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第2章 縁の糸(1)

 朝里はねぐらに戻っていた。朝里が住んでいるのは,会社が借り上げてくれた寮で,鶴見にあった。鶴見は横浜の北部にあって,隣の川崎と接っしていて,ミナト横浜というイメージはなく,朝里の住んでいるところは,どちらかというと山の中という感じであった。
 この寮は,バブル時代に,ある製鉄会社が有り余る利益を圧縮するために,女子寮として建設したものである。その後の不況で,その会社もリストラを迫られ,また,バブルの時代に総合職として採用された大量の女性社員も,社内の競争に耐えられなくなり,次々と退職していったため,寮として存続させる必要がなくなり,系列の不動産管理会社に移管された。この会社は,朝里の勤務先のように,単独で独身寮や社宅を持てない中小の会社に,数部屋づつ,バラ貸ししているのである。
 朝里は月々家賃として3万円を天引きされ,残りは会社負担ということで,この寮に暮らしていた。
 元々,女子向けで,なおかつバブル期に作られた施設であるので,部屋は,6畳にバス,トイレ,簡単な食事が作れる流しがついていて,暖色系の淡い色調で統一された内装や外装も,一般の独身寮と比べれば満足のいくものであった。
 食事は賄いの人が作ってくれるので,希望すれば,それを朝夕,食べることが出来た。 いろいろな会社の社員が入居しているので,住人同士は互いに干渉しないし,寮の規則などはあってないようなもので,朝里はこの部屋に女友達を泊めることも度々であった。
 朝里は,現在のこの生活に概ね満足していた。少なくとも,今の状態で時間を止めてやると言われれば,反対はしないであろう。仕事は彼の裁量の範囲が広かったし,やりがいもあった。ほどほどの収入があり,適度な交際費も使えた。楽しい時間の過ごせる複数の女友達もいたし,共通の話題や興味を持った男友達もいた。
 そろそろ結婚を考えないわけでもなかったが,現在以上に何かが向上するという確信が得られず,今日まで来ていた。別にそれを後悔しているわけではなかった。

 朝里は外食を済ませていたので,寮に帰っても取りあえずすることは何もなかった。取りあえずTVをつけてみた。朝里が9時前に寮に帰ることなど滅多になかったが,今晩はあの女から連絡が入るはずであった。外で何かしていて変なタイミングで電話がくるのも考え物だと思い,自宅待機することにしたのだ。
 TVは巨人−横浜戦を実況していた。眼はTVに向いていたが,考えることは別だった。別れておよそ2時間が経過したが,女との記憶はかえって鮮明になっていくようだった。
 朝里は女の着ていたスーツがC&Wのものだったのを確認していた。下着は,女の会話の中で,女自身がスィーサイド・ブロンズといっていた。
 どちらも米国の通販メーカでスーツの方は割と普通だが,下着の方は悩ましいものを専門に扱っている会社で,日本ではそれほど知られていない通販ショップであった。
 朝里はこれらの事をあらかじめ知っていたわけでなく,石神 由利と別れた後に,個人輸入を趣味としている,なじみの女友達に電話し,それとなく聞き出したのである。その女友達にしても,輸入するのは化粧品やビタミン剤,サイズの心配の少ないシャツや寝間着などで,スーツや下着などはサイズが合わないので,輸入する事はないと言っていた。
 女の背が高いということもあるのだろうが,ブランドものではなく,通販もので固めるというのは主体性が強く,自分に自信のある女という印象であった。
 そう言えば,化粧気のないのも印象的で,一緒にシャワーを浴びたとき,顔に湯がかかっても全く意に介さなっかたし,実際,近くで観察しても,しているのかしていなのか分からないほど薄い化粧であった。素材が十分に上質なので敢えて飾る必要はないと言うことであろうか。
 女の話す言葉は滑らかな東京弁で,地方の匂いは感じられなかった。朝里は営業マンとして,人と話す機会が多かったので,地方から来た人なら概ね出身地域が特定できた。そんな経験から,東京近郊で生まれ育ったのであろうと,推定した。
 女の職業が謎であった。水商売が本業であるようには思えなかった。さりとてOLなどの堅い職業にも見えなかった。
 最大の謎は17万円である。女がギリギリの選択として,男に体を売ることで金を得るという決意をしたとは思えなかった。では,日常的にそういう職業についているのかというと,それにしてはそのときの行為は初々しかったし,場慣れしている感じも受けなかった。
 朝里はいろいろ思考を巡らしたが,大した情報もないのにあれこれ推理しても,妥当な結論は得られないと考え,推論を打ち切った。


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