爆  弾
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第七章 爆 弾

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A

汎用高性能爆弾

B

パンプキン爆弾

C

シンマン原爆

D

リトルボーイ原爆

E

フアットマン原爆

F

MK-3原爆

G

MK-4原爆

シルバープレートB-29の歴史は、彼らが試験や戦闘目的に搭載した各種爆弾のことを語らずして終ることが出来ない。B-29のシルバープレート型及びサドルツリー型は特別に原爆を搭載できるよう改修されたが、前後部弾倉に標準の汎用高性能爆弾を搭載できる能力も残していた。第五章で述べたように、テニアンの第509混成群の航空機は、汎用爆弾と非原爆型爆弾パンプキンを投下する多くの任務も遂行した。

原爆構想当時のニックネーム「シンマンとフアットマン」は、爆弾の形を適切に表現していた。一方は長くて細く、他方は尾翼付の楕円体だった。「プロジェクトAの歴史」の中でラムゼイは、1943年に陸軍航空隊の連中がシンマンとフアットマンという名を考え出したのは、彼らが「電話で会話をする際、フランクリン D.ルーズベルト大統領とウィンストン チャーチル英首相を運ぶため、ある航空機を改修しているかの如く装う」ためだったと言う。その会話に出てくる航空機は、オハイオ州デイトン近郊のライト陸軍航空基地で改修中のプロトタイプB-29であった。

ボーエンは、ライト基地でこの名前が用いられるようになった経緯を次のように説明している。空軍原子力エネルギー計画の歴史の中で、最初のシルバープレートB-29を改修するライト基地の業務にプルマンというプロジェクト名が与えられた。この高度に秘匿されたプロジェクトに係るやりとりを隠すため、プルマン鉄道車両に乗り米国内を一緒に秘密旅行するルーズベルトをシンマンに、チャーチルをフアットマンに見立てた、と言うのである。
Bowens ”History of Project Silverplate” p.96

リトルボーイとフアットマン原爆に関する資料の多くは、ジョン コスター/ミュレン著「原爆:リトルボーイとフアットマンの極秘物語」から得た。同書に記述されている両爆弾に関する情報の正確さについて政府部署の確認は得られていないが、彼が集めて出版した爆弾の資料は本章で拠りどころとするに十分な真実性を持っている。彼等の著書から資料を使う許可を頂き、感謝する。
John Coster-Mullen "Atomic Bombs : the Top Secret inside Story of Little Boy and Fat Man "

A.汎用高性能爆弾

1945年7月から8月の間に第509が訓練爆撃に用いた爆弾は、AM-M64A1 500(226.8kg)ポンド汎用(GP)高性能炸薬爆弾と、AM-M65A1 1,000ポンド(453.6kg)GP高性能炸薬爆弾である。B-29の15回の訓練爆撃は90ソーティで、500ポンドGP爆弾108個と1,000ポンド爆弾50個を、ロタ、トラック、マーカスおよびグーガン島に投下した。これらの島々は未だ日本軍の手にあったが、米国が日本により近い島々に進出する時に 迂回して来た。これらの訓練任務で第509が投下した50トンの爆弾は、第20航空軍部隊が1945年前半に投下した同種の爆弾の莫大なトン数に較べると僅かなものだが、GP爆弾を用いた第509の任務は乗員にとって価値ある訓練になった。

AN-M64A1 500ポンド汎用爆弾は尾翼組立を取付けた状態で長さ150cm強、投下時の重量254kgであった。尾翼なしの爆弾は長さ120cm、直径36cm、重量243kg。この爆弾は、126kgのコンポB、TNTまたはアマトール高性能炸薬を搭載した。

AN-M65A1 1,000ポンド汎用爆弾は尾翼組立を取付けた状態で長さ176.5cm、投下時の重量490kgであった。尾翼なしの爆弾は長さ137cm、直径47.8cm、重量473kg。この爆弾は、260kg強のトリチナル、コンポB、TNTまたはアマトール高性能炸薬を搭載した。

第509の訓練任務で投下したこれらGP爆弾は弾頭信管を、ある任務では弾底信管を装着した。殆どの任務でGP爆弾を前部弾倉に搭載したが、いくつかのソーティでは後部弾倉にも搭載した。

B.パンプキン爆弾

(1)概 要

パンプキン爆弾はロスアラモス研究所が試験・開発用に作り、第509混成群の戦闘リハーサル任務に用いた楕円体型の三種のフアットマンを指す。ロスアラモス・テレタイプTA-522によると、パンプキンという名はロスアラモスのウイリアム S. "デ ィーク" パーソンズ海軍大尉とカリフオルニァ工科大学(Cal Tech またはCIT)で支援作業の長だったチャールス C.ローリッツ ェン博士が命名したという。

この三種類のパンプキン爆弾の寸法と重量は、フアットマン原爆と同じだった。大きな違いは高性能爆薬を詰めたパンプキンには頭部に三個の触発信管が付いていたが、フアットマンでは四個であった。その他、パンプキンがフアットマンと異なる点は、パンプキンの前部及び後部の楕円体外殻が外周上を溶接結合されていたことであった。フアットマンの場合、前後部の外殻は内部球体の外付ラグにボルト結合され、それ らにフェアリングが付いていた。

