中小企業が滅べば日本経済が滅びる   橋本久義著

  PHP研究所刊 


プロローグ――大震災で見直された日本の中小企業の底力


★「なでしこジャパン」に重なる中小企業の頑張り

なでしこジャパンのサッカーW杯決勝戦(二〇一一年七月)には興奮させられた。相手は、今まで勝ったことがないアメリカチーム。上背はあるし、足も速そうだ。
 試合開始早々から押されていた。ハラハラしっぱなしだった。ゴール枠の横棒が十二人目の日本選手であるかのように大活躍してくれた。
 神への祈りが通じたか、前半戦を何とか〇ー〇で持ちこたえた。後半戦に先に得点された時には「あれだけ押されてたんだから、しかたがないな」と思えた。しかし終了九分前、相手のクリアミスを宮間が押し込んで同点。やったぞ!なでしこ! 
 そして延長戦は、一点ビハインドのまま終わりそうだった。「いやー。準優勝でいいよ。なでしこジャパン。よくがんばったよ!」と私は弱気になっていた。多くの人がそうだったのではないか。
 ところが、延長戦終了の僅か三分前。宮間選手のコーナーキックに沢主将が飛び込んだ。アメリカの選手とからんだが、沢の右足が僅かに前に出て、ボールがゴールネットを揺らした。歓喜爆発!
 そしてPK戦。
 どうも私個人は、PK戦には良い思い出がない。くやしい思い出ばかりなのだが、今回は天が日本に味方した。海堀選手に鬼神がのり移ったかのごとくボールを止めてくれた。アメリカにはツキがなかった。(世界レベルの試合のPK戦で3本目まで連続してはずすというのは見たことがない) まあ、しかしそれも実力のうちだ。松下幸之助先生も「運のええ人をつかいなはれ」とおっしゃっておられる。
 そしてなでしこジャパンの優勝だ。東日本大震災の被害の大きさに呆然とし、意気消沈している日本の人々に、どれほど大きな勇気を与えてくれただろうか。
 なでしこジャパンの主力選手の大部分が働きながら練習をしているという。レジ打ちをしたり、旅館の仲居さんをやったりしながら、劣悪な環境の中で、家族にあやまりながら、睡眠時間も犠牲にしながら練習を続けてきたらしい。遠征資金もままならず、優勝してフランクフルトから凱旋する飛行機もエコノミークラスの座席だという。素晴らしい。


 そしてその姿は日本の中小企業の生き様に重なって見える。
 乏しい資金をやりくりしながら、少ない人員で懸命に頑張る。圧倒的に不利な状況の中を、粘って粘って粘って、いつの間にか同点に持ち込んでいる。中国金型との価格競争などその典型例だ。中国価格を提示され「この値段でやれないのなら、中国に注文を出すぞ」と脅かされ、「やれるもんならやってみろ。手直し、手直しで、あんたが苦労するだけだぞ!」と腹の中では思いながら、そんな思いはおくびにも出さず、「いやー、○○さんもひどいなあ。でも何とかしましょう」と引き受け、材料を節約し、加工工数を減らし、電気をこまめに消し、機械油の一滴も節約して、最後は何とか、ギリギリ同点引き分けに納めてしまうのだ。
 そしてPK戦になれば、高ぶる心を抑えて、あせらず、驕らず、決して有頂天にならず、冷静に相手を良く見極めて、しっかり得点するのだ。すばらしい。
 多くの学者・評論家に「日本企業は、なぜそのような地位に甘んじているのか?」「儲からないのは、日本の製造業に経営の力がないからだ」と非難されているが、考えてみれば、日本企業は、まさに「人として歩むべき正しい道」を歩んでいるのではないか。


 良い物を作って世界の発展に貢献しているが、決して不当に儲けようとはしない。
 顧客の喜びこそ我が喜び。代金の多寡を忘れて顧客のために頑張る。自分は喰うや食わずの慎ましやかな暮らしをしながら、機械と工具には身分不相応なほどの金をかけ、時間を惜しまず手入れを怠らない。そして、寝ても覚めても顧客のために、新しいやり方安いやり方、便利なやり方を考えている。
 なんだか昔読んだ本によく似た暮らしをしている人の話が載っていたなと思ったらキリスト様だった。
 「神様のような暮らしと善行じゃないか!」
 そんな正しい行いを続けている人間が、不幸になるはずがない と私は思いたい。



