秩父郡市指定文化財 

秩父市 指定 

恒持祭屋台・笠鉾
市指定有形民俗文化財
昭和40年(1965)1月25日指定

山田本組(荒木)屋台
2013年
撮影
  山田山組屋台
2013年撮影
総体黒漆塗り金具打ち、彫刻は極彩色の豪華な屋台で荒木の屋台とも呼ばれる。山田山組の屋台と同様に古い形式の屋台である。後幕は竜虎、水引幕は中国の妖怪、猩々の酔舞。昭和40年(1965年)秩父市有形民俗文化財。   江戸期の弘化5年〜万延2年(1848年〜1861年)の13年間をかけて製作された秩父型屋台。勾欄・腰支輪が前半分までしかなく古い形式を今に伝える。後幕は波に海魚の刺繍。昭和40年(1965年)秩父市有形民俗文化財に指定。
総体黒漆塗り金具打ち、彫刻は極彩色の豪華な屋台で荒木の屋台とも呼ばれる。山田山組の屋台と同様に古い形式の屋台である。後幕は竜虎、水引幕は中国の妖怪、猩々の酔舞。   江戸期の弘化5年〜万延2年(1848〜1861)の13年間をかけて製作された秩父型屋台。勾欄・腰支輪が前半分までしかなく古い形式を今に伝える。後幕は波に海魚の刺繍。
     
山田上組(大棚)笠鉾
2013年撮影
当初は五層の大型笠鉾。明治12年(1879年)に創建される。現在は万燈無しの三層笠鉾として曳行される。総体黒漆塗り金具打ち、彫刻は極彩色で一層の笠の裏には極彩色の雲龍の天井画を吊り豪華である。昭和40年(1965年)秩父市有形民俗文化財に指定される。
当初は五層の大型笠鉾。明治12年(1879)に創建される。現在は万燈無しの三層笠鉾として曳行される。総体黒漆塗り金具打ち、彫刻は極彩色で一層の笠の裏には極彩色の雲龍の天井画を吊り豪華である。
   
下影森 田の沢屋台
市指定有形民俗文化財
昭和45年(1970)9月5日指定

2018年撮影
 
地元の豪商と住民の浄財によって江戸期寛政8年(1796)に完成。小ぶりではあるが黒漆塗り金具打ち、極彩色の彫刻が鬼板・懸魚・軒支輪に付いている。勾欄は前側三面のみに付設し、腰支輪は無く、古い形式を留めている。200年以上、2世紀と四半世紀の時を経て、ほぼ当時の原型を留めるこの貴重な屋台は、秩父市の有形民俗文化財に指定されている。
   
栃谷の笠鉾
市指定有形民俗文化財
昭和59年(1984)6月27日指定
栃谷本組(下郷)笠鉾
2010年撮影
  栃谷上組(上郷)笠鉾
2010年撮影
大きくて重量感のある一層花笠の笠鉾。総体黒漆塗り金具打ちで腰支輪には極彩色の彫刻が付く。明治17年(1884年)に完成。頂には天道、雲型せき台、雲が彫刻された万燈が付く。反木は定峰山中から切り出された木材を使用。昭和59年(1984年)に秩父市の有形民俗文化財に指定される。   明治30年(1897年)に秩父市中近より天保3年(1832年)建造の笠鉾を57円で購入。一層花笠に総体黒漆塗り金具打ちで勾欄には龍の彫刻、腰支輪には極彩色の彫刻が付く。秩父地方で初の登勾欄を付設(文久3年・1863年)。昭和59年(1984年)秩父市指定有形民俗文化財。
大きくて重量感のある一層花笠の笠鉾。総体黒漆塗り金具打ちで腰支輪には極彩色の彫刻が付く。明治17年(1884)に完成。頂には天道、雲型せき台、雲が彫刻された万燈が付く。反木は定峰山中から切り出された木材を使用。   明治30年(1897)に秩父市中近より天保3年(1832)建造の笠鉾を57円で購入。一層花笠に総体黒漆塗り金具打ちで勾欄には龍の彫刻、腰支輪には極彩色の彫刻が付く。秩父地方で初の登勾欄を文久3年に(1863)付設。
     
栃谷中組(中郷)笠鉾
2010年撮影
 一層花笠笠鉾で江戸期の嘉永4年(1851年)に創建。比較的小型の笠鉾ではあるが、総体黒漆塗り金具打ちで腰支輪には極彩色の彫刻が付く秩父の名匠荒木和泉の作である。上部には天道、波型せき台、波の彫刻の万燈が付く。昭和59年(1984年)秩父市指定有形民俗文化財。 
一層花笠笠鉾で江戸期の嘉永4年(1851)に創建。比較的小型の笠鉾ではあるが、総体黒漆塗り金具打ちで腰支輪には極彩色の彫刻が付く秩父の名匠荒木和泉の作である。上部には天道、波型せき台、波の彫刻の万燈が付く。
     
