1980タイサイクリング記録 HP用
旅行日記を見て2005年5月に作成(26年後)
実施日

コース

1980年12月20日〜1981年1月13日 (サイクリングは、12月24日〜1月2日)

バンコク→チェンマイ(約800km)

気候
毎日 晴時々曇り
費用
生活費+土産=4万円、航空券 9万円?
コスト
宿 fan(30B〜60B) エアコン(130B〜570B)
ビール 大瓶30B、コーラ5B、ファンタ4B
食事 チャーハン10〜15B、スープビーフン5B〜
両替 10,000円のt/cが、1,000バーツ。1バーツ=10円
出国税 40B
持ち物
ガイド本 交通公社(JTB)ポケットガイド タイ(当時はこれが宿や街が載っている個人旅行に使えるほぼ唯一のガイド)
ぶらり放浪術(文潮出版 和智 香)一人旅の本
コンロEPIガスボンベ(当時は飛行機に持ち込めた)
メモ 
初めての海外サイクリング、タイヤも持って行った。 
自転車での交通 
測道があり安全。但し、トラックの騒音が大きい。
衛生
 
当時は、食べ物からのA型肝炎感染に注意する様よく書かれていたので、食器や箸を持参し注意した。
治安 
北部、共産ゲリラが残っていて夜は危ない地域があるとのこと。

全体を通しての感想
とても楽しかった。十分な日程があり、サイクリングの前後に滞在する時間を取ったので、タイ王国とタイ人を理解し交流する時間がとれ機会も持てた。タイ語も身につけようと努力して、数字などを覚え後々にも役立っている。
コースを選んだ理由
前年ヨーロッパを鉄道旅行して、大きな街に行き、ガイドブックに書いてある名所を訪ねるだけの旅はむなしいと思ったため。線でつながる自転車旅行をしようと思った。丁度、年末年始に休みが取りやすい仕事だったため(当時一緒に仕事をしている人が子育て中で、決まった日に休んで他の日は休まないでいてくれる方が都合がよい(自分がいつでも子供のため休めるので))ということで、連続的に休めた。
年末年始にサイクリングできる気候で、車が左側通行の国を選んだ。
知っている街から街を走ろうと思い。タイのバンコクからチェンマイに決めた。
翌年は、インド。次は、ニュージーランドに行った。
タイで自転車旅行が安全に出来るか知るため、東京の日タイ協会へ行き話を聞いたり、バンコクの協会の人を紹介してもらったり。タイ観光案内所へ行きホテルリスト(英文)を手に入れ、宿が行く街にはほとんどあることをチェックした。地図もNASAの航空図(50万分の1)を買ったりして(東京神保町のマップハウスで)、準備に充分時間をかけた。 

12月20日 
成田
→バンコク 
マニラ経由パキスタン航空で、24:20頃到着
1:00通関。2:00空港で1万円両替。
YMCAホテル電話するが予約できていず、空港の案内で、2ndクラスのホテルはいっぱいで、AISM HOTEL(440バーツ+tax16%+サービス料10%)570バーツ。ドイツ人カップルとタクシーをシェアしてゆく。(タクシー代200Bの所100B払う)
12月21日
バンコク滞在  9時頃目がさめる。窓から見た農地の中に立っている椰子の緑がとても印象的だった。
YMCAホテルに電話して、12時までに来ると権利があるといわれたのでタクシー(80B)で行く。途中運ちゃんが他の所へ行こうと言うけど強引にYMCAへ行った。
部屋で寝られなかったので地図を買おうと外に出ようとしたら、フロントに日本人女性がいて、タイ語で話している(モロ日本語発音ではあるが、タイ語を覚えようとする自信をくれた)。この人は、難民キャンプにボランティアに来ていて、ビザをマレーシアのペナン島で延長するためにペナンのYMCAのことを聞きに来たとのこと。後日難民キャンプを案内してもらう。
タイ大丸や、今は無きアートコーヒーへ行く。
22〜23日
 
