香椎宮

2003年06月16日

香椎宮(由緒)
■仲哀天皇、神功皇后を祀る。昔は香椎廟といった。
  西征中この地で没した仲哀天皇の霊を、神功皇后が祭ったのが宮の起源とされる。
 ==>熊襲征伐のため筑紫におもむいた仲哀天皇・神功皇后がこの地に仮宮(皇居)を置かれた。
   不幸なことに志しなかばにして仲哀天皇は崩御されたが志を継いだ神功皇后は男装に紛し、九州はもとより三韓など海外へも国威を知らしめたとのこと。
■本殿は「香椎造り」といわれる日本唯一の建築である。国の重要文化財に指定。
■香椎宮周辺には、300歳まで長生きし5代の天皇に仕えたとの言い伝えがある武内宿禰(たけのうちすくね)が掘った「不老水」という霊泉がある。

香椎宮の地図

2003年06月16日

香椎宮参道口
JR鹿児島線香椎駅または西鉄宮地岳線香椎宮前駅からの参道入り口に立つ石碑
石碑をみても由緒あるお宮の趣が感じられる。
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2003年06月16日

香椎宮参道入り口の石鳥居
前写真と同位置に存在する鳥居。
「古事記」に起源が記された香椎宮。大きな石の鳥居を正面にまっすぐ香椎宮までが香椎参道。車道の両側にクスノキが連なる。
ずっと昔に読んだ松本清張の小説『点と線』の舞台にもなった西鉄香椎駅はここから約300m位手前のところにある。

2003年06月16日

香椎宮参道
香椎参道の並木道です。
晴れた日に散歩すると気分爽快でしょうね。
このまま10分ほど歩くと香椎宮到着です。

2003年06月16日

香椎宮の鳥居
やっと着きました。
ここが香椎宮入り口の石鳥居です。
宮内は本日静かそうです。

2003年06月16日

御祭神
香椎宮は神亀元年(724年)の創立とされる。
西征中この地で没した仲哀天皇の霊を、神功皇后が祭ったのが宮の起源とされる。

第14代 仲哀天皇 

神功皇后

(参考:箱崎宮の祭神・応神天皇は仲哀天皇の第4皇子)

2003年06月16日

菖蒲池
鳥居をくぐった境内に菖蒲池があります。
6月に咲くという花菖蒲、時期がおそかったのかな?。

2003年06月16日

香椎宮周辺マップ
境内の中にある香椎宮周辺マップです。ボヤケテ読めませんがご参考まで。

2003年06月16日

ハト
境内にある売店横のハトたち。
親子ずれが3,4組戯れていた。

2003年06月16日

香椎宮・楼門前の石鳥居
境内から本殿に向かう方向にある。
壮大にそびえ立つ桜門前の鳥居

2003年06月16日

香椎宮・桜門(1)
鳥居を抜けると壮大にそびえ立つ桜門がある。
重層の雄大な建造物で総欅白木造りで左右に筋塀がある。
天正4年(1568)戦火により焼失したが、明治36年(1903)に再建された。

2003年06月16日

香椎宮・桜門(2)
内側からみた桜門の景観。壮大ですね。

2003年06月16日

勅使館
勅使参拝の時勅使が御宿泊になる御殿。皇室から10年ごとに来られるとのこと。
<香椎宮勅祭>
平安の昔から続く、香椎宮勅祭。 10年に1度は天皇陛下からの使者・勅使が直々に来られます。

2003年06月16日

御神木
本殿、幣殿に入る石段の前に神功皇后が西暦200年にお植えになったという御神木の綾杉(あやすぎ)がある。
皇后は「とこしへに本朝を鎮め護るべ」との祈りをこめて植えられた。綾杉は幾度か火災にあって焼失したが、その都度、新しい芽が出て大木に成長した。 

以下の句が詠まれている。
■『ちはやぶる香椎の宮の綾杉は神のみそきに立てるなりけり』((新古今和歌集;読み人知らず)
■夏目漱石も「秋立つや千早ぶる世の杉ありて」と句を残している。
明治維新頃までは毎年正月、不老水と御神木の綾杉の枝を皇室に献納していたとのこと。  

2003年06月16日

綾杉(1)
神功皇后は、急死された仲哀天皇の身代わりに、男装して新羅遠征に出かけた。無事帰征された皇后は剣と鉾と杖を土に埋め、袖につけていた杉を現在の香椎宮桜門前に植えられた

2003年06月16日

綾杉(2)
生き物のように曲がった姿の御神木の綾杉の枝

2003年06月16日

綾杉(3)
太宰の帥(大宰府の長官)に新任された人は必ず本宮に参拝し神職からこの杉葉を冠に挿すことが恒例であった。此の杉は普通の杉と異なりは海松の如く大小の葉恰も綾の様に交互に出ているので綾杉と称している。
いかにも御神木といった異様な形ですね。

2003年06月16日

中門
社殿前の御門で左右に廻廊を廻らした欅造朱塗の御門である。
本殿は重要文化財に指定されており、香椎造りといわれている日本唯一の建築とのこと。
朱色が見事だ。亨和元年(1801年)再建された。