また、フアットマンにはアーミング及び発火システムの一部である四個のレーダーアンテナが前部楕円体外殻に取付けられていたが、パンプキンにはそれがない。パンプキンとフアットマンは共に同じ尾翼を用い、後部外殻8箇所 にボルト結合された。

パンプキンの前後部の外殻はそれぞれ、厚さ3/8インチ(9.5mm)軟鋼板を成型した四個の楕円状部品を溶接して作られた。ロスアラモスの記録では、幾つかの前後部外殻が装甲鋼板で作られたというが、その理由は明らかでない。パンプキンの全長は325cm、最大径は152.4cm。図示のパンプキンに見られるヘッドライトのような三個の突起物は、触発信管の保護具である。

ロスアラモス史の資料にパンプキンの各種重量が記録されているが、1945年の試験及び任務に用いられたパンプキンとして最もしばしば引用されている値は、10,525ポンド(4,774kg)である。 内訳は、楕円体の鉄鋼部1,724kg、尾翼組立部192kgそして高性能爆薬またはコンクリートの詰物2,858kg。

重心及び慣性能率をフアットマンに合わせるため、試験、訓練及び戦闘用パンプキンの高性能炸薬とコンクリート詰物の重量とはフアットマンの内部球体とほぼ同じとされた。この内部重量と重心の釣合いが、パンプキンにフアットマンと同じ弾道特性と取扱性をもたらした。 写真のように平均的な背丈の人と較べると、パンプキンの巨大さがお分りだろう。このパンプキンは、第509混成群が戦闘任務用にテニアンに送ったうちの一個である。

(2)製 造

カリフオルニア工科大学(Cal TechまたはCIT)は、ロスアラモスとの間で交わされた支援協定によってパンプキン爆弾の開発を担当した。楕円体の外殻は最初、CITとの契約でカリフオルニア州ロサンゼルスのコンソリデーデッド スチール株式会社とウエスタン パイプ アンド スチール株式会社が製造した。ミシガン州デトロイトのセンターライン株式会社が尾翼組立を製造した。

1945年5月、パンプキン外殻の製造会社はそのままで、調達元がCITから海軍兵器局(BuOrd)に移った。1945年8月末現在、261個のすべての形式のパンプキンが調達され 、追加225個が生産中であった。合計1,000個のパンプキンが発注されたが、最終的に486個が納入された。1945年5月でのパンプキン外殻の見積コストは単価で1,500ドルから2,000ドルであった。

パンプキンは「活性」と「不活性」の二種類があった。活性パンプキンには高性能炸薬が、不活性パンプキンにはコンクリートまたは石膏が詰められた。不活性のものは、コンソリデーデッドとウエスタン パイプから鉄道でウェンドーバー陸軍航空基地に送られ、そこで第216基地隊の兵器小隊の試験及び訓練任務用に備蓄された。不活性パンプキンを用いた試験は殆ど第216基地隊の試験小隊が実施したが、その飛行試験の幾つかを第509の乗員が、訓練演習と第216の負担軽減を兼ねて行った。

不活性パンプキン用球体に充填するコンクリート混合物はセメント一袋、石膏一袋、砂240ポンドそして仕上がりのコンクリートの比重が1.67から1.68(活性パンプキンに詰められるコンポB高性能炸薬の比重)になるよう水を加えた。

1944年12月、ウイリアム "ディーク"パーソンズ海軍大尉と第509混成群司令官ポール ティベッツ大佐(写真右)は高性能炸薬パンプキン爆弾のアイデアを考案した。戦闘用パンプキンに対する仕様はシルバープレートB-29の前部弾倉に搭載できること、機体の可能な搭載容積を効果的に利用すること、及び敵に対し効果が得られるよう信管を取付けることであった。1944年12月13日、ロスアラモスでの会合でJ.ロバート オッペンハイマー所長はティベッツに、ロスアラモスはティベッツが希望する大型爆弾(高性能炸薬パンプキン)の種類と数量を揃えるのに可能なあらゆる努力をする積りだ、と約束した。

(3)投 下

高性能炸薬パンプキンを使う主な理由は、テニアン到着後の第509乗員たちの訓練を続け、強化することにあった。戦闘用パンプキンソーティの概略任務は原爆任務に計画されたものと同じで、パンプキン任務用に選ばれた目標は原爆攻撃用に選ばれた目標と同じ地域内にあった。従って、第509の乗員達は原爆任務を下稽古でき、おまけに この任務のおかげで日本の施設を破壊できたのだ。

ウエンドーバーでの数回の訓練任務、及びテニアンからの51戦闘ソーティに第509混成群が使用した活性パンプキンは、ロサンゼルスで製造された標準楕円体外殻とデトロイトで製造された尾翼組立を使用した。この楕円体外殻と尾翼組立とはオクラホマ州マカレスターの海軍兵器廠に送られ、そこで外殻に6,300ポンドのコンポB高性能炸薬を充填した。コンポBはRDX高性能炸薬、TNT及び蝋の混合物であった。

