中国自転車旅行

実施日 1986年8月7日〜8月19日
コース 8月10日〜14日(手書き)(地図)
上海→抗州→紹興→金華→巨州市(約550km)
気候 毎日快晴、暑い、アスファルトが溶けてタイヤにベト着く位。
日本からの経路 成田→(飛行機)→上海→(自転車)→巨州市→(鉄道)→広州市→〔船)→香港→(飛行機)→成田
コスト 通貨レート 1元(外貨兌換券)=41円
8月7日100,000円=2,398.14元
宿 80円(2元)〜4400円(110元)
ビール(地元)1元
ビール(青島)1.5元)
持ち物 今(2001年)だったら絶対、日焼け止めと、火照り止め。
メモ 自転車の持ち込みが禁止されたとの話あり。但し、状況は変わるので、中国の個人旅行に詳しい旅行社や、中国への留学生に聞いてください。、中国国内では買えると思う。
交通 (1986年の時点)道路が、町と町をまっすぐ結んでいない。直線の30%増しの距離がある感じ。

全体を通しての感想

1986年当時、上海は、戦前からの雰囲気が残っていると言われ、ホテルでのジャズの演奏もあり、落ち着いた町だった。上海人は、背も高く、都会的であか抜けている。

中国の田舎は、素朴でのどかだった。(筆談ができるので、中国人か、華僑と思われたいたのか)

ゴールの遠い暑い旅。
   中国は広い、香港は遠い。

       (当時のアルバムのメモに書いた言葉)
コースを選んだ理由
当時、中国への個人旅行ができるようになって日も浅くビザの取得が面倒だったが、ノースウエスト航空では、上海での入国では、空港で、1週間のビザをくれて(往復のチケットが必要)、その後市内で、ビザの延長をすればよいとのことだったので、上海から香港方向に、特快(特急)の止まる町のそばを行けるところまで、サイクリングしようと思った。

コース

記  録
8月7日 成田→上海 成田のカウンターで上海でのビザの取得について問い合わせる。3名の内1名だけが、ノースウエストで入国すると、ビザがとれることを知っていて確認できた。(北京はダメ)
上海入国時、自転車の入ったバッグを見ても何も言われなかった。
空港の案内所で宿泊所を紹介してもらう。
8月8・9日 上海市内

外国人事務所で、ビザの延長。(何もないと、上海では1週間しか、延長できない。体育委員会に行くか、中国旅行社で自転車旅行をする旨書いてもらうとよい。と言われたが書いてくれなかった。)「みんなあなたが、自転車で広州に行くことを知っているよ」といわれた。結局、1週間の延長で良しとする。
ノースウエストで帰りの便の変更(上海→大阪を香港→成田)は上海ではできず。香港で手続きをしろとのこと。(帰りのチケットが必要だったので、ノーマルチケットを買って、変更か、払い戻しをする予定だった。)
市内見学(路地・豫園・トロリーバスなど)

あしたは、5時に起きて6時出発で、がんばって抗州に行こうと思う。

しかし、上海の気持ちよい「ジトッとした暑さ」と、人が「さわやかな事」と、「背の高い」事と「痩せている」ことには驚いた。

8月10日 上海→

上海→抗州は212km
上海(7時発)から抗州方面に行く道をいろいろ探して、バスルートをたどって松江まで行くことにした。
田舎を走ったらしく、途中食べ物屋も無く、カステラを食べた。
道は悪く、アスファルトが波打っている。
大きめの川は、渡し船でわたった。
オレンジジュース0.2元
お茶0.02元

