橋本久義先生とオートバイの関係は、 「 くしゃみ先生と猫」の関係に似て、切っても切り離せない関係にある。
よく「趣味ですか?」と 聞かれるが、趣味ではない。必要だから乗っている。
今も渋谷の自宅から大学まで、雨が降っても槍が
降っても単車だ。
たまに電車で行くと、トラブルばかりで、「こんな不便なものに、みんな良く我慢して乗っているなぁ」と感
心する。
単車であればドアツードアで5分で到着できるし、夜中だろうが、早朝だろう
がOK。
渋滞であっても、するすると抜けて出られる。場合によっては歩道をバイパス
通過、一方通行逆走も可能だ。
学校以外も、100キロから150キロ圏内であれば 単車を使うことが多い。横浜まで40分。高崎80分。こ
の便利さは、新幹線もかなわない。
ホテルオークラ、ニューオータニ、プリンス等で開かれる講演会にも単車で乗り
付けるので、ときどき「宅急便の入口は向こうだよ」と、ボーイに怒られる。
多くの人に「寒いでしょう」と同情されるが、実は案外寒くない。むろん乗用車ほど快適とは言えないし、寒いのは事実で、時々は現地到着後、体中がかじか
んで口もきけない状態が続くこともあるが、それは年にほんの数回の話で、恐ら
く大部分の人が考えておられるよりは遥かに暖かい。使い捨てカイロという便利
なものもある。
トラックやバスと並んで走っていると、運ちゃんが「寒いだろう」
と気を使って、排気ガスをブーッと一吹きしてくれる。これでしばらく暖かい。
(夏は熱くて死にそうになる)
「あぶないでしょう」と心配する人が多いが、乗用車よりずっと安全だ。乗用車は恐い。乗用車の場合快適すぎて、注意をしていても、ついウトウトと居眠り運転をしそうになる。
単車は事故を起こせば命にかかわるし、もともと居眠りす
るような環境でないから、居眠り運転は考えにくい。
居眠り運転さえなければ、 事故なんてそう簡単に起こるもんじゃない。
おまけに駐車も楽だ。乗用車だと、駐車場探しが到着後の大仕事になるが、単車なら歩道に留めておける。最近は単車も駐車禁止でやられているが、自動車よりは頻度が低い。
寒風吹きすさぶ中、雨に打たれながら走っていると、「男の約束を守るために 疾駆する男」、「急げ安兵衛。高田の馬場へ!」「落ちぶれ果てても平手は武士
じゃ。行かねばならぬ。そこをどいて下され。行かねばならぬ!! 行かねばなら
ぬのだー!!」という悲壮な感じがして、何ともいえない。
マスクの中は汗と、涙と、鼻水、よだれ、雨水が微妙に入り交じって、これまた
何とも言えない。
高速道路の料金所のおじさんも、「この寒空に、良い歳して単車に乗ってるの
は、何か深い事情があるに違いない。きっと不景気でリストラされてしまったん
だろう。奥さんも病気がちなんだろう。子供は落ちこぼれなのだろう」と同情心
一杯で、切符のもぎり方も心なしか優しい。
「寒いのに御苦労さんだね」と、優 しい励ましの言葉が掛けてもらえることもある。
きっと、私が走り去った後、 「ああいう良い人が失業しているのも政治が悪いせいだ」と、政府の無策に怒り
が向けられているに違いない。
当然のことだが、排気量が少ないので乗用車に較べて燃費は安い。(しかしい
つも疑問なのだが、私の単車は1リットルで約20キロしか走らない。カローラは
十数キロメートル走ると思うのだが、排気量が6分の1しかないのになぜたっ
た20キロしか走らないのだろう。)
もちろんデメリットもある。最大のデメリットは汚れることだ。何と言っても 排気ガス濃度が非常に高い空間を勢い良く走っているわけだから、Yシャツの汚
れが凄い。特にトンネルがあると悲惨だ。
以前信州の金型の名門=エムケー樫山 の樫山社長に呼ばれて佐久まで講演に行ったのだが、挨拶したあと、じーっと見
ていた樫山さんが「顔もみっともないが、シャツを着替えないとみっともない」
と、急拠事務員を呼んで、スーパーから、新品のシャツをわざわざ買ってきてく
れた。今も愛用している。まる儲け。
2番目は、電話が受けられないことだ。乗用車のように「もしもし運転」がで
きない。これは結構不便だ。
3番目は軽く見られることだ。 以前講演会が終了後「講師の先生を見送らなく
ては」というので、幹部が大挙して見送りに来てくれた。そこで、単車に乗る姿
を発見して一同仰天。 「今まで数多くの講師をお迎えしたが、単車でこられた先生を
見送るのは初めてです」と言っておられた。
それはいいのだが、幹事の社長さんの口の利き方が急に「俺」「お
まえ」になり、それ以降、扱いが非常にゾンザイになったのが気になる。
第4はお巡りさんに時々親しげに話しかけられることだ。 「お巡りさんも寂しくて、話相手がほしいのかな?」 と思うと大間違い。 多くの場合罰金を取立てようという魂胆だ。これが何とも不愉快だ。おまけ
