北海道国際航空は何故失敗したのか

                                                                                         コミュータービジネス研究所
                                                                                                       代表 矢島 征二

1. 始めに
    2002年6月25日、新聞報道によれば北海道国際航空株式会社(以下ADO)は民事再生法申請を行い、全日空との提携により生き残りの道を模索している。 しかし、再建できるのか不透明な部分も残されているが、民事再生法による再建と全日空との提携は、創立趣旨であった「道民の翼-北海道の振興に寄与する低運賃航空会社」の実質的な終焉を意味する。 ADOの名前はこれからも残るかもしれないが、再建・提携後のADOは今まで同社が対抗勢力としてみなしてきた大手航空会社と同質の会社にならざるを得ない。 
それでは、華々しく名乗りを上げたADOが、開業約3年余で破綻してしまったのであろうか。
本報告はその原因を追及する。 但し、部外者としては基本的に新聞等の報道による情報が主であり、そこからの推測でしかない。 従って、よんどころない事情によりそれ以外に取るべき方策の選択がなかった場合があったとしても部外者としては伺い知ることができないので、なかには一方的な非難に終わっている部分もあるが、筆者の立場から来る限界として了とされることをお願いするものである。

2. 破綻の背景
    ADOが事業破綻となる原因の背景は大きく言って二つあると考える。 但し、それは別々のものではなく相互に密接に関係しているが、ここでは便宜上二つの区分にしたがって分析を進めて行くことにする。
その二つの区分とは次の通りと考える。
(1) ベンチャービジネスとしての不手際
(2)  事業運営の不手際
ここでは不手際と言う言葉を使っているが、偏見のそしりを受けることを覚悟でいえば、それぞれの領域についての知識の不足、不勉強の一語に尽きるのではないか。 勿論、規制緩和とは言え、基本的に大手三社の既得権益が殆どそのまま温存され、それを切り崩す道はまったく見えていない今、新規参入にだけその責を負わせるのは酷であるとも言えるが、それらは基本的に予見可能であったことを考えれば、それらの障害を予見し、あらかじめ予防手段を取らなかったことについては、明らかに新規参入側に問題がある。
次の項で各区分毎に分析して行く。

3.  ベンチャービジネスとしての不手際
    ADOは、浜田輝男氏が中心となって「道民の翼-北海道の振興に寄与する低運賃航空会社」として、投資家や道内地方自治体、応援の有志等から資金を集めて創立された。 起業家の提案する事業構想について投資家が資金を提供して事業を行う、日本では数少ない本格的ベンチャービジネスとして形を整えてのスタートであったが、何故行き詰まったのか。 それには次の原因があると考える。
(a)  ベンチャービジネスとしての認識の不足
(b) ベンチャービジネスとしての資金計画及び事業計画についての認識の不足
(c) 「規制緩和」等、事業環境についての認識の誤り

