一日一句 2001年9月

百千の恋綴るらむ虫の闇

昨日はうそ寒い一日でした。終日日の目を見ないとぐんぐん気温が下がります。賑やかだった寺領の蝉の声も一度に消え、それに替わって蟋蟀たちが昼を囃していました。庭の岩陰、蔵脇の草の茂みから湧き上がるような虫の声。そのうち家の中まで入ってくることになります。 蟋蟀たちといいましたが、鳴く虫の殆どが蟋蟀です。中途半端な田舎ってものはそんなものです。今は余程条件の整った野ずらに出なければ様々な虫の声など楽しめません。それが僅か5・60年前は家の中で庭にすだく虫たちの声を幾種類か聞き分けたものでした。機織が障子や蚊帳に止って終夜鳴いていましたっけ。機織の声などもう何十年も聞きません。 格段に整備された生活環境。しかしある一面では、まさに、田園当に荒れんとす、なのです。 9.1
秋の蚊へ血の一滴のよな夕日

昨日は二百十日、そして防災の日。 東京・歌舞伎町で痛ましい火災。負の記憶として永く話題になることでしょう。 八尾・風の盆。家内の達者に任せて浮かれ通った一時期が有りました。 夕方、外へでて遥か南西の空を眺めていました。一昨日はこの秋最高?の寒さでしたが、昨日は心地よい青北風(あおぎた)日和、きっといい風の盆になったことでしょう。 掲上の句はその際に詠んだものです。私のただ一人の先生の句に    風の中にて秋の蚊に刺されけり と言うのがありますが、まさしくそれで、一発やられました。 9.2
鳶を追う寺領の鴉秋高し

コンピューター不調です。四苦八苦して、結局私にはどうにもなりません。編集人の助けを待っています。 9.3
杉の秀のひと靡きして秋の蝉

蝉の声にめっきり張りがなくなりました。少し風が吹いたり、雨が降ったりすると忽ち声を潜めます。でも、陽が強くなると勢いを盛り返し、残る短い日々を精一杯謳歌しています。暑い夏の頃と違い、その声はさらりとした肌に沁みこむ感じ。芭蕉の山寺の蝉の声は岩肌にしみこんだのですが、涼しい環境なればこそのような気がします。 暑熱に負けぬ豪気な蝉の声が、ふと懐かしく思われる今日この頃です。 9.4
秋湿り早や鐘楼の丹の柱

新装なった寺院の鐘撞き堂。ついこの頃まで蝉の声がまつわりついていた朱塗りの十二本の柱、今は、4・5日続いた曇天・降雨そしてまた曇り・雨の日々の風が吹き抜けて、秋ついりとでもないのにじっとりとしとっている様子。 銅版で葺かれた屋根は、始めのころこそギラギラした輝きを見せていましたが、今は蒼然たる色に変わりつつあります。酸性雨の影響からか、色の移りも早いようです。 仏門では、仏教は荘厳なり、といいます。ペテロは巌の上に教会を立てよといいました。賀川豊彦、またそのながれを汲む某方舟のような、無教会主義の集団もありますが、何故か彼らはでっかい伽藍を持ちたがる。それも不景気、天下騒乱のときに限って。信心というものは後生楽なものです。とは言え、檀那寺の立派なのはちょっと鼻の高いもの。 そんな中で、庫裏の方が本堂よりでかい、というのはお寺近辺の雀たちのさえずり。 9.5
秋の旅立ち珈琲を噛んで飲む

この歳になると毎日毎朝、さあ起きるぞ動くぞ食べるぞと構えなければ何事も始まりません。また、人生を旅になぞらえれば、この歳 に係わりなく、毎日毎朝が旅の始めでもあります。そこを踏まえて詠んで見ました。トーストと珈琲が旅立ちの食事。勿論口直しに緑茶を濃く淹れてたっぷりと戴きます。 私は珈琲通では絶対有りませんが、珈琲はホット、そしてじっとりと暑い夏よりも乾燥して寒い冬、それよりも、爽やかな涼風の中で呑む、つまり珈琲に秋がもっとも相応しいと思っています。 かつて友人と暮秋の安曇野を訪ねる途中、小さな峠の喫茶店で新雪を被った白馬連峰を望みながら飲んだ珈琲は絶品でした。今、猫たちにたかられながら飲む朝のインスタント珈琲は単なる飲み物、でも、心が温まります。 9.6
侘びしき事は言うまじくそろいぼむしり

