中華人民共和国 王毅外交部長 殿
中華人民共和国駐日本国大使館 程永華大使 殿

戦時日本の強制連行・強制労働に関する中国法廷での裁判審理についての意見書

2015年2月11日、戦時中に行われた強制連行・強制労働をめぐって、 中国人被害者および遺族と三菱マテリアル(旧三菱鉱業) との間で行われていた和解交渉が決裂したことが、 日中双方のメディアで伝えられた。

和解交渉のなかで中国人被害者・遺族は、 加害の事実と責任の所在が明確にされたうえで、 当該企業の法的責任に基づく賠償金が拠出されることを求めていた。 ところが、三菱側は「雇用主としての歴史的責任」を認めるという立場にこだわり、 強制連行の要請や連行後の虐待・虐殺の主体者であったという事実を認めず、 法的責任の回避に終始したという。 これは、日本の裁判所における法廷審理の際に示された 同社の立場表明と何ら変わっていない。

90年代後半から2000年代にかけて 日本の裁判所に提訴された強制連行・強制労働訴訟では、 最終的に時効や国家無答責、 「日中共同声明による解決済み」論で強制連行被害者が敗訴した。 判決では被害の事実認定が行われるケースもあったが、賠償は行われていない。

その後、被害者・遺族らが中国の裁判所に提訴するようになったこと、 昨年2月には三菱マテリアルに対する訴状が 初めて受理されているといった事実から、 被害者やその遺族はもちろん中国の裁判所も、 日本の司法が示した強制連行・強制労働問題の判決や和解が 問題の「解決」になっておらず、 不当なものだと受け止めていることを物語っている。

今回決裂した和解交渉では、 三菱側は「雇用主」として 「歴史的責任」を持つに過ぎないという自己認識を示した。 強制連行や奴隷労働、虐待・虐殺が行われていた事実を踏まえれば、 一般的な「雇用関係」にとどまるものではないことは明白であり、 戦争犯罪に該当する重大な人権侵害と捉えるべきである。 加害の事実やその責任を明確にするという被害者の第一要求が このように曖昧化されているのであれば、 交渉が決裂しない方が不思議である。 三菱側のこうした態度は、 事実認定だけは行った日本の司法判断からも大幅に後退している。

このような状況の中で金銭の拠出を優先して「和解」を成立させてしまっては、 現在の日中間の最大の問題である「歴史問題」 の解決にも繋がらないことはいうまでもない。 被害者自身の体験や戦後に家族や地域社会が受けた影響、 民衆の戦争記憶は、 何よりもまず日本の加害主体が罪を認めて責任を引き受けることなしに、 「戦後」を迎えることができないからである。 「政治解決」や「日中友好」もまた、歴史事実とその責任を曖昧にせず、 明確化することではじめて成り立つものである。

このことを雄弁に裏付ける事例が、 強制連行における「和解」の先行例としての「花岡和解」「西松和解」である。 前者では、故・耿諄原告団長をはじめ複数の原告が事実と責任を曖昧にした 「和解」の受け入れを拒んだ。 後者でも、同和解を「花岡和解」型の曖昧解決だと主張した原告が、 和解当事者から外されてしまい、全面的な解決とは程遠いものとなっている。 今回決裂した三菱との和解交渉においても、事実認定や責任の所在、 謝罪のあり方が曖昧なまま基金が拠出されるのでは、 花岡・西松型の「和解」の域を出ておらず、 和解金の額面以外に「前進」があったとはいえない。 花岡「和解」や西松「和解」が成立した際には、 「画期的和解」「今後の包括的な解決へのステップ」 といった形で評価する声が支配的だったが、その後、 最高裁ではすべて敗訴に終わり、「政治解決」も実現しておらず、 何ら「次のステップ」に進んだ事実はない。 今回、被害者・遺族らが交渉を打ち切ったのも、 事実認定や責任のあり方でまったく前進がなかったことを示している。

逆にいえば、理路は単純であり、 事実認定や法的責任を明確にした「和解」が成立すれば、 強制連行・強制労働をめぐる「歴史問題」は解決へと大いに近づき、 いつまでもくすぶり続けることはないだろう。 われわれは、戦後70年という節目にあたって、 当事者である当該企業および日本政府が加害の事実とその責任を直視することで、 懸案である歴史問題の根本的解決を図ることを強く求める。

その意味で、敗戦後のBC級戦犯横浜裁判において、 花岡事件での鹿島組職員らによる捕虜虐待・ 虐殺という戦争犯罪に対する法的責任が確定し、 死刑等の判決が出ていたにもかかわらず、 鹿島花岡訴訟において事実や責任を曖昧にした 「和解」を成立させてしまったことは、 戦犯裁判の結果からも大きく後退したとあらためて指摘しておく必要がある。

花岡「和解」成立後、産経新聞もまた一定の評価を下していた。 しかし、それは「今回の和解が戦後賠償や戦後補償問題の枠組みを 変えることはあり得ない」(2000年12月1日付) という判断の下でなされた評価であることに注意を喚起したい。 事実認定も行わず、法的責任も認めず、 賠償金も払わないにもかかわらず、「友好」「和解」が成り立ったことを、 彼らは歓迎していたのである。 事実、花岡「和解」成立後の強制連行・強制労働訴訟の法廷の場で、 裁判所はしばしば「花岡型」の<法的責任抜きの「和解」>を提案してきた。 戦後賠償でも戦後補償でもない「和解」の余地が生まれたことは 誰を喜ばせたのかは明白である。

花岡「和解」後のこうした経緯を振り返れば、 事実認定も法的責任も抜きにした「和解」を成立させることは、 日本社会において戦争責任問題や戦争被害者の戦後補償を 追及してきた市民や学者、法律家などの懸命な努力に対して 「梯子を外す」ことにしかならず、 日本社会の右傾化を棹さしてしまうのみである。 実際に近年、日本の中国研究者たちの間で、 中国の被害者・遺族の当然の要求を支持する声がきわめて希薄になっている。

こうした観点から、われわれは、 事実や責任を曖昧化しながら金銭の拠出を進めようとする 和解案を問題の「解決」と見なさず、 間もなく始まるとされる中国法廷での審理に基づき、 事実の解明や責任の明確化を求めることを選んだ被害者・ 遺族および康健弁護士らの判断を強く支持する。 2012年5月には、 韓国の最高裁判所が戦時徴用被害について 新日鉄住金に対し個人賠償を命じており、 中国の裁判所においても同様の法的措置がとられることが 期待されるところである。

中華人民共和国外交部および中華人民共和国駐日本国大使館にあっても、 表面的な「中日友好」に配慮せず、 中国民衆の被害および被害感情を解決する根本的な次元から 「歴史問題」に向き合い、 被害者や遺族が受け入れられる真の「解決」のために 一層の努力を傾注されることを強く願うものである。

なお、ドイツの戦後処理は中国でも評価されているが、 それは周辺国が被害国としての責務を果たしたがゆえの結果でもある。 アジアの被害国が日本の加害責任を徹底して追及してこなかったことも、 現在の状況を生み出した一因である。 原則部分でさえ譲歩していては、 中国は「法治国家」ではなく「人治国家」であるという イメージを増幅させるばかりである。 被害者の「尊厳」を犠牲にするような一方的な譲歩で得られる 「友好」が一時的なものに過ぎないことは、 ここ20〜30年の日中間の歴史が雄弁に物語っていることを今一度想起したい。

2015年2月28日

                   「私の戦後処理を問う」会
                       代表 山邉悠喜子

                     Fax:020ー4663ー4941
                    hanaoka1119@gmail.com


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