富岡製糸場の見学ポイント

群馬県富岡市にある富岡製糸場(史跡としての名称は旧富岡製糸場)が周囲の絹産業遺産群と共に世界遺産に登録され、訪れる観光客が増えているという。明治時代に入ってわずか5年目(1872年)という早い時期に操業を開始したこの近代的な官営工場は、歴史上、非常に重要な存在であるだけでなく、保存状態がかなりいいので、日本の産業や技術に関心がある人なら一度は足を運んでみてはどうだろうか。

見るべきものの多い富岡製糸場のなかにあって、ぜひとも注目してほしいのが白い木造建築の操糸場だ。内部は天井を高くすることによって広い窓を可能にし、壁の色のせいもあって日中は照明がなくても充分に明るい。大きな建物では昼間から灯りを点けるのがあたりまえの現代人にとっては驚きであり、あまりの明るさに僕は当初「どこかに灯りが仕込んであるのではないか……」と疑いの目つきで天井を何度も見上げてしまったほどだ。

なぜこのような設計になっているかというと、答は簡単で、この建物が完成したのはトーマス・エジソンが電球を発明する1879年より7年も前のことだったからだ。つまり、実用的な人工照明がない時代だったので、作業に必要な照度は自然光を上手に利用して確保するしかない。現代の建物とはまったく異なる発想による設計であり、そんなところにも「時代」を感じてほしい。


それでは、富岡製糸場の竣工が1879年以降だったら建物のデザインがもう少し今風に変わっていたかというと、そうともいえない。エジソンの功績を説明するとき、「彼が発明した電球によって夜が明るくなり、人類は昼間と同じような生活ができるようになったのです」と語られることがあるが、これは必ずしも正しくはないからだ。

エジソンによって発明された白熱電球は大量の熱を発するため、可視光として利用できるのは投入された電気エネルギーのわずか2%程度にすぎない。まだ発電設備も貧弱な時代(日本で初めて事業用発電所ができたのは1891年)、こんな効率の悪い照明器具で大きな建物の全体を明るくするのは不可能だ。しかも白熱電球の寿命は最長1000時間程度なので、100個設置したら平均すると10時間に1個ずつ交換しなければならず、これではメンテナンスもコストも大変である。だから、富岡製糸場の操糸場が外光だけでも明るさを確保できる構造にしたのは正解だった。工場やオフィスなど事業用の建物において夜でも昼間と同様の作業ができるようになるのは白熱電球より5〜8倍明るい蛍光灯が本格的に普及する第二次大戦後のことであり、それまで夜はまだまだ暗かったのだ。

省エネルギーや自然エネルギーの活用が強く求められている現在、外光を上手に利用した富岡製糸場の建築構造はもっと見直されてもいいように思う。今でもこのような建物をつくれば照明用のエネルギーは大幅に節約できるはずで、なんでもかんでも人工照明に頼ろうという発想は、もう終わりにすべきだろう。なお、窓を大きくすると夏は室内が暑くなりすぎると心配する人がいるが、最近では赤外線を大幅にカットできるガラスも開発されているので、そのあたりは工夫次第でなんとかなる。

世の中には自然エネルギーの利用というと、すぐに「太陽光発電を導入しなければ……」と短絡的な思考をする人が少なくないが、そんな複雑なシステムを使わなくてももっとシンプルで効率的な自然エネルギーの利用方法があることを知ってほしい。そして、富岡製糸場を見学したことがそのきっかけになるのであれば、新しく世界遺産に選ばれた意義はあるのだろう。

■関連年表■

1870年:群馬県富岡に官営工場となる製糸場を建設することが政府決定し、設計を始める。
1872年:富岡製糸場が竣工し、開業。
1879年:アメリカでトーマス・エジソンが電球(白熱電球)を発明する。
1980年:エジソンは電球を普及させるため全米に発電所を建設する事業を開始する。
1891年:一般供給用としては日本最初の蹴上発電所(水力)が京都市で操業開始。
1926年:ドイツの発明家エトムント・ゲルマーのグループが蛍光灯を発明(とされている)。
1937年:アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)が実用的な蛍光灯の発売開始。
     ※GEはエジソンがつくった会社だが、彼は1931年に亡くなっている。
1941年:日本の東京芝浦電気(現在の東芝)が蛍光灯の発売を開始。


■リンク■
富岡製糸場公式サイト
富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県公式サイト)



蛇足1:ちょっと足を伸ばして……
富岡製糸場は東京駅から1時間もかからないJR高崎駅で上信電鉄上信線に乗り換えて約40分、上州富岡駅から歩いて15分ほどと、公共交通機関だけで気軽に訪れることができるのも観光スポットとしての魅力のひとつだ。上信電鉄は地方の私鉄にしては、比較的、便数が多くて便利なうえ、趣のある古い駅舎をもつ駅が多いので、ついでにいろいろ回ってみるのもおもしろいだろう。お薦めはこのあたり。
上州七日市駅民家に囲まれた狭い空間に歴史ある駅舎が押し込まれている風景は絶妙。内部もきれいに保存されている。

上州一ノ宮駅:「日本の古い駅」の代表のような意匠が魅力。周囲の雰囲気ものどかでいい。
下仁田駅:駅舎も渋いが、昔はこの地方の中心地として栄えた町並みが歴史を感じさせる。名物である醤油タレのカツ丼も味わいたい(日本全国、わりといろんなとこにあるものと同じだけれど)。



蛇足2:ところで世界遺産って……
日本人は世界遺産が好きなのか、国内で新たに登録の動きがあるとニュースで大々的にとりあげられ、すぐに観光客が殺到する。また「海外の世界遺産を巡る旅が趣味なんです」と幸せそうに語る人に会ったことも一度や二度ではない。どんな理由であれ、何かに興味をもって行動を起こすのはいいことなのだが、ただ世界遺産が必ずしも公平な基準によって選ばれたものではないということは、少しは知っておくべきだろう。
世界遺産関連の事業を管轄しているのは国際連合教育科学文化機関、いわゆるユネスコだ。この組織は、もともとヨーロッパ人が強い権力をもっており(まあ、国際機関の大部分がそうなのだが)、当然、世界遺産の選定にも彼らの気分やムードが強く反映される。だから現在、登録されている文化遺産の約半数は欧州にあるし、また中南米やアジアなどにある「過去にヨーロッパ人が築いた街」は、それらが先住民への支配や伝統文化破壊の象徴という負の一面をもっているにもかかわらず、わりと簡単に「守るべき世界遺産」に認定されてしまう。実際、いろいろな国を旅していると、「え、こんなせこい街が世界遺産なの?」と驚くことは少なくないのだ(富岡製糸場だってアジアにある欧風建築だ)。
現実問題として今の世界はヨーロッパ発祥の文明によって共通化されているのは事実なので(公式の場におけるネクタイ着用だとか)しょうがないのだが、これからは少しずつ非ヨーロッパの世界遺産を増やしていき、多様な文化の魅力を多くの人に知ってもらえれば、と願っている。



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