アメリカ先住民 北シャイアン族居留地(モンタナ州)を訪ねて


1996年7月3日〜8日


「すべての準備が整った時がそれをする時」− 本物のパウワウ、しかも伝統的なダンスコンテストのひとつ、北シャイアン族のパウワウを観れる時がきた。

コロラド州からの長時間にわたるドライブで壮観な大自然の迫力を味わいつつ、期待してその居留地に入ると、その地の“空気”はそこまでのものとは明らかに違うものだった。

厳しくも美しいその環境に調和しないけばけばしい色合いの平屋は政府により供給されている家屋、パステル調の少しモダンなトレーラーハウスは個人所有のものらしい。遠くドライブウェイから見るどちらも建っているというよりは、カラフルなマッチ箱が脈絡なく点在しているという印象だ。しばしば豊かな米国の中の第三世界と表現されるが、実際にその地に身を置いてみるとそれが実感できる。熱く乾いた、ここは本物のインディアンランド。

ハワイやバリ島に独特の「島時間」があるように、広大な北米大陸の中に位置し、地続きであるにも拘わらずインディアン居留地もひとつの離れ孤島で、そこには島独特のゆったりとした時間が流れている。「そんなに急いでどこへ行く?」必要がないのだから歩くペースも、車の流れもすべてインディアンタイムでのんびりしたものだ。

同行してきたラインハート家の友人一家(ナバホ族)の行動も全くインディアンタイムで、ワイオミング州で一泊した翌朝は8時起床というスケジュールで、8時半頃彼等の部屋に電話をいれ「もうそろそろ出発できる?」の問いに「さぁ、わからない」− 全部の用意が整った時が彼等の出発する時なのだから。

ドライブ途中で「ビデオカメラをレンタルしに行くので、現地(レイムディア)で会おう!」と急にレーンを横切ったかと思うと、次のドライブインにすっと現れ、こちらは昼食を終えて少し寛ぎ、さぁ出発というベストタイミングに自分たちのオーダーをしに行く。(ここまでくるとギャグをかまされているのかな?という感じ!)彼らには”団体行動をしているのだから”というような概念はなく、全く悪気なくごく自然にお腹が空けば注文するといった具合だ。空腹になった時が食べる時。これからしばらく滞在するインディアン居留地にはいる前に、そうした彼等の行動でインディアンタイムの感覚を知れてよかった。そこでは、そういう場面の連続だったので。

パウワウの前夜でもあり、会場の一角で委員会のメンバーによるポットラックが行われた。老齢の女性がその地域に対する貢献で州から栄誉あるポジションに指名されたことも併せて祝うなごやかな夕べの集いだった。ここでは年長者が皆に大切にされ、
尊敬を受けているのがよくわかる。椅子や飲み物をすすめられたり、ポットラックの料理も青年たちが手際よく皿に取り分け、先ず年長の人々にサーブする。食べ終わった頃合いを見計らってコーヒーやデザートのフルーツ等をすすめるタイミングも自然でパーフェクトだ。義務的でなく心から自然に皆から大事にされているその光景は何か、自分の中にある懐かしい感覚を呼び起こす。


パウワウ(7月4日:アメリカ独立記念日〜7日)

朝の澄んだ空気に気高い声が響き渡る。
野外会場にぽつんとひとつだけある水道の蛇口から勢いよく流れる冷たい水で顔を洗う。辺りをティピーやカラフルなテントににぎやかに囲まれているが、まだほとんどが寝静まっているようだ。近くで摘んできた野生のハーブはほのかに暖かい大陽のにおいがする。

午後3時半頃から係の人がグラウンドに散水したり、マイクテスト等を始める。ドラムを囲んで歌とドラミングも始まった。ドラムの振動が骨の髄までしみ込んでくる。歌い手の高音とドラムの力強い振動が相まって、何ともいえずこれだけでものすごい迫力だ。インディアンの言葉はわからないけれど、その歌唱には魂がある。

多くの人が集うので近年のパウワウは選挙の場に遣われたり、献血車等も来たりするらしいが、この北シャイアンのパウワウは伝統的なものらしく、その種のものは見あたらなかった。また、この夏の恒例イベントを観に集ってきた人たちの多くはリピーターのように見うけられる。