1時ー4時はとても暑く走れる状態ではなかった。4時前後に1時間休み、リンゴを食べる。(4個0.76元)
7時頃、喜興市に入る。ここは上海から110kmくらいの所、開放都市になっているので、大きな飯店を見つけ、交渉したが部屋はないとのこと。食事をして、後80km位だからと走る。
夜になれば涼しくなって良いだろうと思ったが、真っ暗で、道が悪いのと、対向車がライトをチカチカさせるのと、刺す虫が多いので走りにくい。
午後9時半頃、抗州へ57kmの看板を見て走る気がなくなり次の宿で泊まろうと思った。
はずれたところに、行人宿と書いてあったので、部屋があるか聞いてみると「ある」とのこと。1泊2元、夕食(トマトザーサイ炒め、ライス、ビール)1.8元
体を拭けと進めてくれる。裏の井戸でくんで、体を洗う。冷たくて気持ちよかった。
部屋は、離れた2階にあって蚊帳の張ってあるゴザ敷きの気持ちの良いキレイなのであった。
朝から車の音が大きく、8時頃目が覚めた。

8月11日 →抗州 抗州まで短いので油断をしていたら、出発が1時になってしまった。途中、自転車でアヒルを運んでいる何でも自転車で運ぶ。
抗州では、華僑の泊まるホテルはダメで、CITSに行くと望湖飯店へ、1泊110元。湖の見える良い部屋だった。
バス地図を階、手こぎボートで西湖見物。終わってぶらぶら歩いて、コーヒーなど買った。
抗州酒家で、青島ビール(1本1.5元)を飲む、さすがに全部冷えていて美味しかった。
帰りはサイクルリキシャで、宿でマッサージを頼む、20元、上手でない。
8月12日 抗州→ 今日はどうせ金華までは行けないので、途中で泊まろうと思う。大きな街は、泊まるところが決まっているので、探すのに苦労をしてしまう。
1時〜4時まではとても暑いので休むことにする。
ホテルを出て地図でまず紹興市橋の方へ行こうと思った。川を渡る橋でうるさく言われるので、行っちゃ行けないのかと思ったら、歩いて渡れと言うことでした。
すぐはとても良い道で20kmくらい続いた。途中お茶売りのおばさんから買ったりして昼になった。
ちょうどドライブインのような所があったので昼食。おじさんが体を洗えとタオルを貸してくれたりして親切だった。休息したいと思うと休息しなさいと書いてくれ、0.25元だった。1時〜4時まで寝る、とても暑い。
昼寝後、山の中を走る、のどかで好きな感じ、途中休んだところでは、「好きだけど別れた人」の中国語の歌がかかっていた。このあたりまで自転車にさわっても勝手に動かすことはなかった。
7時半前後に泊まるつもりでいたら、旅館が4軒ほど集まっているところがあり一番呼び込みがあったところへ入った。1泊5元ツインルーム。
水浴びは、魚も泳いでいる水槽の水を使う。この日が一番安らかな日だったように思う。
夕食時冷えたビールと冷えていないのを1本、食べていると大柄でシャイな女の子が来て、少し英語で話し、筆談(英語)もした。大学生で、夏休みで帰っているとのこと。
8月13日  →金華市 7時出発 コーヒーを飲んで食べずに出発
8時朝食、小さな町で、お湯づけとトーフザーサイ青菜炒め。
筆記での会話をした。カメラを見ると移してくれと言うので撮った。女の子は、着替えて顔も洗った。(書いた住所に送ったが無事届いただろうか)
昼食、疲れてのどが渇いているのでビールを飲む。冷たいのがあった、麻婆豆腐を食べた。しばらく休もうと思ってゆっくりしていると長椅子を出してくれた。2時間休む。
南昌まで行くと言うと、トラックの運転手が、「今日ここで泊まれば明日乗せてやる」という。魅力的な話であったが、途中走っているのを見たら拾ってくれと頼んだ。
このあたりは飲み物が冷えている。途中車が停滞していると、踏切か工事か事故。ここでは、事故。オート三輪のタクシーとトラックが衝突、まだ赤い血と片足があった。足は蝋人形みたいになっていた。
金華に行けば開放都市なので冷房付きのホテルに泊まれると思い、途中のinnを横目に見ながら急いだ。
9時頃市内に着いた。暗いけど街灯がついている。最初の大きな飯店は外国人はダメなようで、立派な名前の金華飯店へ案内してくれた。広い部屋だが、トイレバス共同のファン付きの部屋。11元。シャワーはお湯がでた。
