「花岡和解」に関して誤った報道に修正を要求し、
ある会との論争の覚え書き

孫 靖、 林漢京 2003.11.7.


「2003年9月22日に山東省青島市で山東省の花岡被害者19名が、 花岡平和友好基金管理委員会北京事務局によって主催された支給儀式で、 鹿島から支給された賠償金約1.7万元を受け取った。
また、同委員会は、 被害者およびその家族の賠償金申請の受付は2003年12月31日をもって終了する、 と決定した。」

というニュースが新華社の青島駐在記者により出されて、 その後、幾つかのメディアによって流された。 そのため、耿諄氏、花岡訴訟原告の一人孫力氏、 また花岡和解の拒否を表明した被害者遺族らは、和解について改めてその立場、 認識、和解拒否等を表明し、「賠償金」と称する誤った報道を批判した。
孫靖、林漢京の二人は、被害者の依頼を受けて紅十字会と交渉した。


私は、委託人を代表して発信する。 方法を講じて、「花岡被害労工の賠償獲得」に関する誤った報道に修正を要求する。 2003年10月23日、私たちは関係団体を訪ね 《「花岡被害者が基金受け取りの有効期限締め切り」に関係事項に疑問を質す手紙》 を渡し、11月6日、某会とその職員(以下略称:彼ら)に直接会って話をした。 以下は、双方の論争と私たちの観点である。

1,政府筋報道機関が「基金」を「賠償金」だと言うのは、政治的な誤りである。

彼らは、「花岡平和友好基金」の部分的受益人(花岡被害者或いはその遺族)に 「基金」を渡し、これは日本側が提供した「賠償金」だと言っている。 彼らがこのように説明する論拠は:
1)花岡原告11人の内9人までが和解を受け入れている。 同時に「基金」を「賠償金」と理解し、 すでに400名の受益者が受け取りの手続きをした。
2)ある法律専門家は、《和解条項》で述べている「基金」は、 耿諄など花岡原告が訴訟の中で主張した賠償金である。 しかも和解が発効してから「基金」を渡す過程で受益人は皆「賠償金」だと言った。 だからこの言い方は、改めることは出来ない。

これに対しての私たちの意見:
「花岡和解」が成立した当初は、耿諄、孫力の二人だけではなく、 花岡原告は基金の性質と和解成立の過程に対して疑問をただしたが、 基金を配布する「某管理委員会」の説得によって一部の人は和解条項を受け入れ、 同時に日本側が信託した「基金」を、受け取った。 これはもともと当事者の権利だから、とがめ立てすることではない。 だが、公に報道機関を通じて花岡訴訟や和解などの消息を発表する時は、 厳格に有効な法律文書の表現によって表し、 我が国政府の関係する表現方法に従って態度表明すべきである。 如何なる上述の原則に違反したものは、真面目ではないし責任あるやり方とはいえない。 同時にある意図をもって基金の配布を「賠償金」と言って渡すことは 概念を取り替えた行為であり、その結果は必ず政治的に悪い影響を作り出すだろう。 法律的な概念から言うと賠償とは、加害者が無条件で被害者に支給すべきものだが、 《和解条項》には、 花岡被害者の労工が受け取った金は十分厳しい制限条件をつけている。 少し法律的常識のある人ならこの二者の概念を同時に混淆することはないはずだ。 しかし、彼らはある意図をもってこのように言い、このようにしている。 人々は、これは当時中国労工への加害者であった日本企業の弁解にすぎないと考える。

その二、「花岡和解」は、 日本の現有司法体制が加害企業を庇護する困難な条件のもとで、 中日両国の平和愛好人士と民間団体の 苦しい闘いで得られた限界から得られた訴訟結果であり、「和解」は、 花岡労工が渇望して勝ち取る訴訟勝利の原則とは区別があり、 有効な法律文書の中には被告側鹿島の謝罪を表す「賠償」の如何なる表現も見あたらない。

