Harikomi
張り込み

 もう,何十年も前の話になるが,私の住んでいる町で殺人事件が起こった。
 私の住んでいる町は,港町でカツオの1本釣りの船の母港として栄えていた。
 のどかな町で,事件といえば年に何回か起こる交通事故と,酔っ払い同士の喧嘩くらいのもので,すこぶる平和な町であった。
 そこに,殺人事件が勃発した。1階が船道具の物置,2階が下宿になっている木造の家で,下宿の一室に居住していた男が殺された。男は独身で,いろいろなカツオ船に雇われて仕事をする船員であった。
 事件があって数日後,私は床屋に行った。その床屋は美人姉妹が理髪するというので有名な店で,行ってみると殺人事件が起こった家とは50mも離れておらず,鏡に向かうと,その家が写るのだった。
 床屋の話題も殺人事件で持ちきりであった。
 姉妹の内の姉の方が,私に話かけて来た。
「ねぇねぇ,面白いもの見せてあげようか」
私も床屋に行くくらいで,暇だったので,
「なになに」
とか言って,教えてもらう事にした。

 彼女は,殺人事件の家の方を指差すと,
「あそこの電柱の脇に立っているのは,変装しているけど**署の刑事なんだよ。それとね,もう少しすると回ってくるけど,船員帽を被っているのも刑事なんだよ」
彼女は新発見が自慢らしく,うれしそうだった。
「どうして刑事ってわかったの」
 私は不思議に思って聞いた。
 彼女の考察は次のようなものであった。
 電柱の陰に立っている男は,横縞の半袖シャツを着ているが,パイプを燻らしているが,実際の船員でタバコを吸うものは,市販の紙巻タバコを吸う。
 カツオ船が洋上にに出れば,うねりで船は揺れるもので,そんなときにパイプに刻みタバコを詰めたりする事はできないので,紙巻たばこである。しかも「しんせい」などのフィルターのついていない(当時はそういうタバコが多かった)タバコを半分にちぎって,一服吸ったらすぐ捨てるといった吸い方が多いのだという。
 また,白と青の横縞のシャツを着るような事はない。たいていは汚れが目立ちにくいカーキ色のつなぎの服を船員は着用するものだという。

 説明を聞いているうちに,もう一人の変装した刑事が巡回してきた。
 こちらはつなぎではないが,カーキ色のそれらしい服を着て,船員帽を被っていた
「こっちも不合格なの」
「あたり前よ」
彼女はそう言って,説明を始めた。
 船の上や港は風が強いので,船員は帽子を被らない。日差しを避けるのには,タオルを巻いて使う。
 また,彼の服装は大体正しいが,顔も露出している二の腕も,日に焼けてなくて真っ白である。船員は屋外労働なので,見事なまでに赤銅色に日焼けしているのが普通で,休暇で陸に上がったとしても,肌が白い人はいない。

「要するに,日活映画の見過ぎなのよ」
彼女の結論であった。
 当時,日活は小林旭の渡り鳥シリーズなどを作っていて,実際,この町にも,何本かの映画でロケに来たくらいである。
 所轄署の刑事は映画は見ていたが,町の様子は観察が不十分であったのである。

 結局,殺人事件は同僚の船員が,酒の上での喧嘩で殺してしまったと自首してきて,一件落着となった。
 刑事の張り込みが,役に立ったかどうかは不明であった。


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