何が日中間の溝を深めるのか?

張 宏波


4月2日付の野田正彰氏<今日の視角> 「信濃川強制連行和解拒否」 には、現在の日中間に刺さったトゲをどう抜くかに関する急所が指摘されていて、 溜飲が下がる思いだった。

日中間の経済交流はもはや互いにとって不可欠なほど発展しているが、 他方で政治的・社会的にはお世辞にも良好とはいえない。 その遠因に戦争加害問題の未処理があるのはいうまでもない。 もちろん、日本の良心的な知識人や市民運動家によって、 戦後補償運動や被害者支援が地道に続けられてきており、 在日中国人の一人として心から敬意を持っている。 戦争被害に今も苦しむ中国人がいることも少しずつ知られるようになってきた。 ただ、日本社会全体のうねりとして、かつての戦争がもたらした結果を直視し、 歴史を清算して正常な対アジア関係の構築を願う動きが現れているとは言い難い。

なぜこのような残念な状況が続いているのかと日頃から感じていたなかで、 野田氏の指摘は示唆的だった。 日本側が提起した戦後補償問題の和解案を被害者たちが拒否したという。 これは加害企業・西松建設の姿勢だけの問題ではない。 和解案をまとめるのに被害者を代理した日本側弁護団も これで妥協できると判断したはずである。 戦後補償運動に携わるような良心的かつ献身的な日本人も、 被害者が何を望んで日本政府や加害企業への訴えを起こしているのか 十分理解できていなかったようである。

受けた被害そのもの、そしてそれ故に戦後も重ねてきた苦労は、 どれだけお金を積まれても現状回復できない。 誰よりもそのことを痛感している被害者がそれでもなお訴えたのはなぜか。 事実とその責任を明確にし、 そのうえで加害者が誠意ある謝罪をすることを求めていたからである。 彼らの受けた想像を絶する苦難は、 誰が何のためにこんなことをしたのかと問わずにはいられないのである。 事実、ある強制連行被害者から「カネなんて要らない。 どうして自分がこんなひどい目に遭ったのか知りたいだけだ」という声を聞いた。

野田氏は1月15日付 コラム でも、花岡「和解」を題材に同様の指摘をしていた。 これに対して弁護団の一人だった内田雅敏弁護士から 反論 (1月21日付)が寄せられていたが、人権派で知られる内田氏もまた、 被害者の本当の声が聞こえていないのではないかと暗澹たる思いになった。 花岡「和解」は500人が受け入れていて、数名しか拒否していないというが、 数より主張の中身が大事ではないか。花岡「和解」を拒否する原告もまた、 カネより正義を求めていたはずである。 少数者の声に耳を傾けてこそ「人権派」ではないだろうか。 それに、 原告が「騙された」とまで主張する「和解」のあり方そのものの問題点を説明せず、 なぜ「弁明」ばかりするのだろうか。

日中間の溝を深めるのは、 被害者の声に向き合わず加害者の側の都合ばかり並べる不誠実な姿勢にこそある。 何のための戦後補償運動だったのか、 原点をもう一度確認すべき時にきているのではないか。(中国吉林省出身、大学教員)


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