
Welcome to Ubusuna note
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産土(うぶすな)とは、生まれた土地のことをいいます。また、その土地の守護神である氏神(うじがみ)さまのことを「うぶすなさま」と呼び親しんでいます。僕の住む家の裏には鎮守の森コンサートが開かれる御霊神社の森があり、そのむこうに神社の社があります。森に咲く小さな花や、木々の梢でさえずる鳥は、僕の日常の風景そのものです。木漏れ日の午後などに、森にたたずんで、過ぎていく時間を五感で味わうのは最高の贅沢です。新装うぶすなノートは、これまでの雑記帳やEVENTなどを統合して、それこそ森で感じる勝手気ままな垣根のない思惑のようにとの思いをもって、再スタートすることにしました。 |
| 21歳の別れ |
2009.3.21
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| ユーキくんが、鎮森スタッフとして仲間の輪に入ったのは高校生のときだったっけ。大学に進学して僕んちにギターを習いにやってきた。右手の中指がないことを少し気にしていた。小さな肉腫が見つかって転移を避けるため中指を切断した。青春のまっただ中にいるユーキくんには、過酷すぎる試練であったろう。しかし、彼は持ち前の明るさでこのリスクを受け入れ、前向きに生きていた。中指がなくてもギターが弾けるかと問うユーキくんに、「まったく問題ない、小指ならちょっとコワモテになるのでヤバイけど」などとキツイ冗談を交わしたりしていた。まったくの初心者からのスタートだったが、よく練習してコードもすぐに覚え、アルペジオなどフィンガー奏法にも果敢にチャレンジしてマスターしていった。小学生、高校生、大学生、おっちゃんというギター教室の仲間とともに、レッスン日には欠かさず参加して、よく努力した。半年が経過して、いよいよこれからという頃になって、ユーキくんがぱたりと来なくなった。来なくなったのではなく来れなくなったのだった。病気が再発したため治療に専念することになったためだった。昨年の暮れに見舞いに行ったときには、明るい表情で、数日後に退院できるので学校に戻ろうと思っているとのこと。僕も、またギターができるねと、気持ちよく別れてきたのだった。それから数ヶ月、今週、東京の叔父が亡くなったとの知らせがあり、仕事の合間を縫って東京へ上り、葬儀を済ませて帰宅すると、ユーキくんが亡くなったという知らせ。一瞬言葉が出なかった。骨肉腫という病の怖さは聞いてはいたが、あまりに早い彼との別れだった。祭壇のユーキくんは、今にも語りかけてくるようだった。多くの若者達が葬儀に参列していた。悲しい葬儀だった。人は死を避けることはできない。だけど、人生これからという若者の死はあまりに辛い。年齢に親子ほどの差があっても、ともに音楽という世界に遊ぶ楽しさを分かち合ってきた仲間であったユーキくん。今年も鎮森コンは開かれる。彼の年齢に近い回数を数えて。天国に逝った彼の魂に届く楽しい音楽祭にしたい。 | |
| 山麓の風景(葛城王朝のロマンを追って) PHOTO |
2008.2.3
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| ubusunaノートは、毎度のことながら秋から冬へ一足飛びです。で、今日は節分。季節の変わり目には邪気が集まるとかで、「鬼は外、福は内」と唱えて豆(魔滅)を撒き、邪気を追い払うという節分恒例の豆まきが行われます。 ところで、嫌われ者の鬼が時に神として畏怖されることがあります。葛城山を行場としてその名を後世ににとどろかせた山岳宗教の祖とも言われる役の行者(役小角)はその代表です。小角は前鬼、後鬼という二人の供を連れていました。水戸黄門の助さん、格さんのようなものですが、小角の供である前鬼・後鬼は、その異様な風体と人間離れした強靱な体躯、そして突出した運動能力から本当に鬼のように思われていたのでしょう。小角が開いた吉野山の蔵王堂や、大峰山の麓の天河神社では、いまも「福は内、鬼も内」と唱えます。全国の追い払われた鬼を救済するということだそうですが、むしろ鬼のパワーへのあこがれがあるように思えます。鬼と神、対極にある力は、権力の構造が代われば神は鬼になり、鬼は神にもなれることを示しています。 ところで、この伝説のスーパースター役小角は、鴨族の血を引く者とされています。この鴨一族と関係が深いのが葛城氏族です。実は、金剛・葛城山麓から葛城川一帯には、ヤマト王権成立以前に巨大な王権が存在していたといわれています。