(1)  ベンチャービジネスとしての認識の不足
    ベンチャービジネスの創立に当っては起業家が事業構想を提案し、会社設立後は経営に当り、投資家がその必要資金を提供するのが一般的な形態である。 通常、起業家は自身の考案した新製品やビジネス・モデルを事業とすることを提案するが、ADOの発足については、北海道をベースとする低運賃航空会社と言う事業目的は掲げたが、その事業遂行についての具体的なビジネス・モデルなしに発足した。 これは製造分野で言えば、こんなものを作りたいと言うアイデアはあったけれど、具体的な製品設計なしで、見込みで新製品を作る会社を設立したようなものである。 そして、具体的な新製品設計を-この場合「札幌〜東京線を運航する低運賃航空会社」と言う具体的なビジネス・モデルを、会社設立後に外部から採用した、主として大手航空会社の退職者に丸投げしてしまった。 しかし、結果を見れば彼等に新商品開発の能力はなく、大手の商品をなぞっただけに終わったと言われても仕方がないであろう。 具体的な新商品のないベンチャービジネスのスタート、ADOの失敗はまさにここから、ベンチャービジネスの条件を備えていないのに、ベンチャービジネスの形をとったことから始まっている。 
ベンチャービジネスの発足にあたっては、新商品の開発担当者と事業運営の担当者の両方が-場合によれば一人で兼務できる場合もあるが-必要であるが、ADO計画の提唱者である浜田氏は経歴から見れば事業運営の責はとれても、新商品-ビジネス・プランの作成には無理があったことと推測される。 しかし、新商品の開発担当者と事業運営の担当者の両方を含む起業家グループが結成できないうちに走りだしてしまった。 
ベンチャービジネスの米国での事例は枚挙の暇がないのであろうが、わが国での事例をあげれば、ホンダの新商品開発担当としての本田宗一郎氏と事業運営の担当の藤沢武夫氏、ソニーの新商品開発担当の井深大氏、事業運営担当の盛田昭夫氏のケースは好事例であろう。 また、同じ志を持つ起業家グループが結成できなかったことは、2000年夏に浜田氏が急逝された後、ベンチャービジネスの衣鉢を誰も継ぐものがいなかつたと言う結果となった。 曲がりなりにもベンチャービジネスの形を持っていたADOは、この時点でまったく主のいない会社になってしまつた。 ベンチャービジネスとは、別の言い方をすれば投資家が持てる資金の運用を起業家に委託し、起業家は提案する事業遂行を通じて投資資金の運用益を生み出すと言う了解のもとに成り立っているのであるが、浜田氏の急逝により突然一方の当事者がいなくなってしまった。
ADOは新商品開発の能力もなしに、また事業の長期的安定経営を担保できるような起業家グループを結成できないまま、形だけのベンチャービジネスとして走り出したところに、失敗の基本的な遠因がある。

(2)  ベンチャービジネスとしての資金計画及び事業計画についての認識の不足
    新規に事業を開始する場合、例外はあるものの開業後数年は赤字続きで数年後から経営が軌道に乗ると言うのが普通である。 特に航空運送事業のように初期投資額の大きい業種でははじめから黒字と言うことは殆どない。 それで普通は開業数年後に単年度黒字になり、それからさらに数年して累積赤字を解消すると言う事業計画を立てていることが多い。 ADOでも基本的にはこのような考え方であったろうと推察する。
そうだとしたら、その間の運転資金の調達をどう考えていたのであろうか。 わが国では過去においては出来るだけ小さな資本金でスタートし、借入金で設備投資資金や運転資金を賄うと言うやり方が普通であつたが、いまはそのような経営環境ではない。 まして、ベンチャービジネスのようにまだ経営基盤の固まっていないところに安易に融資するところはない。 そう考えれば、ベンチャービジネスは事業基盤の固まるまでの資金手当をあらかじめしておかなければならない。 米国での事例では、新規参入航空会社はわが国では驚くばかりの資金を手当して発足している。 ADOのように資金ショートするたびに増資したり、北海道等に融資を求めたり、場当りの対応ばかりで、長期的な資金計画があつたとは到底見えない。
また、もし株主にそれを期待して発足していたとしたら、それも大きな誤りである。 ベンチャービジネスに対する投資家の姿勢は、過去における日本型株主とは違う。 なんとか会社を支えようと言うよりも、運転資金にも事欠く事業にはまり込んで傷を広げるより、もし先に見込みがないなら現在までの投資額内に損害をとどめようとするのが普通であり、事業拡大への先行投資ならともかく、 ADOのように後ろ向きの債務返済や運転資金まで面倒を見ると言うことは基本的にないと考えなければならない。
したがって、ADOは事業が軌道に乗るまでの資金計画、及び事業計画なしで走ったことについては、それらの重要性についての認識に欠けていたと言われても仕方があるまい。

