町工場の底力ー日本は俺達が支えてきたーPHP研究所

はじめに

 鋳物の町、埼玉県川口市。駅前は美しく整備され、すでにキューポラの町の面
影は感じられない。しかし、町の至るところに今もなお、鋳物工場はしぶとく息
づいている。
 キューポラから吹き出す赤紫の炎、灼熱の銑鉄の湯、飛び散る火花、流れる汗、
砂ぼこり、型枠を壊す音。労働環境はお世辞にも良いとは言えない。冬はまだし
も、夏場ともなると、室温は摂氏40度近くに達する。
 しかしここには日本の製造業の原点がある。日本の産業を支えている人間の、
汗と情熱が工場の外にもあふれでてくる。

 東京都の大田区は、すごい町である。いい加減なスケッチを書いて渡すと、あ
っという間に試作して届けてくれる。それも千分の一ミリ以上の精度で、どのよ
うな順序で加工したらよいか首をひねるような形のものでも、ちゃんとその通り
のものを作ってくれる。図面を見て、どの材料を使って、いかなる段取りで加工
していくかは、まさに経験と熟練と勘の分野である。テキストをいくら読んでも
会得できない。彼らだけの世界だ。
 しかも大田区にはあらゆる分野のベテランが住んでいて、小学校の時からの遊
び仲間。お互いの実力を知り尽くしている。自分のところでできなくても、必ず
その道のエキスパートを見つけてくる。何か難しい注文が来たときに、「さっき
銭湯であったあいつにこの部分は頼もう。ここは小学校の同級生の彼に徹夜して
貰おう」と、即座に段取り図が頭にできあがる。コンカレントエンジニアリング
なんて言葉は知らなくたって、頭の構造自体がコンカレントなのだ。

 1987年、私は鋳鍛造品課長(脚注 通商産業省機械情報産業局)に任じら
れた。当時は円高不況の真っ最中。付加価値の低い鋳物、金型、プレス業界は早
晩、東南アジア諸国にとって代わられるだろうと予想されていた。早い話が、衰
退産業というわけだ。業界全体が意気消沈、今にも壊滅しそうな雰囲気だった。
 そこで、心がけようと思ったのが「現場の近くで行政を」ということであった。
もし衰退産業なら、実情をよく調べた上で、うまく他分野へソフトランディング
を図ってゆかねばならないからだ。こうして週に一度は必ず工場訪問の日を作っ
てその日は一日中中小企業の工場を訪問するということをはじめた。幸い首都圏
には、川口の鋳物、大田区の機械加工、川崎の金型等々、工場にはことかかない。

 こうして工場を訪ねはじめてみると、これが面白い。意外に力強い。
 中小企業の工場には豊かな表情があるのだ。大企業と違って中小企業は金がな
い。同じ製品を作っていても、古い設備をだましだまし使っている工場、最新鋭
の設備で作っている工場、古い機械に器用に新しい制御装置を取り付けて、新鋭
設備と同じ様な能率で作っている工場。勝手に改造して、前の機械とは全く別な
機械として生まれ変わらせている工場、本当に様々だ。どこの工場にも、舌を巻
くような工夫が施されているのだ。
 こうして私は中小工場の虜になった。現在まで二千有余の工場を見て回った。
 こうして、私の人生は間違いなく一変した。

 報われることの少ない、もしかしたら(いやもしかしたらではなく十中八九は)
誰もそんな努力をしていることに気がついてくれない、そんな分野で 「良い物
を作りたい。顧客に喜んでもらいたい」と黙々と努力を続ける中小企業の社長さ
ん、従業員の方々に出会って、その素晴らしさに打たれた。
 私にとってはその一人ひとりが先生だった。

 日本では昔から中小企業というと、哀れな存在というイメージが強かった。そ
のために人を集めるにも苦労していた。
 しかし技術というのはありがたいもので、ここでしか作れない、しかも期限以
内にどうしても必要だとなるとカネに糸目をつけず世界の果てからでも頼みにく
る。しかもそこには、すべての段階の技術が揃っていなくてはならない。一級の
品物を作ろうと思ったら全部が一級品でなくてはダメだ。その中に1つでも二級
品が入っていると全体が二級品になってしまうからだ。
 だから、少々価格は高くても、世界から注文はくる。

 今日本には、悲観論が渦巻いている。不況で日本はどうにもならない。昭和恐
慌の再来だ、日本は沈没する!橋本は指導力がない。官僚主導の日本は、なすと
ころなく破滅して、世界恐慌の引き金になる。日本経済は早急な構造転換が必要
である。改革を阻止しようとする官僚を一掃せよ。とかまびすしい。

 新聞もテレビも「日本はダメだ」の大合唱だ。
 しかし、日本の町工場は、苦しい中で、頑張り続けている。自分達の行く末に
ついて一抹の不安を感じながらも、変わらぬ努力を続けている。この町工場の力
強さを知ってほしくて、私はこの本を書いた。

 今、日本は不況だ不況だと騒いでいるが、本当の不況はこんなものではないだ
ろう。80年代半ばのアメリカは失業率が、10パ−セント近くまで上昇した。
ドイツ、フランスは今でも失業率は十パ−セント前後だ。日本は失業率が戦後最
高だと大騒ぎをしているが、4パ−セント前後に過ぎない。
 国民の貯蓄は最高水準だし、国としての貿易黒字も戦後最高水準だ。
 不況でどうしようもないと言われていた1997年の機械工業生産は81兆円、
対前年比8パ−セント増加だった。この数字を見れば、少なくともメチャクチャ
な不況とは言いにくいだろう。
 経済も生き物だ。暗く考えれば、気も滅入ってくる。設備投資意欲も減退する。
 明るく考えれば、前向きの姿勢になる。新しい工夫も涌いてこようというモノ
だ。確かに山一、拓銀、三洋、徳陽シティの金融破綻連鎖は大きく、今後の影響
は良くわからないところがあるが、製造業の現場はまだ健康といっても良い状態
をかろうじて保っている。
 付加価値を生み出すのは製造業だ。バブルは崩壊してもこの部分はまだ頑張り
続けている。しかしその頑張りも、これだけ「日本はダメだ、どうしようもない」
論ばかりを聞かされると、頑張りの限界かも知れない。
 戦後何度も繰り返した好不況の波を、持ち前の小回りの良さで、苦しみながら
も耐え、その都度不死鳥のように立ち上がり、日本の産業を支えてきた町工場・
中小企業も、昨今のあまりの変化の大きさ、急激さと、大げさな悲観論の中でき
わめて厳しい状況に立たされている。
 いま、必要なのは、製造業など産業に対する行きすぎた軽視を正すこと、悲観
論を是正することと、実力の再認識だ。現にアメリカも、製造業の軽視が誤りだ
と気がついた人々は、かなり以前から「再工業化(リインダストリアライゼーシ
ョン)」を訴えてきたのであり、アメリカの復活と言われるものも、実は自動車
などをはじめとする製造業の復活なのである。
 この本が、今も苦しいながら頑張り続けている町工場の実力についての、皆様
の理解を深め、多くの人達が町工場に声援を送ってくれるきっかけになれば本望
だ。

           平成十年四月一日  橋本久義


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1章 こんなにすごい日本の町工場

●工作機械が象徴する日本の中小企業のなみはずれた力強さ

 最近の日本を見ていると、ある種の悲観論で充満している。やがてすべての産
業で競争力を失った日本は、没落する運命にあるという。極端な論者は「日本が
溶けていく」とまでいっている。しかし、本当にそうなのか。日本は溶けてゆく
のか?日本はどうにもならない国なのか?
 ちょっと冷静になってほしい。1997年上半期の機械工業生産(自動車、電
機、一般機械を含む)は対前年同期比で11.2パ−セント増しだ。
 これは絶好調と言っても良い数字ではないか?

 金融・ゼネコンについて言えば、東海興業、山一証券、北海道拓殖銀行、三洋
証券、などの相次ぐ破綻に見られるように、苦境にあったし、またその傷が深か
ったのは確かだが、製造業はそれほど悪い状態でもなかった。鉱工業生産指数は、
90年を100として、97年は通年で99.6だ。バブルの最盛期に匹敵する
生産をあげつつあったのだ。
 97年6月の企業の決算をみても、製造業各社は軒並み業績を回復した。確か
に単価は安く、儲かっていないし、業種間、あるいは企業間格差があったのも事
実だが、日本経済全体が底無し沼に落ち込んで行くような表現は少なくとも行き
過ぎだったろう。むしろ、実態景気はそう悪いわけでもなかったのに、「景気は
どうしようもなく悪い。政府は何をやっている」という”空気”に引っ張られて、
悪くない景気まで悪くなってしまったというところがある。
 潰れるものは潰せの大合唱で、瀕死の重症の患者が輸血を受けられず失血過多
状態。その病人が面倒をみていた青年達が食事を貰えず栄養失調で能率低下、そ
の苦しむ姿を横目でみていた隣のベットの病人が、気落ちして青息吐息。
 病院が、「病院の債務を減らすためには、今までのように薬はあげられない。」
と宣言したので、健康だった人も栄養剤を貰えずに栄養不良。
 病人はもうダメだ早合点した看護婦が早めに親戚を呼び集めたモノだから、
「俺も最後か!」と死期が早まる。混乱の中で、医者が処置をし忘れて更に悪化。
……というような状況ではないのか。

 しかし、日本経済全体がおかしかったかといえば、そういう訳ではなかった。
むろん大きな逆風が吹いていたのは確かだ。大きく言えば
@ 冷戦時代の終焉にに伴う大競争時代の到来、
A 成熟化社会、高齢化・少子化社会の到来の中で、消費ブームを作り出すこと
が難しくなってきた。
B バブル崩壊に伴う、金融、不動産、株式市場の大穴
の三つであるが、この逆風を何とか乗り切っていく力もあったし、チャンスもあ
った。そのパワーの源泉は製造業である。