半縄笠鉾
市有形民俗文化財
和63年(1988)5月21日指定
  左右に芸座が付設する。荒川歴史民俗資料館に収蔵されている。 
     
川瀬祭笠鉾・屋台 
市指定有形民俗文化財
平成20年(2008)3月25日指定
宮側町屋台
2020年撮影
 
  本町屋台(夏)
2009年撮影
 
  秩父夜祭に奉曳される屋台とは異なる。昭和10年(1935年)創建の八棟造りの屋根を付設した内室型屋台である。総体黒漆塗りの落ち着いた感じの屋台である。登勾欄を付設する。平成20年3月25日に秩父市有形民俗文化財に指定される。
昭和10年(1935)に完成。宮側町にとっては三代目の屋台。(初代笠鉾→二代目屋台→三代目屋台)。型式は登勾欄を付設する秩父型内室式屋台。屋根裏板を全て金箔貼にするなど細部にこだわった、正に『動く陽明門』である。   秩父夜祭に奉曳される屋台とは異なる。昭和10年(1935)創建の八棟造りの屋根を付設した内室型屋台である。総体黒漆塗りの落ち着いた感じの屋台である。登勾欄を付設する。
     
番場町屋台
2009年撮影
  東町屋台
2009年撮影
朱塗りが最大の特徴である秩父型内室屋台。昭和10年(1935年)完成の町内四代目となる屋台。極彩色の彫刻と朱塗りに錺金具の金色がマッチした登勾欄の豪華な屋台である。平成20年3月25日に秩父市有形民俗文化財に指定される。 昭和8年(1933年)に完成の四方唐破風屋根の秩父型内室屋台。他の川瀬祭の屋台同様に極彩色の彫刻の付く軒支輪・腰支輪、登勾欄が付設している。川瀬祭の屋台は大きさの点では夜祭の屋台にはかなわないが、豪華さと言う点では、いずれもひけをとらない。平成20年3月25日に秩父市有形民俗文化財に指定。
朱塗りが最大の特徴である秩父型内室屋台。昭和10年(1935)完成の町内四代目となる屋台。極彩色の彫刻と朱塗りに錺金具の金色がマッチした登勾欄の豪華な屋台である。 昭和8年(1933)に完成の四方唐破風屋根の秩父型内室屋台。他の川瀬祭の屋台同様に極彩色の彫刻の付く軒支輪・腰支輪、登勾欄が付設している。川瀬祭の屋台は大きさの点では夜祭の屋台にはかなわないが、豪華さと言う点では、いずれもひけをとらない。
     
上町笠鉾
2009年撮影
   熊木町笠鉾
2014年撮影
高さが7メートル超あり、川瀬祭における最大の笠鉾。昭和57年(1982年)完成。登勾欄を付設した三層の笠鉾である。笠の花の色は白系統。平成20年3月25日に秩父市有形民俗文化財に指定される。    昭和29年(1954年)に宮側町と大滝栃本から購入した部品をベースとして完成した。紅色の花が印象的な三層の登勾欄を付設する笠鉾である。平成20年3月25日に秩父市有形民俗文化財に指定される。
高さが7メートル超あり、川瀬祭における最大の笠鉾。昭和57年(1982)完成。登勾欄を付設した三層の笠鉾である。笠の花の色は白系統。   昭和29年(1954)に宮側町と大滝栃本から購入した部品をベースとして完成した。紅色の花が印象的な三層の登勾欄を付設する笠鉾である。
     
道生町笠鉾
2014年撮影
   中町笠鉾
1995年撮影
平成9年(1997年)に上町の笠鉾を購入し錺金具などを新調し改修した。登勾欄を付設した三層の16年ぶりに復活した笠鉾である。花の色は白系統。秩父市有形民俗文化財に平成20年3月25日に指定された。 平成20年3月25日に秩父市有形民俗文化財に指定された三層の笠鉾である。頂に天道が立ち、せき台には水垂れが付く。登勾欄を付設する。笠の花の色はうす紅系統。
平成9年(1997)に上町の笠鉾を購入し錺金具などを新調し改修した。登勾欄を付設した三層の16年ぶりに復活した笠鉾である。花の色は白系統。 頂に天道が立ち、せき台には水垂れが付く三層の笠鉾である。登勾欄を付設する。笠の花の色はうす紅系統。


