かけじくおじさん(父)による地図。イラストも。(素朴〜)
Ψ かけじくおじさんの短歌
Ψ「大地に触れる旅」 野津喜美子
旅から帰った余韻と心地よい疲労感の中、つれづれに、旅の感動を語り合ううちに、夫の詩心が甦ったのか?ほうふつと沸きでる旅の短歌に共感しながら、ふと、旅情記として歌でまとめてみたら、ということになり、印刷製本すべて手づくりでできたのが前回の旅紀行であった。
1989年、夫の退職を機にはじめた待望の海外旅行は、かねてから離れて暮らしている家族が、可能な限り都合をつけ合って一緒に行動し、体験を共有して、お互いの絆を深めるいい機会としている。
幸い、私も無事に還暦も過ぎて、自由な時間を多く持てるようになり、残された人生をかけがえのないものとして、毎日をより大切に過ごしている。
平凡な日常生活にこそ平安があり、一日一日を紡いで行く積み重ねではあるが、反面、また、ある意味では思い切って。日常から隔たった未知なる世界へと羽ばたいてみることもとても有意義なことであると思う。
私がネイティブアメリカンに関心を持ったのは、1992年の夏、家族でシアトルへ旅したおり、たまたま訪れたワシントン大学の広大なキャンパスの一角で見かけた「北西海岸のインディアン博物館」の存在でした。
えっ?どうしてここに、白人たちが虐げてきた先住民の博物館があるのだろうか?さすが、アメリカはフェアなデモクラシーの国だと、いささかカルチャーショックを受けたことにはじまる。
たまたま、翌年の1993年には「国際先住民年」の年となり、先住民の歴史や現状が広く世界中にアピールされ、いよいよ私のネイティブアメリカンにたいする思いが高まり膨らんできたように思う。
今回の旅は、昨年に続いてのアリゾナ再訪の旅であり、アメリカ大陸の自動車旅行など、60才代の私たち夫婦にとっては、過酷な旅が予想され、果たして身体の方は大丈夫だろうか?と、心配であったが、仲間の心くばりのお蔭で、快適なドライブを楽しむことができ、感謝したことである。
この旅も、ネイティブアメリカンの人々との交流の場が数々あったが、私にとってはなんといっても、アリゾナの大自然に身体で触れた感動であり、手づくりの旅の良さを満喫できたことでした。
* モニュメントバレー
夕焼けに映える姉妹像をはじめ、多くの自然が生み出した巨大な彫刻に目をみはる。まさに「地球に立つ」実感を持つ、時の流れを忘れて、いながら永遠の「今」に立ち尽くして、何とも形容しがたい興奮に包まれる。
ナバホ族の青年の澄んだ瞳、彼らも有色人種の私たちに親しみを覚えるとのことで、翌朝キャンプまで同僚とともにやって来て、別れを惜しんで見送ってくれた。
* セド−ナ
秀麗な山容を見せる山々が、間近に屹立するネイティブアメリカンの聖地と言われた土地であり、先住民の受難の歴史に思いをはせ、インディアンフルートの澄んだ音色に聞き入りながら、スピリッチュアリティ(霊性)のエネルギーを全身で受けとめた。
* フェニックス(アリゾナの州都)
広大な砂漠に広がる近代都市、巨大な国際空港や私設のインディアン美術館などは、先に訪れた先住民居留地との経済格差を浮かび上がらせ、先住民族の暮らしとの対比から考えられる現在の地球環境問題をはじめ、さまざまな事柄について、なによりも経済優先の常識や価値観に囚われた自分に気付くひとつの糸口となった。
これらの体験は、強く脳裏に刻まれた心の財産であり、暮らしのおりおりに鮮やかな情景となって甦り、なごませてくれる。旅の思い出は私なりの人生の華やかなドラマとなっている。
この頃は「アジアの先住民族」について、放送大学や図書館で学んでいるが、何よりも旅先で私たちに求められることは、単なる知的関心に止まらず、それぞれの土地や氏族の長い歴史をしっかり読みとる事が必要であり、そこからはじめてそこに暮らす人々の思いが汲みとられ共感することができる。
21世紀にはどんな地球の旅が待っているだろうか?あれこれと尽きない夢を描きながら、今日も厨房にて美しいインディアンフルートの音色に聞きほれている。
1999年1月
Ψ あとがき 野津久夫
娘が親しくしている東京のアイランドという旅行社の企画により、昨年9月から10月にかけて、ネイティブアメリカンの聖地を巡る旅に参加した。このことが縁となってツアーの案内人をしてくれた東京出身の「哲ちゃん」(現在ホピに住んでいる)に招かれて、再びアリゾナを巡るオリジナルな旅に出かけた。
東京の男性、YOSHI君とハワイに嫁いでいる娘の友達、あっこちゃん、そしてわれら親子3人、一年振りの再会を喜び合っての、初めてのモーターホーム車によるサバイバル旅行に挑戦する。
ホピの長(おさ)に歓迎され寝起きを共にした数日、村の若者やお年寄りと出会って、人々の優しさや温かさに触れ、またとない珍しい儀式体験に招かれて感動する。
なかでもこの旅を通して脳裏に焼きついたことは、アメリカの核開発の歴史のなかで、聖なる山と崇めていたナバホの命ともいえる山を白人に奪われ、労役に駆り立てられたナバホの男たちが、次々とウラン鉱石の害を被って、尊い命を失ったとの痛ましい話を聞かされたことである。
大自然の素晴らしい風景に魅せられながら、3500キロのアリゾナ大地を心行くまで堪能することができたこの旅も、私にとって忘れがたい心に残るものとなった。
旅とは、未知なるものにひかれる憧れではあるが、そこに身をおいてはじめて知ることのできる土地の自然や歴史、人々の暮らしや行きざまに触れることは、何よりも得難い学びである。
旬日を辿った道のりのなかで見聞したこと、感じたことなどスナップ紀行として、拙い短歌に託してみた。
*アパッチ温泉(アリゾナ州)の壁に描かれていたヒッピーのフリースピリットを感じさせるペインティング