 なかでも中小企業性製造業とも呼ぶべき産業分野は一見頼りなげにみえながら
タフで打たれ強く、これからも日本を支えていく分野なのである。
 具体的に言えば、工作機械、ロボット、産業機械、素形材、などの分野である。
これらの分野では、大企業と中小企業が入り乱れて生産しており、奇妙なことに、
両方ともが、存在感を持って生産を続けている。資金力では大企業にかなわない
が、技術、品質なら大企業に絶対負けないという、中小企業・町工場が多数存在
する。
 こうした雑草のような町工場群は不況風にあおられて、苦しみながらも、日本
経済を下から支えている。海外進出による空洞化にも、発展途上諸国との価格競
争にも歯を食いしばって耐えて、町工場は頑張りつづけているのだ。これからも
頑張り続けてゆくだろうし、このような産業がある限り、日本はそう簡単に溶け
ていったりはしないだろう。
 このことを、まずは論より証拠、具体的な数字で示してみよう。第一は、町工
場というレベルの企業が多数活躍している工作機械産業である。
 1997年の工作機械生産高は対前年比約二割増であった。95年が三割増、
96年が対前年比二割増、と大幅な伸びであったことを考えると飛躍的な回復を
続けていると言わなければならないだろう。
 これだけ海外生産だ、空洞化だ、日本産業の終焉だと言われている中での回復だ。
 この工作機械産業、かつては1兆円産業であった。それがバブル崩壊で生産激
減、5300億円そこそこになってしまった時には、「工作機械産業はもうこれ
で、二度と再び1兆円産業に戻ることはないだろう」と言われた。その理由は精
緻を極めていた。
 なぜならば、第一に日本の工作機械企業自身がどんどん海外工場で生産能力を
増強している。日本の産業界のなかで熱心に海外進出を進めている業種を見れば、
一に電機、二に自動車、三に工作機械だ。様々な業種の中で最も熱心に海外空洞
化を進めているのが工作機械産業だ。今後海外生産が増え続け、日本の生産は減
る一方だろう。
 第二に東アジア諸国が、安価な機械を供給するようになり、評判も悪くない。
しかも、昔は何でもかんでも自国で作ったから「確かに安いがすぐに壊れる、精
度が悪い」と評判が良くなかった。しかし最近は違う。精度が必要な部品は、高
くても日本製・欧米製のものを仕入れ、自国の安い部品と組み合わせて値段は半
分、働き二倍の機械を作っている。日本から海外に進出した企業も使ってみて、
「安くて性能もそこそこだ」と評判も良い。そうすると、発展途上国で広がって
行くかも知れないローエンド(安い機械)市場はアジア諸国の製品がシェアを伸
ばして行くだろう。いずれにせよ、日本の生産が増えるわけがない。
 第三に機械の値段は価格破壊でメチャクチャ安くなっている。仮に何かの間違
いで昔と同じ台数作ったとしたって売上高は七割にしかならない。(増えるはず
もないが……)
 これらを考え合わせれば、工作機械の売上は目下5300億円だが、たぶんジ
リジリ減って3000億円になるに違いない」
 実に説得力のある理屈だったのである。理論的に反論することは非常に難しかった。
 「工作機械産業は充分な競争力を持って生き残っていくだろう」という論者は、
変人扱い。大東亜共栄圏の夢を追い続ける軍国主義者、常に神風だのみの夢想家
というレッテルを貼られて、口を封じられた。
 しかし、実態は違った。1997年は1兆円産業に戻った。日本の工作機械産
業は不死鳥のように甦ったのである。
(不死鳥にしちゃ、もう一つパッとしないのも事実だが…)

●数字が示す中小企業の底力

 工作機械以外にも、日本の町工場を中心とした製造業がいかにタフかを示す数
字は、いろいろある。たとえば、金型業界だ。
 金型といっても一般の人々の目にふれることは少ないから、なじみはないかも
しれないが、機械工業の基礎になる製品だ。
 家電製品のプラスチック成形にも、自動車の車体のプレスにも使われる。ある
いは、ビール瓶も、PETボトルも金型で作られる。ある程度以上の規模で生産
するとなれば金型がたいがい必要だ。量産と金型とは切り離せない。
 ところで、この金型産業は衰退産業の代表のように言われてきた。海外で、良
い金型がドンドンできるようになって、日本の金型産業は衰亡の一途、太田・川
崎の町を歩いてご覧なさい。金型屋が、バタバタ潰れていますよ。というわけだ。
 しかし、そんなことはない。金型が1番生産を上げたのは、1990年で、年
間5400億円の生産高を誇っていた。(通産省機械統計)それが1997年に
は、4400億円に減ってしまった。1千億円も減っているのだから、「なんだ、
金型産業は噂に違わず衰退産業じゃないか」と思われるかもしれないが、そんな
ことはない。
 考えてみれば、1990年はバブル経済の絶頂期である。あのころは、「当社
の必要とする金型を作ってくれるんなら、価格はいくらでもいいです」というお
客がかなりいた。つまり、単価はべら棒に高かった。1996年はそれこそ、材
料代も出せないくらい単価が下げられている。
 実際、金型屋さんをまわって聞いてみると、いまの平均単価はバブルのころに
比べておよそ三割から三割五分は下がっているという。単価が三割以上下がって
いる中で、生産は二割下ったというわけだから、実は金型の生産量は確実にふえ
ている。
 1997年も、不況だ、不況だといわれる中で、金型産業は、対前年比16.
7パ−セント増、5100億円近い生産をあげた。山一廃業後の十二月も意外に
受注は減らず、多くの金型屋は繁忙を極めた。

 こうしたケースはほんの一例で、町工場を主役とする日本の製造業は、海外の
安い製品と価格で互角以上に渡りあい、さらにすぐれた技術力も見せつけている。
 たしかに日本の人件費は高いし、電気代も高ければ食料品も高い。こんなコス
トのかかる国でモノづくりしても、国際価格競争に勝てるわけないと思われがち
だが、どっこい今でも“安くていいモノ”が世界に向けて作られ続けているのだ。
 日本経済の“第二の奇跡”といってもいいくらいだ。

●いまは、日本経済の“場替え”の時代

 日本の製造業がいかに頑張っているかは“数字”が示したとおりだが、金融・
ゼネコン等の状況をみると、日本経済はたしかにある意味で混乱の時代にあると
いっていいかもしれない。そのためか、「このままのやり方では日本は危ない」
などという漠然とした危機感が日本をおおっている。
 だが、私にいわせれば、この混乱は、いまが日本経済の“場替え”の時代に当
たっているためだ。
 麻雀をやらない方には“場替え”といっても、「何のことだか良くわからない」
と言われるかも知れないが、”場替え”はマージャンをやっている時、メンバー
の座る場所を数ゲーム毎に決め直すことだ。全く同じ組み合わせで、同じ方角を
向いて座っていると、「ツキ」が偏ってしまうし、健康に悪いということなので
あろう。中国の「風水」の考え方からくるのかもしれない。
 この“場替え”がなぜ起こったかといえば、ソ連をはじめとした共産圏の崩壊
がきっかけだ。かつては「共産軒」というマージャン屋があった。そこは設備も
古くさいし、ルールもちょっと違っていたが、同じ陣営の仲間だけで楽しくやっ
ていた。ところが1990年前後に、この”共産軒”というマージャン屋が突然
潰れてしまったのだ。そこで遊んでいた人達が我々の麻雀荘にどっとやってきた。
 このマージャン屋だって、そんな広かったわけではない。「韓国さん、押すん
じゃないよ」「タイさん、もうちょっとさがって下さい」といいながらやってい
た。そこに中国だ、ベトナムだ、ミャンマーだといろんなメンバーがやってきた。
「おれにもやらせろ」「こちらの方がレートが安いぞ」というわけだ。新しいメ
ンバーがドドッと押し寄せてきたものだから、もうマージャン屋は大混乱だ。

 酒がこぼれる、灰皿がひっくり返る。点棒は転がる。マージャンをやっている
まわりでザワザワと人が動く。落ちつかない。
 仲良く麻雀をやっていた仲間が、「俺はちょっと向こうの国のテーブルに行っ
て麻雀を打ってくるわ」といなくなってしまう。むこうの国からたよりが届く。
「いや、儲かって、儲かってしかたがない。お前は何で日本なんて国にこだわっ
てるんだ。こっちの方が儲かるぞ」というわけだ。向こうのテーブルの様子を遠
目に見ていると確かに楽しそうだ。ドッと笑い声が起こるし、乾杯の声も賑やか
だ。新聞を見ていたら、親しかった仲間が「海外に雄飛する、先進的経営者」と
写真入りでとり上げられている。
 お世話になった大旦那も向こうに出ていって、メンバーが足りなくて困ってい
るらしい。「早く出てこい。こっちの方がチャンスが多いぞ。勝てるかどうかは
責任持たないけど……」と矢の催促だ。 そのうち同じテーブルで打っていた仲
間が一人抜け、また抜ける。
 残ったメンバーはと見れば、皆仏頂面で機嫌が悪い。負けが込んでくる。点棒
(展望)はどんどん無くなる。直前のツモ(受注)はものすごく悪い。赤字受注
だ。
 バブルの頃良い物を食べ過ぎて糖尿病体質で、スタミナも途切れがちだ。後継
者はいつまでたっても麻雀荘に現れない。
 迷いを生ずる。俺は麻雀に向いてないんじゃないか。麻雀が下手なんじゃない
か。やらなければ良かった。
 しかも悪いことにこのマージャン屋には、口さがないギャラリーがたくさんい
る。「いまやソフト化、情報化の時代。それなのに、たいした技術も無くて製造
業を日本でやっているなんて、全くバカげてますよ」「もうモノづくりは海外に
まかせて、日本は頭脳だけで生きていくべきなんですよ」 最後には、「いくら
ギャラリーが教えてやっても勝てないんだから、本当は日本はマージャンが下手
なんだ。やめた方がいい」と捨てゼリフだ。
 ただでさえ落ち込んでいるところに、ここまで言われては、日本が悲観的な気
分になるのもあたりまえ。これでは、勝てるマージャンにも勝てなくなる。
 
