角が違います。同じ時間帯に皆で申し合わせて飛び立たない限り、飛び立った時間帯によって別々の方角に飛んで行ってしまうことになるでしょう。そこで、皆で一斉に飛び立つ時間帯の合図として、「日没」を選んだのではないでしょうか(なぜ「日の出」ではだめなのかはあとで述べます)。多くのクワガタが日没直後に飛び立つことは、灯火採集のゴールデンタイムが日没からの2時間ほどであることから、皆さんも経験的にご存知でしょう。日没の時点において月の存在する方角は、一定ではありません。したがって、日没直後に飛び立ったクワガタが月を目指して飛び立つとすれば、時期によって異なる方向に生息範囲を広げることができるのです。クワガタの発生期はある程度決まっていますが、暖冬により早まったり冷夏により遅くなったりしますから、その年によってずれがあります。また、発生初期の個体群と発生後期の個体群では、発生期に数週間から1ヶ月以上の差があることも珍しくありません。このように、日没後を合図として月を目印に飛び立つ習性は、生息範囲を色々な方角に広げる可能性をもつ優れた繁殖戦略となっているのではないでしょうか。もしも日の出を合図としたならば、太陽を目印に飛び立つことになり、その時間帯に常に太陽が存在する方角、つまり東へしか生息範囲を広げられない結果となってしまうのですから。

いかがでしょう。「月を利用する必要があるから夜行性」という意味が、ご理解いただけたでしょうか。

 

7.終わりに

本稿で述べたクワガタの走光性についての考え方は、専門的知識のない筆者の私見にすぎません。筆者と異なる考えをお持ちの方は、是非、ご意見をお寄せください。

 

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