戦闘パンプキン用の楕円体外殻は、最大径の位置に直径10cmの穴をあけてマカレスターに送られた。この外殻を架台上に水平に置き、コンポB混合物をスラリー状にして外殻内に注入した。この高性能炸薬の混合物は乾燥室で36時間保蔵された。コンポBが固化すると注入孔をふさぎ、蓋を取付けた。尾翼組立を取付けてパンプキンが完成した。頭部の触発信管はテニアンでの任務の準備が終ってから装着される。

高性能炸薬の充填が終ると、各パンプキンはこの爆弾のために特別に設計された輸送用コンテナーに納められた。そして、鉄道でサンフランシスコ湾地域のシカゴ港にある米海軍弾薬庫に輸送された。この地域はカリフオルニア州コウェルの内陸貯蔵地域として知られ、ロスアラモスから“三軒のエスキモーの家”というコードネームを与えられた。

戦闘パンプキンはシカゴ港の施設からテニアンに船で輸送された。パンプキンが何個テニアンに送られたか不明だが、日本への任務に使用された51個以上であろう。パンプキン爆弾がテニアン港に着くと荷箱から取出し甲板に上げ、そして爆弾貯蔵地域へ移された。戦闘任務が予定されると、その任務に必要なパンプキン爆弾は貯蔵地域から第509の搭載ピットに移された。 原爆用にテニアンに設けられた搭載ピットを使って、パンプキン爆弾はその任務にあたる各シルバープレートB-29の前部弾倉に搭載された。弾倉に搭載が終ると三個の触発信管が取付けられ、安全引抜ワイアを信管のアーミング用風車から弾倉構造物の支持点に装着された。その航空機は給油やその他の業務を終えて、その日または翌日の任務に備えた。

パンプキン任務は原爆任務と同じ方法で行われた。パンプキンが投下され弾倉扉を離れたらすぐ、パイロットはB-29を鋭く旋回させ退避運動をする。パンプキンは高度約30,000フイートで投下された。

戦争終了直後、米戦略爆撃調査(USSBS)が、日本への米爆撃作戦の有効性解析を、原爆及びパンプキン両任務について行った。USSBSはパンプキンの選ばれた9個の目標に与えた被害について特別報告書を作成した。この報告書は、「重要地域に直撃したとき、または重要建物の至近距離にニアミスした時には強烈な構造的被害を与えたので、日本の工場に対して合理的かつ効果的な兵器であった」と結論付けた。

(訳注)
1. 皇居(写真)は1945年7月20日、イーザリー機(乗員番号C-11)の臨機目標になった。そのパンプキンは目標から大きくそれ、東京駅東側の呉服橋・八重洲橋間の外堀内に落下した。
2. パンプキンの作戦行動を別表に示す:
この表は名古屋市昭和社会教育センター「模擬爆弾の被爆体験記録」(平成7年7月)から引用させて頂いた。

C.シンマン原爆

シンマンは1943年初頭、ロスアラモス科学者たちが描いた二つの原爆構想のうちの一つであった。もう一つの構想は、核分裂しやすい元素を爆縮法によって臨界質量にして分裂させるフアットマン爆弾であった。両構想とも、放射性物質にプルトニウム239を想定していた。このプルトニウム同位元素はワシントン州コロラド川沿いのハンフォードで生産される ことになっていた。

シンマン爆弾の構想は、発射管の中でプルトニウム239の一部を加速し、別のプルトニウム239に衝突させる。理論では、こうして臨界質量状態に入り核分裂が起る筈であった。

シンマンの最初の投下試験は、23分の14縮尺模型を使ってバージニア州ダルグラン海軍実験地域で行われた。下水道管爆弾と名付けられた供試体は、直径58cmの空の500ポンド爆弾を半分に切りその間に直径35.6cm、長さ366cmの管を溶接して作られた。最初の供試体の弾道は非常に悪く、フラットスピンに入ってしまった。重心位置と尾翼形状を変えてから、弾道特性は大変良くなった。多くの(プルトニウムの入っていない)実寸供試体が作られ、1944年3月にプロトタイプのシルバープレートB-29を用いてムロック陸軍航空基地で投下試験が数回行われた。ここで使用されたシンマンは全長518cm、頭部直径96.5cm、中胴部直径58.4cmであった。尾翼組立は相対する翼端間距離96.5cm。この爆弾の重量は約3,630kg。

1944年3月16日、ムロックでの投下試験中にシンマンが過早投下され、閉じたままの弾倉扉上に落ちた。乗員は弾倉扉を開いて爆弾を投棄したが、その間にプロトタイプのシルバープレートB-29の扉がかなりの損害を受けた。この試験は中断され、機体はライト基地に戻り修復と更なる改修が施された。

1944年夏、プロトタイプをライト基地で修復中、ロスアラモスの科学者たちはオークリッジとハンフォードの原子炉からプルトニウムPu239の最初のサンプルを受取った。残念なことに、その原子炉から得られたプルトニウムPu239、シンマンが必要とする同位元素、はプルトニウムPu240を多量に含んでいることが分った。このプルトニウム同位元素は高速中性子を生じ、それが弱い過早 発反応を起して砲撃法で期待する核爆発を妨げると判断された。