 このような“場替え”の混乱がつづいている時に、金融不安という要素が加わ
り、場内のいくつかの電灯が消えはじめたから事態はますます悪化。不安はどん
どんつのる。
 日本の旗色は全く良くないが、実は今回のような“場替え”は、日本にとって
はじめての体験ではない。日本は“場替え”をこれまで何度か体験してきた。
 そのたびに「もう、こりゃダメだ」と本人も思い、また、まわり中がダメだろ
うと思ったのだが、“場替え”の混乱が終わるころには、なぜかいつも日本は生
き残っている。日本は徹夜麻雀には滅法強い国なのだ。


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●過去に何度も“場替え”の混乱を切り抜けてきた日本の中小企業

 日本経済の最大の“場替え”といえば、第二次世界大戦の敗北である。
 大東亜共栄圏という独自の麻雀荘を建設しようという目論見は崩壊し、壮大な
場替えになった。当時日本はボロボロでとても再起は不能だと思われた。しかし
国民一致して貧しさを耐え、働いて復興をとげ、なんとかアメリカをはじめとし
た先進工業国と同じテーブルでマージャンを打てるほどになった。
 そこに襲ってきたのが、1960年代の“場替え”である。
 このときは軽工業分野が“場替え”の主舞台だった。その代表が、カメラ産業
である。
 当時のカメラの世界勢力分布を見てみると、ドイツは超一流、アメリカは量産
型の一流品をつくっていた。二十数社がしのぎを削っていた。一方日本はまだま
だ三流品しかできない町工場のレベルだった。
 このアメリカ市場に日本のカメラ産業が輸出攻勢をかけ、アメリカのほうも日
本のカメラに対抗するために本腰を上げたのである。
 「アメリカのカメラ業界を見てごらんなさい。世界に営業網を確立し、資金力
もある。技術力もあるし、デザインも洗練されている。人材も豊富だ。ブランド
は世界中知れ渡っており、日本のように商売相手はアメリカしかいないというの
とはわけがちがう。あのメイド・インUSAに、日本の町工場に毛のはえたよう
なカメラ屋がかなうわけがない」という見方がもっぱらだった。実際、当時はニ
コンにしろキヤノンにしろ、まだまだ中堅企業にすぎない。さながら日本のカメ
ラ屋は、ガリバーとケンカする小人のようだといわれたものだった。
 おまけに日本はダンピング訴訟をしかけられ、パテントの問題で訴えられ、品
質が低いものがあると納品したものを突き返され、etc.etc.で危機に直面した。
「こりゃ もうだめだ」「構造不況だ」「潰れるのは、時間の問題だ」「死んだ
方がましだ!」の絶叫。評論家には、「日本のカメラ屋なんて半分はダメだね」
と言われたものだ。
 この“場替え”の結末はどうなったか。
 争いが一段落して、夜が白々と明けゆくころ、マージャン卓に残っていたのは、
ドイツが一社半、ライカとツァイスだ。アメリカではコダックとポラロイドの二
社だけだった。ところで日本勢はといえば、ニコン、キヤノン、ペンタックス、
オリンパス、ミノルタ、コニカ、リコー、フジ、とほとんど残った。わずかにチ
ノンとヤシカはその後やめたのだが、この二社にしろ、他の会社が買収して、い
まも他の光学機器分野で頑張っている。
 結局、日本の企業はほとんど全員が徹夜麻雀に耐え抜いたのである。
 「なんなら、もう半荘つきあいますよ」と元気一杯だ。

 もう一つの例は1980年代の、工作機械業界を舞台にする“場替え”だ。
 この“場替え”は、当時アメリカの最大手のコングロマリット、コールバーグ
・クラビス・ロバーツ社(略称KKR)が工作機械産業に着目したことで始まっ
た。工作機械産業の資産内容が他業種に比べてメチャクチャよかったためだ。
 「工作機械産業は、利益率がものすごく高い上に、技術資産も凄い。世界に特
許を売っている。しかも工作機械を作るための機械が大型で高性能、それでいて
稼働率はものすごく低い。フル稼働させたらものすごく利益が上がるのは間違い
ない。工作機械各社がこんな株価で納まっているのはおかしい。」
 こうして、KKRがフーダイユという会社を中核にして工作機械業界の大再編
成を始めた。
 ところで19六0年代、七0年代、アメリカの工作機械産業は輝ける星だった。
 かつて私が学生の頃、日本の大工場を訪ねると担当者がアメリカの巨大な工作
機械を自慢そうに見せてくれたものだった。また私達も高さ十メートルもの機械
を見上げて、その規模に、その性能に感動した。実は私が通産省に入ったのは、
日本の工作機械産業を、こんなアメリカ工作機械業界に一歩でも近付けたいとい
う想いからであった。どうすれば、日本の工作機械が、アメリカ製のような品質
に達するのか、どうやれば精度が出せるようになるのか、通産省へ入ってからい
つもそれだけを考え続けていたといって良い。
 当時は通産省全体が、“通常残業省”といわれるくらいで、夜遅くまで日本の
機械工業の振興のための施策を考え、技術開発支援のためのナショナルプロジェ
クトを考え、アメリカにキャッチアップしようと必死であった。
 よもや、輸入を増やすために必死になる日がくる などというのは、当時の我
々には想像もできなかった。
(閑話休題)
 こうなると他のコングロマリットも「もしかしたら宝の山か」と勘違いして参
戦する。工作機械産業自身も、防衛上、あるいは攻撃は最大の防御という意味で
反撃の買収工作をはじめる。こうして、アメリカ工作機械業界あげて、売った・
買ったの大TOB(テーク・オーバー・ビット=公開買収)合戦がくり広げられ
た。(この間の事情は、ダイヤモンド社刊「潰えた野望」に詳しい)
二つの企業同志が、TOBをお互いにかけあって、両方が成立してしまい、A社
の親会社はB社だが、B社の親会社はA社だ。という漫画みたいな話があった。
(結局裁判の結果、数時間早く成立したTOBの方が有効ということになった)

 一方日本の工作機械会社は、大会社もあるが、中小企業が中核をなす企業分野
の典型で、七十人や8十人でなんとかやっているという会社が大多数だ。そんな
ところへ、ただでさえ大きなアメリカの工作機械会社が相次ぐ買収によってどん
どん巨大化し、強力そうに見えてきた。
 ただでさえ、第二次エネルギーショックから引き続く国内景気の低迷で苦しん
でいる。ここで対米輸出が頓挫したら大変だと心配しているところに、アメリカ
からダンピングだ、カルテル法違反だ、技術援助契約違反だと種々の訴訟がつき
つけられる。ちょうどマルチプル・ハラスメント(いろいろな口実で相手を訴訟
の嵐に巻き込み、攻撃して、相手の意欲を殺ぐ戦略)という言葉が話題になった
ころだ。
 アメリカの工作機械業界は、大きなグループになり、販売網もサービス網も合
理化した。巨大な資本力を持った企業群を前に、日本の工作機械業界は、「もう
ダメだ」「やってられない」となった。
 しかし、1980年代の終わりのころ、白々明けの中で決着が見えてきた。
 売った、買ったの大再編成を経て、アメリカの工作機械産業はどうなったか?
 シンシナチミラクロン社は今も工作機械メーカーであるが、かつてのような巨
大な機械は作っていない。鋳物工場を売り払い、技術開発部門も縮小して、今で
は汎用マシニングセンターのメーカーになってしまった。
 インガソル・ミーディング、デ・ブリーグ、カーネー&トレッカー、バーグマ
イスター、モナーク、キングスベリー、ナショナルアクメ、といったキラ星のよ
うに輝いていた工作機械企業群も、今ではどこへ行ってしまったのか、工作機械
ショーでブランドを見かけることも希になってしまった。
 一方、日本は、オークマ、マザック、森精機、牧野フライス、日立精機、日立
精工、と数えていけば二百社以上あるが、誰一人やめなかった。徹マン明けだが、
相変わらず元気で、「何なら、もうひと晩やりますか」といった調子だ。

●追い詰められても勝負をあきらめないのが、日本の町工場

 日本経済をこれまで何度となく襲った“場替え”の大混乱は、よく見てみると
アメリカの大企業対日本の中小企業、町工場の図式を呈していた。
 単純に考えれば、「大和」のような巨大戦艦に駆逐艦が歯が立つはずがない。
日本の中小企業、町工場のほうがブクブクと沈んでいくはずだと誰もが思うのだ
が、現実はそうはならなかった。
 いったいなぜかといえば、さまざまな理由があるが、見過ごすことのできない
ひとつには、日本の中小企業の経営者の負けじ魂がある。
 マージャンで言えば、負け方がうまいということになる。マージャンでも経営
でも、勝ち方は同じだ。順調な時には誰がやっても大した差は生じない。
 問題は負けが込んできたときだ。長期戦になった場合、いかに「負けないマー
ジャン」を打てるかで勝負が決まってくる。
 麻雀も経済も生き物だ。順調なときばかりとは限らない。エネルギーショック
や、円高などのように、一社の企業努力だけでは如何ともしがたい事態は起こり
得る。「ツカない」というやつだ。
 日本の中小企業というのは、ツカない時に被害を最小限にとどめるその負け方
がうまいのだ。そして負けの中で勝つチャンスをうかがう。勝つためのキーとい
うのは、負けの中に隠されているものだから、負けを最小限に止めながら負けた
原因を分析し、反撃の準備を進めていく。そして混乱が終わるころには、ついさ
っきまで青息吐息だったはずの日本の中小企業が皆生き残りに成功しているので
ある。
 よくいうのだが、アメリカは半荘麻雀の国だ。全力を挙げて当期の利益を最大
にしようとする。株主に気に入られないとアッと言う間にクビなる国だから、日
本のように「今は無駄でも、そのうち役に立つようになるかも知れない」という
ような投資はできない。「営業利益がでないのなら、資産を売り払ってでも配当
しろ」という株主の要求に応える国なのだ。(日本でも「もっとアメリカのよう
な経営にしろ。株主を重視しろ」という変な人々が増えてきたが)
 だからアメリカの経営者はマージャンの負けが込んでくると、経営分析をして、
どうもこの先も儲かりそうにないとなると、テーブルをひっくり返して帰ってし
まう。辛抱できないというか、アキラメが早いのである。
 自動車の町デトロイト市を巡回するモノレールに乗ると、市の周辺にうらびれ
はてた廃工場跡をたくさん見ることができるが、あれはアメリカの経営者達が、
マージャン台をひっくり返して帰ったあとだ。もっとも、メチャクチャ勝っても、
会社ごと売り払ってビバリーヒルズ暮らしをはじめる。その辺は、会社をわが子
のようにいとおしむ日本の経営者とはだいぶ違っている。

