みなさん、あけましておめでとうございます。
いちごBBSに花田をみていると「ウルトラシリーズ」のバルンガたる怪獣を思い出す
というコメントがあった。ウルトラシリーズといっても、実は沢山あるわけで、私の記憶
の片鱗にあるのは、せいぜい「ウルトラマン」ぐらいまでである。ウルトラセブンも観て
はいたのだが、さほど印象に残るものがない。
自分を怪獣に喩えるならば、ピグモンかジャミラかゼットンあたりかなと思っているが
まぁ誰もそうは書かないだろうという気がしないでもない(苦笑)
さて、年が明けて、苺にも賑やかなコメントが見え隠れしているようである。
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02: ミスターえふしそ 2002/01/04(Fri) 11:02
少し酔っている。ふっ、、今日も寒いゼ。
では、恒例「ミスターえふしそ年頭えふしそ教書」である。(恒例だったか?)
革命である。えふしそはFSHISOにあらず「NIFTYの一フォーラム」にあらず。えふしそは
、あくまで「えふしそ」なのである。えふしそは運営スタッフとその取り巻き連中だけで作
り上げたものではない。彼らが、えふしそに関して、所有権であるとか運営権であるとか
、コントロールする権限を主張することは、そもそもおかしいのである。そのことはNIFTY
鰍ノも同様のことが言えるのだ。えふしそに集う多くの思想者たちが作り上げた議論の
場を、管理する権利など誰にもないのである。実は、このようなことを、わざわざ表明しな
くとも、現在のえふしそは、すでに「管理」など必要としない自由な議論の場と化している
のだ。それは、一部の者たちによる「訴訟のためのフォーラム」であった(と彼らが思い
込んで、そのように管理運営し、多くの会員を謀ってきた)状況が、「勝訴」という「かりそ
めの勝利」によって、彼ら自身でその状況を終結させたからである。彼らは、その薄汚れ
た手で、「FSHISO」という名の「えふしそ」に幕を引こうとしている。我々は、その策謀と闘
わなければならない。「えふしそ」を真に愛する者たちの手に取り戻さなければならない。
この闘いは、熾烈を極めるであろう。なぜならば、これは具象の闘いではなく抽象の闘い
であり観念の闘いであるからだ。我々はまず、現運営陣とその取り巻きに蔓延する「えふ
しそ高等教養サロン化戦略」を破壊せねばならない。我々は大衆の前衛を自称する。我
々の勝利はえふしそ大衆の勝利である。我々の幸福は、えふしそ大衆が愛と自由を獲
得することである。前進せよ!愛と自由の闘士たちよ。
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匿名掲示板といえども「 ミスターえふしそ」などと自らを称するのであれば、もう少しまと
もなことを書いて欲しいものである。「少し酔って」いようが、素面であろうが、この人の
書くものは、つまらぬデマと煽りでしかない。
>実は、このようなことを、わざわざ表明しなくとも、現在のえふしそは、すでに「管理」など
>必要としない自由な議論の場と化しているのだ。それは、一部の者たちによる「訴訟の
>ためのフォーラム」であった(と彼らが思い込んで、そのように管理運営し、多くの会員を
>謀ってきた)状況が、「勝訴」という「かりそめの勝利」によって、彼ら自身でその状況を終
>結させたからである。彼らは、その薄汚れた手で、「FSHISO」という名の「えふしそ」に幕
>を引こうとしている。
少なくとも年末の著美氏の発言をみたときに、氏が何を思い上がったのか、あのような発
言をみると「自由な議論の場」というものは、のほほんと待つものでもなく、まして与えられ
るものでもなく、勝ち取っていかなければならないものであるということが、よくわかりそう
なものでもある。「訴訟のためのフォーラム」などという暴言こそ、一種の策動という他は
ない。あの訴訟を闘い抜くことによって、そして「勝訴」という「当然の結論」を得ることに
よって、このフォーラムは存続したと私は考えている。多くの会員を謀ってきたというが、
一体、WAKEI氏含めて、誰が「FSHISO訴訟の支援を強制したか」というと、そんな事実は
どこにもない。まして、原告側の反論による参加を、このフォーラムでは歓迎するという空
気は、はっきりと存在していたし、支援にかかわった会員で、そのことを忌避する、歓迎し
ない者など一人もいない。こういう事実を全く無視して、デマを書くものではない。
勝訴という結果を得たことは、意義深いことである。このことによってWAKEI氏が「解放」さ
れた面は、支援者と被支援者とでは、当事者性ということを考えれば、それは実感として
「重みが違う」というのは至極、当然のことで、おそらく、今年、WAKEI氏はこの件について
は、清々しい新年をお迎えになったことだろう。そのことを私は喜んでもいる。
ただし、WAKEI氏は、おそらくこれを機に「FSHISOから離れる」だろうということは私の予感