ここ葛城の地には、延喜式神名帳にも登場する格式のある神社が多数集まっており、それらに鎮座する神様は、大国主命の子とされているアジスキタカネノヒコやコトシロヌシという鉄器具や田の神様であり、ここが古代の先進的な農耕生産拠点であったことが伺えます。 近年、弥生時代後期の鴨都波遺跡や、巨大楼閣の跡が出たヒビキ遺跡など、巨大王権の存在を彷彿とさせる遺跡が発掘され、時代的にもヤマト王権以前に巨大な王権が存在していた可能性が確実視されています。巨大な王権を築いたとみなされる葛城氏は、鴨族の中から出た政治集団・王族の血統氏だとみられます。 葛城の山麓からは大和盆地を挟んで対面に三輪山山麓が見えます。三輪山山麓の地は、飛鳥王朝につながるヤマト王権の起点の地です。この二大勢力が互いに向き合って権力を誇示した時代があったのです。 ヤマト王権成立に深くかかわると思われる神話があります。古事記や日本書紀に、葛城一言主神社の祭神・一言主と雄略天皇(倭の五王のひとり・実在の可能性が高い)が出会う物語です。同じ物語でも古事記では、雄略が葛城の神(一言主)を畏れ敬います。日本書紀では、互いに弓をつがえようとします。そして、続日本書紀では、一言主は天皇の怒りに触れ土佐に流刑されます。当初、ヤマト王権も畏れた葛城の神は、時代が下るにつれて、その地位を蔑まれてさえいます。まさに鬼と神の関係です。天つ神の血を引く雄略と、国つ神の血を引く一言主。いつの世にもある為政者によくできた物語です。つまるところ葛城王権は、雄略(ヤマト王権の大王)によって攻め滅ぼされ、その後歴史から姿を消します。このあたりの歴史は教科書には出ていませんから、興味は尽きません。ちなみに、先のヒビキ遺跡では、楼閣が短期間に焼けたと見られる痕跡が見つかりました。やはり、焼き討ちにあったのでしょうか。 さて、この葛城一帯には、神話にあるアマテラスの天孫降臨伝承や神武東征にかかわる神代から現世への物語の場所があちらこちらにあり、地名もそのまま残っています。歴史事実はさておき、神代の物語に興味がある方にもおすすめの一級古代史スポットです。そんなこんなで、いま、僕のマイブームなのです。今回は、おすすめスポットの写真も紹介しておきますね。 |
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| ほっとするひととき(彼岸花を数えてかつらぎ町天野へ) |
2007.9.30
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| 暑い夏でした。ほんとうに秋がやってくるのか心配なくらい。しかし、季節は今年も間違いなく秋を運んでくれました。霧雨の日曜日。少し遅い彼岸花を見ようと車を走らせました。ふと、かつらぎ町天野の里に行ってみたくなりました。ここには、空海ゆかりの丹生都比売神社があり、山里にこんなりっぱな社があることにも驚かされたのですが、それにも増して山間に広がる田園風景がなんとも心和む空間で、心の隅から懐かしい想いがしみだしてくるようで僕のお気に入りの場所の一つでした。山道にたれ込めた雲を抜けるとぱっと広い山里が現れます。少し時期が遅かったので黄金色の稲穂は刈り取りられた後でしたが、雨に洗われて霧が漂う初秋の空気を存分に味わうことができました。帰り道、一件の「かふぇ」を見付けました。観光にはほど遠い(これがよかったのですが)山里に、ログハウスっぽい手作りハウスです。気になってちょっと寄りました。マスターは大阪から1年半通ってこのハウスをご自身で建てられたとか。テラスから、天野の里が一望できて素敵です。萩もススキも目の前にあって、これでお月様が山から上がると最高なのにねと問うと、残念、後方に登ってくるようで。でも、田んぼに水が入る時期に、鏡のように光る水面にお月様が映し出される風景をイメージして、是非その季節に来てみたいと強く思いました。おいしいコーヒーとシフォンケーキをいただきながらゆったりと広がる山里の風景を満喫していました。目の前に広がる空間がなぜこんなにゆったりしているのだろうと不思議に思っていましたが、その間、一台の車も前方の道を走ることがなかったことに気が付きました。マスターも、あちこち土地を探していたそうで、一目でこの場所を気に入ったそうですが、その気持ちは、とてもよく分かります。天野の里はずっとこのままであってほしいと思いますが、この「かふぇ」も風景にとけ込んでいい感じ。なんとかうまく共生していってほしいと思います。「かふぇ」の名は、「かふぇ 思季 うらら」といいます。天野の里に行ったら、ぜひ立ち寄りたいと思うお店でした。写真は正月の丹生都比売神社と、家の近くの五條市霊安寺町の田園風景です。
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| 赤ちゃんフクロウの試練 |