それにしても2011年3月11日の東日本大震災、それに引き続く津波。そしてそれによって引き起こされた福島第一原子力発電所事故という一連の事件は日本の中小企業にとって過酷な試練だ。
 東日本大震災・津波で亡くなられた方々に心から哀悼の意をささげますと共に、東日本大震災、津波、福島原発事故で被災され、あるいは避難を余儀なくさせられている方々に、出来る限り早い復興をお祈り申し上げ、私達としても可能な限りの協力を惜しまないことを誓わせていただきたいと思います。

 しかし、リーマンショックの影響がまだ色濃く残り(おそらく、七割程度しか回復していなかった)、中国・韓国等の諸国に追い上げられて極めて苦しい時期に、このような大災害がおこり、しかもその後、これから長く苦しめられると予想されるというのも、今までの日本の生き方に何かおかしなところがあったからかもしれない。
 対立する利害を調整するために地道に努力し、汗をながし、罵声をあびながらも必死に漏水の穴を塞ごうと努力している人達を馬鹿にし、自分は勉強もせずに実現不可能な理想論を振り回し、他人の批判ばかりをしているような人間がはばをきかせるようになっていたのも事実だ。
 中国では徳のない王が即位すると天変地変が起こり、世は麻のごとく乱れ、やがて革命が起こるというが……。
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 東日本大震災の数ヶ月後、被災地である石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田等々の町を訪れた。早く行きたいと思っていたのだが、迷惑をかけるのがいやで遠慮していたのだ。ある会合で出会った社長に頼まれたことがあったので、それを口実に訪問することにした。
 被災地に入って息を飲んだ。今までテレビで見てはいたのだが、現地に行ってみるとスケールが違う。
 向こうに見える数キロメートル先の山の麓までが瓦礫の原だ。
 大きな船が三階建てのビルの屋上に微妙なバランスで乗っかっている。港の広場に大型の船が鎮座している。海上には黒焦げの船が並んでいる(海に流れ出た原油に火がついて海が一晩中燃え続けた)
 今まで見たこともない光景の与える衝撃の上に、油とヘドロと腐った魚の入り交じった何とも言えない臭い……。 
 津波の恐ろしさは想像を遙かに超えていた。
 その中で希望が感じられたのは、瓦礫だらけの町だが、道路はかたづけられ、新しい電柱が立てられ、電線と電話線が張られていたことだ。電線の先は瓦礫原しかないから、何に使っているというわけではないようなのだが、私の目には非常に力強く感じられた。
 そして地元の人々は通り過ぎる自衛隊の車両に手を合わせておられた。
 今回の地震は、規律正しく、努力をおしまず働く自衛隊の皆さんの有り難さを国民すべてにわからせてくれた意味があったと思う。


ーーーー中略ーーーー

 しかしこんな状況の中でもうれしかったのは、困難の中で、日本の中小企業同士が助け合い、時には犠牲を払っても仲間を助けようと動き始め、東北の仲間支援の輪が確実に広がっていることだ。
 材料・副資材や工具類、食品や電池を届けたり、東北からの帰りの車で顧客への製品の輸送を代行したり、測定器、標準機を貸してあげたり、加工を代行する等々……メール・ツイッターでやり取りをしながら助け合っているという。
 ある工場で機械の位置が地震で狂ってしまったため、据え付け直そうと、「水平器が必要なのだが……」とツイッターでつぶやいたところ、全国から四〇本も届いたという。
 しかし、震災後半年を経て、困難の中から再びチャレンジをしていこうという人達が少しずつ立ち上がり始めている。先日津波ですべてを失った会社の社長にお会いしたら、プレハブの工場に中古の機械を据付けて仕事を始めたという。「皆に助けられて、何とか仕事をはじめました。工場はプレハブです。機械や道具は、工業会の仲間がわざわざ古いモノを運んで持ってきてくれました。仕事はポツポツですが来ています。今使っているプレハブの前に二棟目のプレハブ工場を計画しています。そうなれば、昔うちの工場で働いてくれていた仲間も呼び戻せます。え、彼ですか?今は重機の免許を取って瓦礫を片付ける仕事をやっているといっていました。」

