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「匿名」と「実名」の問題−そしてネットワーカーとしての問題−



私自身、今日ではFSHISOに限らず他のサイトでも実名で発言しているが、だからといって
「匿名」制を一律に批判するつもりはない。正直、苺ちゃんねるの「えふしそ板」のどれひと
つをとってみても「名無しさん」で(発言しなければならない)内容のものがあるとも感じられ
ないが「匿名-非識別発言」という方法が「自分を守る」と考えている方は、それを選択すれ
ばいい、という程度の認識である。

ただ、私が不思議で仕方がないのは、例えば「花田嫌い」というのは、自分で言うのも何だ
が、少々いてもそんなに驚かない。そもそも議論するフォーラムに身を置けば、否応なく、
思想的な対立はあるし、対立は時として「嫌悪」に近い感情を生む。

それともうひとつは「おもしろおかしくこきおろす」というものもあるだろう。これだけ「訴訟な
どしない」と明言しているのだから、こきおろす側は気楽であろうと思う。そういう意味では
この姿勢は今後も変わることはないから安心してもらって構わない。

所詮、ふりかえってもあまり意味のあることではないのかもしれないが、もし「LEE-Cookie」
の対立の際、こういう巨大掲示板があったら、どうなっていたのだろうかとは、考えたことが
あった。まぁ、ひょっとしたらCookie氏が掲示板の管理者を訴えるというようなことになって
いたかもしれないが、私は、それよりも、むしろ巨大掲示板があれば、変に訴訟沙汰には
ならなかったのではないかとも思う。

名無しさんであれniftyの会員であれ2ちゃんねるであれ、そこに書き込んでいる会員の総
数と発言者の人数は合致しないにしても、様々な立場にある者が、それぞれの主張をする
機会があるというのは、基本的には「いいこと」なのである。そのことによって、それを発散
する「場」が、何かを思いとどまらせるという「力」を生み出すことはあるだろう。言説の場で
ある以上、それは期待できないというものでもない。

かって「2ちゃんねる」に、私に関する発言というものが山ほどあった。最後はあまり多すぎ
たので、知人の学生に定期的に圧縮ファイルを送付してもらっていたことがある。きわどい
ものもあれば、激烈なものもあれば、ユーモラスなものもあれば、明らかに遊んでいるなと
いうものもあれば、マジメなものもあった。

掲示板といっても、それぞれ個性というものがある。苺ちゃんねるの場合、2ちゃんねるに
比べれば、そんなに荒れないし、荒れたところでたかだかしれている。書き手の中におそら
くは「管理者のイメージ」というものがあるのだろう。大学受験を控えた高校生が制作した板
である。ほんとに荒れると、中には管理者に怒鳴り込む者もいる。私は九州の出身だから
「ふくやん」には、まぁメールのやりとりをしたこともあるけれど、健康的な、利発な高校生と
いう印象がある。おそらく書き手の中にも、そういう意識はあるだろう。管理者を窮地に陥れ
るような「書き込み」など、私からみれば他の板でも皆無に等しい。

そういうある種、自治的なコミュニティの場というものは、みていて微笑ましいものがある。
西村氏の掲示板になると、書き手が「管理者憎し」も手伝って、書き込むケースがあるし、そ
ういう参加者にとっては、2ちゃんねるがどうなろうと、知ったことではない。潰れようがどうな
ろうが基本的に関係もないし、潰れた方がいいと思って書いているのだから、スタンスがそも
そも異なるのである。

ただ、個人的によく理解できないのは、キャプテン氏が「苺」で、あれだけ叩かれる理由であ
る。別に氏がFSHISOで何か書いているわけでもなし、第一、私は氏のFSHISOでの発言は
大体読んできたつもりだが、殊更、挑発するでなし、場を破壊するようなこともない。ごくごく
普通のネットワーカーである。何もしていないのに、あれだけバカだの氏ねだのと言われる
理由は私には全く想定できないし、そんな理由は、少なくともFSHISOではなかった。ああい
う叩かれ方をする会員というのは珍しいと思う。私が叩かれるというのとは、全然性質が異
なるようにも思える。「西村-ふくやんオフ」には、氏を誘ってみたいと思っているので、もし
キャプテン氏が参加されるようなことがあれば、ゆっくり話をしてみよう。

実は「閉じた場での本人のいない発言が名誉毀損の構成与件として成立するか」について
は、polo氏同様、私も興味がある。私は「それを本人が知った限りにおいては、成立する場
合がある」という説(私だけではないが)をとるが、この場合、私は訴訟などしないわけで、
当該発言に対して「反論する権利」「どういうことが言われ、どういう措置がとられたかを知る
権利」というものを主張しているわけだ。つまり、訴訟などせずとも、反論することによって私
の名誉を回復することは可能だと考えている。

で、反論する場合、当該発言者が送付する「発言」というものが必須になる。それがなければ
正しい事実に即した反論というものを行使できない。

で、私の主張する「反論権」というのは「公平性を担保とし、言論による解決を遵守する限り、
その手法や方法を私が決定する権利を有する」というものである。あと、知る権利という問題
も付随する。

公開を拒む側の「理由」とは何か。

1.「非公開の場」で書かれたものだから。
2.「公開を前提に書いたものではない」から。

この場合、誹謗・中傷・侮辱を受けた側が「公開を望んだ場合」その理由に妥当性と正当性が
あるかどうか。それが「公開されたHPについての論述」も含んだ内容であり、反論権の範疇と
いうものをどう認定するか。そのあたりがポイントであろう。これをpolo氏が、どう料理するかと
いうのは、なかなか興味深い。

polo氏は「私の手法も批判された側の手法にも問題アリ」という主張のようだから、これまた、
注目に値する。では「どうするのが双方にとって、もっともベストな手法なのか」私は公開の場
における議論を要請し、WAKEIさん、純氏は「非公開の場」での議論を要請した。公開での議
論を求める「説得力」と非公開での場の議論を求める「説得力」と、どちらがあるか。

調べてもらったが、もちろんこんな判例はないのである。ただし、呑み屋の放言ではなく、書い
たことからは発言者は逃げられないし、逃げてもいけない。書く、発言するという責任と矜持
の問題である。





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