バンコク滞在YMCAホテル(162.5B) 市内を自転車で走りチャオラプチャ橋に行った。道が複雑。日タイ協会に行き帰りに地図を上げると約束してタイ語テキストをもらう。
難民トランジットセンターに行く
12月24日
バンコク→アユタヤ
  80km
バンコク市内は、交通はめちゃくちゃだけどみんな注意して運転しているので、日本と比べても良いと思う。騒音と排ガスだけは何とかならないかと思う。(2005年5月メモ:当時は、市バスが、全速加速して走っていた)途中ガソリンスタンドで地図を買う(25B)。ドンムアン空港までは交通量が多く大変だった。とにかく排気ガスには参った。
ぐるっと回って「新生活旅社」(ダブルベット・fan 70B)があったので疲れていたのでここにする。
夕食を探しに市場みたいな所へ行った。6カ国語と英タイ辞書で通じ「チャーハンときしめん(12B)」みたいなものを食べる。地図を見る距離を測ると9日間で着きそう。蚊取り線香を使う。
12月25日 
アユタヤ→シンブリー
74km 
11:00〜16:30 天気良し、向かい風北西
朝、博物館などの見学。が判らず、アユタヤを出たのは、11時。道は309号線、とても景色が良く稲刈りなどやっていた。道に蛇の市外がゴロゴロしていた。道が蛇行しており時間がかかり疲れたので結構休んだ。
途中レンガ造りをしているところが沢山あり、このあたりの土は煉瓦色していて、アユタヤの移籍も全部レンガなんだと納得した。
ガイドにあったシンブリーホテルを探し泊まる。今日はクリスマスなのでエアコン付き130Bの部屋にする。
ホテルのロビーで会話書を取り出し近くにいる子供を相手にタイ語の練習をする、息を吐かない発音が難しい。みんな熱心にやってくれる。
12月26日 
ナコンサワン

118km
天気良し、北東の風なので時々向かい風
準備して9:30に出発。その前にホテルの子供たちを写真に撮る。
今日は、昨日までより距離があるのできちんと走ろうと思う。20km/hで50分毎に10分休む。立派な道は、風景があまりおもしろくないが、稲刈りと魚つかみと川に首までつかって渡っている姿が見られた。今日あたりから道ばたの屋台が少なくなり休みを取るところを探すのに骨が折れる。
かなり日が照っているのに日焼けでひりひりしないのは何故だろうと思う。手や足は良く焼けたし、腕には、塩の結晶が大きくついている。
ホテル(エアコン160B,fan80b)両方見て,fanにする。
街は、こぎれい農機具屋さんがいっぱいある、農業の中心地らしい。
12月27日 
→カンパエンペッt
117km
7:15ホテル出発。
途中の測道の土、見事なレンガ色
16:30着カンパエンペッt
ホテル60B
夕食 ビール・イカ焼き・薩摩揚げ82B
12月28日
→スコタイ
82KM 
10:03 ホテル出発
101号は、例により2車線でその両側に農道用に1車線ずつ有りレンガ色で美しい。方向が北東になり向かい風になる、上り気味の道。
途中の村は、貧しそうだった。バンコクに近い地域では、笑いかけると、向こうも笑顔で返してくれるが、ここいら辺では、無表情でちょっと違うという感じ。今までは食べ物屋さんがいっぱいあったが、この道沿いには無くて、氷もなかった。一カ所有りそうだったが検問していたので止めた。小さな雑貨屋でクッキーを食べたが、足りなくてインスタントラーメンがあったので作った。最初外で作っていたらおっさんとても親切に水や場所を提供してくれた。
道路標識があまり無くて位置が判らなかったがタイ語で聞いたら後6kmとちゃんと通じた。
宿、エアコン付き150B、Fan60B、Fanにした、両方汚かったので。
12月29日
 
12km×2
スコタイ遺跡観光(13:25発,13:55博物館着 自転車で)
食事中、タイ人が来てノートを見せて、ガイドやるという100B、日本人の書き込みもあった(3名)自転車で行くつもりだったので断るがしつこかった。散歩の途中しゃれたcafe(とても日本的)を見つけ、絵はがきを書く。
博物館は、月曜日の休館日。遺跡を見る。一番大きな所は、2B必要。後ろに白人のカップルが、ぼくが断ったガイドといたので、写真を撮ってもらう。フランス人だった、フランス人が多い。
一人で座って紅茶とドーナッツを食べる。とても静か、レンガが崩れて焼けて、草むして、鳥が啼いて、虫も鳴いて気持ちがよい。
見たいところだけぐるっと回る、山の方で先ほどのカップルにあった。警官がいたのでどうしたかと聞くと、上の方は危ない人間がいるので助けをかりた、とのこと。自転車一人で走るだけで怖そうな所なので、早々引き上げる。警官がバイクで付いてきてくれた。ガイドブックや本によるとこの奥の森には、共産ゲリラの集団がいてトラックなどを襲うとのことだった。(2005年注、スコタイ遺跡は、ユネスコにより大変きれいに整備されています。遺跡前ににはしゃれた宿泊施設が多数あり、レンタサイクルもあります)共産ゲリラの集団は、政府が投降すれば罪は問わないとの条件でいなくなりました。
12月30日 
→プミポーダム

