私の戦後処理を問う会

 「花岡事件」・「花岡和解」を問い直す

書名: 尊厳 -半世紀を歩いた「花岡事件」-
著者名: 旻子<ミンズ>/著
     : 山邉 悠喜子/訳
     : 「私の戦後処理を問う」会/編集
出版者: 日本僑報社  初版: 2005年 8月
価格: 3,360円(税込み)
ページ : 420p  
ISBN 4-86185-016-9

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2020/11/29
 法的責任なき「和解」への欲望
 ――20年目の鹿島花岡「和解」
更新ページ一覧
万里の長城で中日の歴史に思いを馳せる耿諄氏(2003.9)

 

法的責任なき「和解」への欲望
   ――20年目の鹿島花岡「和解」

鹿島花岡「和解」成立から20年目を迎えた。 局面の変化はあったものの、その問題性は何も変わっていない。いや、むしろ現在の日本社会で「良心的」とされる人々の間でさえ、鹿島花岡「和解」が意義あるものとして欲望され続けていることに恐ろしさを感じる。
2020年に発表された3つの文章に触れながら、所感を述べたい。

法的責任なき「和解」への欲望(全文)

 

再び言及されはじめた鹿島型「和解」

 鹿島花岡「和解」の成立から、18年目を迎えた。

 同「和解」は画期的なものどころか、責任の所在を曖昧にしながら性格が不明な金銭で強引に解決を図るという「日本的戦後処理」の典型であることを、このホームページを通じて発信してきた。また、西松安野「和解」、西松信濃川「和解」、三菱マテリアル「和解」などを通じて、鹿島型「和解」が再生産されていることも指摘してきた。

 他方で、10月30日に「元徴用工」への損害賠償を日本企業に命じた韓国大法院の判決をめぐって、鹿島型「和解」を肯定的な意味で持ち出す論評が複数表れた。それは、安倍首相や河野外相のように、加害の事実にさえ向き合おうとしない立場から引き合いに出されたものではない。中国人強制連行戦後補償裁判の弁護団や日韓関係の研究者などから、望ましい「解決策」として言及されているのである。むろん、こうした人々の普段の努力が、現在の日本社会においては重要なものであることは理解している。むしろ、そうした人々が言及しているからこそ、単に鹿島型「和解」の実態を知っているかどうかという次元にとどまらない、きわめて根の深い問題であることを確認しておきたいと考え、一文を記すことにした。  (石田隆至)
再び言及されはじめた鹿島型「和解」(全文)

 

2017年花岡訪問レポート

2017年6月29日〜7月1日に行われた花岡事件72周年の 犠牲者慰霊追悼の各種行事に参加したので、印象に残った点のみ報告しておきたい。

2017年花岡訪問レポート(全文)

 

中国人強制連行の三菱マテリアル「和解」をめぐる 書評論文を発表

三菱「和解」に対する日本側の反応は、鹿島花岡「和解」と同様に 肯定的な評価が多いなかで、当会では中国側の多様な反応も含めて検討してきました。 その結果、「責任の所在が曖昧」にされた「被害者不在」の内容になっている点で、 鹿島花岡「和解」に通じる性格をもつものと考えています。
 こうした戦後「和解」のあり方について、三菱「和解」と相前後して成立した 「慰安婦」問題の日韓「合意」と関連づける形で、石田隆至・張宏波が書評論文を 発表しました(『PRIME』40号、明治学院大学国際平和研究所、2017年3月)。
 書評の対象である鄭栄桓『忘却のための「和解」:『帝国の慰安婦』と日本の責任』 (世織書房、2016年)は、朴裕河『帝国の慰安婦:植民地支配と記憶の闘い』 (朝日新聞出版、2014年)を批判したものですが、本論文は鄭栄桓氏の問題意識を 踏まえながら、「日本的戦後処理の再生産」を基調に明快に整理したものです。 是非一読を!
書評論文(全文)

 

戦時日本の強制連行・強制労働に関する中国法廷での裁判審理についての意見書

2015年2月11日、戦時中に行われた強制連行・強制労働をめぐって、 中国人被害者および遺族と三菱マテリアル(旧三菱鉱業) との間で行われていた和解交渉が決裂し、中国法廷での裁判が開始されるに あたって、当会の意見を中国外交部と駐日中国大使館に送りました。 (全文)

 