まだ昼間のように明るい夜7時頃からグランドエントリーというこのダンスコンテストの参加者が一堂に踊りながら会場にはいってくるセレモニーが始まった。入り口は二ケ所あり、男性と女性に分かれて入場、ゆっくりと円陣になっていく。グラウンドをぐるりと囲む観客席の高台から観ているとまさに鮮やかな色の洪水だ。そして、それはゆっくり、ゆっくりと混じっていく。本物の迫力はとにかく凄い。踊り手だけで200〜300人はいるだろう。踊り手たちは頭のてっぺんからつま先までばっちり装飾、という表現がぴったりだろう。羽根飾り、鈴飾り、ヘア−バンド、ピアス、指輪、ネックレス、ブレスレットなど、これでもか!という意気込みで全身を飾りたてているが不思議と嫌味なく、艶やかで美しく見とれてしまう。原色がビビッドで美しいと思いきや、アイボリー調の白、マットな感触の黒、(彼等の衣装に触れるのはタ
ブーとされているので実際に触ったわけではないけれど)特にインディアンのイメージカラー、ターコイズブルーは目を引く。衣装に丹念に縫いつけられたジングルは辺りが暗くなるとライトに反射し、キラキラと光り輝き、踊り跳ねると軽やかな錫の音になり二重の効果があるようだ。ショールの表地と裏地の色が違うデザインのものもトレンディ−で格好良い。男性軍は女性よりももっと派手で背中に巨大な羽根飾りをつけたり、腰まわりから足元にかけて大きな鈴を連ならせたりして、立体的な印象を与えている。

ダンスコンテストは男性の部ーグラスダンス、ストレートダンス、トラディショナルダンス、ファンシーダンスの4部門。女性の部ートラディショナルダンス、ファンシーダンス、ジングルダンス、サウスクローズダンスの4部門で構成され、4日間でそれぞれの部門でパフォーマンスが行われポイント制で競っていく。モダンで動きの激しいファンシーダンスはショールを巧みに使って鳥が舞っているように見える。ここ5、6年はジングルダンスに人気があるらしい。中高年の女性たちによる泰然としたトラディショナルダンスの勇壮な動きも美しい。かつては女性は男性と一緒に踊ることは許されず、男性の踊る外側や後方で軽いステップを踏む程度の単調な動きのダンスのみだったという。しかし、今日では、女性はその年代によって伝統的なダンスはもとより新しいタイプのダンスも楽しめるようだ。基本的なダンス動作を観察していると、手の動きはほとんどなく、大地を軽く、時に力強く踏みならしている。母なる大地やその恵みに感謝して喜びにあふれているというよりはダンサー達の踊る表情は真剣で謙虚な印象だ。踊りながら徐々にトランス状態に陥っていくバリヒンズースタイルなどどは異なる様子だ。彼らはあくまで無表情で、もしかすると大いなる宇宙神と結ばれ、心の中は真空状態かもしれない。ほとんどのダンスは二拍子で単調だが、なぜか観る者を飽きさせない。リズムにあわせてみると、日本の田植え踊りに似ているような気がする。曲によってはテンポがあわ踊りや盆踊りのような感覚のものもあり面白い。

コンテストでの評価のポイントはダンスパフォーマンスと衣装である。(表情は対象外)特に込み入ったルールはないが男性の部のトラディショナルダンスでは踊っている間に羽根飾りを地面に落としてはいけない等のルールがある。パウワウ開催中の4日間とも毎夕7時頃からグランドエントリーが行われ、コンテストはそれから深夜2時頃まで続く。昼間はギブ・ア・ウェイが数回行われ、その間はゴアダンス(瓢箪に似たものの中にその種を入れ、これを鳴らしながらステップを踏む伝統的なダンス)が観れる。熱く強い日差しの下でも一貫して同じ調子でステップを踏むその姿はやはり謙虚で見事だ。この国で過酷な状況に耐えてきた、現在も耐え続けているインディアンの歴史と、不平を云わず無表情でじっと踊るその姿が重なってみえる。