(3)  「規制緩和」等、事業環境についての認識の誤り
   ベンチャービジネスとしてのADOの発足について、事業環境として強く期待されたのはいわゆる「規制緩和」である。 筆者の仄聞する範囲においては、新規参入航空会社関係者は「規制緩和」と言うことばの実態を良く確かめずに、言葉に酔っていたきらいがある。 つまり「規制緩和」によりなんでも自由にやれる、やれるはずだと言う認識があるように感じられた。 筆者は彼等に「規制緩和」と言うのは市場参入についてだけで、安全に規制緩和はないと力説したつもりだが、どこまで理解されたかは心もとない。
そして、多分誰も具体的な「規制緩和」とは何かを確かめなかったのではないか。 その結果として、新規参入会社のどこもが、運航体制の準備で特に技術面での整備に手間取り、最初の触れ込みの時期に開業できたところはない。 「規制緩和」がなされる前にも規制緩和すべきだとの声はあったが、それでは航空法のどの条項が問題で、どう改訂すべきか具体的に指摘した人に、筆者はお目にかかったことはない。
結局、ムードとしての規制緩和に乗って走り出してしまった。 今回のJAL/JAS統合の公正取引委員会の指摘で、2000年2月からの「規制緩和」によっても、既存大手三社の既得権利は殆ど失ってないことが改めて認識されたが、そんなことはいわゆる「規制緩和」の前後で既存大手三社がどう変わったのか、いや変わっていないことを見ればすぐ分かることであった。 すなわち「規制緩和」と言う名前があれば、自分達に都合の良い事業環境がひとりでに出現するかのような誤解があったと考える。
例えば、空港ビルをとっても一回りすれば、新規参入に都合の良い場所にカウンターを設置する場所などまったく空いていないことはすぐわかることである。 また、当初からコスト削減の手段として外部委託に大きく依存するとしていたが、自身に都合の良い低料金で空港ハンドリングや航空機整備を引き受けてくれるところがあるのか、ないのかは、実際に航空会社を設立しなくても分かることである。 そして、事もあろうに競争相手に委託しなければならないと言う醜態をさらしてしまった。
結論を言えば、実態を具体的に確かめることなく、規制緩和の名のもとで自分に都合の良い環境が出来るものと勝手に思い込んだところがあったように見える。 ベンチャービジネスは、その時々の時流に乗るのが不可欠な条件である。 しかし、時流そのものを良く理解しないで走り出したとしたら、ヘンチャービジネスの起業家としては失格である。

4.  事業運営の不手際
  事業運営の基本的な不手際は、旗印として掲げた「低運賃航空会社」としての低運賃、すなわち低コストをどう実現するかと言うビジネスプランを作れなかったことである。 止むを得ない事情があったのかもしれないが、実際に行われた事業遂行手段は、旗印として掲げた「低運賃航空会社」とはまったくかけ離れたものになってしまった。 この問題は次の三点に要約できると考えるが、相互に密接に関係しているので分析は総合的に行った。 
  (a) 事業目的と業務遂行手段との不整合
  (b) 低コストの実現
  (c) 運賃の設定