 140km 
6時半起床 8時朝食(やっている店を探して)
cafeで写真を撮る。店では、日本人のためか「シナの夜」をかけてくれた。
本日はまあ調子がよい、走っていて気づいたけど乗り合いトラックは、客が多い時はほとんど自転車と同じ平均速度になる。一日を通して,20km/50分,24km/h10分休みで走る。道は、タール分が少なくなっていて凸凹が激しい。林の中を走っている感じで道がやや狭い。このあたりの人は、まあ愛想がよい。
4時間でTAKに着く。バスターミナルの前の左から2番目の食堂でチャーハンを食べる。タイ語であるか聞けた。お金を一度払ったんだけど戻されて入らないという。初めて両手を合わせてワイをする時だと思った。
電話で予約していないので、ダムのホテルについて一杯だと言われても帰れないなと思いながらUpdownの激しい道を走りやっとホテルに到着。
フロントで泊まれるか聞くと,FULLとのこと、「予備の部屋でも良いから」と言ったら、「タイ語は出来るか」「ア リトル」。部屋を操作してくれたらしく304号室にIN、ツインでとても落ち着いていて良い部屋、ちゃんとお湯も出た。(150B)。
来る途中もそうだが花が一杯咲いていて、庭もとてもきれいだった。
一人で食堂に行って座ると、一人のタイ人が近づいてきて、今日サイクリングしていた人だろう一緒に座らないかというので同じテーブルに行く。相手は3人、そのうち学校の先生をしている人の奥さんが来たり、友人が来たりして、夜走るのは危ない。など言ってくれた。沢山ご馳走になった。ウィスキー、ピーマン鶏肉炒め・魚フライ・ビ−フフライなど、最後にアイスクリーム。
プミポーダムに宿泊したのは、ダム周辺がとてもきれいだとガイドブックや本に書いてあったから。
(2003年にメソットに行った時は、TAKに宿泊した)
12月31日
→トーエン
  69km
9:30チェックアウト 荷物を預け、ダムへ、バンコク大政治学の先生という人が車で送ってくれた。ダムサイトにはパーミションが必要だと言われたけど検問でうまく話してくれた。
10:40 ホテル発 従業員さんがトーエンから腕時計を外した方がよいと言った。アメリカ人は何人も殺されている。ぼくはタイ人みたいだけど。
国道1号線までの道は下りが多くて快適だった。このあたりは、特に牛が多く放牧しているみたい。ヘビやイヌの死骸はない。
15:20 トーエン着
小さな街と言うよりほんの10軒ほど、2つ宿があった、どっちも汚そうだったけど、経験によりHOTELと出ている方にする。(旅社と出ているとたいてい汚い)
ダブルの部屋40B汚い物置よりひどい。
ツインの部屋60Bましだけど、ひどい。
両方ともトイレシャワーは共同。
シャワー付はないかと聞くとバンガローであるとのこと100Bまあまあ、ここにする。
宿のおじさんがミカンとバナナを持ってきてくれた。
日本とタイはフレンドシップだと言いながら。
一番大きな食堂で、カウパッ9Bとクォティオー5Bを食べる。お茶0.5B。テレビでキャンディキャンディをやっていたタイ語吹き替えだが、歌とその字幕だけが日本語なのがおかしかった。
1月1日
→ランパン

