●アーサ・C・クラークの小説「2001年宇宙の旅」との関係
ご存じの方も多いと思いますが,映画はキューブリックとクラークの共同脚本となっていまして,クレジットにもこの順番で登場します。しかし,「スタンリー・キューブリック」他の書籍でも明らかなのですが,当初は2人で小説を書きそれを基にして,シナリオを作る予定だったのですが,実際には映画製作が先行し,4月に映画が公開された後,7月に入って,小説が発表されています。
従いまして,小説を原作と言うことは出来ません。また,当然のことですが,仮に小説が原作であったとしても,映画はそれ自体完結した芸術であり作品ですから,原作の筋と異なることはよくあることで,クラークの事は忘れて,映画自体を論じればいいでしょう。
●続編として作られた「2010年宇宙の旅」との関係
続編を作らないかという話が,キューブリックにあったそうですが,彼は即座に断っています。
「2010年宇宙の旅」が公開されたとき,この映画によって前作の謎が解けるようなキャッチコピーがありましたが,謎も何も「2001年宇宙の旅」はこれ1作で完全に完結しているのですら,謎はありません。キューブリックが続編を作らなかったのは当然なのです
HALが相矛盾する指令を受けたので,混乱し間違った答えを出したというのは,続編を作るために創世した話で,HALくらいのコンピュータの開発者ならば,その程度の事象は当然,事前に折り込み済みなはずです。アポロの時代でさえ,3台のコンピュータを積んで,多数決原理を採用していたのです。
●その他いくつかの書籍
この映画の解説や謎解きを試みた本はいくつかあります。が,謎解きに成功した本は私の知る限りありません。いくつか紹介しましょう。
・キューブリックの世界と「2001年宇宙の旅」:ダイアン・マシターズ=ワトソン(東宝)
写真とあらすじを紹介していますが,「木星と無限の彼方」以降の説明がメロメロ。書いた本人も分かっていないようです。
・キューブリック・ミステリー:浜野 保樹(福武書店) 作者は「神になろうとしているのHALではなく人間だった」といい線までいってますが,明確には分かっていないようです。そもそも,キューブリックが手塚治虫に美術監督を依頼したという話を本気にしてはいけません。鉄腕アトム(アストロボーイ)とHALは本質的に違うものでしょう。
2.あらすじ
映画は68年に公開されて以来,何度か繰り返しリバイバル上映されていますし,衛星放送などでも放映されいます(最近は95年2月)。
もちろん,ビデオやLDも発売されていますから,筋をご存じの方は多いと思いますが,忘れてしまった方のために少しおさらいをしておきましよう。
冒頭は「ツアラストラはこう語った」の音楽に乗って,有名な月から見た日食ですが,これはカナダ万博のパビリオンで上映されたシーンのパクリです。
人類の夜明。場所は地球。対立するサル達の一群はモノリスと呼ばれる黒石板に触れ,道具を使うことを知る。
21世紀。舞台は月。フロイド博士は月にある謎のモノリスを調査するため,オライオン号で,ステーション5に立ち寄った後,エアリーズ号で月に向かう。
月面上のモノリスに触れる人間。
18ヶ月後。舞台は木星探査船ディスカバリー号の船内。場所は地球(すなわち月)と木星の間です。人間の動きを驚異的なスピードで実現するHAL9000というコンピュータが,探査船を管理している。
HALはBBCのキャスターのエイマーの「君の任務は重大である。自信をなくすことはないか」という質問に対して
「9000シリーズは史上最高のコンピュータで,過ちを犯した仲間はいない,完全無欠である」と答える。
HALはボーマン船長に対して「今回の任務に疑問はないか」と問いただす。
HALがAE35ユニットが故障すると言いましたが,実は正常だった。果たして,HALミスを犯したのか。
問いつめる乗員。HALは「ミスを犯すのは常に人間で,これは人間の操作ミスだ」と言う。HALは完全無欠なのか?疑う乗員達。HALがミスを犯したとすると,探査船の制御管理システムは不完全という事になる。
HALと乗員の戦いが始まり,ボーマンはHALの思考回路を停止する。
木星と無限の彼方で,ディスカバリー号はモノリスに導かれ,スターゲートを通過する。
年老いたボーマン船長とモノリス。スターチャイルドと地球。
再び「ツアラストラはこう語った」の音楽。エンディング。
思い出して頂けましたか。極端にセリフの少ない映画ですね
では,本題に入りましょう。
3.考察
1.モノリスという黒石板は,進歩又は進化の象徴である
冒頭のシーンで,モノリスに触れた猿が骨を武器にすることを覚え,対立する猿の群れをやっつけます。道具を使うのは人間の特権と言うことになっていますので,モノリスが猿から類人猿への進化を象徴していることは容易に理解できます。