事業目的の柱である低コストの実現について、ADOのとった業務遂行のやり方は首尾一貫して低コストの実現に努力したとは外見的にはまったく見えす、その象徴的なものが使用航空機の選択である。
使用航空機は新品のボーイング767-300ERをリースしてきたが、その選択がなぜ低コストにつながるのか理解に苦しむ。 もし、コストをもっと下げたかったら中古機の採用と言うこともあった。
例えばエアバスA300B2/B4であれば多少多い座席数と1/4程度のリース料で済んだはずである。 航空機の整備をJALやANAに委託して良いなら、エアバスであればJASへの委託と言う選択もあった。 現今では、航空旅客の大部分は航空機の機種で利用する便を選ぶことはなく、どんな機種であるかすら知らない人が殆どである。 
まして、低運賃を選択する旅客が、航空機の機種を、それも新造機であることにこだわるとは考えられない。 加えて、東京〜札幌線においてはボーイング767-300ERは新鋭機ではない。 むしろ、競争相手のJAL/ANAの地方路線機である。 リース料も高く、機種としての集客力が特に強いとも見えない、それではなんでこの機種を選んだのであろうか。
また、一般的に言えば低運賃航空会社は参入する市場でのプライス・リーダーになる必要がある。 また、低運賃による旅客当りの低収入は獲得する旅客数で補わなければならない。 とすれば、中古のボーイング747と言う考え方もあった。 結局、ボーイング767程度の座席数ならば大手のおこぼれだけを拾ってやって行けるだろうと言う程度の発想ではないかと推察するが、これは旗印として掲げた「低運賃航空会社」とは別の次元の考え方である。 旗印の「低運賃航空会社」とはどんな航空会社なのかと言う定義の確立と、それに対応したビジネスプランなしで、個々の事業遂行に関わる決定がなされたものと見られる。
一口に低運賃と言ってもそれは相対的なもので、なにを基準として言うのかで実態は違ってくる。 いわゆる「スーパーシート」対応の運賃に対してか、団体運賃に対してかで大きく違ってくる。 ADOを含めてわが国の新規参入は大手の普通運賃に対しての低運賃と言う説明がなされているが、普通運賃利用客は大部分がビジネス客であろう。 JAL/JAS統合でのJALの説明から推定すると、JALでは普通運賃の利用客は全体の1/4程度である。 勿論路線によるバラツキがあるので、東京〜札幌線においてもこの通りかどうか分からないが、多分この数字の前後なのであろう。 そして、もし普通運賃利用客であるビジネス客を主たる顧客としようとしたならば、団体客向けとしか見えない高密度座席配置とサービスに問題がある。 競争相手の会社のサービスと同等以上で運賃が安いと言うのでなければ、旅客にとって何の魅力もない。
運賃の設定についても誤りがあると考える。 現在、航空運賃は原価運賃と言うより市場運賃の色が濃いが、企業である限り利益をあげなければならず、そのためには当然運賃水準はコスト水準を上回ってはいけない。 ADOなど新規参入会社は概ね大手の普通運賃の6割程度の運賃と言うイメージで走り出した。 しかし、開業後の決算は赤字でコストが収入を上回っていることは歴然である。  
仮に大手のコストが普通運賃設定に対応していると見ると「大手の普通運賃の6割程度の運賃」設定を行うためにはコストを大手の6割にしなければならない。 しかし、コスト科目の殆どは会社でコントロールできるもではない。 燃料費、整備費、空港使用料及び航空機リース料は航空機型式が決まれば、それで殆ど決まってしまう。 加えて燃料単価、整備費、航空機リ−ス料等は契約量が少なければ割高になるもので、従って同形式の航空機で比べた場合、これらのコスト科目が大手会社のそれより安くなることはない。
空港ハンドリング料は航空機が小さいほど割高になる。 従ってボーイング767の旅客当たりの空港ハンドリング・コストがボーイング747のそれより安くなる可能性は殆どない。 まして、それらを競争相手である大手に委託して大手より安いコストで出来ると考えていたとしたら、言語同断である。 
結局、会社がコントロールできるコスト科目は人件費と社内管理費くらいで、会社によって多少異なるがコスト全体の3割程度にしかならない。 そうなると、仮に人件費、管理費をゼロにしたところで、大手のコストの7割にしかならず、前述の割高になる分を差引けば、せいぜい大手の8割程度のコストにしか出来ない。 実態的には全体として見れば単位コストは大手より高いのではないか。 
大手の普通運賃の6割程度の運賃と言うのは一見、安いように見えるが、その基準となる普通運賃は殆ど名目的なものである。 航空会社の収入は普通運賃に旅客数を乗じたものではなく、それから各種割引きを差引いたものになる。 例えば団体運賃がそうである。 そして、前述の通り、基準とした普通運賃で搭乗する旅客は全体の1/4程度と推測できるが、それ以外の旅客、特に団体旅客にとっては「大手普通運賃の6割程度の運賃」は少しも安い運賃ではない。 そのため、大手航空会社の運賃水準は、平均的には普通運賃の6-7割に達していると推測され、新規参入のいわゆる低運賃と大手の平均的実質運賃は既に同水準に達している。 このことは、国土交通省がそのホームページで公表しているデータから容易に想像できる。 
要約すれば、新規参入の言う低運賃は、実質的低運賃ではなく単一運賃の設定でしかない。 
大手の多様なサービスと多様な運賃の組合わせに対する、単一サービスと単一運賃との組合わせである。
問題は、ADO自身はそれを認識せず、低運賃と誤解していたと見られることである。 そして、大手のコストが普通運賃に対応した水準と誤解したことにある。 大手のコスト水準は当然、名目的な普通運賃に対応したものでなく、実質的運賃水準に対応しており、故に、そう簡単にコスト削減できるようなものではない。
結局、新規参入と大手は同等の旅客当り単位収入であり、一方、単位コストは新規参入がその規模の小ささ故に割高になっていることを考えれば、大手はなんとか黒字、新規参入は赤字と言う結果を容易に説明できる。 結論すれば、ADOは自身の提唱する「低運賃」の定義付けも確立せず、それに対応するコストが実現できるかどうか検討する前に走り出してしまったと推測される。
また、設定した運賃を基準として見れば、ADOの普通運賃は明らかに大手の普通運賃よりは安いのであるから、少なくとも大手航空会社の普通運賃を利用して来た旅客は引き寄せられる可能性のある見込み旅客と言うことができる。 しかし、その数は東京〜札幌線の900万人の全部が対象となるのではなく、団体運賃や回数券やその他割引を使用しているものを除く普通運賃及びスーパーシートを利用している多分せいぜい1/4くらいの旅客が対象になる。 これを200万人と見れば、200万人をADOを含めた4社で分け合うことになるのである。 ADOの年間提供座席数は概ね130万人強であるから座席利用率を75%獲得しようとすれば、年間100万人、まさに見込み旅客の領域の1/4を獲得しなければならない。 大手三社に便数でも提供座席数でも大きく遅れをとっているのに、どうそれを補おうとしたのだろうか。 もし、ADOのサービスが大手のそれより高水準であれば、その運賃設定と高いサ−ビス水準で便数等の不利を多少なりとも相殺出来たかも知れないが、低運賃/低サービスを表面に出したために、結局運賃に見合ったサービスしか受けられない、それなら多少高くても大手のサービスの方が良いと言う選択に旅客は走ってしまう。 
ADOの対象となる顧客層に対しては、低運賃/低サービスではなく、お買い得な運賃とサ−ビスの組合わせと言うイメージが必要なのに、安かろう悪かろうと言うイメージになってしまったのは、狙いとする市場選択についての不勉強の結果と言わざるを得ない。 もし、顧客にサービスに対して割安な運賃と言うイメージを植え付けられれば、実現できるコストに見合うもっと高い運賃設定-但し大手の普通運賃より安いことが必須であるが-も可能であったのではないかと考える。
結論すれば、狙いとする市場領域の定義を明確にせず、また実現する見込のないコストを前提として運賃を設定し、大手との低運賃競争に巻き込まれたのが致命傷となったと考える。