87km
 
7:00 宿のおじさんに起こされた。
パパイヤを持ってきてくれるとのこと。
まずバナナを食べ、洗面した、お雑煮を作って食べていると(インスタントみそ汁とお餅で)。パパイヤを持ってきてくれた。お店のおじさんもいて、I pay nevermind.と言った。
宿はあんまり良くないけどいいおじさんだと思った。
ぐずぐずしていて、9時半になり宿を出た。
国道1号線とローカルウェイがあるけど、車の量も少なくなっているので、R1にすろ。88KMなので、22km毎に休む。上りでもTOPで走っているみたい。下りになると足を動かさなくて良いので、下りが長いと上りがつらい。
丁度高原を走っているみたいで丘などがあり景色がよい。小山の木は紅葉している様だった。所々に集落があるけど、木が思いっきり枝を伸ばしていて緑で木陰を作っていて道が少しカーブしていて周りの家はこざっぱりしていて美しい。
風を感じないのは、追い風のためだった。サトウキビを一杯積んだトラックが北に走る。
ランパンにつく前に、チェンマイ94kmの道標有り。
鉄道駅前に二つ旅社があったけどガイドにあるsaim Hotelにする。道を聞いて到着。
single with air and hotwater 180B
single with fan 100B
バスタブがあったので、180Bの部屋にする。
腹ごしらえに斜め前の店に行く、おかず2皿ごはん14B、このあたりは人がだいぶ白くなる、自分が黒くなったので恥ずかしいくらい。ホテルのコーヒ12B。
チェンマイのYMCAへ予約のため電話する。4日までFULL、4,5日を予約。電話代46B+5BS/C計51B。
1月2日
 
→チェンマイ
100km
(2005年5月放送 NHKプロジェクトX「アジアハイウエー ジャングルの死闘」によると、日本の前田建設が、社の生き残りをかけて、入札に参加して施行(昭和40年12月)したもの。キングコブラの住むジャングルを切り開いて作ったとのこと)
7時起床 朝食 おかず2皿、ご飯2皿 18B。
8時56分 出発
9:06 チェンマイまで後93kmの所、写真を撮ってもらおうと頼んだが取ってくれないので自分で取る。すぐ近くにいる人が見ていてので頼んだら撮ってくれた。
雲が多く、時々太陽が隠れ、風も冷たいので涼しい。所々田があるがあぜ道があり一枚あたりの面積も小さい。峠に向かって走って行くと所々紅葉している木がある。かなり緩やかな上り坂で時々下りもある。 追い風なので全く風を感じず珍しく汗が流れた。途中REST AREAがありきれいに整備されていた。いつの間にかピークに着いた。お寺があり、バスの運転手が両手を離してワイをして行く。ブレーキの点検をしてから下りてゆく、下りは気持ちがよい、下りきったところでまた平らな上り下りの道が続く、このあたりでは等高線に沿って道が作っている様。鉄道と平行に走っている部分があった。単線で、日本の太いレールを見ているためかひ弱に見えた。1時間ほどでLAPHUNGの有名な寺に着く。絵はがきを1枚2Bで買う。
チェンマイへ22km地点、R1とR106があった、距離的に近いこともありローカルロードにする。道路の両側高い木立が続く。道が凸凹なのでなかなか着かない。
15:05 ナラワ橋に着く。TOTを探したが見つけるのに時間がかかる。入って地図をもらい、ボランティアをやっているチェンマイ大学学生と話す。
YHに宿泊(30B)
1月3〜8日
チェンマイ滞在 YMCA宿泊(125B)1月3日(土)はキャンセルがあったらしく宿泊できた。
チェンマイ大の井上先生に会いに行く。(交流基金から派遣、ヒンディ語が専門とのこと、4年目、日本語学んでいる学生は全額で100名)チェンマイのタイ語とバンコクのはだいぶ違うと教えてもらいました。
動物園・YMCAの前に住んでいる学生とドイステーブ寺院などに行く。
1月9日

 
チェンマイ→バンコク
 
昼間のバス(9:30→18:00) 180Bで、夜行バスは、よく盗賊に止められるということだったので。(2005年5月記入、2003年のラオス、ビエンチャン北部と状況は同じだと思う)
1月10〜13日
バンコク滞在

マレーシアホテルに泊まる 
早朝のフローティングマーケットなどの観光をしたり、セントラルデパート(エラワンの側「中央大市場」と漢字で表記があった。今のビルは一度建て替えて火事になってもう一度建てたもの)などで買い物。空港事務所で予約のリコンフォームをして過ごす。泰日協会へ行き地図を渡す。
ドンムアン空港まで夜、交渉で100B、スピードメータの壊れている車。運転手は他の運転手に100Bとよく言っていた。
1月14日
バンコク→成田  深夜出発、マニラ経由のパキスタン航空で。