2003年06月16日

中門の廻廊
歴史が感じられます。

2003年06月16日

中門より拝殿を望む
皇室の御紋が見える、また朱色が目に映える建物である。

拝殿とは?
 広辞苑によると『礼拝を行うために本殿の前に設けた神殿の前段』とある。

2003年06月16日

幣殿を望む
幣殿とは?
 広辞苑によると『幣帛(へいはく)を奉奠(ほうてん)する社殿』とある。
 拝殿と本殿との間にある。

2003年06月16日

幣殿、本殿を望む
昭和天皇の植えられた松がある。
 *大正9年4月、当時は皇太子裕仁親王である。

2003年06月16日

御本殿を望む
現在の御本殿は元正天皇が養老七年(723)大宰府に詔して九州全国の課役を以って改築を始められ聖武天皇の神亀元年(724)竣工した。建築様式は香椎宮造りであって日本唯一の様式で重要文化財となっている。
現在の御本殿は享和元年(1801)筑前藩主黒田長順公の再建である。

本殿とは?
 広辞苑によると『神殿で神霊を奉安する社殿』とある。

2003年06月16日

社務所
巫女さんが一人いたかな?他にもう一人。
年末、年始は込み合う所でしょう。

福岡市の三社巡りはここ香椎箱崎宮それに宗像大社となっています。

2003年06月16日

摂津の砲身
.「摂津」は明治45年呉工廠で建造され竣工。日本最初の弩級戦艦であった。
ところが大正10年のワシントン条約のあおりで、特務艦に編入、標的艦に類別され、兵装及び防御甲鉄を撤去し、標的曳航艦に改造がなされた。この砲は改造工事により撤去されたものが奉納されたようである。

2003年06月16日

拝殿、幣殿を望む
左端が社務所である。
平日は静かな場所である。

2003年06月16日

勅使のお手植え
本殿の裏に当たる。本殿の周りには当時の勅使の方々が植えられた木々が立派に育っている。
これは高松宮宣仁親王ご夫妻が勅使の時に植えられたものです。

2003年06月16日

古宮跡へ
これから古宮跡と不老水がある場所に向かう。
そちらには御本殿の横にある門から行くのが良い。但しこの門は15時で閉門となる。ご注意あれ。
古宮跡まで2分、不老水5分あればいける。

2003年06月16日

古宮趾(1)
記紀(古事記と日本書紀)によると神功皇后と仲哀天皇は南九州の熊襲政権と戦うためにここ香椎に来ていたが仲哀天皇は病にかかり急死。そこで本陣を置いていたこの古宮に祭られた。
これが香椎宮の起源とされている。 
≪ 古宮 ≫
仲哀天皇の皇居橿日宮の跡であり又神功皇后が自ら仲哀天皇の神霊を祀られた香椎宮創建の地でもある。
以前は仲哀天皇の神廟があったので『古宮』と言い仲哀天皇の御棺を掛けたと伝える棺掛椎が六角の玉垣の中にある。

2003年06月16日

古宮趾(2)
急死された仲哀天皇の棺を本陣の椎の木にかけておいたところ、四方に異香を放ったので以来香椎の地名がついたと言われている。

2003年06月16日

古宮趾(3)
仲哀天皇の居(橿日宮跡)で神功皇后はここに天皇を祀られた。

2003年06月16日

不老水を飲みに。
この先1分くらいで到着する。

2003年06月16日

不老水(1)
日本三大名水の不老水。
 ■神功皇后の新羅遠征で功績のあった武内宿禰(たけのうちのすくね)が掘ったといわれている井戸でこの水を飲んで300歳まで長生きし、5代の天皇に仕えたとの言い伝えがある名水です。
 ■明治維新以前は毎年御神木の綾杉の枝と共に皇室に献上していたそうで、千年以上も枯れることなく湧き続けている。

2003年06月16日

不老水(2)
小さな祠の中に井戸があり、手杓で汲み上げるようになっている。

2003年06月16日

不老水(3)
近くの人がペットボトルで汲みにきていた。遠くからもくるそうだ。
水量も多いとは感じなかったが香椎宮を中心に保存会があり、保存活動が行われているとのこと。
昭和60年3月「名水百選」の一つに、選ばれたこの「不老水」を飲んでみたがなるほどうまい水であった
これで数年間は長生きができるかな。

2003年06月16日

不老水(4)
近くに宅地化も進みやはり水量が減っているのかな。

九州のおいしい水

2003年06月16日

不老水からの帰路
左にあるのは古宮跡。正面の小さな鳥居をくぐると香椎宮の本殿に入る門に到着する。

2003年06月16日

香椎宮摂社
香椎宮本殿右側に位置する香椎宮摂社。大臣・武内宿祢が祭神となっている。

2003年06月16日

展示館
御神木の綾杉がある境内にある展示館。
今回展示館は見学しなかったが不思議な光景を見た。
鶏であるが最初は飾り物かと思い近づくとなんと本物であった。
2mくらい近づいても別に動じることがなくじっとしている

2003年06月16日

帰路
これからJR香椎駅に向かう。すばらしい並木道である。

最後に香椎ゆかりの万葉集をどうぞ。
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いざ子ども香椎の潟に白たへの神さへ濡れて朝菜摘みてむ

    師 大伴卿(おおとものまへつきみ)

  ⇒ さあみんな(部下をさす)香椎の潟で着物のまま袖までぬらし朝食の海藻を摘もうよ。
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時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな

    大弐 大野老朝臣(おおのおゆあそみ)

  ⇒ 満潮になるときに吹く風が吹きそうだ。早く香椎潟の潮干の浦で美しい藻を刈ってしまおうよ。
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往き帰り常に吾が見し香椎潟明日ゆ後には無し

   豊前守 宇努首男人(うののおびとをひと)

  ⇒ 行き帰りにいつも私が見た香椎潟は、もう明日から後は見るすべもないことだ。

   この歌は男人が転任することになったので、大伴旅人が香椎宮参拝に部下を連れていき、その帰り道、香椎潟に足を止め、めいめいに思いを述べて作った歌である。



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