1941年7月、プルトニウムPu240の混入問題が明らかになってすぐ、シンマンの開発作業は打切られ、ロスアラモスの科学者たちは代りにウランU235を用いた縮小型を考案した。この代替の砲撃型爆弾がリトルボーイとして知られる爆弾になった。

シンマン計画を棄てリトルボーイを採用する決定が下されて、ライト基地で改修中のプロトタイプのシルバープレートB-29は、シンマン用に必要とした前後二弾倉のうち一つだけ改修すればよいことになった。

D.リトルボーイ原爆

(1)概要

1945年8月6日に広島任務で使用されたリトルボーイ原爆は、ウランを用いた砲撃型兵器であった。この原爆はロスアラモスの人達が、プルトニウムを砲撃型に用いたシンマンは作動しない、と知った後に開発された。リトルボーイは、プルトニウムに代わりウランを用いたシンマンの縮小型である。

リトルボーイは直径と重量はシンマンとほぼ同じだが、全長は305cmでシンマンより213cm短い。両爆弾の爆発力については、シンマンが生ずる熱量の計算値を示す記録が見当たらないので、比較出来ない。広島に投下されたリトルボーイは約15,000 TNTトン相当の力で爆発したことが知られており、ロスアラモスの科学者達はシンマンにそれと同等、あるいはそれ以上の性能を期待していたと考えて良いであろう。

リトルボーイに使われたウランはコード名を「オラロイ」と呼んだ。この名はオークリッジ合金を意味し、これを生産したテネシー州オークリッジ工場の名をとって命名された。リトルボーイに使われたウランは実際にはU235とU238の二つの同位元素の混合物であった。U235は核分裂しやすいが、自然界にあるウラン鉱から取れる量は非常に少ない。U238はウラン鉱の大部分を占めるが、核分裂しにくい。オークリッジで生産されたオラロイは「高純度ウラン」として知られていたが、それはU235の含有量を1%以下から80%近くまで高めるように処理されたものである。
(訳注)リトルボーイには、純度89%のU23550kgと純度50%のU23514kgの混合物が使用され、その平均値が約80%であった。
グローヴス将軍は、オークリッジ(写真)に土地を購入し、そこでオッペンハイマーと原爆の仕事を始めた。技術作業と設計の殆どはマンハッタンで行われたが、オークリッジは約15,000人が国の秘密の仕事 に従事する大施設になった。ここの主な仕事は、ウランからU235を分離し、使用可能にすることであった。その間、プルトニウムPu239も核分裂可能なことが分った。長い期間を費やしたが、オークリッジはリトルボーイ用ウランU235と、フアットマン用プルトニウムPu239を供給できるようになった。

実戦型リトルボーイに幾つかの型式番号が与えられた。L-1、L-2、L-5及びL-6(どれも、ウラン砲弾と目標組立は搭載せず)は7月末、テニアン付近で、爆弾の装備品と取扱手順を試験するために投下された。広島任務に使われたのはL-11であった。

リトルボーイは基本的には重い頭部に貫入する艦砲用砲身、頭部に搭載されたウラン目標組立、ウラン砲弾、アーミング及び発火部品、外殻及び尾翼組立よりなる。 全長120インチ(304.8cm)、直径28インチ(71.1cm)、重量約9,700ポンド(4,400kg)。

リトルボーイの心臓部は頭部と砲身組立であり、これらが爆弾の全重量の半分を占める。頭部は二つの部分より成る目標箱で、直径71cm、長さ約91cmである。熱処理された合金鋼の鋳物で、重さは2,270kg以上。内部と外部に分れ、内部にタンパーで取り囲まれたウラン目標組立が入る。

目標箱内部の後端に取り付くアダプタの内壁に約8インチ(20cm)の矩形ネジが機械加工されている。砲身前端にこれに対応するねじが刻まれ、アダプタにねじ込まれる。タンパースリーブは外径33cm、長さ33cm、口径6.5インチ(16.5cm)で、基本的には炭化タングステンの粉を高圧下で密にし、コントロールされた雰囲気の炉中で高温焼結して作られる。

(2)砲撃機構

口径6.5インチ(16.5cm)の平滑腔砲身は長さ72インチ(183cm)、重量1,000ポンド(454kg)で、砲口前端は目標箱アダプタの後端にねじ込まれる。砲の先端には、ワシントンDCの海軍砲製造所で目標箱アダプタに合うよう8インチ(20cm)矩形ネジが加工された。

砲尾には二個の尾栓がねじ込まれる。この尾栓の内側部は直径7.6から10cm、重量6.8から9.1kgで、コルダイト無煙推進薬の火薬袋四個を点火する雷管三個と導火線を内蔵する。この火薬袋が炸裂すると、ウラン砲弾が砲身内を52インチ(132cm)飛び、毎秒300m近い速度でウラン目標組立に突入する。

B-29が万一、離陸時に墜落した時、核爆発が起る可能性を最小限にするため、二個の尾栓が開発された。リトルボーイを広島任務用にエノラゲイに搭載したとき、四個の火薬袋と砲尾栓の内側部を取外したり、取り替えたりする工具が弾倉内に別々に収納された。離陸後パーソンズ大尉が弾倉に入り、尾栓の内側部を取外して火薬袋を挿入し尾栓をもとに戻した。

