評論するページ

【高裁判決】議論する「場」としての解決を目指して。



近日中に判決文を入手して、改めて考えてみたいが、4番会議室に紹介された「内容」をみる限り
ほぼ、被告側の主張が認められた判決が示されたようである。「作為義務」についての見解も妥
当なものを感じた。

まぁ負けてもそれは「判決という一面的な評価に過ぎない」と書きはしたが、それが判例として残る
ことを考えれば、負けない方がいいに決まっている。一審判決のような、文意の不明瞭な、それで
いて、変に独断的な判決が継承されるというのは、決して望ましいことではない。いっときの支援者
であった私にとっても、喜ばしいことではある。感情に流されず、事実に即して、検証を積み重ねて
きた結果というものでもあり、それは精神という上でも「尊い」ものである。

あとは、原告が上告するかどうかということだが、新たな事実というものもないし、憲法判断という要
素も考えにくいので、おそらくは、この高裁判決が「確定判決」になるものと思われる。というか思い
たい。

支援者というのは、実際に支援活動を行う者は、もちろんだが、実はそれだけではない。あの不当な
訴訟から、今日まで「議論する場としてのFSHISOに愛着を抱き」「様々な議論を展開し」「多くの問題
に対応してきた」過去のスタッフ、現在はFSHISOのROMであり、或いは、色々な事情で、FSHISOを離
れた方であっても「言論の自由・自己責任原則・自立した発言者」という姿勢を貫いてきた人々、そし
て、言論による解決を最後まで目指す人々。有形無形の支援者というものに、やはり恵まれていたの
だと私は思う。

議論の中から生まれる様々な関係性・実際の出会い・交流・少しの喧騒、そういう場が存在し続けたこ
とによって、私もまた多くの経験と知識を得ることができた。

この問題とは全く別の次元で、そのことには感謝してもし足りないものがある。

とりあえず、高裁判決という「判断」は示された。私が多少なりとも関わったものについて、私の望むも
のは「はっきり」と示された。

もうひとつ「はっきりさせなければいけない」ものがある。このことを曖昧にする限り、私の中での「けじ
め」というものが、やはりどうしてもつかない。

とはいえ、次のステップには、すぐには進まない。とりあえず「ひとつの目的を果たしたであろう」彼らに
も、改めて考えていただきたいと思うからである。反論権とは何か。訴訟などおこさない言論での解決
の場を、限定することに如何なる意味があるのか。フェアというのは、どういうことなのか。沈黙するこ
とにどのようなものを見出せるのか。

静かな環境で、考えていただきたいと思っている。非公開の場で、反論できない会員を誹謗中傷する
ことが、どういうことなのか。そのときに管理者や主宰者に「何」が求められるのかということを。

それはそれとして、おめでとうございました。長いながい闘いでしたからね。ほんとうに。





トップへ
トップへ
戻る
戻る
前へ
前へ
次へ
次へ