2007.5.5
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もう7、8年も前のことになるけど、鎮守の森コンサートの夜にフクロウの赤ちゃんが木から落ちて、巣に戻れなくなっていたのを、しかたなく1ヶ月ばかり飼うことになってしまったことがあった。最終的には母親フクロウが赤ちゃんフクロウを連れ戻しに来て一件落着となったのだけど、今日、舞台づくりなどで準備作業をしている最中に、フクロウの赤ちゃんが木から落ちているとの報。あれあれ、またかと、当時、どうしたものかとうろうろしていた自分を思い出していた。経験とは大した知恵だ。ふくろうの赤ちゃんが木から落ちることはよくあることをその後知った。強い足の爪で樹皮に取り付き、まだ飛べない羽を羽ばたかせて木登りをすることも知った。それでも登れないときには、母フクロウが子どもを抱えて飛び立ち、木の上に連れ戻すことも分かった。(以前の事故の際にしばらく飼うことになった赤ちゃんフクロウと僕との最後の別れの時がそうだった。)フクロウにとっての最初の厳しい試練に、人が手を貸すことは不要だと理解した今は、そっとしておいてあげようと思えるようになっている。ただ、地上に居る間に、野良猫や野犬に襲われはしないかということは気になるが。今回も、ばたばたとやみくもに羽をばたつかせ、どんどん道路の方に行こうとするので、しかたなく手袋をはめて、樹の根元まで連れ戻した。足の爪で手の甲に血が滲むほど強く掴まれながら。きっと母フクロウはどこからかこの様子を息を潜めて見ているのだろう。1時間ほど経ったかな。みんなに写メを撮られまくられた赤ちゃんフクロウは、すでに姿を消していた。 夜、高い梢の上からホーホーと親フクロウの鳴き声が鎮守の森に響いた。きっとその横には、「ああ、こわかった」と丸い瞳をいっそう丸くして佇む赤ちゃんフクロウがいたはずだ。 |
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| 第17回鎮守の森コンサート |
2007.2.25
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| 今日、ちょっとしたイベントがあって出演依頼したミュージシャンの、たこちゃんに久々に会って、それで、結構早くに今年の鎮森のゲストが決まっていたにもかかわらず、HPの更新、ほったらかしで、そうや、たこちゃんにもバッキング願ってるんや、これははよう更新せんといかんな、帰ったらまずこれをしようと決意して・・・、とだらだら書いてます。 スペシャルゲストは小坂忠さんです。70年代半ばに忠さんが出したHOROというアルバムを買ったときのことを懐かしく思い出しているのです。細野晴臣、松本隆、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆、山下達郎ら、そうそうたるメンバーが参加してリリースされた日本のポップス黎明期の名盤です。アルバムの表も裏もすべてアルファベット、といっても日本語のローマ字打ちなので、その読みにくかったこと(笑)。でもジャケットは実にアメリカっぽくて、かっこよかった。いま、改めてそのレコードジャケットを見てます。30年以上も前の作品だとは思えない。曲もいまだに強烈なインパクトがあります。 忠さんは、敬虔なクリスチャンで、もうずいぶん前に、となり街のとある教会に演奏に来られたときには、ええっ、こんなところに小坂忠、うそやろう、とびっくりしたことを覚えています。残念ながらそのときはどうしても行けなくて、まさか、こんな自分が主宰するコンサートでごく自然に会える日がやってくるとは、そのときは思いもよらなかったことでした。不思議です。会えるのですね。人はどこかでつながっています。ただし、時間はかかりました。忠さんは赤いちゃんちゃんこの還暦を過ぎ、僕も五十路の半ばです。(ミュージシャンの還暦パワーはすごいよ。昔の還暦とはぜーんぜん違いますから) 僕には、会いたいミュージシャンがまだたくさんいます。でも無理矢理会うことはありません。だれかがいつも近づけてくれるのです。レールは敷かれています。音楽というレールです。人の世話をすることが多くなったいま、楽器をさわることがめっきり少なく、いやほとんど手にしない毎日ですが、音楽のレールは、ローカル線でもさび付いてはいませんから。そうそう、忠さんの曲には、機関車という僕の大好きな曲があります。聴けるかな、聴けたらいいな。鎮森ファンのみなさん、ぜったいおいでね。来ないと一生損するよ。 |
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| 春です。 |