風の中、鎌の手で合掌したなりに身動きもせす立ちつくす蟷螂の姿、さながら行者のよう。他を諭す、或いは自分自身の侘びしさを耐えしのふといった所か。実は恐ろしい、生き物を捕食する昆虫なのですが、人間の勝手な思い入れによって与太者も聖人に変貌します。こんな句もあって宜しいでしょう。 いぼむしり。頭部を黒焼きにして疣につけると疣が取れるという伝承が有ります。試してみないので本当かどうかは解かりませんが、多分無害だろうと思いますし、これだけの名を持ってもいます。一度は試してみる価値は有りそうですね。でも、頭を千切る事にはちょっと抵抗を感じます。 9.7
苧環の藪極まりし白露かな

シラツユではなくハクロです。露は夏も結びますが、秋になって地が冷えてくると水気を吸い上げる草木の葉も当然冷え、結んだ露が大きく珠のように育ちます。ちょうどその気というか季というか、が9月上旬に当たるとしています。昨日がそのハクロでした。秋の季語露、シラツユとは全く違います。 梅雨、露、ハクロ、シラツユ、同音異語、同字異議です。紛らわしいけど気をつけましょう。 オダマキは山から抜いてきた山オダマキのはずなのですが、里オダマキみたく大柄。30年も経って一昨年辺りから急に殖え出しました。ご希望が有ればお分けしたいですね。妻遺愛の花。 9.8
猫の目が日々に由々しく秋すすむ

今日は重陽、いわゆる菊の節句です。 余計なことですが、六日のあやめ十日の菊、ということわざがあります。決して五月病や夏負けの人を指してのことでは有りません。時期遅れの役立たず、という峻烈な批判の意が篭められています。とは言っても自身、省みてこんなことは茶飯事だったような気がします。バネにして再び三度奮起してきた庶民吾らですが、国の舵取りはいつまでもそんなことでは困りますね。頭を涼やかにして頑張って欲しいものです。 私の愛すべき猫たちも、日陰のだれ猫から目覚めて、日々俊敏さをましています。いい季節です。間も無く炬燵猫になりますが。 9.9
新聞が休んで厄日事も無き

二百二十日。昨日は午後から厚い雲に覆われ、不穏な蒸し暑さを感じていましたがとうとう降りだし、一夜を越えて今も。でも二百二十日というには穏やかな、結構なお湿り程度のものといえるでしょう。信州は今年、今の所は何となく恵まれています。 新聞休刊日。これが解からない。テレビは、殊に民放はジャーナリズムというよりも視聴率稼ぎの娯楽産業、でもテレ休みというのはまだ聞いたことも有りません。報道は休んでも取材は日夜続けているといいますが、報道あっての取材。大体休刊日の新聞代を差し引くのが世間的常識なのにそれもしない。大活字で紙面に踊るニュースが空々しく見えたら、これは大変なことになります。 風刺を利かせようとすると俳句はどうしても川柳になります。時事俳句は難しい。 9.10
キーボード蒸れて粘着く野分前