 一方東南アジアの経営者達は、負けが込むと、アメリカのようにテーブルをひ
っくり返したりはしないが、アイデア豊富で、あきっぽく、浮気なところがある。
 「どこかべつのマージャン屋へ行けば、いいことがあるんじゃないか」「麻雀
以外にもうちょっと儲かる遊びがあるんじゃないか」「メンツを変えたらどうだ
ろう」「もうちょっと儲かるルールがあるんじゃないか」「じゃあ早速ルール改
正を政府に働きかけてみよう」と考え、しかもそのための努力を惜しまず、実行
してしまう。
 このようにもともと商売の好きな東南アジアの経営者にとっては、製造業のテ
ーブルに長く座りつづける理由はないのだ。だいたい製造業というのは、着実に
儲かるが、儲かり方の足が遅い。労働者数×1人当たり生産高、以上は絶対儲か
らない。一獲千金なんて、ありえない。そこへいくと商売というのは、一人で百
億円の商いだってできるから、商売好きな人間にとって儲かり方の足が遅い製造
業に辛抱できなくなる。製造業で儲けた利益を、製造業に再投資するのがバカら
しくなってくる。もっと大きな目先の利益を求めて、商売のほうへ投資しはじめ
ることが多い。
 日本のように不況をじっと耐え忍び、人を育て、技術を磨き、好況になる日を
辛抱強よく待つ という風にならない。

 日本は勝っても負けても麻雀をやめない。そしてその真価は負けが込んできた
時に発揮される。
 ある東北の金型屋さんは、不況でどうしようもない時に従業員皆で、昼は納豆
とコンニャクを行商して歩き、夜は良い金型を作るための勉強会をやった。ふだ
んやったことのない熱処理や、自動制御、切削理論、新材料などを勉強したので、
従業員の技術レベルが数段向上し、平成不況のさなかでも注文に応じきれない状
況が続いたという。
 ある機械屋さんは不況で仕事が無い時、お得意さんを順番に訪問、昔販売した
機械を無料で保守・点検・修理してまわったという。需要家のニーズもわかるし、
製品の欠陥もわかる。遊んでいるよりはマシだからというわけだ。その誠実な態
度が評判を呼んで、不況の途中から注文殺到という。

●だれもが見落とす「注文されたものをキチンとつくる」町工場の“驚異”

 不況風が日本列島を吹くたびに、マスコミや評論家は、「今度の不況はいまま
での不況と違う。構造不況というべきものだ。独自技術を持たない、下請け中小
企業の半分は潰れる」などとセンセーショナルに書きたてることが多い。
 「この変化は日本産業に構造転換を迫るものだ。量産製品の分野は海外の安価
な製品に太刀打ちできず、独自技術をもたない下請けの中小企業は必然的に淘汰
されていくだろう。だから、自前の製品をもち、オンリーワン、ナンバーワンの
企業になるよう、ハイテク化し、情報化しなければならない」というお説教を1
9七0年代から聞かされてきた。
 だが、現実には、このご託宣どおりにはならなかった。むろん多くの会社でオ
ンリーワン・ナンバーワン企業になるような努力が続けられたが、皆がオンリー
ワン、ナンバーワンになったかといえば、そういうわけでもない。
 オンリーワンでも、ナンバーワンでない会社が潰れたかといえば、潰れなかった。
 だいたい日本に六五0万社もある中小企業に、それぞれオンリーワンになれと
いっても、なれるものではないし、皆がオンリーワン・ナンバーワン企業になっ
たら、ややこしくて仕方がない。
 私にいわせれば、オンリーワンの技術もたしかに大切だが、それと同じくらい
に、注文されたものを納期までにきちんと仕上げる技術も大切なのである。たと
えそれがありきたりの技術であれ、このありきたりの技術から生まれた品質の高
い製品がないことには、ハイテクと呼ばれる機械だって作れないのだ。
 例えば、ICを作るときに必要なステッパーと呼ばれる機械がある。フォトマ
スクと呼ばれる回路図のようなものをICのシリコン基盤の上に何重にも重ね焼
きしてゆく。回路の線幅は0・三七ミクロンというから、たいへんな精度だ。こ
の機械は今は日本が世界中に供給している。アメリカのICメーカーも韓国のI
Cメーカーも日本から買うしかない。ところでこのステッパーのフレームは鋳物
で作られている。もちろん他の一般の鋳物に比べれば、高級だが、それでもべら
ぼうに高いというモノではない。
 だが、この鋳物のフレームが歪んだら、他の部分がどれほど精度が高くたって
歪かたの桁が違う。数ミリも狂ってしまうから、機械は使いモノにならない。
 逆説的だが、精度の高い製品であればあるほど、安い部品に生死を握られてい
る、といっても良いかも知れない。
 宇宙船チャレンジャー号の悲劇はステンレスのタンクのひびであるといわれている。
 私たちは日本にいるから無神経になっているが、毎日きちんとした製品を作り
続けることはたいへんなことなのだ。たとえば鋳物は、ただでさえ不良率の高い
代物だ。日本で最高の品質管理をしても、二〜五パーセントの不良率は避けられ
ない。これが、発展途上国では不良率が数十パーセントに簡単になってしまう。
そうなると大変だ。元が高価なものなら手間暇かけて検査するということもある
だろうが、元の値段が安いモノの場合は、そうはいかない。1個千円の部品なら
パートさんに1個1個チェックをしてもらっても良いだろう。単純計算で、一時
間に60個検査できるとすれば、約二十円のコスト増だ。しかし1個三十円の品
物は二十円もかけて検査してはいられない。
 昔は人間が組み立てていたから、不良品が混じっていれば、容易に発見された。
いまは自動加工・自動組立の時代だから、チェックする場所がない。部品素材を
セットして、翌朝出勤してみたら、不良品の山ということになる。ジャスト・イ
ン・タイムだから、ライン全部が止まってしまう。
 一時、円高のころ、日本の鋳物工場が続々と海外進出したり、海外と提携して
コストダウンを図ろうとしたが、実際にやってみるとなかなかうまくいかず、国
内に帰ってきた需要が多い。日本ではごく当たり前にできた品質管理が、海外で
は実にむずかしいからだ。安い部品だからこそ難しいのだ。
 現にアメリカの自動車や、工作機械、産業機械メーカーも日本に鋳物部品を発
注している。アメリカですら、日本のようにきちんとしたモノづくりは難しいのだ。
 結局、きちんとしたものを納期通りにつくる、という一見当たり前のことがで
きないからだ。
 アメリカの、あの世界に冠たる機械関係企業群が力を無くして行ったのも、ネ
ジや鋳物や金型や塗装やメッキなどのハイテクでない部門の技術開発が進まず、
せっかくのノーベル賞級の技術が、製品になった段階でネジだの塗装だのという
基礎的な部分でトラブルに見舞われてしまうからだ。どんなハイテク製品であれ、
大部分はローテク製品で構成されているから、製品の品質は実はローテク部分で
規定されてしまうのだ。
 逆に日本の場合、中小企業がハイテクでもない、技術的にもたいしたことない
部品をきちんと仕上げてくれるからこそ、この部品を使う大企業もいい製品をつ
くることができるし、競争力をつけることができたのだ。

● 当たり前のものを当たり前に

 実は、日本が海外生産を初めたのは三十年以上も前だ。しかし海外生産の進展
・空洞化があまり問題にならなかったのは、海外生産があまりうまくいかなかっ
たからだ。なぜうまくいかなかったのか。日本から派遣された人達の「やる気」
がなかったからか、智慧が足りなかったからか、なまけものだったからなのか。

 そのどれでもなかった。しかし海外生産は難しかったのだ。
 私の友人は某メーカーに入社。数年して海外の工場勤務になった。日本であれ
ば、「○○県に工場を作った。でも技術が不足して、結局いいものができなかっ
た」そんな話は聞いたことがない。しかしその国では起こってしまった。だから
大変だった。
 「○○県の工場では工場建設後、たった三カ月でいいものができているのに、
なんでお前の国ではできないのだ。これで三年。あれだけの設備投資をして、人
員を教育して、英語のできる有能な人材を送り込んで、なんでまだできないんだ。
 お前の努力足りないからだ。智慧が無いからだ。やり方まずいからだ。現地の
人とのコミュニケーションが足りないからだ。顔がまずいからだ。英語が下手だ
からだ。カミさんの態度が悪いからだ。」それこそありとあらゆる悪口雑言を並
べられ、泣きながら努力していた。しかしうまくいかなかった。
 「二十年たった今なら何の問題もない」という風にはいかないだろう思う。
 だいたい本来、働くというのはデズニーランドに行くのとはわけがちがう。
 どうも最近 世論というか、評論家の話を聞いていると、「生きがい」だとか
「個人の自由」だとか、「のびのびと」とか、「好きなものを」といった、口当
たりの良い言葉を「労働」のイメージにかぶせようとしているようだが、本来労
働なんて面白いものであるはずがない。
 新聞記者や、コメンテーターや、キャスターの仕事のように、毎日毎日わくわ
くドキドキするようなものとは違うのだ。
 ディズニーランドに行くのと同じほど面白ければ、発展途上国でも、きっと良
い物ができるだろう。今日もいった、明日も行こう。しかし生産現場というのは
それほど面白いものではない。
 加工された部品をはずす。新しい部品を機械に取り付ける。ネジを締める。高
圧空気(エア・ガン)で部品表面の埃を飛ばす。機械のドアを締める。
 加工が終わると機械のドアが開くから、加工された部品をはずす。新しい部品
を機械に取り付ける。ネジを締める。エア・ガンで部品表面の埃を飛ばす。機械
のドアを締める。
 機械のドアが開く。部品をはずす。新しい部品を取り付ける。ネジを締める。
エア・ガンで部品表面の埃を飛ばす。機械のドアを締める。
 機械のドアが開く。部品をはずす。新しい部品を取り付ける。ネジを締める。
エア・ガンで部品表面の埃を飛ばす。機械のドアを締める。
 機械のドアが開く。部品をはずす。新しい部品を取り付ける。ネジを締める。
エア・ガンで部品表面の埃を飛ばす。機械のドアを締める。…………。
 これを1日中やるのだ。明日は間違いなく同じ作業だろう。明後日もそうだろ
う。1ヶ月後もそうだ。たぶん1年後もそうだろう。いや、もしかすると十年後
もそうかもしれない。
 労働の大部分というのはそういうものだ。創造性が入り込む余地が無いでもな
いが、まずは関係ないとしたもんだ。
 こんな毎日が面白いわけはない。不良品が出ないとしたら、それこそ悲劇だ。
 逆説的だが、不良品が時々出るからこそ、現場は生き生きとするのだ。活気が
出る。燃える。腕が問われる。工夫の余地がある。考える。克服する。胸を張っ
てQC大会で発表する。