2007.2.10
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| 暖冬です。庭の梅の花が満開です。例年より1週間ほど早いです。この花にいつも春の雪が積もります。でも今年はその気配がありません。梅に雪が積もると渓流の季節を想います。でもその気配がないのです。困ったものです。photo | |
| 葛城の道 |
2006.10.29
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| 今回は、お腹周りが気になってきた中年にオススメかもしれません。秋の気配を感じながら歩くことにしました。普段は、ほとんど歩くことがない生活なので、たまには体を使ってやらないとという気持ちもあったのでしょう。で、五條から近い御所市の「葛城古道」(といってもほんの一部だけど)を歩くことにしたのです。 古道といえば世界遺産登録で一躍有名になった大峰・熊野古道を連想しますが、 金剛、葛城、二上山の麓を南北に延びる葛城古道は大和朝廷よりも前に栄えた、葛城王朝の幹道として由緒正しい「古道」です。この道沿いには、葛城一族や鴨一族にまつわる遺跡が多く残っています。古刹の寺や神社も多く点在しています。僕は、とくに宗教に興味のある人間ではないので、寺社仏閣詣が目的ではないのですが、道の各所にこのような歴史的遺跡が点在しているのは、ちょっと知的な触発もあってうれしいですね。 ところで、葛城古道も、古道ブームの影響か、最近は訪れるハイカーも多くなったようです。それでも穴場中の穴場の道に変わりはないでしょう。これまでも無名に近い観光ルートで、車での縦走は不可能だし、田畑のあぜ道を行くような道が続く分、風情があります。全国鴨神社の総本宮である高鴨神社を出発点に天孫降臨伝説の高天彦神社、一言主神社を経て九品寺へ。これが南半分の道。ゆっくり半日コースです。これらの古刹には、これまでも車でちょいちょい寄ってはいるのですが、これらを連続して通過するには丘陵を縫うように巡る古道を歩くほかはなく、自分の足で歩くのは実は初めてのことでした。 葛城古道の「売り」は、大和三山を始め、大和盆地や遙か彼方の吉野山地が一望できる風光明媚な丘陵地帯に在ることでしょう。また、観光化にはほど遠い田舎の道であることもいい条件です。さらに付け加えれば、アップダウンもきつくなく、息切れの中年にはもってこいのハイキングコースです。実にのんびりと、空と大地を五感に感じながら歩くことができるのです。忙しい日常から解き放たれるような気がするのは、古道の持っている特徴かもしれませんね。写真を撮りながら道草をしながら、ほんの少し汗をかきました。まだ紅葉は始まったばかりです。野辺の小さな花が心を和ませてくれます。自動販売機などもありませんから、飲料水は必携です。 PHOTO |
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| 油断大敵 |
2006.9.12
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| 久しぶりです。まあ、みなさん聞いてください。嘘のようなホントの話。実はHARUは釣りが大好きなのでございまして、春は渓流、秋は海と、貴重な週末(ほんとは、ぐたあっと寝ていたいのですが)を、気持ちに鞭打って釣りに走るのであります。ここ数年は太刀魚釣りに魅せられておりまして、すうっとウキが沈んでいってからの駆け引きの時間が何とも楽しいのです。波止からの太刀魚釣りは基本的に夜釣りで、夕刻から明け方まで、すなわち徹夜なので翌日はまったく堪えます。ま、そんなことはどーでもいいのです。 さて、太刀魚釣りを始めた頃は、かまれると指が飛ぶぞなどと脅されておりましたのでが、あのどう猛な顔、鋭い歯に多少の恐怖を覚えておりました。釣った後も暴れる魚を、ぎこちなくタオルでおそるおそる掴んでおりましたが、何度も釣り上げて慣れてくると素手で首ねっこを掴んで、首(かどうか)の辺りをハサミですぱっと切って即死させることがフツーのことになっていました。で、先日、釣り上げた太刀魚が、ハリを奥深く飲み込んでおりまして、なかなか外せないので、首をすぱっと切って、胴体とお別れさせてしまいました。(野蛮やねえ)で、胴体をクーラーに入れて、それからハリを外そうとハリスにぶらさがっている太刀魚の頭を持ったその瞬間、口を開けてお亡くなりになっていた(はずの)太刀魚が僕の指にぱくっと食いついたのであります。 えっ、何、信じられない出来事に、とにかく慌てて口をこじ開けたのでありますが、すでにヤツの鋭い歯は僕の人差し指と親指に20数カ所の穴を開けた後。