野添憲治著『花岡を忘れるな 耿諄の生涯』

ご紹介が遅くなりましたが、2014年の「6・30」のタイミングで、 耿諄さんと親交のあった野添憲治さん(秋田在住、作家)が、 耿諄さんを追悼する書籍を刊行されました。
第1部は、野添さんが『花岡事件と中国人:大隊長耿諄の蜂起』(三一書房、 1997年刊)でまとめられた耿諄さんの評伝をもとに、 花岡「和解」前後の動向を新たに書き加え、 全体的にも大幅に加筆されています。
第2部は、3人の寄稿からなり、耿諄さんの息子・耿碩宇氏、 当会の山邉悠喜子氏、張宏波氏が執筆しています。
山邉氏は、『終わらない戦争、「尊厳」のための戦い〜「被強制連行者」 「特殊工人」らの抗日闘争』というタイトルで、 戦時中の中国には何千、何万人の「耿諄さん」がいたことを紹介しています。
張氏は、『日中間の歴史認識に横たわる深い<溝> 〜花岡「和解」成立直後の中国側の動向から』というタイトルで、 日本では手放しで賛辞が送られていた「和解」直後の時期に、 中国ではまったく逆に同和解への拒否的反応が広がっていたという <落差>の意味を検討しています。
今の日本と中国とがどうしてこのような関係になってしまったのかを 理解したいとお考えの方にこそ、 耿諄さんの歩んだ道に触れて頂きたいと思います。 貴重な写真や耿諄さんの遺書なども収録されています。
皆様の感想もお待ちしています。  (社会評論社、2,376円)

 

毎日新聞の偏った記事に抗議

2013年5月16日の毎日新聞「オピニオン 記者の目」欄に、同年3月に 開かれた日本への元留学生の国際会議の記事が掲載された。内容の中心は桜美 林大の李恩民教授の「花岡和解」研究の紹介であったが、「和解」肯定に偏った 「研究」の資料は一方の当事者である鹿島建設側から提供されたものであり、そも そも「国際会議」の参加者も鹿島関連の財団の元奨学生ということで、記事全体が 鹿島の「覆面PR」ではないかとまで疑わせる。抗議の投書は掲載されなかっ たのでここに再録する。
抗議文 −−− 石田隆至 
抗議文 −−− 山邉悠喜子

 

シンポジウムでの講演報告

2013年5月1日に当会の山邉悠喜子が、 東京東アジア文化交流会(石飛仁代表)の第54回シンポで講演を行いました。 「和解勧告書」や「和解条項」といった具体的な資料に依拠しながら、 花岡「和解」の成立前後にどのような<策動>が働いたのか、 その中でいかに原告被害者たちの悲願が骨抜きにされていったのかを訴えました。 また、こうした「和解」を推進し、正当化し続ける人々の主張には、 侵略や加害を顕彰したり正当化する一部の政治家や市民の主張と 根底では繋がっていってしまう点にも警鐘を鳴らしました。

 

花岡事件のリ−ダー・耿諄さん逝去

アジア太平洋戦争中に秋田県大館市に強制連行された中国人労工が、 鹿島建設による苛酷な強制労働と虐待に耐えかねて蜂起した「花岡事件」。 そのリーダーであった耿諄さんが2012年8月27日に中国・ 河南省のご自宅で逝去されました。 1995年から2000年に及んだ「花岡訴訟」でも耿諄さんは原告団長でしたが、 「和解」の段階で鹿島が謝罪していないこと、 原告側弁護団に欺かれたことで「和解」を拒否しておられました。 97歳という高齢まで戦争責任の追及に先頭に立って闘われた生涯に 敬意を表するとともに、ご冥福をお祈りします。
なお「耿諄さん逝去以降の経緯と当会の態度表明」、 また、芹沢昇雄さんの 「【花岡和解】拒否貫いた・耿諄さん逝く」

 

鹿砦社が「花岡和解」問題を取り上げる

独自の告発記事で知られる鹿砦社が「花岡和解」の問題性に注目し、 月刊雑誌「紙の爆弾」2011年4月号76−80ページに
「戦後補償運動が弁護士らの喰い物に 鹿島建設による外国人強制労働事件 『花岡和解』の抱える闇」、
またムック本「告発の行方 知られざる弱者の叛乱」 (2011年4月)の中で
三百代言で塗り固められた『花岡和解』の徹底検証 −−中国人戦争被害者をウソとごまかしで裏切った弁護士たち」(花岡問題取材班) (57−93ページ)
を刊行しました。 これらの記事が「花岡和解」への評価を問い直すことにつながり、 弁護団・支援者が誠実な解答をすることを期待します。 問い合わせは鹿砦社まで。 なお「janjan」 に芹沢昇雄さんによる「『花岡和解』の徹底検証」の紹介文が掲載されました。

 

耿諄さん、孫力さんらから震災お見舞い

耿諄さんは病躯に鞭打って被災者支援のために揮毫の筆を取られ、 書がチャリティー・オークションに出品されたと 「環球網」に報道されました。
孫力さんからはお見舞いの言葉が届き、 花岡の慰霊碑が破損していないかどうかもご心配されていました。 (後日野添憲治さんから無事とのお知らせ)。 何天義さんと聯誼会からもお見舞いをいただきました。

 

原告が望んだ記念館は?

