高校に入って、ラグビー部の門を叩いた。当時は朝から晩までラグビーばかりだ った。主将が練習が大好きな人で、元旦まで練習をした。 なんでこんな思いをしなくちゃならないんだろうと夕陽を見上げながらいつも思 ったモノだ。 ところが、ラグビーばかりやっていたら、1年生最後の模擬テストが250人中200 番近かった。さすがに反省。こいつは一大事と大奮起、2年 3年 はガリ勉に 比重を移動した。 今考えてもよく勉強したと思う。一生を通じてこれほど勉強した時期はなかった し、勉強する事が面白かった時期もなかった。 やみくもに覚えた式や、解法が、ある日統一された体系として目の前に現れてく る。「なるほど。してみるとこれもきっとこうじゃないか?」と思うとその通り。 数学・物理の体系というのはなんて奥深く美しいモノなのだろうと思った。 この感激はなかなか味わえない。 (パソコンをいじり始めた初期に、「なるほどうまいことできとるわい」と、 類似の感じが味わえたが・・・) その経験から、受験戦争肯定論者である。 一生に一度くらい、朝から晩まで勉強する時期があっても良い。 高校時代の思い出に残る先生は現代国語の米田清一先生だ。 西戸山中学校で最もお世話になり、思い出も深い米田孝子先生の実兄でいらっ しゃる。こんな奇遇も珍しいだろう。  あだ名は「でんべいさん」だった。米田をひっくり返して音読みにしたもので あるのだが、「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」の伝兵衛を彷彿とさせて、なか なか風貌に似合ったあだ名だったと思う。 米田清一先生の授業はまことにインパクトのあるもので、「おまえらは、こうい う読み方しかできないだろうが、本当はこういうふうに読むのだ!」と べらん めぇ調の授業で、椅子の上であぐらをかいておられた時もあった。私としては、 モノの見方、考え方を根本から教わったと思う。「なるほど、国語と言うのは 『言葉の意味を知る』ということ以外にこんなにも意味のある勉強だったんだ」 と、心底から思った。 特に三島由紀夫、井伏鱒二、などの講義の時には天地が逆になるくらいの衝撃を受けた。 (とはいえそこは不肖のの弟子であるからして、なかなか滴々承伝如瀉瓶とはい えず、真意が伝わったかどうかはなはだ疑わしいが・・・・。)  中学校・高校と、最も尊敬もし、影響も受けた先生がたまたま実の兄妹である というのも、本当に珍しい偶然だろう。 蜷川先生という日本歴史の先生がいらっしゃって、この先生の授業もなかなか 微に入り、細にわたって、「へー歴史って面白いもんなんだなあ」と思わされた。 それ以来歴史は決して嫌いではない。なかなかまとまって勉強するチャンスはな いが、できることなら、地場産業の歴史を比較考量するような研究に早く手をつ けたいと思っている。