熱田空襲
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名古屋への爆撃は、昭和十九年十二月十三日の三菱発動機製作所への目標爆撃に始まり、昭和ニ十年七月二十四日の愛知航空機永徳工場爆撃まで、市街への地域爆撃を含めニ十回繰り返された。百三十万人を越えた名古屋市の人口は、空爆と疎開で終戦時には五十万人前後まで減り、市街部はその三分の二が焼野原になった。
この中でも、予期せぬ白昼の惨劇を招いた昭和ニ十年六月九日の熱田空襲は、特異な事件であった。

護岸に残された弾痕
熱田神宮を後にして、1号線を西に白鳥橋を渡り、左に折れて堀川右岸に沿い遊歩道を下る。古いコンクリート護岸の一部が保存されており、次の説明がある。
この護岸は、昭和八年に築造され、平成四年度から実施したマイタウン・マイリバー整備事業による新たな護岸の設置にあたり撤去したものの一部である。護岸表面に見られるくぼみは、昭和二十年六月九日のいわゆる熱田空襲の爆撃によりできたものである。
平成八年三月 名古屋市

一般人慰霊地蔵尊
白鳥橋の西袂に戻ると、154号線の直ぐ左手に一体の慰霊地蔵尊が祀られ、真新しい花が手向けられている。光背の背面に次の文字が彫られている。
昭和二十年六月九日、此の白鳥橋周辺に於て米軍の爆撃により、無量数百名の一般人命を失い、よって将来の平和と安定を祈り、被爆死者等の冥福を謹みて祈願するものである。
維時昭和三十三年八月吉祥日
発願広小路徳風会・随喜一般有志者
為第二次大戦非戦闘員横死者諸霊之追善菩提

橋下には、当時の護岸壁の一部らしい遺物が残っている。

慰霊地蔵尊(写真)
154号線を塀に沿って進むと、左側に愛知時計電機株式会社の正門がある。その左脇に幼い顔立ちの慰霊地蔵尊がお立ちになり、ここにも真新しい花が手向けられている。六角形をした台座の正面には三界萬霊とあり、他の面に地蔵尊建立縁起として、次の文が刻まれている。
過グル第二次世界大戦当時当愛知時計電機株式会社ニハ従業員並ニ動員学徒ヲ併セ二万二千名就業セリ
時に昭和二十年六月九日午前九時三十分ヨリ同四十分ニ至ル約十分間ノ空襲ニヨリ忽チニシテ工場一帯ハ当社関係死者千百四十五名重軽傷者三千名更ニ地方人百名ノ大修羅場ト化セリ
嗚呼惨シイカナ 茲に終戦後五年船方工場再建セラルヽニ当り同志相謀リ随喜ノ写経ヲ埋蔵シ地蔵尊一体ヲ建立シ以ツテ右殉国諸霊魂ノ冥福ヲ祈ラル各霊位願クハ此ノ功徳ニヨリ仏果菩提を証得セラレンコトヲ
昭和二十四年六月九日
覚王山主勅使禅師瓏仙記
(注)地方人:一般国民のことで、終戦まで使われた

愛知航空機殉職者の碑
更に進むと左手角に祐誓寺があり、境内に昭和二十九年九月二十日建立の「愛知航空機殉職者の碑」がある。この碑には空襲犠牲者のほかに戦前、戦中、戦後の職域物故者も含まれている。

千年八幡神社慰霊の碑
154号から祐誓寺を左に、次の信号交差点を右に折れ、新幹線高架の下を進むと、右手に「千年八幡神社」(千年二丁目37)があり、境内の一隅にこの空爆で犠牲になった近隣住民の慰霊碑がある。
慰霊の碑
碑文

第二次世界大戦終結眞近かの
昭和二十年六月九日当千年を襲った
大空襲により罪なき住民数十名
悲惨にも爆死せらる
戦争の残酷さを憎み永遠の平和を
念願しこの人柱となられた方々の
冥福を祈りつつここに碑を建つ
昭和五十三年八月十五日

碑の背面には、亡くなられた方々四十八名の氏名が刻んである。

以下に引用する記述等は、書かれた時点や基礎とした情報によって内容が相互に少しずつ異なることを、あらかじめご承知願いたい。

熱田空襲に関する代表的と思われる記述(注参照)を以下に掲げる。
B-29は、マリアナから来襲するときは、東京には富士山を、名古屋、大阪には琵琶湖を目標にして本土に侵入する。B-29は琵琶湖上空にあるときは、東南進して名古屋に来るか、西南進して大阪、神戸に行くかの何れかであった。
六月九日、琵琶湖上空のB-29百三十機は、やがて編隊を組み直して西南進した。
東海軍管区は発令した空襲警報を解除した。ところが、編隊のうちの四十数機はこちらに向かった。この日、上空の気象条件は良好であり一気に名古屋に突き進み、愛知時計電機などの軍需工場群へ約十分間の爆撃で二百七十八トンの爆弾を高度千五百メートルで投下した。
(注)名古屋空爆を記録する会「名古屋大空襲誌」第五号二十ページ

熱田空襲を、別の文献(注参照)は次のように記している。
朝から快晴の暑い日、八時三十四分空襲警報発令、二万余人の出勤したばかりの従業員や動員学徒はいったん工場外に避難したが、やがて警報は解除され、工場内に戻った。
九時半再び空襲警報発令と同時に大型爆弾落下、日本軍の監視体制の虚をついた作戦で、一トン爆弾を含む総計二百七十八トンの集中爆撃を浴びて狭い地域は大惨状を呈した。わずか十分、工場内と周辺で二千六十八人が死亡し、約二千人の重軽傷者を出した。
(注)朝日新聞企画第一部編「日本大空襲」(原書房)

こうして、この熱田区舟方町一帯で、白昼の惨劇が繰り広げられた。特に、軍需生産に挺身していた若い男女学徒が多数死亡したことは、誠に哀しくも切ない非情な出来事であった。

 

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