昨朝の 厄日事も無し はとんでもない予測でした。新聞は休んでも厄日の風雨は休みませんでした。信州善光寺平の一角、雨は続いていますが今の所風は有りません。どうやら15号、当地をそれるようです。 被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。私としては、次男、編集人2が藤沢にいます。彼の動向が気がかりです。 台風というと、最大の遭遇経験をよく語り合いますが、老人の思い出話、ちょっと付き合ってください。 終戦前後の日本は激しい天災に見舞われていました。それは昭和19年9月、物凄い暴風。当時は台風という言葉もまだ定着していなかったと思います。南方戦線がどんどん後退して妖しげな戦局の中の大暴風、家はぎしぎしと不気味にきしんで、古い煤が舞い降ります。母は暗闇の中で涙声でお題目を唱えていました。何軒か倒壊した家がありました。二日後、私は荒れ果てた家を後に新潟県の軍需工場に旅立ったのですが、これが私が経験した最大の台風でした。父母によると終戦直後にも暴風禍があった由ですが私は知りません。 敗走に次ぐ敗走、連日の空襲、そして大地震、敗戦と、未曾有の国難に際して、日本は逆神風の洗礼を何回も受けたのでした。さて現在は? 飽食・不景気という大矛盾。考えさせられます。 9.11
雫赤めて葉月の雨のうめもどき

最高ですか!応えて群集が一斉に、最高でェェす!。声が小さい!もう一度!叱咤されてまた繰り返し‥みんなニコニコ。こんなのテレビで何度か見ましたね。若者の、最高!という流行り言葉を巧みに取り入れた商売上手、と一応感心したものでした。私は、楽しんでいますか?と静かに問いたいし、楽しんでいます、という静かな応えが欲しい。そんな関係がこれからたくさん、死ぬまで続いていったら、最高なのです。 この「一日一句」は私の個人的な楽しみで始めたものです。見せられる皆さんは溜まったものではないと思いますが、私としては一応も二応も苦心して一句を捻り出してはいるのです。中には楽しんで下さる方もいらっしゃって、私の励みになっています。俳句より文章の方が楽しみ、というお声も戴きます。これは嬉しくて切ない。本命は俳句なのですから。でも仕方ありません。毎朝、時間の無い所で詠み、推敲する間も無く、作品を旅立たせるのですから。と言って無責任ではいられません。悔いも罪も常に感じます。しかし私は、過去の自作品に、良否に係わらずこだわらぬこととしています。これは俳句を詠む上で大変重要なこととしています。暫く、毎朝、これについて考え、記述していきましょう。 葉月。8月の異称です。私は新暦旧暦、どちらにも使えるときに使います。 うめもどき。晩秋の葉の落ちたうめもどきの鮮やかさは絶品。でも、今時の、葉月の緑の中に点在する赤も対比の妙があっていいものです。 9.12
出水村絶倒の田に陽燦々

昨朝はNHKのテレビを耳にしながらキーボードに向かっていました。地球上で起きた最大最悪のテロ。どきどきしながら、平和で気楽な記述をしている自分に違和を感じないでも有りませんでしたが、しかし、私に出来ることはこんなもの。記述し終わって、繰り返し報道される事件の様相を見聞きして鳥肌が立ちました。朝食はとうとう喉を通りません。何とも云えない遣り切れなさ。私と同じ人間が、こんな理不尽なことを仕出かすなんて‥。人間というものは不思議な生き物です。 昨日の新聞。大新聞読売は休日ボケの紙切れ。地方の雄信濃毎日新聞は事件発生数時間後にも拘らず、事件を大きく報じていました。 昨日の続きは明日にさせて頂きます。 出水村。単に出水というと夏の季語になります。秋季の出水村には生活感があります。収穫の秋の希望を砕く出水。村の存亡に係わるのです。 9.13
花提げし指の冷えくる九月かな

俳句は日々詠み捨てるもの、と申し上げたら、私は命がけで俳句をツクっている、大事な俳句を捨てるなど冒涜的なことは絶対出来ない、とお帰りになった初心の人がいました。私の言葉足らずでもありましょうが残念なことでした。これは私のオリヂナルでは無く、私よりもずっとずっと、もっともっと偉い人が諭しとして残した言葉です。日々詠み捨てる、私の座右の銘です。初心の頃から句作の為のコツと考え、句作の苦しみを重ねていましたが、今になって、句作のコツは俳句を楽しむコツなのだ、と思い知るようになりました。もっとも、俳句に限らず何事も同じ。昨日、一昨日を楽しむのはちょっと辛いものがあります。楽しかった、は本当の楽しさではありませんから。今日を楽しむ、明日へ楽しむ、これがあって始めて、昨日へも一昨日へも、楽しい振り返りが出来ます。以下また明日に。 顰蹙を買うかもしれませんが、私は昔から切花を買うのが苦手です。男のすることではないというのがその理由。また、花束を持ち歩く男を気障と断じてもいました。でも今はそうもいきません。妻への花を少なからず面映ゆく買ってきました。 9.14
古樫のさるのこしかけ錆びにけり