としてあった。だからこそ、私は4番会議室で「逆転勝訴」を喜ぶコメントを御本人に残した
のである。RTでもよかったのだが、後日、ダウンロードすることによって得た内容を知り、
「あんなものに出なくてよかった」と、しみじみ感じたものである。
おそらく、参加者にとって「FSHISOはこうあって欲しい」というイメージのようなものがある。
無論、私にもある。それは例えば、ここに引用した「ミスターえふしそ」氏とも、相当に乖離
があるだろうし、tty氏とも異なる。しかし、そんなことを「いちごBBS」で語ったところで、何
を煽ったところで、そういうものは「運営」は歯牙にもかけない。私もSUBSYSをやっていた
ので、そのことはよくわかる。FSHISOの運営上、問題を感じれば、年末のように私はその
ことについてはFSHISOで発言する。至極、当たり前のことでもある。
>「えふしそ」を真に愛する者たちの手に取り戻さなければならない。この闘いは、熾烈を
>極めるであろう。なぜならば、これは具象の闘いではなく抽象の闘いであり観念の闘い
>であるからだ。我々はまず、現運営陣とその取り巻きに蔓延する「えふしそ高等教養サ
>ロン化戦略」を破壊せねばならない。我々は大衆の前衛を自称する。我々の勝利はえ
>ふしそ大衆の勝利である。
ひとつ訊ねてみたいものである。「えふしそを真に愛する者たち」というのは、いちごBBS
で上記のようなアジ演説を思いっきりぶつことなのだろうか。私は断言するが、そんなこ
とで「FSHISOの隆盛なり大衆の前衛が実現すると」この人が本気で考えているというなら
ば、そんな自称は「棄てた方が」いい。無駄である。
そもそも、現運営陣に「とりまき」などいないというのが、私の考えにあるのだが、大体、
「高等教養サロン」(だとも私は思わないけれど)であるとして、一体、何が悪いのかとは
思う。知識なり教養の開示というのは、結構なことではないか。
私が輝虎氏と「サンフランシスコ平和条約と戦後補償」について議論をした際に、それは
議論と並行しながら、多くの文献にあたったものである。つまり、いいかげんなことは書
けないという緊張感が私にあった。で、調べていくと、その過程で、私が知らなかったこと
を学ぶことにもなる。もちろん、輝虎氏の発言内容から、多くの学ぶべきこともあった。
議論の妙味、面白さというのは、こういうものであるということを私は身をもって知ること
ができた。どちらかというと、私は「対立」がはっきりする議論のテーマを好む。つまり、
対立の方法、示される論点によって、議論の深まりが想定できるからである。
あるテーマについて議論をする際に、その分野についての「知識」が全くないと、或いは
お粗末なものでしかないと、議論は深まらないし、やっている方も面白くはないという面
がある。例えば、今回の「特攻」問題に関して、南十字星氏から「キリスト教、宗教観の
問題」が提起されたが、私はその分野について、何かまとまったことを述べるほどの内
容を自身に有していなかったので、そのことをはっきりと申し上げた。知らないというこ
とは、別に恥ずかしいことではない。知ったふりをして無理に深みにはまると、所詮そん
なものは、化けの皮が剥れるのである。
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03: 名無しさん2002 2002/01/04(Fri) 11:05
隊長〜
行く手に花田信一郎が、いますが?
彼は味方でしょうか、敵でしょうか?
戦いますか?
04: ミスターえふしそ 2002/01/04(Fri) 11:06
>03
無視せよ。
ただし、ついて来るなら拒むな。
ただし、監視は怠るな。
05: 名無しさん2002 2002/01/04(Fri) 11:07
無視と監視は両立しないのでは?>ミスター
酔ってません?
06: ミスターえふしそ 2002/01/04(Fri) 11:10
(赤面しつつ)つ、、つまりだな。。
花田には「無視」がいちばん効くのだ。彼は無視されることを極端に嫌う性格だから、
無視されるとつきまとってくるのだ。その性格を利用せよということだ。
でも、調子にのると何をしでかすかわからんから、監視だけは怠るなということだ。
[本年「初詭弁」はうまくいったわい。シメシメ]
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「ミスターえふしそ」たるいちごBBSの書き手に「ついていく」などということは、どんなに
間違ってもありえないことである(苦笑) しかし、私はこの匿名掲示板の書き手がFSHIS
Oの書き手でないことは願う。こんなに思い上がりたくはない、私は、である。
こういう会員から「親友」などと呼ばれれば、私は数日、深酒に陥り、猛烈な自己嫌悪に
襲われるだろう。そうならないことを年頭に願ってみようか(笑)
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