● 働く楽しさは、するめの味

 日本の従業員は変わっている。
 社長が、何かの思いつきでフイに工場を見回る。たまたま最近入った新人を見
つけて、「オイどうだ。もうそろそろ仕事に馴れたか?まわりの仲間はよくして
くれるか? どうだ。やってみると現場は案外面白いだろう?」「どうだ面白い
だろう?!」「どうだ面白いだろう?!」と三回も繰り返すと、日本の従業員は
ついつい勢いに負けて「はい!面白いです」と言ってしまうのだ。しかも、あろ
うことか、あるまいことか、その単純な、退屈な、創造性とは無関係とおもわれ
る作業に、面白さ見いだしてしまうのだ。
 「おい!今日はいつもよりも不良率が二パ−セント少なかったぞ!よかったな。」
「先月は機械の稼働時間が二百時間だったのが、今月は二百十時間稼働した。俺
達が朝十分早く出てきて機械の手入れをしてから動かすようにしたら、十時間も
稼げた。俺達が頑張ったからだ。来月はもっと頑張ろう」と言って喜びあい、面
白がって工夫をしあうのだ。こんな国は日本だけだ。
 このような喜びは、簡単には味わえない。たくさんの前提条件が必要だ。
 つまり、まわり中がきちんした仕事をやってくれなくては、こんな喜びは味わ
えない。前行程の従業員が不良品を出さないように全力をあげていてくれなけれ
ばならない。停電、エア切れ、油の在庫切れがあってはならない。購入したネジ
は安くて、良いものでなくてはならない。協力工場は不良品がでないよう、命が
けで管理してくれなくてはならない。工具屋は良質の工具を届けてくれなくては
ならない。後工程の従業員がきちんとしあげてくれなくてはならない。
 まわり中のこういう努力があって初めて、モノ作りの現場でよろこびを味わえ
るようになるのだ。


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● 当たり前のものを当たり前に作る難しさ。

 かって空洞化論が新聞・雑誌・TVを賑わせた。生産拠点は東南アジアに移行
し、日本は空洞化してどうしようもなくなるだろうという議論だ。
 最近は円安に移行していることと、東南アジアの経済状態が予断を許さなくな
い情勢になっているため、一時的に空洞化の議論は止まっているが、経済状態が
安定化すれば、また同じ議論が出てくるだろう。
 実際、日本の円も安くなっているが、各国の現地通貨はそれ以上に安くなって
おり、現地通貨との間ではあきらかな円高なのだ。(中国は他国に比べて安定し
ており、逆に言えば、対日競争力を減殺されている)
 しかし、先ほどは働くことはディズニーランドに行くのとは訳が違うといった
が、モノ作りはデパートに買い物に行くのとも違う。発展途上国でモノ作りをや
ろうと思ったら、日本の数倍の数段上の技術力が必要だ。
 たとえば、金型をつくろうとするとき、まずは鋼材を手配しなければならない。
日本でなら、どんな熱処理をしたどんな鋼材でも鋼材問屋がそろえてくれる。と
ころが発展途上国では、マーケットも小さいし、資金力も無い。管理も良くない
から、「先月まではあったんですがね」「まあ、とりよせられないわけじゃない
んですけれども……」と頼りない返事だ。
 たとえば、鋳物用スクラップだ。日本では、約二千社といわれるスクラップ業
者が、品質管理に目をいき届かせている。「珪素鋼板の打ち抜きを五トンほしい」
といえば、「はい、わかりました」でOKだ。一方、発展途上国では、そもそも
日本と違って、そこら中にプレス屋さんがあって、どんどんスクラップが出てく
るという状況ではないから、注文の品物があるとはかぎらないし、あったとして
も何がまじっているかわからない。成分調整をするにしても日本とは桁違いに大
幅だ。
 日本でならある種の接種剤をちょっと調整すればおしまいだ。材料がもともと
グレードが揃っているからだ。ところが、発展途上国では注文のものがあるとは
限らない。注文のものが無い時、代替品を取り寄せ、十以上ものいろいろな成分
を調整して行かなければならない。そんな大幅な調整技術を持った技術者は日本
にもあまりいない。日本では必要が無いからだ。
 急に停電になった時、何をしなければならないのか。そんなことは日本であれ
ば知らなくても良い。しかし発展途上国では知らなければやっていけない。
 今まで輸入可能であった部品が、「今日から発効する法律で部品の輸入ができ
なくなります。今日からは国産品を使ってほしい」という通達がくる。「この国
の国産品は、品質管理が悪いんだよなあ」とぶつぶつ言いながら、国産品を生産
しているはずの会社に行くと、「サンプルはできましたが、まだ製品レベルには
達していません」と平気で言う。しかし法律はすでに発効しており、国産品を使
うことになっているので、一体どうやって、どういうものに代替させたら良いの
かわからない。
 あるいは金型の焼き入れが不十分だった時、焼き入れをやりなおす方法など、
日本では知らなくてよい。日本では熱処理屋を怒鳴りつければおしまいだからだ。
 日本では機械がメチャクチャに壊れることはほとんどない。それは、そこで働
いている人達が頼まれたわけでもなく、また担当でもないのに、身体全体で機械
の様子を見ているからだ。
 カッチャン、カッチャンという機械の音が、カッチャンシュル、カッチャンシ
ュルになれば、「昨日までこんな音しなかったのに、どうしたのかな」と思い、
「機械を点検してみよう」となるので、機械がメチャクチャに壊れることはない。
 ところが、発展途上国ではカッチャンシュルもカッチャンゴリゴリもあまり気
にない。カッチャンゴリゴリで、ずーっと不良品が出続けた挙げ句、機械がメチ
ャクチャ壊れることになってしまう。
 仮に途中で不具合が分かったとする。「調べてみたら、ベアリングの玉が1個
割れていたので、変な音がしたらしい」となる。「これはいかん、機械を止めろ」
となる。その後、日本では、機械のメーカーを調べて○○工機の機械とわかれば、
○○工機に電話をかけて「何さらしてけつかんねや。あの機械ペケやないか。あ
なもん納めて、わしの会社を潰す気か!」と怒鳴れば、それこそ○○工機の出張
所長が交換部品を持って、あわてて飛んでくるだろう。
 一方、発展途上国では電話に出た人がさっぱり訳が分からないことが多い。マ
ーケットが小さく、在庫する資金も限られている上に、工作機械の種類はメチャ
クチャ多く、そのそれぞれについて在庫はできない。「そんな部品を置いてない
ので、本店に問い合せて下さい」となる。本店に電話して、三ヵ月経ってやっと
送ってきた部品を見ると、番手が違っている。
 二ヵ月も三ヵ月も部品を待っていられないから、「以前使っていた機械の部品
を利用して直すことにするか」となる。そのためには、古い部品を調整して修理
する技術が必要だ。しかし、こういう技術は交換部品を持ってきて、そのまま入
れ替える技術に比べると、圧倒的に高度技術だ。
 機械が決して壊れないのならば、設計変更がないのならば、あるいは未来永劫
同じ機械で、同じものしか作らないということならば、発展途上国でも良いもの
はそこそこできるだろう。
 しかし、生産工程では、設計変更があったり、機械が壊れたりすることは当た
り前だ。そうした時、発展途上国での対応は非常に難しい。

 発展途上国ではコークスや、粘結材、接種剤等の副資材を輸入が出来ない場合
も多いが、低品位のコークスで操業する技術、質の悪い粘結材で型を仕上げる技
術等も、日本では必要の無い高度技術だ。
 日本の労働者は万能選手だ。機械が故障すれば機械を直し、金型が痛めば、自
分達で工作機械を使って修理してしまう。お互いに教えあい、技術を磨き合う。
その身の軽さ、身のこなしの良さは驚くほどだ。そういう人材は、発展途上国で
はなかなか見い出し難い。また、他人の職業を奪うという意味もあって、発展途
上国では専門外の仕事には、手を出さないのが仁義としたもんだ。

 そういうふうに言うと、発展途上国では何でもかんでも対応できないと誤解さ
れそうだが、実際には発展途上国でうまく対応している例もある。
 比較的うまくいっている工場には共通の特徴がある。女子比率が高いことだ。
たとえば、食品加工や縫製、衣料品、電気の組立などだ。
 これらの業種、たとえば電気製品の組立の特色は次のようなものだ。
 昨日入ったばかりのパートの女性と五年前からいるベテラン女性を呼んできて、
競争で組立をやらせてみる。たぶんベテランの方が量はたくさん作るだろう。馴
れているし、色々なノウハウを持っているし、指先もトレーニングされているか
ら。昨日入ったばかりの子が1個作っている間に、ベテランは三個できました。
五個できましたということになるだろう。
 しかし出来上がったモノを1個づつ持って来た時、昨日入ったばかりの子の作
ったものと、ベテランが作ったものとで品質に差があるかといえば、ない。ハン
ダ付けが、三角でも丸くても、付くところが付いて、離れるべきところが離れて
いれば全く同じ音がする。性能の差はありえない。手際よくやっても、もたもた
やっても、真心込めてやっても、ちゃらんぽらんにやっても、同じ音がでる。
 こういう種類のモノはある程度空洞化を覚悟しなければならないだろう。
 しかし、熟練度で品質が決まるような、鋳物、金型、メッキ、塗装などの世界
は違う。