我家の木々、ほんの僅かを除いて私よりずっと年上、父祖からの喜怒哀楽総てを了知している連中です。その中の古い二本の樫の木は、20年程前、近くの工場から出る煤煙にすっかり痛めつけられ、以来気息奄々。でも、今年も緑を繁らせてくれました。寄生茸サルノコシカケ、太るに任せています。 さて、俳句の詠み捨てですが、これは日々鮮しくあれ、の意です。俳句は、詠みきった瞬間から過去の作品となります。だったら振り向かない。推敲に名を借りていつまでも恋々と取り付かない。己の名吟も執着しない替わり、駄句にも拘泥しない。他を尊重して自分に酔わない。捨てるというのは実はこの事なのです。決して無責任な放棄では有りません。振り向かず前を向いて、常に新しい素材に、目を、意識を注ぐ。容易いこととは思いません。でも結果から自分を切り離す勇気が有れば可能です。くよくよすることが無いので楽しさばかり倍増する結果になること請け合いです。そして、俳句人として、内にも外にも、謙虚な姿勢が自然なものとして身に着く筈です。 9.15
敬老や南無あんつきしお饅頭

遊びの一句。 昨日は敬老日でした。夜になってから息子たちから見舞いの電話。でもまだまだ老い込んでいません。本当は、今日の孫の運動会観戦を求められていましたが、新幹線がメンドイので‥。 戦国の世が治まった江戸時代、老人は大変優遇されていた由です。古希を迎えると、以後、功労金ともいうべきお金が支給され、一家が潤うほどだったとの事。まあそんな善政は長くは続かなかったでしょうが、老人への思い遣りは官民挙げてのものだったのです。儒教の影響でしょうね。 今は合理化が進んで、老後の保障は年金保険。老人を敬って何々する、というものでは有りません。その年金も介護保険に掻き毟られて目減り。老人たるもの、一家の中で肩身が狭いのです。 75歳以上のお年寄りに配られた昨日の敬老会のお土産は、お饅頭2個でした。 9.16
露地隅の晴れいて暗し藤の豆

今年前半はヘルペスやら腰痛やらにいじめられ、とんだ嫌な思いをしました。そのため、とうとう藤の花も見ず仕舞い。今、青々とした藤豆が無数にぶら下がっています。あれ、こんなに咲いていたのか、と、今更に呟いていました。 今はまだ青く肉厚ですが、やがて乾燥して莢が割れます。零れる実が実に美しい。精緻で芸術的な縞模様と光沢が見事です。真円、扁平な形がオハジキにもってこいで、一時、家内の相手をさせられたことがありました。今年は孫達と遊ぼうかと考えています。 9.17
鰯雲千里不動刻又刻

今年の秋はカラリと晴れ渡った日が少ない。雲量が多く、気温も結構高くて依然残暑が続いています。どうやら秋彼岸までは、信州でも、お暑うございます、の挨拶が続くのでしょう。 ところで、今は余り使われなくなりましたが、善光寺平で広く使われていた方言に、川中島のま抜け言葉というのがあります。ま抜けといいますが、これは丁寧語です。例えば前記の お暑うございます が お暑うゴザイス になります。有りますがアリス、でも、有りませんはアリシネとなりますが。行きますがユキス、帰りますがカエリス。こうして記述していると懐かしくなります。子供の頃、川中島のま抜け言葉、ふんだんに使っていた言葉たちでした。 9.18
蔦引き上げて秋づきぬ罅の壁