”ギブ・ア・ウェイ”はオクラホマ州やモンタナ州のインディアンの間に現在も残る風習で様々な理由で行われる感謝のお披露目である。ちなみに南西部のナバホ族、ホピ族、プエブロ族等にはこの習慣はない。又、かつて北西部の部族にあった自分の裕福さを周囲に知らしめるのが目的の”ポットラッチ”とも意味合いが異なる。例えば、身内の喪があけた時、子どもがカレッジを卒業した時など(彼らの就学率は未だに低い)色々な機会に催される。今回のターニャのギブ・ア・ウェイは彼女がインディアンネームを与えられたことをお披露目するのが目的だ。

洒落たラッピングもリボンもないギフトの中には現金もあるし、中古の自動車もある。ブランケットや日用品はギブ・ア・ウェイの必須アイテムのようだ。そして必ずしもギフトをもらったその人自身が栄誉ではない。本来受けるべきその家系の祖先にあたる人が亡くなっている場合など、現在の家長がその家を代表して(代わりに)受けるという意味合いになる。古くは、米国政府が貧しいインディアンが開き直って持っているものをすべてギフトとしてばらまいているように誤解してこの習慣を禁止した歴史があるほど、ギブ・ア・ウェイは”おしみなく、気前よく、とても豪勢”だ。

ラインハート家の人々と彼らの間に血縁関係はないが、しばらく振りに親戚同士が集まって、心からなごやかに寛いでいる様子は微笑ましい。パウワウ滞在中はそうした友人の家のどこかでお昼前に遅いたっぷりの朝食が振るまわれ、野外グラウンドでは別の友人宅からどっさりと昼食が運ばれてくる。自家製のフライブレッドは手でよくこねてあるらしくほのかに甘い。フライドチキンの味付けも色々なスパイスがはいっていて口に合うし、こんなにカラッとクリスピーなチキンにはなかなかお目にかかれない。私の一番のお気に入りは干し肉のはいった”しょっぱい”野菜スープ。これは何ともいえずその塩加減が食欲をそそった。乾いた熱い空気の中で体験したあの少し脂っこく塩のきいた味が忘れ難い。

食事をしながらの話題はもっぱら家族の事や世間話。母系社会だからか?やはり年配の女性が殊に大切にされている印象だ。話の始まりはいつでも「私は子供が何人、孫が何人、曾孫が何人、で、あなたの子供さんは何人?」とくる。ここでは若く見られる私でも結婚して子供がいるのが当然なのだ。日本でも戦中、戦後そうであったように、ここでも離婚したり死別したりするとその配偶者の兄弟や姉妹と再婚したり同居したりして助け合って生きているようだ。そしてここでは、子供たちにはアジア人といえば中国人らしくて「日本人と中国人は同じでしょ?」と何度も繰り返し興味津々に尋ねられた。

まさに居留地ではインディアンタイムで、約束の時間にその場所まで迎えに行ってもそこにいないとか、逆にここに来るはずだけど来ないとかいう場面は日常的。パウワウのイベントもスケジュールのアナウンスはあるけれど、その時間通りに始まったためしはない。結果的に裏切られることはないけれど。

このパウワウとギブ・ア・ウェイにあたり北シャイアン族の居留地を訪れ、私は本当に多くを与えられた。ターニャは私がダンスを踊るために彼女が大切に使ってきた丹念な赤い花の刺繍が施されたブルーのショールをゆずってくれた。ギブ・ア・ウェイではずっと欲しいと思っていたインディアンの古い言い伝えの描かれた皮の壁飾り、新品のブランケット、ジングルダンスの踊り手から栄誉の分かち合いの10ドル、あらゆる場所でのご馳走やリラックスして眠れる場所。そしてラインハート家を通して出逢った新しい友人たち。パウワウでの美しい伝統のエネルギー。異なる価値観や概念への気付きなど、目に見えるものもそうでないものも私の貴重な財産になった。正直に云って、自分は大抵の環境に適応できると思っていたが、到着した日に「えっ、ここに1週間?」と戸惑い、2日目になんとなくインディアンタイムに慣れ、3日目にはシャワーを忘れた。彼らの崇める自然宗教と神道には大いに通じるところがあるが、現実的に時間の感覚や生活の利便さなど日常と異なる価値観で生活している自分にとっては、アメリカ先住民の本物の伝統と現実を知る上でこのパウワウでの体験は有意義な”洗礼”だった。これからが彼等をもっと知り学ぶ本当の意味でのはじまりである。

1996年度
通訳/アシスタントガイド
Kayozi NOTSU




ネイティブアメリカへの冒険ツアー