すなわち,狂言回しのように現れるモノリスは進化の象徴なのです。
場面は月に変わり,フロイド博士はモノリスに触れてしまいますが,これは重要な点で,この時,人類は更に進化したのです。人間がさらに進化すると何になるのかというと,神またはそれに近い存在,例えば聖人,になるのです。
人間が進化すると神になるというのは,日本人には分かりにくい概念ですが,キリスト教信者に取っては,それほど難しい話ではありません
2.HAL9000は人間を支配しようとした
キリスト教には,神が絶対であり,その次に人間,そしてその他のものが位置する という,支配構造(契約関係)があります。人間は神への信仰,その証は生け贄の提供であったり,自らを捧げることであったりしますが,これによって,逆に神から地球上の全てのモノを支配管理する権限を得ている訳です。
探査船ディスカバリ−号の中で,HALは決して間違いは犯さないといい,それを疑った乗組員達を次々に処分して行きます。
HALが間違いを犯すとすれば,このミッションは成功しないだろうし,一方,間違いを犯さない思考能力を持ったコンピュータであるとすれば,人間より神に近い存在なり,キリスト教の考えからいけば,神と人間の間にHALが存在し,神に代わる支配者は人間でなくHALということになります。
ディスカバリ−号の中でのHALの行動は,HALの人間に対する反乱ではなく,支配権の行使に過ぎなかったのです。
産業革命以来,人間の手に入れた機械は,手や足の代わりをするものではありませんでした。1946年に電子計算機が開発されて以来,人類は初めて手に入れた脳の代わりをするかも知れない機械に大いに期待し,人工知能の研究や一般問題を解かせる研究が行われました。そしてコンピュータが進歩すればいつかは人間より優れた頭脳が誕生するのではないかと信じていました。映画の公開された70年頃までは,少なくとも一般の人はコンピュータをそのように思っていたでしょう。
欧米のSF小説で,鉄腕アトムのようなロボットのような,コンピュ−タが人間と共存しないで,対立する話が多いのも,このようなキリスト教の支配構造の考え方に起因するものだと思えば納得がいきます。
もちろん,現在は,コンピュータが思考能力において,人間を凌駕するのは至難の事であるというのは常識になっていますので,神との契約をコンピュータに奪われる恐れもなくなったので,良いコンピュータも登場してきています。
3.ボーマン船長は神になった
ディスカバリ−号の中でボーマン船長がHALと戦い勝利を納められたのは,人類が月で進化の象徴であるモノリスに触れていたからです。
人間より神に近いHALに勝ったボーマン船長は,HALよりももっと神に近い存在,もしくは神自身になったのです。木星での長い”スターゲイト”のシーンはその過程を象徴しているのです。
老いたボーマンを見つめる視線は,神となったボーマンの目でしょう
ラストで,宇宙空間に漂う地球と胎児は,神となったボーマン船長の目から見れば,それらが共に同じ存在であることを暗示しているのです。
この考え方は,キリスト教よりも,仏教に近いような気がします。この部分は,クラークのアイデアなのかも知れません。
日本人にはとっても分かり易いでしょう
また,映画では舞台が,地球,月,月と木星の間,木星の無限の彼方と変わりますが,これらの物理的距離が,サルと人間とHALと神の相対的関係を象徴していることも解ります。
こうして観ると,「2001年宇宙の旅」は極めてコンセプトの明確な分かりやすい 映画だといえます。
私たち日本人はキリスト教などにはたいていの人は縁がないので,このような鑑賞の 仕方はなかなかできません。欧米の映画で難解だと言われるものの中には,このような
ものも結構あるのかも知れません。
整理してみれば、「2001年宇宙の旅」とは、キリスト教とは何かを問うている映画なのです。
つまり、
キリスト教では、人間は神によってアダムとイヴを祖先として作られたことになっているのに対し、
映画では、「人間は道具を使うサルでしょう」と問いかけていますし、
キリスト教では、人間は神によって最初に作られた生物であり、神との契約によって人間は世界を支配しているのに対し
映画は、「HALみたいに、人間にチェスで勝ってしまうようなコンピュータが出てきたら、神との契約はどうなるの」と問いかけています。
キリスト教の一番痛いところは、復活したイエス・キリストが人間なのか神なのかという問題で、そのため、三位一体説などという理屈を出したりするわけですが、
映画では、「コンピューターより優れたボーマンは、人間なのか神なのか?」と問いかけている
わけなのです。
どうです。理路整然として分かりやすいでしょう。
是非もう一度,「2001年宇宙の旅」を見直して下さい。