リトルボーイ設計に採り入れられたその他の安全策(フアットマンにも用いられた)は、安全/アームプラグの使用であった。組立が終ると、緑色のハンドルが付いた三個のプラグを爆弾上部にあるコネクタに挿入する。これらのプラグは、爆弾をアーム状態にして炸裂させる電気回路を遮断する。離陸し、火薬袋を挿入した後、兵器試験士官(モリス“デイック”ジェフソン)が緑プラグを赤プラグに交換して回路を閉じた。

リトルボーイに使用されたウランの総重量は141ポンド(64kg)余であった。砲弾にはその60%(約38kg)、目標組立には40%(約26kg)が用いられた。

目標組立の危険部位は6個のオラロイリングで、各々外径10cm、中心部に2.5cmの穴が開いていた。この目標リング組立は外径10cm、長さ17.8cmの棒状であった。オラロイの棒の先端に直径16.5cm、厚さ8.3cmの円筒形タンパー材が付く。

アンビル(金てこ)と呼ぶ円筒形の圧延鋳物が、目標箱の空洞内でタンパー/目標リング組立のすぐ前方に装着された。アンビルは砲弾の運動エネルギーを出来るだけ吸収し、臨界状態が起る前に目標材料が物理的変化 しないようにした。

直径2.5cmの鋼鉄の棒が、アンビルとタンパー/目標リング組立を位置決めし目標箱の空洞内に支持する。この棒は、オラリー目標リング組立からタンパープラグとアンビルを通り、前方目標箱プラグの中央に突き出ていた。

砲身前端直前の目標空洞に直径33cm、長さ33cmのタンパーが圧入された。その口径は16.3cm。タンパー/目標リング組立は、このタンパー内に収められ、砲弾が当った時アンビル内を滑って前進する。

タンパー材料は基本的に炭化タングステンに金属自然ウランを混ぜ込んだ混合物である。このタンパープラグとタンパースリーブは急速に広がる核爆発をできるだけ長く閉じ込め、逃れ出る中性子を連鎖反応の場に引き戻す役割をする。

砲弾は前方に9個のオラリーリングと、その後方に厚さ8.3cmのタンパー板より成る。各オラリーリングは外径16cm、内径10cmである。タンパー板の後には厚さ15cmの鋼鉄部がある。これらの構成品が厚さ1/16インチ(1.6mm)の鋼鉄製の缶に納められ た。組立てられた弾丸は長さ41.3cm、重さ約86.2kgであった。

発射された弾丸が砲身内を通って目標組立に入ると、目標箱/タンパー組立の前で四個のポロニウム−ベリリウム イニシエータに衝突する。このイニシエータは直径12.7mm、長さ12.7mm。ポロニウムは一枚の金箔でベリリウムと隔離されており、弾丸の衝突でこの箔に穴が開く。この時イニシエータが壊れ、ポロニウムがベリリウムと混合し、発生した中性子の洪水が核分裂を起こす。

(3)アーム/セーフ機構

リトルボーイに使われたアーム/セーフ機構は、時計箱1個、気圧計箱6個、バッテリー箱4個、アンテナ4本と回路箱4個を含むレーダーシステム、セーフ/アーミングプラグ3個及び数本の接続ケーブルよりなる。また、航空機側から電力を供給すると共に飛行中にモニターするための引抜きプラグを含む。

アーミング及び点火システムの構成品は、リトルボーイの砲身回りに配置された。時計箱が上側に搭載され、そこから地上試験装置等外部と信号の授受をする。

時計箱が主な接続箱または制御装置である。大きさは46cm×25cm×25cmで、数本のアーミング及び点火システムと相互に電気接続するケーブルを内蔵する。また、砲身の尾栓内の発射薬点火装置につながる出力ケーブルがある。この時計箱に8個の15秒タイマーがあり、弾倉構造につながれた索が引抜かれて爆弾が開放された時に始動する。15秒間の遅延をおくのは、爆弾と航空機が安全な距離まで離れてからレーダーシステムを始動させるためである。

6個の大気圧(バロ)測定箱は夫々、既定圧力高度になると電気回路を閉じるアネロイド圧力センサーを内蔵する。これらのバロスイッチは爆弾の外殻表面上の8箇所に金属筒と標準AN金具でつながっている。この圧力センサーは、精密なレーダーシステムが点火信号の制御をする正しい高度に爆弾が達したか否かを決める。

この四個のレーダー装置は、米陸軍空軍の戦闘機用に開発されたRT-34/APS-13後方警戒レーダーを転用した。各レーダー筐体は高さ19cm、深さ22cm、幅38cm。これと同じレーダー装置がフアットマンにも用いられた。前面のコネクタから24ボルトDC電源を供給され、アンテナと接続し、尾栓の雷管に24ボルトDC発火信号を出力する。