●コストダウンにつぐコストダウンを可能にする町工場の“秘密”

 日本の生産システムが世界に誇り得るのは、注文された製品をきちんと納期ま
でに仕上げるばかりでなく、良い製品を“より安く”つくることができるからだ。
 鉄鋼の世界では一時韓国が日本を圧倒しかけたことがある。韓国の最新鋭の製
鉄所が生産する“安い鉄”の前に、日本の製鉄会社はタジタジとなったものだ。
それが、いまどうだろう。今のような為替レートなら、日本の製鉄会社のほうが
安い分野も多いという。もっとも、97年末のウォンの混乱・下落で状況は流動
的だが。
 このような現象は大企業レベルの話だけではない。中小企業では、よりシビア
な価格競争に対応し、高コストだといわれる日本で発展途上国の製品に対して価
格面でも競争力のある製品を作り出している場合が沢山ある。
 なにしろ部品製造や下請けをやっていることの多い町工場の場合、言われた値
段までコストダウンできなければ、明日から仕事はなくなるかもしれない。「A
国のX社がもっと安い値段で作ると言っているぞ」と脅かされれば、「わかりま
した。ウチも同じ値段で頑張ります」と言わざるをえないのだ。
 そして実際、町工場は「そんなコストダウンは無理だよ」と当初思っていたコ
ストダウンを達成してしまう。そこからまた新たなコストダウンの要求がはじま
り、新たなコストダウンをなんとか達成したと思ったら、また新たなコストダウ
ンの要求がやってくる。それをなんとかやり遂げたらまた……、というくり返し
である。
 日本の中小企業は、コストダウンの嵐を耐え抜いて、分野によっては人件費の
安い発展途上国の製品よりも安い製品を作っているのである。

 ある大メーカーの部品部門の責任者がかって言っていたことがある。
 「うちの会社は世界中で製品を売っています。だから販売チャンネルを通じて、
その国の有力下請企業はだいたいわかっています。今まで現地組立の部品はなる
だけ現地生産にするということで、色々な国で、生産の指導をやってきました。
 あっちに手伝いに行ったり、こっちの不良の原因を探ったり、私自身が現地生
産の実現のために関係した海外工場だけでも、数十に達するでしょう。ある国で
は合弁で、ある国では向こうの資本で。ある国では、大量に研修して、ある国で
は、指導員を送り込んで、やってみました。ところでそれらの工場で、日本より
も総合的にみて安い工場がいくつあると思いますか。1つもありません。見かけ
のコストは安くても、アフターサービスの費用、不良品が出た時の処理費用等々
総合してみると、結局一番安いのは日本の、この工場なんです。」と言っておら
れた。全部が全部そうだというわけでもないのだろうが、日本製品が発展途上国
製品と裸で競争してもそこそこの競争力を持っている事実はあるようだ。


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●外国の工場では真似できない日本の中小企業の地道な技術力

 「発展途上国の技術はいつかは日本に追いつき、早晩日本を追い越すだろう」
 という類のことは、1970年代から言われていた。”早晩”という言葉の定
義にもよるが、日本が欧米の技術に追いついたように、東南アジアの国々が日本
に追いついたかといえばそうではないだろう。
 ある食品加工機械メーカーの社長は、「むしろ私どもは外国製の機械を買って
貰った方が良いんです」という。 「そこではじめて私どもの機械のきめ細かさ、
信頼性、メンテナンスに対する姿勢がわかっていただけます。」

 プラザ合意以来の円高で、日本企業は急速に欧米に、東南アジアに進出を拡大
したのだが、しかし海外に進出したのは第1次円高の時がはじめてでは決してな
い。三十数年前からコストの安い海外で生産するという構想はあって、海外工場
はできていた。そこで生産する努力は続けられていたのである。しかし日本の製
造業が空洞化する、脅かされるという話にはならなかった。
 なぜかといえば、発展途上国での生産がなかなかうまくいかなかったからだ。
 ある会社に勤めていた私の知人は、入社数年ののち、東南アジアの工場で働く
ことになった。いまから、二十五年ほども前のことである。彼はその工場で現地
の従業員を指導し奮闘したが、結果はあまりかんばしくない。工場の技術水準は
あがらず、期待されていた製品をつくり出すことができない。当然、日本にいる
上司から叱られる。
 日本であれば、「地方に工場を作ったが、技術水準が上がらず、とうとう製造
を断念した」などという話はありえない。ところがその国ではそういう事態にな
ったのだ。だから、毎日といっていいいほど電話で怒鳴りまくられていた。「投
資をはじめてこれで三年。なんでこの程度の製品がお前の国じゃできないんだ。
A県にこしらえた工場だって、B県につくった工場だって、三カ月ほどの期間の
教育と投資で、ちゃんと製品をつくっている。それなのに、お前の国では三年間、
莫大な投資をして近代設備を入れ、技術者を招聘して日本で訓練し、優秀な指導
員を派遣して現地でも従業員教育をしているのに、まともなものがいつまでたっ
てもできない。いったいお前は三年間、何をやっていたのか。お前のやり方がま
ずいからだ。工夫が足りないからだ。努力が足りないからだ。従業員とのコミュ
ニケーションが悪いからだ。英語が下手だからだ。顔がまずいからだ。カミさん
の態度がおかしいからだ。いや性格も問題だ」と、メチャクチャをいわれていた。
彼は泣きながら努力していた。それでもできなかったのだ。少なくとも二十五年
前はそうだった。当時こんな話はめずらしいくなく、日本から進出した海外の工
場は、だいたい似たりよったりの状況だった。
 自説だが、モノづくりの心は、そうかんたんに移転できるものではない。紙に
書かれた知識をそのまま実行して良い物ができるのならば、海外でも簡単にでき
るだろう。しかしモノづくりと言うのはそんなものではない。
 昔、発展途上国ブランドの製品が日本のディスカウントショップの店頭を席圏
したことがあった。しかし今はいくつかのモノを除いてどこかに引っ込んでしま
った。
 最新の生産設備を導入すればそこそこのものはできる。しかし機械だって故障
するし、故障とはいわないまでも機嫌が悪い時がある。いうことを素直に聞くと
は限らない。象つかいのような人が、象の機嫌をとりながら、餌を与え、けっと
ばし、時にはムチをふるってはじめて良い製品が安定してできる。
 パソコンをやったことのある人なら容易に理解できるはずだ。マニュアル通り
にやっているつもりなのにちっともマニュアル通りにならない。良く知っている
人が見れば簡単に解決する問題に二時間も三時間も無駄にする。いくら一生懸命
やっても直らない。とうとう面倒臭くなって、ギブアップ。ということがおこる。
 生産用の機械設備はパソコンよりは遥かに複雑だ。制御装置(パソコン)に実
際の機械がくっついているわけだから、数段ややこしい。しかも、家庭のパソコ
ンだったら「こんちくしょう」でおしまいだが、企業では、直接的にコストに響
いてくる。
 生産設備が絶対壊れないのならば、同じモノを壊れない設備でずーっと作り続
けるのならば、発展途上国でもいいものができるかも知れない。しかし、機械は
故障する。製品の設計が変わる。その時、柔軟に、すばやく、的確に対応できる
かどうかがポイントだ。
 外国の工場が、日本の町工場の技術を持とうと思ったら、並大抵のことではな
いのだ。だいたい町工場の職人の技術というものは、おいそれと真似できるもの
ではない。長年にわたって培われたカンや観察力を受け継ぐのは、理屈でどうこ
う言う次元のものではない。
 たとえば鋳物をつくるとき、日本の職人さんは、鋳物の型が開かれた状態でお
かれているのをなんとはなしに見ただけで、”湯の踊り方”がわかるという。鋳
型に”湯”を注ぐときは、型は閉じられていて、中がどうなっているかはわから
ない。が、ぼんやりと開かれた型をながめるだけで、注ぎ口からはいった湯がど
う流れ、ひっくり返り、どんな順で充填されてゆくか、どこに空気だまりができ
そうかを考える。「最初にバーッと勢いよく入れると中の砂をえぐるから、最初
はゆっくりで、後は勢い良くてもいいだろう」とか、「あそこが空気を巻き込み
そうだ。このくらい入れたら、そこからは慎重に入れた方が良さそうだな」など
と、鋳型にやさしい注湯法を考えるのだ。
 最近の機械は最適制御などという機能をもっているが、町工場で働く人は、そ
の機能を自分の中にいつのまにか身に付けているのだ。だから、いい製品をコン
スタントに生産できるのだ。

●熟練工がすぐに去って行く発展途上国、不況になっても熟練工がやめない日本

 発展途上国をはじめ外国の工場の問題点は、ほかにもある。せっかく育てた従
業員が長くその会社で働いてくれないことだ。日本を除く諸外国では転職は当た
り前のことである。従業員百五十名の工場で、1年間に採用した人数が三百人と
いう、ほとんどウソみたいな話がゴロゴロしている。もちろん全員が入れ替わる
わけではなく、あまり入れ替わらない部分(十年選手も珍しくない)と、二ー三
年のタームで入れ替わる部門と、三ヶ月おきくらいに頻繁に人が入れ変わる部分
というふうに分かれるモノなのだが、いずれにしろ愛社精神という類の心は希薄
だ。なかでも入れ替わりが激しいのが、ノウハウが必要な現場労働者だ。
 これでは、その工場の技術レベルはなかなか上がらない。飲食店の店員であれ
ば、今日雇った人をその日から使えるし、翌日交代しても大きな問題にはならな
い。しかし、現場労働者は違う。機械の取扱い方は(ことに最近のように複雑に
なると)数週間から場合によっては数カ月の訓練が必要だ。(ノウハウというレ
ベルではなく、単に動かすだけというレベルでも)
 優秀そうな若者を日本に研修に出して、機械の操作法を覚えさせるのだが、こ
れが他社の引き抜きで1年も経たないうちにいなくなってしまう。しかも、日本
では覚えてきたノウハウを部下や同僚に洗いざらい教えるのが当たり前だが、発
展途上国では、ノウハウは転職あるいは賃金交渉の際の大事な武器だから、部下
や同僚にも肝心な部分は教えない。どえらい費用を掛けて研修に出した若者が引
き抜かれた後、残った人間の中には、誰も扱える人がいないという事態が頻発す
る。