その三、花岡和解が発行されてから中日の史学界や法律界の激しい論争を引き起こした。 専門家が、この事件について各種の学術的観点を発表したが、 これは正常な学術現象であり、 民間の対日訴訟についての経験教訓を総括することになった。 だが、専門家や学者の個人的意見は自分の学術的観点を代表しただけで、 法律的な効果を備えていない。 報道機関が公の報道の中で、「専門家の観点」をもって「基金」を「賠償金」と言い、 これに異なる観点を持つすべての専門家は不公正で無責任の行為だとした。

彼らは、私たちの「花岡訴訟、和解についての消息を発表する時、 厳格に有効な法律的文書によって表現し、 我が国政府の態度表明に従うべきだ」と言う意見に、花岡訴訟は民間行為だから、 彼らにどういうべきかどう言えるかは、外交部の態度表明に従う必要はない、といった。 私たちは即座にこのような考え方は極めて危険だと指摘した。 国家の某会の職員として、その個人の観点がどうあろうとも、 仕事中の行為は必ず上述の原則的制限を受けるべきであり、 でなければ政治的な過ちを犯すことになる。

2,安易に「花岡基金を受け取る有効期限締め切り」の決定をすべきではない。

彼らは、新華社の報道は記者が彼らの消息を正しく理解していなかったのだと言い、 彼らは、 「花岡平和友好基金管理委員会」の仕事は今年の年末までで締め切ろうとしている。 だが基金の受け取りの仕事は停止しない。 花岡平和友好基金管理委員会はすでに「時期が来たら」の補足説明を発する考えがある。

これに対して、
先ず、彼らが新華社を通じて発表した関係消息は、一言の簡単な告知であり、 一般には基金を支給する側が基金の受益人に対して 「期限が切れたら待たない」の結論を知り得ただけだ。
「受益者が基金の受け取りは有効期限で締め切り」と 「委員会の仕事を打ち切る」の二つは全く異なる概念である。 もし、新華社の報道が誤りなら、直ちに修正を要求すべきだ。

その二、某管理委員会は中国に設立した某会の専門責任機関であり、 基金運営を円滑に実施する部門である。 大多数の受益者がまだ探し出されていない現状で、仕事打ち切りの決定は、 基金設立の趣旨に符合せず無責任な行為である。

その三、基金支給を締め切るのか委員会の仕事を締め切る決定なのかは、 その民事主体は《和解条項》の指定した基金受託人の中国紅十字会である。 某管理委員会は法人の資格をもっていないし、 独立の民事を実施する責任を持った組織でもないから 勝手に自分でこの仕事を締め切って良いものではない。 たとえ《和解条項》に、相応する規定があったとしても、 具体的に実施するときは必ず我が国の《民法通則》など 関係する法律の規定に従わねばならない。

最後に、花岡基金の規模と性質に鑑み、 関係する決定をするにはその依拠するところ法律的に有効な文書が必要で、 花岡訴訟の事実を知っている権利をもっている全原告とその他に 責任を持って基金の支給、管理、運営の資金の善後処理状況を説明しなければならない。

特に説明しておかねばならないことは、 私たちは中国の某会の関係部門と職員が 花岡受難者の基金受け取りに努力されていることには支持を表明し、 その努力は賞賛している。 彼らは、出来るだけ異なる意見にも耳を傾けて欲しい。 仕事を進める上で不足を改めることは、 民間の対日訴訟に更なる正確な道を示し援助となるだろう。

3,新華社に、花岡和解に関する誤った報道の阻止を要求する。

私たちは、再度注意を促す。 もし、彼ら或いは関係する組織が間違った報道をしたために、 すでに悪い影響がありそれに対しての認識がなかったら、 以後花岡暴動、訴訟、和解に関係する人物、 事件又はその他関係する消息に依然として誤った立場を堅持するなら、 新華社は私たちが提供する事実に基づき主張する原則を阻止するべきだ。 再度発生するだろう誤報道の影響に対して 私たちは委託人と私たちを支持する人を代表して、 必要な時には報道機関を通じて 公開の報道で上述の事実を法律的な方法によって解決する権利を保留する。

委託を受けた人:孫靖(弁護士)、 林漢京(労工訴訟支援者) 2003.11.7

                               (山辺悠喜子 訳)


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