滲み出す赤い血にやっとかまれたことを実感。あまりに鋭い歯で、痛みがあまりないのが不思議でした。すごい生命力。いや、生命はもうないはずの頭が噛みついた。これはもうホラーですよ。泣きながら笑ってしまいますよ。 一緒に釣りに行ってた友人がリバテープを持っていたので拝借して指根っこをきつく縛って血止めをしましたが、太刀魚の反逆に敵ながらあっぱれ、感動すら覚えました。(ウソです)いやあ、油断大敵とはこのことですね。皆さんも気を付けてください。といってもこんな経験はめったにすることはないでしょうが。ところで、HARUはそれからどうしたか、ますます、太刀魚が気に入って、ただいまオリジナル仕掛けを開発中。いま考えているのは、開けた口を閉じさせないようにするグッズ。こんなもの誰も使ってくれない。トホホ。 |
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| 星と新緑と侵入者と |
2006.5.5
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| ひとり、十津川の山中で2日間過ごした。今年の連休はこれでもかというくらいの上天気で、谷奥の渓流は輝く新緑の世界だった。芦廼瀬川上流部を白谷とよぶ。石灰岩系の石が多く、まさに白い川に透き通る水がとうとうと流れているすばらしい渓流だ。今回は釣りより写真撮影を主にして徘徊した。夜は車がカプセルホテルになる。エアベッドで寝る。降り注ぐ星を窓の外に見ながら寝る。最高の気分。 熟睡して目覚めると、ひんやりと肌寒い薄明かりの早朝。ゆっくり朝食の支度をし体を目覚ませる。朝食で暖を取り、いざ出発。林道を30分、谷を30分歩いて、そこで竿を出す。くりくりっと竿尻に伝わる感触。天然あまごにほれぼれと見入る。10匹を超えたので竿をたたんで再び谷を下る。周りはすでにまぶしいくらい光があふれている。水の色、若葉の色、空の色、それぞれがしっかり自分の色を主張してなんともいえず美しい。やや疲れた体を引きずりながらも最高の気分で居住地に無事帰還。と、なんですか、これは。テーブルの周りにごみが散乱。よく見ると、パックご飯やラーメン、カップのみそ汁や菓子類も、何もかも引きちぎられ穴を開けられ、からのポリの袋があっちこっちに。しまったあ。出かける前に荷物の整理をして、食料の袋をコンテナからわざわざ出して風通しの良いテーブルの下に置いたのが間違いだった。ああ、昼ご飯がなくなったあ。最高の気分が一挙に最低の気分●●● それにしても、いままではこんなことはなかったのに。侵入者はおそらくカラス・・・いや、見てはいないので濡れ衣なら申し訳ないけど。でもタヌキやイタチなどではない。だってみそ汁カップにクチバシでつついたような穴があいてたもの。さすがに中身は穴を開けたもののおいしくなかったのでしょうね。お味噌がうにゅっと出てました。最近はアウトドアがますます盛んになって、釣り目的ではない家族連れキャンパーがほん近くにもおいででしたから。味をしめた盗賊カラスの仕業でしょう。うーん、もいう1泊しようと思ってたのに。ブルー。とぎれることなくさえずるウグイス。ココココと心地よく山に響くくキツツキのドラミング。すべてが緑に染まる新緑の森。そしてそういう景色にあまりに似つかわしくない侵入者。これも何かの警告なのでしょうか。というわけで、早々に退散。帰り道、温泉に浸かってうっとおしい気分を洗い流しました。とさ。photo |
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| 美しい村 |
2006.5.1
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| 和泉山脈の和歌山側、三国山麓あたり一帯に点在する堀越、大久保、平、東谷の四つの集落を称して四郷とよぶ。柿の生産量日本一を誇るかつらぎ町の奥深い山里だ。四郷は串柿の里としても有名で、晩秋には玉すだれ状の串柿が家々の軒にゆれる。 奈良の吉野地方の山と異なり、遠目には女性的な優しいふくよかな山並みに見える地形なのだが、実際に車を走らせると、けっこう谷は深く、水量も豊富なのに驚く。山肌には、激しい隆起によってできた和泉山脈を証明するように、ところどころに縦縞の地層がむき出しになっていたりして、思わず息をのむような厳しい風景にも出くわす。隆起と断層を繰り返した地質のせいか、やたら滝が多い。役行者が修行したと伝承される行場がいたるところにあるのも頷ける。 五條からは2,3時間ののドライブコースとして、僕はよくこちら方面に出向くのだが、行く先々で美しい村に出会えるのはうれしい。奈良県は山の深さでは、はるかに奥深く野性味にあふれてはいるが、美しい村はなぜか少ない。