秩父郡横瀬町 指定  

宇根上組笠鉾
町指定有形民俗文化財
昭和48年(1973)1月31日指定
2014年撮影
   宇根下組笠鉾
町指定有形民俗文化財
昭和48年(1973)1月31日指定
2014年撮影
明治32年(1899年)頃の創建。昭和12年(1937年)頃より電線架設の為、高さを短縮して曳行されるようになるが、平成10年(1998年)に9メートル超の高さに復元される。上部は上から天道(太陽)・せき台・万燈からなる。昭和48年(1973年)横瀬町有形民俗資料に指定される。   明治32年(1899年)頃に上組と同じくして創建。上部に月を頂く。通常、ひとつのお祭に複数台の笠鉾が曳行される場合は御幣・天道(太陽)という組み合わせが一般的であるが、この宇根の場合は天道(太陽)と月という大変めずらしい組み合わせとなっている。昭和12年(1937年)頃より電線架設の為、高さを短縮して曳行されるようになるが、平成10年(1998年)に9メートル超の高さに復元される。昭和48年(1973年)横瀬町有形民俗資料に指定。
明治32年(1899)頃の創建。昭和12年(1937)頃より電線架設の為、高さを短縮して曳行されるようになるが、平成10年(1998)に9メートル超の高さに復元される。上部は上から天道(太陽)・せき台・万燈からなる。   明治32年(1899)頃に上組と同じくして創建。上部に月を頂く。通常、ひとつのお祭に複数台の笠鉾が曳行される場合は御幣・天道(太陽)という組み合わせが一般的であるが、この宇根の場合は天道(太陽)と月という大変めずらしい組み合わせとなっている。昭和12年(1937)頃より電線架設の為、高さを短縮して曳行されるようになるが、平成10年(1998)に9メートル超の高さに復元される。
     
森下笠鉾(芦ヶ久保の山車)
町指定有形民俗文化財
昭和48年(1973)1月31日指定 
2008年撮影
天保年間(1830年頃)に創建の屋根を付設する秩父型三層笠鉾である。屋根付き笠鉾は他に、秩父中近、下郷、小鹿野新原などがある。波に龍の腰支輪と軒下は波に千鳥の欄間仕立てである。現在は「横瀬町活性化センター」で展示されている。昭和48年(1973年)横瀬町有形民俗資料に指定。 
天保年間(1830年頃)に創建の屋根を付設する秩父型三層笠鉾である。屋根付き笠鉾は他に、秩父中近、下郷、小鹿野新原などがある。波に龍の腰支輪と軒下は波に千鳥の欄間仕立てである。現在は「横瀬町活性化センター」で展示されている。
     

秩父郡小鹿野町 指定 

飯田(八幡神社)の笠鉾
町指定有形民俗文化財
平成15年5月21日指定
2014年撮影
 昭和10年(1935年)に秩父市本町より川瀬祭りに奉曳した初代笠鉾が奉納されたもの。黒漆塗り金具打ちで極彩色の腰支輪が付設する一層の笠鉾である。腰支輪の飛竜の彫刻が素晴らしい。
昭和10年(1935)に秩父市本町より川瀬祭りに奉曳した初代笠鉾が奉納されたもの。黒漆塗り金具打ちで極彩色の腰支輪が付設する一層の笠鉾である。腰支輪の飛竜の彫刻が素晴らしい。
     
 上飯田(飯田)屋台
町指定有形民俗文化財
平成15年5月21日指定
2014年撮影
   三山下郷笠鉾
町指定有形民俗文化財
平成2年3月4日指定

1998年撮影
旧秩父中町の屋台と推定される。全体的には彫物が少なく、軒支輪・腰支輪は無く、勾欄も前横三方のみで古い形態を今に留めている。質素ではあるが全体的に均整のとれた屋台である。    創建は大正10年(1921年)で、小型ではあるが黒漆塗りの三層笠鉾。極彩色の腰支輪は菊水が彫り込まれている。本来は上から天道、雲型せき台、万燈、三層の花笠の構成であるが、1998年(平成10年)撮影時には雲型せき台と万燈の上下が逆に飾り付けられ非常に貴重な写真となった。
旧秩父中町の屋台と推定される。全体的には彫物が少なく、軒支輪・腰支輪は無く、勾欄も前横三方のみで古い形態を今に留めている。質素ではあるが全体的に均整のとれた屋台である。   創建は大正10年(1921)で、小型ではあるが黒漆塗りの三層笠鉾。極彩色の腰支輪は菊水が彫り込まれている。本来は上から天道、雲型せき台、万燈、三層の花笠の構成であるが平成10年(1998)撮影時には雲型せき台と万燈の上下が逆に飾り付けられ非常に貴重な写真となった。
     
大塩野屋台
町指定民俗文化財
平成13年11月16日指定
2001年撮影  (張出舞台付設)
  
 文化13年(1816年)創建の総体黒漆塗り、極彩色の彫刻がついた豪華な大型屋台である。鬼板懸魚は龍の彫刻、軒枝輪は雲に鶴の彫刻、まわり舞台上の欄間は琴の名手、王婦人の彫刻が施されている。腰支輪は無く勾欄は前半分のみで古い型式を留めている。左右に張り出し舞台を付設する。町指定有形民俗文化財。
文化13年(1816)創建の総体黒漆塗り、極彩色の彫刻がついた豪華な大型屋台である。鬼板懸魚は龍の彫刻、軒枝輪は雲に鶴の彫刻、まわり舞台上の欄間は琴の名手、王婦人の彫刻が施されている。腰支輪は無く勾欄は前半分のみで古い型式を留めている。左右に張り出し舞台を付設する。
     
羽黒神社(永長留宗吾神社)の笠鉾
町指定有形民俗文化財
平成2年11月26日指定
   明治30年創建の三層笠鉾。正面登勾欄が付く。

 関東山車コレクション
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