2010年4月17日に、 秋田県大館で市民立花岡平和記念館のオープン式が大々的に行われました。 加害の地の市民の手によって建てられた加害事実に関する記念館として、 評価されるべきでしょう。しかしながら、そもそも耿諄さんたちが求めているのは、 鹿島建設が加害の歴史事実を認めて本当の反省を示すシルシとしての記念館そのものです。 この点については、関連報道ではなぜか全く触れられていません。 和解直前の説明会の前(2000年11月17日)に、 耿諄さんが起草した記念館建設についての主張を 再読したい。

 

花岡「和解」勉強会へ参加しませんか

花岡「和解」直後から、あるいは最近になって「和解」に疑問をもつ 人たちが、根底から問題点を追求し、その結果を発信していこうとする会を開いています。 原則として月に1回、週末の午後に都心で集まります。 日時、場所はこのページ下端にあるメールアドレスまでお問い合わせください。                                      

 

花岡「和解」の評価をめぐる新しい波

2000年11月の「花岡和解」から7年あまりが経ちました。 2007年夏から『世界』(岩波書店)誌上で野田正彰・関西学院大学教授による 中国人強制連行被害者の聞き取り「虜囚の記憶を贈る」の連載がはじまり、その第 5・6回に耿諄氏の花岡事件の叙述と和解への批判が紹介されました。その後同誌上 には田中宏氏らによる反論、野田氏による再反論などが掲載され、論議を巻き起こして います。            
               (参照:花岡和解の問題)                                        

耿諄さん逝去以降の経緯と当会の態度表明
【花岡和解】拒否貫いた・耿諄さん逝く 芹沢昇雄
花岡和解の経過
花岡和解の問題
花岡和解の「偽」 劉彩品
僅かな金銭を得て発言権を失った! 旻子
拒否されている「花岡和解」 芹沢昇雄
内田弁護士の反論への再反論
「花岡和解」11年に新聞へ投書
《尊厳》日本語訳出版に当たって

西松・安野(広島)和解
西松安野和解に対するわれわれの意見
西松・安野:和解条項(および確認事項)

西松・信濃川(新潟)訴訟
西松信濃川訴訟の原告らが西松建設に送った和解拒否声明
他の中国強制連行・労働訴訟の被害者・遺族らが西松建設に送った公開書簡
康健弁護士から西松建設への抗議書
和解条項(および確認事項)
和解についての声明 弁護団長 高橋融
何が日中間の溝を深めるのか? 張宏波

田中宏ら3氏への公開質問状
公開質問状 前書き (共通)
田中 宏氏への公開質問状
内田雅敏氏への公開質問状
林 伯耀氏への公開質問状
公開質問状に回答なし

花岡和解の基礎資料
公開書簡(三項目要求)
         (1989.12.22)
共同発表   (1990.07.05)
控訴時の声明 (1998.03.04)
和解勧告書  (2000.04.21)
損害賠償要求案についての主張 (2000.11.17)
和解条項   (2000.11.29)
裁判官所感  (2000.11.29)
鹿島のコメント(2000.11.29)
花岡事件関連年表
原告の怒りの声
耿諄氏:国辱を忘れるな
耿諄氏:「厳正に表明する」
孫力氏:「和解」拒否声明
孫力氏:弁護団への公開書簡

花岡事件56周年フォーラムから
鹿島建設への公開書簡
日本国内閣への公開書簡
東京高裁裁判官への公開書簡
新美隆弁護士、田中宏教授への公開書簡
日本のマスコミおよび平和を愛する友人への公開書簡

「和解」後の経過
・2017年 2017年花岡訪問レポート
・2004年 2/7, 2/13「花岡基金」受領期間延長へ
 9/18国際シンポ報告
・2003年 11/7論争
・2002年 5/30中国青年報へ
・2001年 6/26フォーラム
       外国からの感想
・2000年 12/1「勝利集会」
       12/7戦後補償企業ネット
       12/17報告の集い
抗日戦争勝利60周年記念の耿諄氏の旅の写真
関連論文・資料
「花岡案件」の和解方式と民間賠償を分析する 管 建強
花岡「和解」から見る日本的戦後処理 張 宏波
「花岡事件和解判決」を再考 山辺悠喜子
日本政府と加害企業の誠意は? 呉 広義
花岡事件「和解」再考 「和解」を拒否する被害者 「私の戦後処理を問う」会
日本の戦争責任と繰り返される「曖昧な解決」−−戦争被害者の人権を考える 張 宏波
花岡事件の和解をめぐって 野添憲治  
中国人強制連行の三菱マテリアル「和解」をめぐる書評論文 石田隆至・張宏波
         
雑誌記事リスト
あなたは 人目の訪問者です(2013年2月7日より)。
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