このレーダー装置に用いられたアンテナは八木式で、直径3/8インチ(9.5mm)の金属棒で出来た三要素よりなる。最初の要素は16cmの真直ぐな棒で「導波器」と呼ばれる。中央部はU字型の「ダイポールアンテナ」で、最初の棒より少し長い。三番目の要素は長さ20cmの真直ぐな棒で、「反射器」と言う。導波器と反射器とは爆弾の頭部からラジオ波を前方に円錐形に集中してレーダー信号を送受信する。

四本のアンテナの基部は爆弾前端の外面に取付けられた。八木アンテナはこの基部に取付けられ、アンテナからのケーブルは円筒形外殻板に開けられた穴を通ってレーダー装置に接続された。

リトルボーイの頭部後方の外殻は隔壁と成型鋼板で組立てられた。一枚の鋼製隔壁は直径69cm、厚さ2.5cmで爆弾頭部から約160cmの所で砲身周りに取付けられた。この隔壁はその後部に取付けられた鍔によって固定された。四個の湾曲した長さ72cm鋼板が後述する頭部板と共に隔壁と頭部目標箱との間をボルト結合され、爆弾外殻の中央部を形成した。

頭部板は幅25cm、長さ72cmで頭部と後方隔壁に沿って取付けられた。この頭部板は三個の引抜接栓と三個のアーム/セーフ接栓を受けるコネクタの取付け台となった。この頭部板に開けられた11個の小さなドリル穴から、弾倉の構造物に取付けられた引抜索の他端を差込む。

2分割される円錐部は長さ61cmで、隔壁と後部円筒尾部間に取付けられた。この円筒部はリトルボーイ爆弾の外径を71cmから43cmに絞る。43cm円筒尾部は鋼板で作られ、長さ84cm。箱型の尾翼組立は、一辺が76cmで対角線上に四枚の尾翼を持ち、尾部に取付けられた。

(4)投下

リトルボーイは1945年8月5日(テニアン時間)午後、エノラゲイの前部弾倉に搭載された。弾倉のシャックルにはめ込んだ後、外面に揺れ止めを当て、引抜索を弾倉構造に取り付け、引抜プラグをそれが合うコネクタに挿入した。アーミングは、飛行の初期にパーソンズ大尉が尾栓内に火薬袋を挿入した時から始まり、その後にモリス ジェフソン中尉が緑の取手の"安全"プラグを、赤の取手の"アーム"プラグに交換して完了した。
写真:復元中のエノラゲイ

リトルボーイは午前8時15分(日本時間)から17秒後に広島上空で投下された。爆弾が弾倉から離れると、引抜プラグが抜け内部電源が始動した。更に、引抜かれた索がタイマー時計を始動させ、レーダーが作動するまでの15秒を刻み始める。設定された炸裂高度より上空で、気圧計がレーダー装置を作動状態にする。45.5秒間落下後、レーダー装置は高度約580mでリトルボーイを爆発させる引き金を引いた。

リトルボーイとフアットマンの類似点は、起爆に核融合物質を用いたことと、アーミング及び点火装置を共用したことだけである。この二つの爆弾の主な相違点は、その外形形状、連鎖反応を起させる方法(砲撃対爆縮)、及び使用された核融合物質(ウラン対プルトニウム)であった。その他の 外見の相違の一つはフアットマンには四個の触発信管があり、リトルボーイにはないことである。ロスアラモス科学者はリトルボーイの設計に自信があり、触発信管は不要としたと言われる。

E.フアットマン原爆

(1)概要

ロスアラモスで1943年夏に開発された二つの原爆構想のうち一つはフアットマンと呼ばれた。その直径が大きいのは、内部のプルトニウム球殻を押し潰して臨界質量にするための爆縮力を生ずる球形高性能爆薬の寸法によるものである。砲撃型シンマンの形状が長細い設計になったのに対し、フアットマンに用いられた爆縮法が大きく肥った形状にした。

プロトタイプ シルバープレートB-29の改修設計に使用するため1943年末、ライト基地関係者に示されたもとのフアットマンの形状は直径59インチ(150cm)、全長120インチ(305cm)であった。その15ヶ月以上の間、外形が多少変ったが全長は不変であった。 右図は恐らくムロック乾湖で行われた初期の投下試験で用いられた最初のフアットマン形状であろう。この形状は基本的には円錐形の後部胴体が先細になって円形の尾翼組立につながっている。この写真に、二個の吊下げ金具が見える。頭部に溶接された突起の目的は分らないが、この形状の弾道特性を改良しようとしたのかもしれない。

最終形態のフアットマン(即ち、長崎任務に使用されたModel1561)は直径60.25インチ(153cm)、全長128.375インチ(326.1cm)、重量10,245ポンド(4,647kg)であった。長崎に投下されたフアットマンの爆発力(威力)は約21キロトン(TNT換算で21,000トン相当)と計算されていた。この形式の外形を右図に示す。この写真はフアットマンの外殻で、ニューメキシコ州アルバカーキの国立原子力博物館に展示されている。

フアットマンの基本要素は、外部楕円体外殻、四角い尾部組立、高性能炸薬の殻とプルトニウムコアを収納する内部球及び爆弾をアーミング及び発火させる幾つかの構成品である。

