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第1章 夢のはじめ(1)

 突然携帯が鳴った。何だ,今頃,会社からか。今日の仕事はもう終わりだぜ。男はふてくされながら受話器を耳に当てた。
「はい」
「もしもし,初めまして。私,石神 由利と申します。朝里 裕さんですよね」
若い女の声だった。朝里は突然見ず知らずの女性から電話を受けて動揺した。
「朝里ですが。失礼ですがどちら様でしょう」
朝里は警戒した口調で言った。この電話は会社のもので,社内の限られた人しか番号は知らない。私用に使うこともあるが,それでも番号を知っている友人はそんなに多くはない。でたらめに掛けた番号がヒットしただけなら名前は知っているはずがない。朝里は一気にいろいろ考えを巡らしたが,解答は出なかった。
「不審に思われました?貴方の事と電話番号は貴方のお友達から聞きました。もう,今日の仕事は終わりでしょう。よかったらお付き合い願えません?」
女は明るい声で言った。
 お付き合いだって?朝里はつぶやいた。どういう事なんだ。少し落ち着こう,このまま運転を続けると事故を起こしそうだ。
「ちょっと,そのまま待ってもらえます。車を止めますから」
女はいいですよと言って,笑ったようだった。朝里は後ろの車に注意しながら,仕事車を路肩に止めた。

「どういうことなのか,よく分からないですよ。声からすると若い方のようですが,そう言う方がどうして私の所に電話してきて,いきなり付き合って欲しいなんて言い出すんですか。まあ,悪い話じゃなさそうですが」
朝里は冗談だろうと言おうと思ったが,それで電話を切られてしまったら勿体ないとも思い,会話を継続する意志のあることを示した。
「先ほど言ったとおりです。少しの間,楽しみません?」
女の声はあくまでも落ち着いていた。
 あまり本気にすると女は,最後に冗談よなどと言って笑い出すのではないか。
 それとも,何かの勧誘だろうか。もしかしたら,新種のホテトルかデートクラブなんかだろうか?可能性はたくさんある。これ以上細かい話をここでするのはよそうと思い,朝里は話を切り上げることにした。
「いいですよ。付き合いましょう。どこで逢いますか?」
「今,どこにいっらっしゃいます?都内ですよね」
女は相変わらず,明るい,落ち着いた声で言った。低い声が印象的だ。
「今,池袋です。仕事車に乗っていますが」
朝里は正直に答えた。
「近くでよかった。それではこれから鶯谷のホテルへ行って,ホテルはどこでもいいですから,着いたら電話を頂けますか。番号はxxx--xx-2562です」
なんだやっぱり風俗か,まあ,話のタネに顔を見て,お話だけでもしてみるか。話が壊れたら,本物のホテトルの女の子を呼んでもいい。朝里はそう判断して,
「分かりました。番号はxxx--xx-2562ですね」
と,復唱した。女は,ではよろしくと言って電話を切った。
 声の調子から判断すると,高校生や中学生ではない。20代後半か30代前半,話し方から地方出身者ではないと朝里は判断した。優秀な営業マンである彼は,電話の声で相手を推測したり,二言三言,話をしただけで,相手の知的レベルを推し図ったりする能力には自信があった。
 それにしても,何者なんだ石神 由利って女は。

 朝里は,あるコンピュータ会社に勤務している営業マンである。営業マンと言っても彼自身,プログラムも書けるし,ハードの組立も出来るし,ネットワークの設定もやってしまう。彼が営業に在籍しているのは,要するに技術系の能力より,営業能力が高いことを,社の幹部が認めているからである。
 信任の厚い朝里の仕事は,基本的に朝里の裁量に任されている。実際,彼の営業の成績は毎月ベスト3を下ることはなかったし,取ってくる仕事も会社にとって戦略的に重要なものが多かった。
 朝里は,午前中に行った大菱製紙の本社で,購買課長から,提案中の設計審査承認システムについて内示を出すと囁かれていたた。見積もりは結構切られたが,それも糊代の範囲だし,別に彼がシステム開発するわけではない。注文を取ることが朝里の仕事だ。営業があとの事を考えていたら注文なんか取れやしない。オレがまとめれば十分利益が出るさ。朝里はそう確信していた。

 そこに飛び込んできた女からの電話である。思わぬ展開に朝里の胸は高鳴った。何か面白いことが起こりそう。朝里は鶯谷に向かった。


第1章 夢のはじめ(2)
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