外へ食べにゆく。駅の近くまで行くと露店がいっぱい。他の東南アジアと違うのは、薄暗いこと。
ここのビールは、冷えているよりはなま暖かい方が味がまし、タニシ煮付けと炒め物を食べる。
次の日は、巨州へ100kmは走れるがその次の特快の止まる町へは、午後休憩すると無理だと思った。
8月14日 金華→巨州 もうだいぶ人が違う。
走っていると自転車に乗っている人も帽子をかぶっているので、日射病をおそれて、途中の何でも屋で帽子を買った。
本日は、麦わら帽子をかぶりながら走る。
朝食は、スイカとワンタン。
幹線道路から少し入ったところに屋台がでている。昼は、同じくワンタンと肉まん。おいしかった。
人が集まってくる。自転車をさわる、倒れそうになる、結局放っておく、倒れても直せず誰かがじっと持っている。
昼休みなので、お茶屋さんで暗いところにぎっしり人が座っていてこちらを見ている。(不気味)
少し離れた文化活動中心で休ませてもらう。戸板を出してくれて寝させてくれた。世話をしてくれた人がビリヤードをしているところをポーズしたので写真に撮った。
道では、自転車のアイスキャンディ売りが沢山いる。(1本4円前後)道を走るテーラー耕耘機が荷車を引いている)が早い、時速30km以上。アヒルの放し飼いと、水浴びの写真を撮った。
7時半頃宿があれば休もうと思ったが、町に30km以内の近さになると、宿が無くて、結局町には行ってしまった。
大きな宿、小さな宿みんな断られた。市招請所で体育委員会へ電話してくれて、そのおじさんが部屋を出してくれた。(1泊30元)おまけに翌日の鉄道切符まで取ってくれるという。
宿の女性が食堂へ案内してくれた。
夜、体が火照って何度も水風呂に入った。
8月15日 巨州市 約束通り9時に体委の人が来てくれた。もう一人つれてきた、切符を買うのは才能がいるとのことである。自転車を送り、切符を買うのに1時間かかった。
宿に戻ると公安局の人が来ていて、日本語通訳の人も来て話をする。結局外国人旅行証を作ってもらう。公安の女の人は親切で、他の地方のや延長の手続もしてやると行ってくれた。
4時にサイドカーで迎えに来てくれ、駅の貴賓室で待たせてくれた。係員に席を変えるよう言っておいたからと言ってくれた。(結局できなかったが)
汽車少し遅れて到着。硬座(外国人45.8元、中国人34元)は、人でいっぱい、立つ。みんな広州に行くそうだ。
車掌に他の席を売ってくれるよう言ってもダメ。隙間を見つけて座る。12時半車掌が呼びに来る。日本人だと分かると周りの人が親切にしてくれた。
乗務員用の寝台車のベットを売ってくれた。気温は35〜40度位あったのではないか、汗がだらだら流れる。寝台は、3段の上段、扇風機が回っている。
8月16日 広州

朝9時まで寝る、少し日本語の話せる人がいる。政治が変わっても、サラリーマンは、月収は90元のままで不満が多いようだ。
広州駅、構内で地図を買い出る。手荷物受け取り場にはまだ自転車は来ていない。
物貰いの子供や、父子の乞食もいた。

広州は中部の中国とは全く異なる。
人ががさつなようで、女の人も出しゃばりの感じ。背が低いし、色が黒い、服もズボンをはいている。

8月17日 広州→香港
(ホーバー)
朝9時 バスで駅へ、自転車は無事到着していた。
CTIS(中国旅行社)で聞いたところ、ホーバーの当日券はないとのことだったので、切符売り場で買う。
広州→香港(所用時間4時間)
自転車の持ち出し、税関の入国時の書類を無くしたが、問題はなかった。
香港では宿を見つけるのに苦労した。宿泊費が高いし、満員のところが多い。何度も電話して、富都飯店(400HGドル,8,600円  1HG$=22.5円)
香港→成田 帰りは払い戻しの関係で、ノースウェストにする、8月19日のファーストクラスが1席だけあるとのことで決める。片道、61,000円

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