人が住まねば家は荒れるといいます。生気を失うのでしょうね。人間って凄いな、と単純に思います。 小さな我家ですが、年間ほんの1・2度くらいしか足を踏み入れない場所が有ります。勿論生気もなく、荒れています。入らにゃいかんな、と思うのですが、中々その機会がありません。今は、2匹の猫が探検に入って、恐らく違った形の荒れざまになっていることでしょう。でも、猫達は生気を送り込んでくれています。厄介なのは庭。少し体調を崩したのがきっかけで手抜きをしたら荒れ放題。今朝は呆然と庭に立ち、こりゃ蔵の壁が傷むなァ 声だけで何もしない私でした。 9.19
露草の露はじく 時暴く如

自身の重さに耐え切れず転んでしまう、妙にかったるい態の露草。花は藍色が濃く、昔はこの花で布を染めたものだといいます。所謂、はなだいろです。私の本職から言えば、全草を乾燥して利尿剤、と、古くから人の暮らしに深く関わって来た雑草です。 露草の名に相応しく、肉厚な茎と葉の付け根に溜まる露は美麗で大きい。茎、葉の部分の色がレンズ効果で白い輝きを見せます。思わず、呑んだら旨かんべな、と思うのです。露には植物が持つ成分が溶け込んではいないと思うので、トリカブトの葉に溜まった露でも飲めそうな気がします。少なくとも、大気中の硫酸基やらいろいろを溶かし込んで落ちてくる酸性雨よりはいいかな。 露草の露はじく。一夜で結んだ露の命が夢と散りました。ズボンがびしょびしょ。 9.20
瀬変りの川音薄穂となりぬ

台風17号は洋上遠く東に逸れました。ご同慶のいたりです。久々に千曲川河川敷の野球場の上を濁流が通り過ぎました。甲信越国境の豪雨がもたらした出水でした。今は常の表情に戻ったかの如き千曲川。しかし、出水のある度に様々な瀬変わりがあって、川の環境を変えています。水面下で崩壊と新生を繰り返しています。今年はあと幾たび、瀬変わりを見ることになるのでしょう。 解かりやすい水の越し方行方が、周辺の様相を否応なく変えます。でも、信じられぬことに、数日前は濁流の底にあった河原薄が、葉も青々と穂を作って風に靡いていました。 9.21
わびさびや秋は彼岸の雨に積む

単に彼岸といえば春の彼岸のこと、9月の彼岸は殊更に秋の彼岸と秋をつけます。後の彼岸とも言います。先祖の墓参りをします。抹香臭いけれど、盆ほど陰性ではなく、どちらかというと陽性、何処となく、暑い寒いの季節から解放される喜びのようなものを感じているからなのではないでしょうか。それもそのはず、古くは農事にかかわる祭日であったらしいのです。盆と同じく、他の仏教国では行わぬ仏事が各家庭で行われるというのも国民性の何らかの現れともいえます。大事に継承したいですね。 入りの一昨日、都合が悪くて墓参りが出来ず、昨日、果たしました。お団子を作る知識がなく、まごまごしていたらご近所から頂き、それを雨の中で墓前に積み上げました。これは侘びしい。極楽往生、予約は出来ないのでしょうね。 9.22
濃竜胆すがしき天を給いけり

ここ数日絶不調なのです。原因は解かってはいるのですが、どうにもなりません。こういうことはよくあることで、潮のように周期的なリズムをもって襲うとか月の満ち欠けに関係するとか、内なるバイオリズムのせいだとか。でもどんな理由付けをしてみた所で絶不調は解消しません。今の私の場合、気楽に時を待つしか有りません。 昨日はこの秋最高の晴れでした。抜けるような青い空、きりりと澄んだ山々。久しぶりのことでした。靄が懸っていた頭が少しばかり霽れてきた様な感じでした。 リフレッシュの方法は多分様々あると思いますが、俳句を全く忘れた 気になる ことが手っ取り早いようです。 9.23
渋面の男も火噴く秋刀魚なりき