5.  結び
   結論を一口に言えば、ベンチャービジネスに不可欠な新商品-この場合は低運賃航空会社としてのビジネスプランなしで発足し、また会社設立後ビジネスプランを作成する段階で「低運賃航空会社」と言う事業目的と業務遂行手段の整合性を取れずに走り出してしまったことに、基本的な失敗の原因がある。
ただ、現実的な背景として次のような難しい問題があったのも事実であろう。
 (1) 規制緩和とは名ばかりで、既存大手航空会社の既得権利が温存されている。
 (2) 航空運送事業は創立に多額の資金を必要とし、競争力をつけるためにはある程度の事業規模まで急速    に立ち上げる必要があるが、わが国の投資環境はそのような大規模投資を投資市場から得られるまで  成熟しているとは見えない。 
 (3) 起業-会社設立に必要な才能を持つ人材、特に航空運送事業の専門的分野に対する人材が決定的に            不足している。
 (4) わが国には航空運送事業の新規参入を容易にするインフラストラクチャーが皆無である。
   故に、前述した失敗の原因となるようなことをしなかったら、ADOは成功したのかと言うと、そうとは言い切れない。 それは、上記4項の障害は経営に工夫すれば克服できると言う程度のものではなく、むしろADO設立構想をたてたこと自体の問題にすらなりかねない。 
そうして考えるとADO失敗の責任を関係者に求めるとすれば、適切なビジネスプラン立案・実行できなかったことよりも、これらの障害を予見せず、それら障害を克服する手段を取らないままに会社を設立し経営してきたことが責められるのであろう。
内部的にはいろいろ事情があったのかもしれないが、結果としての設立経緯や事業運営を見ると、関係者のベンチャービジネスとしての航空運送事業に対する不勉強にしか見えてこないのは悲しいことである。
わが国にベンチャービジネスとしての航空運送事業の芽生えは期待出来ないのであろうか。
                                                                                               以上