なぜだろう。何が違うのかと考えたが、そのひとつが看板や標識の数であることに気づいた。奈良県に比べ圧倒的に道路沿いの標示物が少ないのだ。広告看板はもちろん、公共の掲示物や、自動車標識の数も少ないように思う。なぜそうなったのか、理由は分からないが、紀ノ川ををはさんで左岸側、高野山の麓のとある山村では、掲示物をほとんど見かけないところもある。電柱と電線がなければ100年はタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。そして不思議なことに気持ちが一挙に優しくなる。 僕は山里を車で走るときは地図を持たない。もちろん車のナビゲーションはまったく役に立たない。それがまたいい。感覚で懐かしい景色の方へと走る。で、今回も美しい村に出会えた。四郷の一村、堀越もそのひとつだった。こんな山の中にと思うような場所に突如明るく開けた村が現れる。遅めの桜も含めて、さまざまな花が競い合って咲いていた。堀越の癪観音とよばれる寺に立ち寄った。標高700メートル付近。実際の標高よりもっと高いところに来た感じがする。美しい村には美しい心の人が住むというが、どうなのだろう。それもまたたしかめてみたいと思った。photo |
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| リセット2 |
2006.4.25
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| 気持ちをリセットすることは体のためにはとてもいいことだ。だけどしたくてもできないこともあるよね。今日はJR福知山線の電車事故から1年という日やった。愛する人を一瞬にして失った悲しをリセットできるのやろか。おそらく、死ぬまでリセットされることはないのやろうね。ただ、こんな大きな事故が起こるたびに、人間の無力さを感じてしまうのは僕だけじゃないだろう。いくら科学が進歩したといっても、操るのが人間である以上リスクは絶対に避けられない。くしくもチェルノブイリの原発事故から20年。大きな事故がおこるたびに、これを教訓にというのがお題目になっているけれど、人類はいまだリスクの大きなものを未来に伝えないという強く確かな勇気をもちえていない。便利であることが人類にとって幸せであるとは限らない。わかっているのだけれど。 | |
| 若葉 | 2006.4.25 |
| 10日ばかり、仕事に追われて森を見る間もなかったのだけど、明るいうちに森に入る時間ができて行ってみたよ。みてよ、この芽吹きの若葉。初夏の日差しを待ちわびて、それこそ木の枝から湧くように出現する。すごいエネルギーだ。1日が1コマのフィルムにすると1年36コマ。その1コマでこんなに大きな変化が見られるのはこの季節しかないのです。鎮森コンまであと2コマ。そのころ樹木は、光る若葉でゆっさゆっさと揺れているでしょう。Photo 歳時記へGO | |
| リセット |
2006.4.23
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| ここ半月ばかり、HPの改装工事にはまっています。1年ぶりのことですわ。ほぼ、自分のHPがあることも忘れかけていたのが、鎮森のおかげで思い出しました。鎮森の更新せんといかんわいな、思い腰をあげて更新し始めたのですが、なにやら既存ページが古くさく思えてきて、ついでやから、ちょっとさわってみようか・・・なんて。それがズルズルと更新地獄への扉を開いてしまった、という次第。1年の蓄電といえばかっこいいのでありますが、ただの怠惰だったわけで。生活の大きな変化もあって気力がぷっつん切れておりました。そう考えると、やっぱ鎮森はありがたい。1年1度のリセットやからね。また、ぼつぼつ始めますわ。 | |
| 春の息吹 | 2006.4.15 |
| うぶすなPhoto歳時記の1回目は、鎮守の森コンサートを待つ御霊神社本宮のスナップです。森を歩くとけっこういろいろな花が咲いていることに気づきます。散りゆく花もあればこれからが盛りと咲き誇っている花もあります。鎮守の森コンサートは毎年5月の第2土曜日。この頃は新緑が目にまぶしいくらい木々はその生命を謳歌しますが、今はやっと新芽がふきはじめたばかり。冬に体内にため込んでいたエネルギーを爆発させる瞬間を待っているかのようです。もしも神社にお参りされたら、境内からそっと森の中に入ってみるといいですよ。空気がちがうのです。五感に響くものがいっぱいあります。目を閉じれば小さな宇宙です。 Photo歳時記へGO |
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