外殻の前後部楕円体部は、厚さ3/8インチ(9.5mm)の成型鋼板を相互に溶接して作られる。この二つの部分は内部球と外周8箇所で、両外殻の外面に溶接されたU型金具を用いてボルト結合される。

成型された頭部キャップと終端部板は、前及び後部とボルト結合される。円筒形の鋼板が内部に取り付けられ、その表面にアーミング及び発火構成品が装着される。 前後部の上面に、アーム/セーフプラグ、アーミング引抜き線、航空機からの電源及び監視回路用接栓、大気圧検知用開口用の各種径の孔が開けられた。四本のレーダーアンテナ取付台が、前部の後方円周上に等間隔で溶接された。触発信管を搭載する四本の鋼製円筒が前方外殻の前端に溶接された。

尾翼組立は一辺が132cmの方形で、重量約230kg。5mm厚アルミ板製の部品をリベット結合して作られた。この組立の後部回りに取付けられた邪魔板はこの組立を通過する気流を制限し、その安定性と弾道特性を向上する。この組立は後部楕円体外殻に、前後部外殻を結合するに用いられたと同じU型取付具を用いて弾倉に搭載される。

(2)爆縮機構

ジュラルミン製の内部球は二個の相合わさる容器と、赤道上の5個のセグメントよりなる。この容器を90個のボルトで組立てると、内径140.3cm、重量は内部構成品なしで519.8kgであった。1.3cm厚のコルクの層が内部球とその内側の構成品とを隔てている。この内 部の構成品は外径137.7cm、厚さ45.7cmの高性能炸薬であった。この高性能炸薬の殻は二層になっていて、いずれもコンポBとして知られる高性能炸薬の混合物で出来た32個の鋳物レンズであった。

内層の各レンズは爆発が起ったとき、衝撃波が内向きに形成されるようにバラトールを含有して鋳造された。内層と外層の間には薄い吸取紙が挿入された。発火装置への導火線は外層の各レンズに取付けられた。コスター/ミュレンは高性能爆薬レンズの各層は22.9cm厚で、高性能炸薬殻の全重量は約2,400kgと計算した。

その次の内部殻は、プッシャーと呼ぶ中空アルミ球で、重量119kg、外径45.7cm、厚さ10.9cm余。

プッシャーと高性能爆薬レンズの内層の間に、薄い吸取紙が挿入された。プッシャーは爆発した高性能炸薬レンズからの衝撃波をタンパーと呼ばれる内部殻に伝達する。

このタンパーはボロンを塗った自然ウランで作られ、外径22.9cm、厚さ約6.8cm。このタンパーの役割は、コア内での核反応をコアが爆発中に蒸発する前に、発生したエネルギー最大にするために出来るだけ長く束縛することであった。ボロンの被覆は中性子を内部に反射して核分裂反応を増強させる。

この反射体の内部にプルトニウム239のコアがあった。ニッケルメッキされ、重量6.2kg、外径9.1cm。コアの中央に球形の空間があり、ポロニウム−ベリリウムイニシェータが入る。このイニシェータはコアが壊れて超臨界状態になったとき、中性子を発生する。

(3)投 下

フアットマンの第三の重要な要素は、適切な高度で爆弾をアーミング し、炸裂させるための部品や回路であった。また、これには正しい瞬間まで爆弾が炸裂しないようにする安全装置と、万一アーミング及び点火機構が適切に作動しなかった場合に爆弾を破壊する触発信管 が含まれていた。このアーミング及び点火用構成品と自由落下時に各構成品に電力を供給する電池が 、頭部外殻の内側、及び内部球の前部にボルト結合された円錐形のフレームに搭載された。

フアットマンがテニアンで組立てられた後、高度計が爆弾の降下中に真の気圧高度を検出できるよう、外殻と尾翼組立との間のすべての結合部が密封された。また、外殻内部の大気は構成品が凍結するのを防いだ。二本の緑色をした安全ピンが外殻上面に取付けられたコネクタに装着された。

二本の緑色ピンには爆弾のアーミング及び点火回路を無力にする内部配線があった。離陸後高度をとるまでに、電気試験士官(フィリップ バルネス)は弾倉に入り、緑色プラグを赤色に交換した。こうして安全プラグで切断されていた回路がつながる。

爆弾がボックスカーに搭載された後、航空機から爆弾に電線が接続され、航空機のインバーターから電力が供給され、内部機器が監視できるようになる。また、爆弾が弾倉内に安全に搭載されたあと、爆弾頭部の四箇所のソケットに四個の着発信管が、爆弾外殻の周囲の搭載パッドに四個のレーダー アンテナが取付けられた。信管を取付けたあと、引抜ワイアが信管と弾倉碇との間に取付けられた。 更に、爆弾の内部時計からの引抜ワイアが弾倉内の固定点に取付けられた。

爆弾が投下されると、航空機電源と監視用ケーブルが切断され、信管引抜ワイアが四個の信管アーミングプロペラを回転させ触発信管をアーミングした。更に、時計引抜ワイアが時計をスタートさせ、爆弾の6ボルト酸化鉛電池8個が15秒以内に起動し、爆弾の電気アーミング・点火構成品に電力を供給した。