に時間がやたらにかかる。
先だっても、羽田空港の、高速道路への導入路 (従って、自動車専用道であり、高速道路の一部だといっても差し支えない道だ。) を走っていたら、もの陰に隠れていた白バイの若い警官が嬉しそうに出てきて「スピード違反だ」という。
彼の言い分によれば、「一般道を時速86kmで走ったので、26kmの違反だ。」
という。 しかし、危険であったかと言えば何ら危険ではない。他の車も同じほどの速度で走っている。
高速道路の導入路で、スピード違反の取り締まりををやれば、それは面白いように捕まるだろう。 しかし、「交通の安全を確保し、事故を未然に防ぐ」という、法律本来の目的とは何の関係もない。単なる嫌がらせだ。そこで、私が、「そもそも、隠れていて、違反車があると嬉しそうに出てくるようなやり方はフェアでないし、法律の本来の目的を達成する上で、効果がない。」 ことを種々の例証をあげながら、辛抱強よく説得したのだが、まったく、動じる気配もなく、ひたすら書類の記入を続ける。
そこで、更に話を発展させ、本来の警察官としての使命がどこにあるのか、人間としてどう生きるべきかという、人間の生きる道を示す大事な話をしたのだが、全く無神経に 「ここに拇印を押して……。」 というような、低レベルの発言をする。
全くもって、耳は何の為についているのか! 眼鏡のツルをとめるためじゃないんだぞ! 人の道を聞くためじゃないか! どうすれば、正しく生きられるかを聞く為じゃないか! と、実に嘆かわしい思いをした。
それでも、単車は便利だ。
これぞ名車ベビーライラック
歴史的には、私が単車に乗り始めて、これで50年になる。
中学2年生の5月(1959年)。満14才になった3日後に学校をさぼって鮫洲の自動車運転免許試験場に行き、原動機付自転車一種免許(原一免許)
を取得した。(当時は満14才で原動機付き自転車の免許が取得が可能であった)
オートバイ雑誌の「売りたし」欄でみて、当時
8,000円で名車ベビー・ライラ ック号(90CC、シャフトドライブ、丸正自動車製)を買い込んだ。90CCのままで
は原1免許では乗れないので、近所の自転車屋に頼んで、少しごまかして50CCで登録して、カミナリ族の末席に連なった。
朝から晩まで、分解したり組み立てたり、ちょっと調節して「少し早くなった」
「燃費が少し良くなった」と喜んでいた。
高校生になった時にはトーハツ、ホンダなどオートバイ3台を所有していた。
以来、西ドイツにいた3年間を除き(この時はベンツ=もちろん四輪に乗っ
ていた)常に単車が私の足であった。
私は本当は乗用車の方が好きで、大型免許まで持っているし、人並以上に4輪
にも乗るが、目的地までの時間が確定出来ないのが困る。
オートバイであれば、大学(六本木)から品川駅まで、ぴったり10分。
羽田空港まで22分。渋滞無関係。この便利さには替えられない。
現在もスズキ・アクロス X-250 に乗っている。なぜアクロスを選んだかとい
うと、スタイルが好きなのと、通常ガソリンタンクが設置されている部分が、ヘルメット入れになっていて、ガソリンタンクは後ろの荷台の下あたりにある。だ
から、地図や雨カッパや、マスク、高速道路券、等々がしまっておける。これが便利だ。
また、私の先輩の大山信氏、岡部武尚氏が潟Xズキで研究所長をやっていたことも
大きい。
本当はもっと大きな排気量のもの(750cc〜1300cc)にしたいのだが、この
ような収納スペースを持ったタイプはアクロスしかないので我慢している。(何と今は発売中止になっている!)
愛用 して既に14万キロ以上走っているから、単車としては凄い距離だ。
1959年 ベビーライラック(90CC)
1961年 加えて トーハツ(125CC)、ホンダスポーツカブ(55CC)
1963年 ホンダスポーツカブを公用車に選定。
1964年 トヨタマスターライン(2000CC トヨペットクラウンのバン型)もちろん4輪です。便利大工の営業用
でも、オートバイもよく乗りました。
1969年 マスターラインを廃車 ホンダスポーツカブに戻る(通商産業省に入省し便利大工が出来なくなったため)
1976年 ホンダドリーム(250CC)
1978年 西ドイツに赴任 メルセデス・ベンツ(2000CC)を中古で購入 この3年間はオートバイは持っていない。
1981年 日本に帰国 ホンダR−125(125CC、2気筒2サイクル水冷式)
1994年 カワサキZー250(250CC、2気筒4サイクル水冷式)
1995年 スズキ アクロス(250CC、2気筒4サイクル水冷式)
1997年 娘用にカワサキ、バレット250CCを購入
1999年 息子用にスズキRZ400Fを購入(したがって、現在我が家には3台のオートバイがある)
橋本久義ホームページに戻る