 大工業国のアメリカも似たりよったりだ。いくつかのスーパーエクセレントカ
ンパニーを除いて、従業員の転職は多いし、企業に対する忠誠心など期待できな
い。
 最近のアメリカは好況が続いておりレイオフの話はあまり聞かないが、アメリ
カ企業は業績が少しおかしくなると、すぐにレイオフにとりかかる。一番簡単な
経費削減手段だからだ。ところがレイオフにはややこしいルールがあって、レイ
オフは、勤務年数が短い順にやらなければならない。そうするとどちらかといえ
ば若い人がレイオフされる率が高い。レイオフ期間中は一定期間賃金が補償され
るが、最近はレイオフの周期も長いから、ちょっと気がきいて有能な若者なら、
レイオフ中にその企業に見切りをつけ、新しい企業に転職する。
 その後、業績が回復すると再雇用するのだが、ちょっと気が利いたのは他社に
行ってしまった後だから、「ちょっと気が利かない」若者と古株が職場復帰する。
これでは、効率も上がらず、不良品も出やすい。だから業績が悪化する。不景気
がくる。またレイオフとなる。そんなレイオフが五回も六回も続けば、残った人
材のレベルがどんなものになるかは想像がつくだろう。
 それに比べて、日本の中小企業はどうだろうか。日本的な終身雇用制もあって、
従業員がかんたんに辞めることはあまりない。仕事のきつさに早々と退散する者
はいるが、多くはひとつの会社、工場に残り、ノウハウを伝承、さらには工夫し
ていく。
 不況が会社や工場を襲ってきても、同じだ。会社はかんたんにクビを切らない
し、従業員は会社の空き地の草むしりをしたり、現場の清掃をしたり、普段忙し
くてできなかった倉庫の整理や、床ペイントの補修をしながらその会社にとどま
る。そのあいだにも学習会をみんなで開くから、会社としての技術のポテンシャ
ルが落ちることはない。

 金型の技術者育成のためには、終身雇用体制が向いている。
 だいたい町工場に代表される中小企業が得意とする鋳物や金型の世界では、そ
の工場ひとつひとつに伝承されてきたクセのようなものがある。同じようにお得
意さんもまた同じようにその会社の風習がある。担当部長の好みのやり方がある。
A社方式、B社の癖といったものがある。柳生新陰流、新免二刀流、円月殺法と
いうものと同じ。別にどちらがあっている、間違っているというものでもない。
その会社でやってきた長年の習慣のようなものだ。下請工場にも同じように、好
みのやり方、得意な加工法がある。実は、機械もその他の設備も、そのクセに適
合するようになっている。だから、A金型企業の技術者が、B金型企業に移ると、
結構戸惑う事が多い。このクセをマスターするのには半年、一年という時間と経
験が必要だ。実はこれもコストを安く、早く作るための重要なノウハウなのだ。
 いったんクビを切って新しい人を入れたのでは、このような風習を理解するだ
けで、半年、1年かかってしまう。日本の場合、クビを切らず草むしり、学習会
で耐えるから、不況が終わり、景気が立ち上がったときに、すぐにフル回転でき
るのだ。

●「そこそこ食べていけるから頑張れる」日本の町工場、財テクに走る外国の企業

 日本の町工場の経営者と発展途上国の経営者の考え方の差は極めて大きい。
 発展途上国の企業家特に華僑系の経営者にとって商売は天職のようなモノだ。
考え方ははるかに自由で、国際的で柔軟だ。経営するのはメーカーでも商社でも、
金の投機でも、不動産開発でも同じレベルの経営対象として冷静に比較できる。
 製造業は確実に儲かる分野だが、設備投資が大きく、柔軟性に欠ける。だから
発展途上国の経営者は、製造業に乗り出して大成功して羽振りがよくなったとき、
より大きな儲けを得られそうな商売に大胆に乗り換えてしまうことも少なくない。
鋳物屋さんが不動産で大成功。いつの間にか鋳物は廃業という事態が頻繁に起こ
る。むろん製造業は設備投資が必要だから簡単に止める訳にも行かないが、まと
めてM&Aで売り払うという手段がある。
 目下発展途上国経済は通貨の不安定化で大騒ぎであるが、個々の事業家にとっ
て影響は比較的小さいはずだ。なぜなら、現地の資本家は昔から国際的なディー
リングを日常的に行って保険をかけてきたからだ。日本の中小企業の社長はドル
で預金するなどということは極く最近まで考えつきもしなかった。せいぜい、割
ショーにしようか、定期預金にしようかという選択だ。
 しかし発展途上国の企業家は資金がたまると、アメリカに三分の1、シンガポ
ールに三分の1、自国銀行に三分の1分けて預ける。息子も、長兄はアメリカに
留学させ、次兄は香港に住まわせ、三男を自国で鍛える。いざという時の保険が
あちこちに掛けてある。自国の通貨が混乱しない事の方が望ましいが、混乱して
も影響は限定される構造になっている。
 庶民レベルは経営者達と同列には論じられないが、何らかの形で保険は掛けて
いる。日本のおばあさんは、年金を貰うと、郵便局にかけ込んで「老後の蓄え」
に貯金するが、発展途上国では、タンス預金か裏金融で運用を考えるのが常識だ。
 だから、日本の場合は、民間の余剰資金は完全に国内だけで還流し、設備投資
資金になり、公共投資の財源となって、近代化を押し進める事ができたのである。
 例えば韓国は今経済的には苦境にあるが、それ以前から裏金融がさかんな世界
である。この裏金融市場、月二〜六分でまわる世界である。こんな世界があると、
さして儲けにもならない鋳物や金型をつくってお金を得るのが馬鹿らしくなって
しまう。製造業は確実に儲かるが、足が遅い。人数×いくら 以上には絶対儲け
られない。工場で地道に儲けた資金を裏金融市場につぎ込む例も多い。はるかに
利益率が高いからだ。
 日本のように、税金を払うくらいなら、工場を拡大し、技術を磨き、人を育て、
苦労に耐えて……と言う自律的発展プロセスにはなかなかならない。
 現在の発展途上国が、日本の発展過程に較べて圧倒的に不利なのは、日本とい
う強敵がすぐ隣にいて、慢性的競争状態を生み出していることだ。
 いつも中小企業の社長に冗談を言っていたのだが、日本の社長は儲けるために
工場をやっているのではない。単に昨日作っていたから、今日も作っているのだ。
いわば慣性の法則で作っているのだ。だから、不況で赤字操業を余儀なくされて
いても、「赤字はきついが、まあ、従業員がそこそこ食べられるし、俺も何とか
食えてる。そのうち良い時代が来るだろう。今は我慢我慢。」とか何とか言いな
がら平然としている。こんな競争相手がいるということは、発展途上国の実業家
にとっては大変な迷惑な話だ。
 発展途上国の実業家は(先進国だって同じだが・・・)儲けるために事業をし
ているのだ。すぐ横で「俺はモノ作りが好きだから作っているのだ。儲かるかど
うかは別の問題だ」という妙な実業家が、安くて品質の高いものを、納期通りき
ちんと納める商売をしていれば、営業妨害もいいところだ。しかも、すぐ手が届
くところに、月二分以上で回る財テク市場があるのである。これじゃあ事業意欲
を失って、財テクで稼ごうと考えるのも、むべなるかなだ。


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●だれもがめんどうくさがらずに仕事をこなす“奇跡”

私はこれまで全国1988の工場を訪ねて歩きまわってきたが、ただ見学して
いるだけではわからないことも少なくない。やはり、「今日は見学者がいる」と
いうことになると、社長も気合いを入れるし、従業員も構えてしまうからだ。そ
こである夏に休暇をとってダイカスト工場で三日間ほど働かせてもらった。通産
省の人間であることは内緒にしてもらい、ふつうのアルバイトとして使ってもら
った。こちらが頼んだ話だから、むろん無給である。
その現場で働いてみて私がつくづく感じたのは、日本の従業員というのはほん
とうに”気のきく”“働き者”であることだ。
 実際に現場で作業をしてみると、1つ1つの仕事がものすごく面倒になる。作
業の中には、”念のための検査”というようなものが多い。やらなくたって、不
良なんてほとんど出ない。しかし何かの拍子ででることがある。このような退屈
な1つひとつの仕事を、現場の職人はきちんと、丁寧に、めんどうくさがらずに
こなしていくのである。
そのうえ、気が利く。何日も工場にいると、色々な「事件」がおこる。その時
だ。一見、退屈そうに仕事をしていたまわりの従業員たちが、なにか機械にトラ
ブルが起きると、パッと目の色が変わる。ある者は溶接装置を取りに走って溶接
工に早変わりだ。ある者は機械工となり機械によじ登り、機械の点検をはじめる。
あるものは電気工になって、制御装置をいじりはじめる。横を見ると、べつの人
が金型を外すために一所懸命になっている。あちらでは空気圧の系統を調べるた
め、パイプを叩いている。ボーッと立っている者や、ノロノロとめんどうくさそ
うにしている者はひとりとしていない。そうこうするうちに機械は元通りに動き
はじめる。そうすると、何事も無かったように、退屈そうな作業が再開される。
その見事なチームワークには頭が下がった。
この「めんどうくささ」を超え、チームワークで事故に対処するところにこそ、
日本の職人の凄さがあるといってよい。
私がしばしば足を伸ばす鋳物工場を見ていても、そのことはわかる。鋳物の工
場ではドロドロに溶けた鉄の“湯”を注ぐとき、1400度から1350度のあ
いだで注ぐことになっている。この“湯”加減を職人さんは、温度計も無しに、
十度刻みで見分けることができるという。
 “湯”というのは、注いでいるうちに温度が下がってくる。最初容器に受けた
ときは1400度でも、鋳型に順に注いでいくうちに時間もたつし、量も減って
くるから、加速度的に温度が下がってくる。もし決められた温度以下になった“
湯”を注げば不良品が生産される。同じ鉄でも”相”が違ってしまうから、いい
鋳物にならない。それを知っているから、職人も温度には敏感にならざるを得な
い。
彼らは“湯”の表面をじっと見て、「松葉だ」とか「紅葉だ」「牡丹だ」とか
口にする。
たしかに“湯”の表面をよく見てみると、牡丹の花が咲いたように表面にいく
つかのカーボンの島ができている状態があったり、全部が拡散している状態、あ
るいは長いシマになっている状態、表面にスーッと筋のようなものがはいってい
る状態といろいろある。彼らはその微妙な違いを見分けるカンをもっている。“
湯”の表面にできる模様を見て、「牡丹」のような表面ならおよそ何度、「松葉」
の表面なら何度と判断しているのだ。
そして、“湯”の温度が下がってきて、これ以上はダメだなと思ったら、作業
を打ち切る。元湯を汲みに戻る。温度の下った湯は捨てて、もう一度高温の湯を
ついで最初の作業に戻る。彼らはその手間を惜しまない。町工場で働く職人にと
って、不良品をつくることは恥なのだ。
このように鋳物の現場でも、職人が1人ひとり、めんどうくさがらず働いてい
るから、高い品質を保っている。
 モノ作りというのは、オーケストラのようなものだ。どんな名指揮者が来たっ
て、楽団員の腕が悪くてはどうにもならない。99人の腕が良くても、1人が
妙な音を出せば音楽はぶち壊しだ。1つでも楽器の調律が悪ければどんなに腕が
良くても良い音楽にならない。椅子が座り心地が悪ければ楽団員は落ちついて良
い演奏はできない。ホールが悪ければ、価値半減だし、聴衆が煎餅をボリボリか
じっていたのでは、せっかくの音楽も台無しだ。