気圧システムが高度8,000フイート相当の大気圧を感知すると、レーダーアンテナへの回路を閉じるスイッチが入る。高度約1,800フイートでレーダーが作動して、点火装置(Xユニット)から32個の雷管への回路を閉じた。雷管は高性能炸薬レンズを爆発させ、その衝撃波がプルトニウム球をもとの大きさから約1インチ半に押しつぶし、そして爆弾は爆発した。

F. MK-3原爆

MK-3原爆は日本との戦争が終了後、貯蔵 に回されたフアットマンのバージョンである。1945年夏、グロ−ヴス将軍とJ.ロバート オッペンハイマーはロスアラモス研究所に新しい部門を設立し、それをオックスナード基地として知られるニューメキシコ州アルバカーキのカートランド陸軍航空基地に隣接した地域に置いた。Z部門と呼ぶ新しい組織は残ったフアットマンの組立、改良爆弾の開発、及び現存・改良爆弾の試験を担当した。Z部門がいた地域はサンディア基地として知られ、のちに国立サンディア研究所になった。サンディア基地はのちに、カートランド空軍基地に吸収された。

1945年末、フアットマンの部品が全部、サンディア基地に運ばれ、箱と条板箱に収められて貯蔵された。これら部品と構成品は戦争直後の米国の核蓄積となった。1946年、フアットマンの設計が小変更され、蓄積用に生産された改良型をMK-3爆弾と呼んだ。MK-3は改良 された点火器と、より信頼性の高いアーミング及び点火システムを備えていた。

1947年4月から1949年4月の間、MK-3爆弾約120個が生産された。1949年4月にはMK-3の退役が始まり、1950年末に終了した。MK-3は長崎に投下したフアットマンに改良を加えたものであるが、組立にかなりの時間と人力を要し、電池を交換しないで使用できるのは ただの48時間に過ぎない。MK-3は1950年までに国有財産目録から除かれ、MK-4爆弾に置き換えられた。

MK-3の威力はフアットマンと同じTNT換算で約21キロトンであった。この爆弾はニューメキシコ州ロズウエルのウオーカー空軍基地と、テキサス州エルパソ近郊のビッグス空軍基地に配備されたシルバープレートB-29に搭載できた。

G.Mk-4原爆

フアットマンを大幅に改良するための構成品の開発は、第二次大戦終了前の1945年にロスアラモスで始まった。改良すべき点は、生産が容易なこと、ディペンダビリティが高いこと、安全性を高めること、野外での取り扱いが容易なこと、及び長期貯蔵性と弾道特性が良いことであった。その大きさはシルバープレートとサドルツリーB-29の弾倉の寸法に制限される。

MK-4として知られる爆弾の開発と試験は、MK-4が製造され備蓄されている間にも行われた。MK-4はフアットマンとMK-3で使用されたと同じプルトニウム核分裂概念を基礎にした爆縮型であったが、重要な構成品に大きな変更があった。全体の寸法はフアットマンやMK-3と同じく全長325cm、直径152cm。重量は約4,900kg(フアットマンやMK-3より226kg重い)。

Mk-4に加えられた最も重要な改良は、高性能炸薬の殻の中央に浮かぶ集成コアと、搭載機が離陸後に核構成品の挿入と取出しが出来ることである。ウラニウム球は直接タンパー殻の中に搭載される。集成コアは約3.2kgのプルトニウムと6.5kgのウランよりなる。このプルトニウムの中心球はウラン殻の中心に組立てられた爆弾の取扱に耐える強さの細い線で吊るされる。比較すると、フアットマンとMK-3はプルトニウム約6.2kgを使っていた。MK-4の重量が増加したのは密度の高い高性能炸薬を用いたからである。

安全の見地から見たMK-4の最も重要な変更は、離陸及び着陸時に核カプセルを爆弾から分離携行できる能力を取り入れたことである。飛行中に一人の乗員が弾倉に入り、爆弾の胴体先端の扉を通じて核構成品を胴体に挿入したり、取り出したりすることが出来る。この飛行中に挿入できる利点は、MK-4を搭載したサドルツリーB-29とB-50D航空機で起った幾つかの事故で立証された。これらの事故で爆弾の炸薬が爆発したが、本体から分離されていた核カプセルは爆発しなかったか、または放射能をまき散らすことはなかった。

その他のMK-4の改良にアーミング及び点火構成品の改良、電池寿命の延長、及び四個の頭部触発信管の廃止がある。結合部の覆い、外部レーダーアンテナ、突起したサスペンションラグの廃止は弾道特性を改善した。このサスペンションラグは奥まったところに隠され、アンテナは頭部内に搭載された。また、この爆弾の弾道特性はフアットマンとMK-3に用いられた箱型翼を、翼幅150cmの楔形の翼に置換することによって改善された。外殻は3/8インチ(0.95cm)厚の軟鉄製であった。

MK-4の威力(熱量)はフアットマン及びMK-3(約21KT)と略同じであった。最初のMK-4が備蓄され始めたのは1949年3月であった。すべての型式のMK-4は合計約550個で、1949年3月と1951年5月の間に生産された。これらの爆弾は、1952年7月と1953年5月の間にすべて退役した。 

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