オリジナル痛郎トランス
レコードNGU頃
バンド結成の経緯

リーダー井手(B)は遮断なるバンドで浜田(D)と出会う。
遮断は解散。
その後、半年間2人はスタジオでもくもくと個人練習をやっていた。
井手の雑誌の呼びかけで若桑(G,Sax)と知り合う。
その後大橋(G,シンセ)、香住(Vo)が加わり5人でバンドはスタートした。

わたしの印象ではあるが、井手(B)は詩人、Bassはかなり上手い、はじける音、素手でブンブン
うならせていた。ルート弾きはまずしない、リフのアイデアをバンドにもってきて曲作りが始まる。

浜田(D)はまるでマイケルジャイルズのようだ。繊細で素早くスティックさばきが見事。
井手の変拍子についていけるのはこの人位だろう。
キックも軽やかに「トトットトッ」っと打つ。
乗ってくるとどんどん叩き方が自由になってくる。

若桑は当時、音大生だった。始めたばかりとは思えないサックスだった。ピアノは当然、
ギターもかなりのものだった。しかしクラシックからの反発なのか演奏はかなり激しくダダイズム
だった。NGUで「なんでー」と叫んでいるのはヴォーカルでなく実は若桑なのだ。
リーダーの井手はそのとっぴょうしさにコントロールできず、足かせの意味でギターを止めさせ
そのかわりにサックスを持たせた。しかし若桑はサックスを早くも自分のものとし上達していった。
一時期オリジナルのルインズに加わり演奏していたがなかなか良かったのを覚えている。

大橋はそれまでキングクリムゾンのコピーバンドをやっていた。でもピッキングがへたでロバート
フリップにはなれなかった。だから変則コードやバッキングの研究に没頭していた。
(キングクリムゾン好きのおかげでYBO2・ルインズの吉田達也氏やサラスバティの川合由美子氏と知り合えた)

香住は独自の詩の世界を持つ詩人。歌もかなり上手い。今から思うと椎名林檎のような人だった。
でも性格はマイペースで気まぐれタイプ。でも向上心は強い。

かなり凄いメンバーだったと思う。当時のデモテープが残っているがとてもいい演奏だとおもう。
始めてのライブは神楽坂で対バンに へたくそ(これバンド名)、ピエロマンゾーニ他。

このころ町田町臓さんと出あったことがある。
そのときこの人が将来、芥川賞をとる人とはおもいもしなっかた。

ある日香住が抜けた。詩人、ヴォーカルを失ったこのバンドは井手が歌詞を書き、
ヴォーカリストを募集した。

見つかったヴォーカリストはケイコさん。
ジャズヴォ―カリストで声量も凄く、伸びるハイトーンだった。
若桑と二人でフロントをつとめた。なんとも、サックスに負けない声の持ち主なので驚いた。
すごい人が入って来たもんだ。
この頃のライブテープが残っている。町田氏の人民オリンピックショー
の前座を務めた東京吉祥寺のバウスシアターでのライブだ。

それから3ヶ月後、ケイコさんが抜けることになった。
仕方ないので4人でインストのライブをやったことがある。
これまでとはかなり異質な演奏だったかもしれない。
それからあと井手の知り合いのミュージシャンが何人が入ったり出たりした。
そんなこんなで若桑も抜ける事になった。
方向性がちがって来たので当然の成り行きだったのだろう。