 周辺環境を含めて、全員が良い物を作ろうと思い、力を合わせなければモノづ
くりはできない。しかもその作業は一時的なものではない。今日も、明日も、一
年先も、十年先も変わらない努力が必要なのだ。
 この“奇跡”が発展途上国で可能かと言えば、「はなはだ難しいだろう」とい
うのが私の答だ。これは鋳物に限らない。一般に素形材とか、鋳鍛造品と呼ばれ
るモノに共通だ。
だから私が真剣に恐れているのは、日本の鋳鍛造品業が衰退することではなく、
(たぶん奇妙に思われるだろうが)、むしろ世界でまともな鋳物・金型をつくる
ことのできる国が日本だけになってしまうことである。
鋳物・金型などは機械工業の基本である。工作機械も繊維機械も建設機械も自
動車もトラックも、このような素形材がしっかりしていなくては、よい製品には
ならない。それなのに、肝心のしっかりした素形材が日本以外の国ではできない
となれば、大きな貿易不均衡を招き、世界経済にとっては不幸だ。
 その意味で日本がほんとうに世界に輸出しなければならないのは、町工場の精
神なのかもしれない。

●情報流通の速さ、正確さを支えている町工場の組合

社長からヒラの従業員までが汗水たらして働く日本の町工場は外国の工場が真
似しようとしてもなかなか真似のできない“驚異”なのだが、発展途上国をはじ
めとする外国にとって、さらに“驚異的”なのは、“驚異”の町工場が、ひとつ
の町に何軒も、いや何十軒も集積して技を競いあっている事だ。
 たとえば日本では「○○地域にこういう鋳物ができる鋳物屋さんがいます」と
いえば、周辺には、同じ程度の鋳物ができる鋳物屋が何軒かはあると思って良い。
実力のある町工場がいたるところにあり、しかも競争しつつ協力し合っている
から、日本の大企業は安心して部品の発注をできるわけだ。この「一匹いれば百
匹いる」という現象には、もちろん秘密がある。それは、各種業界それぞれがも
つ組合制度だ。
たとえば、鋳物であれば「××県鋳物工業協同組合」、あるいは「全日本鋳物
工業協同組合」「日本強靱鋳鉄協会」「鋳造技術協会」といった団体がいろいろ
ある。そのうえに、機械工業連合会などのような大連合団体、商工会、法人会と
いった組織もあれこれある。こうした組合や協会、懇話会、異業種交流等の会合
によって、日本の町工場同士で情報はまたたくまに伝わり、さらには町工場同士
のライバル心があおられる。その結果、町工場の一つひとつが努力するので、一
つの都市に質のいい町工場がゴロゴロ存在する風景が生まれるのである。
たとえば、町工場の社長が組合の定例会に出たとする。そこには、同業の社長
がたくさん集まって、あれこれ話をしている。そこでは、さまざまな噂話がとび
かう。「××工場が浜松のプラス電機の注湯機を買ったらしい」という噂が飛べ
ば、次の会合で××工場の社長にそれとなく尋ねる者が現われる。「こないだ買
わはりましたプラス電機の注湯機はどないですか」と聞いたとき、××工場の社
長が「いや〜、えらい調子ええですわ」と言うか「いやあ、あきませんわ」と答
えるか、それはわからない。ただ、口でウソをついたとしても、返事のしかたと
か顔つきを見れば、ほんとうのところの見当はつく。
これはうまくいっているなと判断したら、もう他の町工場も負けてはいられな
い。同じような自動注湯機の発注の検討をはじめる。××工場には、死んでも遅
れをとるまいとする。こうやって、このあたり一帯の設備や技術レベルが高いレ
ベルでそろってくるという具合いだ。
逆に、あの会社の買った機械は具合が悪いらしいと判断したら、その機械はこ
の付近では売れなくなる。だから工作機械ディーラーも真剣にサービスせざるを
えない。このようにして、よい設備と悪い設備を選別することも、会合に出かけ
た社長たちの仕事だ。
この組合という“情報システム”は日本ではごく当たり前のものだが、他の国
にはあまりないし、あってもうまく機能していない。たとえば韓国や台湾を含め
東南アジアの国々は、十年くらい前までは冷戦下にあり、組合をつくることがで
きなかった。大きな「機械工業連合会」のような組織はあったが、鋳鍛造品など
はメインではないため部会活動も活発でない。おかげで町工場の社長には隣の同
業者がどんな設備で、どんなやり方でモノづくりをしているのか、知る機会はさ
っぱりない。日本の我々の方が、各種の調査団の資料から整理した情報を持って
おり、良く知っていたぐらいのものだ。日本の調査団が見学に行くと、むしろ訪
問先にその国の業界事情について教えてあげることの方が多かった。
 これでは情報不足で、技術革新のきっかけもつかめないし、切磋琢磨しようと
いう気にもなれないだろう。


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2章 中小企業成功の秘訣

●“できっこないこと”が、儲けのタネになる

町工場や中小企業というと、「あくせく働くわりには儲からない」というイメ
ージが強く、事実そういう側面もあるが、現実に、町工場や中小企業のなかには、
大企業が思いもつかないようなアイデアを生みだして儲けている例だって結構あ
る。日本の中小企業はたんなる大企業の下請けではなく、大企業をうならせ驚か
せるアイデアの“生産工場”でもあるのだ。
 しかしそのアイデアは、自然に出てくるというものでもない。お得意様に無理
に絞り出すことを強要されているというところがある。つまり、親企業のコスト
ダウン要請という名の”脅し”だ。「この値段以下にしなければ、海外で作らせ
るぞ」というやつだ。
群馬県のある部品屋さんは、真鍮製の歯車を作っていた。この歯車によって、
ギアチェンジの際噛み合うギア同士の回転数が同期し、ギアチェンジがスムース
になるのだが、この歯車を半分にコストダウンしろという無理難題を命じられて
しまった。
当然のことではあるが、簡単にできる話ではない。なにしろこの歯車は、材料
代が価格のかなりの部分を占めている。いったんは「できっこない」と頭をかか
えたのだが、コストダウンしなければ注文そのものが無くなってしまうのだから
たいへんだ。必死でアイデアをめぐらすことにした。もしコストを削減するとし
たら、材料代以外に方策はない。この真鍮製の歯車、真鍮でなければならない理
由があった。鉄どうしだとぶつかった衝撃によってギアが割れたりヒビがはいっ
たりしやすい。やわらかい真鍮なら、衝撃を吸収する潤滑の役割を果たせるのだ。
ただ、真鍮はコストが高い材料という難点ももっていた。
部品屋の社長は、この高価な真鍮の部分を減らすことを考えた。要は表面が真
鍮であればいいのだ。そこで鉄の鋳物でつくった歯車の表面を、やや厚めの真鍮
でおおうことを思いついたのだ。このときのポイントは、鉄と真鍮の接合面にヒ
ビがはいらないようにすることだが、そこを研究し独自のノウハウで解決した。
こうして中味は鉄鋳物、表面だけ真鍮の歯車が生まれ、親会社の要求どおり半
値とすることができた。発注元の要望にはこたえたものの、利益は生まれてこな
い。親会社は半値でしか引き取らないから利益は前より減少してしまったくらい
のものだ。それでも、この部品屋は「親会社はひどい」と、ぶつくさ言いながら
も計算は合っているのだ。なぜかというと、このコストダウンに成功した技術を
さまざまに応用して、安価・高性能の部品を開発し、他の会社に納入したのであ
る。これまでの完全真鍮製の部品と比べ七割程度の値段で納入された部品は、評
判が良く、そちらの方でおおいに儲けることができたのである。
“できっこない”ようなことをやりとげた技術力が、その後強力な武器となった
わけであるが、それは親会社の強引ともいえるような要求がなかったらありえな
かった話だ。無理難題があったからこそ、部品屋の社長は知恵をめぐらせ、これ
までになかった低コストの商品を思いつくことができたのだ。
だいたい中小企業の経営者は、現場の仕事に忙しく、なかなか新分野にチャレ
ンジするという気分的余裕がない。むしろ中小企業は、無理な注文を引き受ける
ことで、無理やりアイデアをひねり出す方が効率的で、そして、そのアイデアは
確実に需要があるし、現場で生まれたアイデアであるだけに、実戦的、実用的な
アイデアなのである。



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