★ライバル同士が、いざというときの支援者になる

 震災の一週間後に訪問した鳥取市にある鳥取メカシステムの林正人社長は、「最近バタバタと、東北地方の仲間からSOSが届いています。今茨城県の企業の従業員が五人ほど泊まり込みでこちらに来て、私どもの持っている機械を使って、納期の迫った製品の仕上げをやっています。あさってには、岩手県の企業が10人ほどのチームを送り込んで来たいと連絡がありました。もちろん、来てもらいます。」と言っておられた。
 関西の会社の社長は「震災の影響で、うちの工場も忙しくなりました。東北の工場に頼んでいた分がこちらに来ているのでしょう。でもうちの従業員にきつく言っています。『火事場泥棒のようなまねは絶対するな。東北の仲間が何か頼んできたら、最優先で、言い値でやってやれ。』ツイッターで援助の要請があったら、極力協力しています」

ーーーー中略ーーーー
 
今回ほど工業会という組織の意味が大きかったことはなかった。鋳物工業会、ダイカスト工業会、自動車部品工業会等々が、傘下企業の被害状況をいち早く調査し、経済産業省に報告するとともに、メンバーに被災企業の救援を依頼をした。工業会の仲間は同業者だから、状況を一言聞けば何が足りないのか、何が必要なのかポイントがすぐにわかる。また同じような機械を持っているから、倉庫に入っている使っていない機械を提供することもできる。ベテラン作業員をつけて派遣すれば、復旧はあっという間だ。
 本来はライバル同士なのだが、こういった、緊急時の連帯は強い。これが日本のすばらしいところだ。ライバル同士が競い合い、励まし合いながら、発展のために力を尽くしている。
 仲間に何かあれば、助ける努力を惜しまない。
 海外においてもそうだ。日本企業は「日本人商工会議所」のような親睦団体をつくって協力し、情報交換をする。タイの水害においても日本人商工会議所が情報交換の一つの要になった。ライバル同士が協力し、助け合う。すばらしい。日本人は閉鎖的だと非難される原因でもあるが、そのような習慣は大切にしたいモノだ。



 本書は、東日本大震災以前から企画されていたものだが、大震災とその後の経済情勢を見るとき、ますますその企画意図は、明確になったと思う。
 折から2011年7月、池井戸潤著の小説『下町ロケット』が、第145回直木賞に決まった。町工場の人々が、資金繰りに苦しみながらも大企業と張り合い、独自のバルブ技術を宇宙開発のロケットに搭載させようと奮闘する姿を描いて感動を呼んだ。
選考委員の一人は、まさにこの震災後、落ち込んでいる中小企業の人々を励ますような作品と評し、ドラマ化も決定したという。ここに登場する町工場が、どこの会社をモデルにしたのかは知らないが、今回、私のこの本には、いくらでもモデルになりそうな会社がある。
 つまり、日本の中小企業が持っている底力、その可能性をもっと日本人は認識すべきなのである。そうすれば、大震災以前からあり、大震災によってさらに強まった日本経済の、底なし沼のような無力感から、誰もが脱することができるだろう。その願いをもってこの本を世に問いたいと思う。
 東日本大震災後の、超円高・電力不足の中で海外シフトを加速させている大企業が目立つ。海外も、賃金上昇、山猫スト、天災等々でなかなか楽ではないのだが、円高傾向が予想され、増税、電力不足が必然視されている日本よりはマシだろうと、「海外に拠点を持たなければ今後取引をしない」と中小企業を脅かしている大企業もあると聞く。
 しかし一旦海外に拠点を移したら、日本に戻ってくることは非常に難しくなる。
 今ならまだ間に合う。日本のものづくりの基盤はまだ損なわれていない。日本のものづくり基盤を今後も維持していくために最大限の努力が望まれる。
 野田首相は2011年8月の民主党代表選挙の際の立候補演説の中で、「下町ロケット」を読み、資金繰りに苦しむ中小企業に手をさしのべなければならないと思ったといっておられる。二五年間一日も駅頭演説を欠かさなかった野田首相の地道な努力の継続に期待したい。

 平成24年3月                        橋本久義