猫と同居していると魚料理・肉料理は大変です。油断がなりません。もっとも食卓の楽しさは彼らによって倍増しますが。 一ッ茶二ィ茶が私の手元に来て今日でちょうど5ヶ月になります。まだ6ヶ月ちょっとの半大人。オスの二ィ茶は丸々と肥え太って図々しく、私の膝の上で仰向けになって眠ります。メスの一ッ茶はチビで賢くてやんちゃ、子供気分が抜けません。ともに、炊ぎと食事の際は1対2の戦争になります。でも、彼らのテロ・ゲリラ活動など知れたもの。 けだし、平和なもンですな。 ニューヨークでは13日目を迎え、世界の風雲愈々急です。 9.24
峰ふと動く釣瓶落しを背に負うて

抜けるように明るい青空に少しばかり藍がさしたと思ったら日がすとんと落ちていた、というのが秋の落日です。これを称して釣瓶落し。よく名付けたものですね。古くから使われているフレーズですが、この現象には勿論夕焼けを伴わないと考えた方が宜しいようです。 秋の夕の寂寞を殊更なものにする釣瓶落とし、滅びの美学に浸るひと時です。 転じて、わが町に釣瓶の存在する井戸、日常使用されている井戸が幾つあることでしょう。皆無に近いと思うのです。釣瓶って何?という日が必ずきます。答えは、秋の夕日かな、俳句の季語のことさ、では笑うに笑えません。 9.25
一ト邑はここ川霧の渦の中

所用が有って昨朝、松本へ向かいました。中央道、県内はまさに山岳道路。車はぐんぐん山に入ります。紅葉前の木々の深緑が澄んだ山容を装っています。長いトンネルを抜けるといきなり視界が真白。山霧です。匂うばかりに見事な乳白色の世界。対向車のライトが浮かんでは去り浮かんでは去り。それもまたトンネルを抜ければ嘘のように晴れ上がり、やがて豊科から犀川に添っての疾走が始まるや否や、今度は川霧。犀の碧水から沸き起こった川霧は延々と消えることなく続き、立ち並ぶ稲架も人家もその底に静めていました。快晴の朝のドライブ。アルプスは遂に望めませんでしたが、私としては久々に豪快な霧にお目に掛かることが出来たのでした。 9.26
初なめこのんどを超える時匂う

きのこの本来の旬になりました。 昔と違ってきのこは栽培が容易で盛ん、時知らずで一年を通じて賞味できる時代ですが、それでも矢張り自然成育したものは断然違います。大地に感謝、です。 20数年前のことですが、信越国境の山深い平家の落人部落・秋山郷で食べた、熊肉と一緒に味噌汁に入っていたなめこ、形も大きさも匂いも味も天下一品、格別なものでしたね。 9.27
菊薫る妻のかばねに添いし日も

私は菊の花が好きです。多分、大が付くほどに。その理由は何よりも薫りに有ります。そして端正で清潔・豪壮なたたずまい。もうお分かりのように、乱れ咲き、藪咲きの菊とは一線を画します。 7月半ばといえば菊の端境期、ですが当節は何でも間に合ってしまいます。用意された多くの花々、何よりも、私の好きな菊の花の薫りの中で、家内は本当に幸せそうでした。 夏目漱石の句に 有る程の菊抛げ入れよ棺の中 という痛切な作品が有ります。晴人さんが感銘を受けたとかつて私に述懐されましたが、どうも風格ある花なのに、菊は昔から葬りに深く係わってしまっているようです。高貴な色と薫りが、亡骸だけにとどまらず、魂までも浄化させようか、との生者の哀しい魂胆が見えます。これは菊にとっての名誉なのかどうか。菊の返答がどうであっても、私は菊の花が好きです。 9.28
奔りぼし声曳かざるや飢え居らずや

はしりぼし。流れ星のことです。よばいぼし、などという不届きな呼ばれ方もしています。なぜか秋の夜に多く見られるということで秋の季語になっています。宇宙の塵の塊が秒速50キロで地球の大気中に突入して燃え尽きるというのですが、見た目の儚さからはとても考えられぬ凄まじい爆発的な瞬間ショーを演じているのです。たまたま、燃えきらぬものが地上に到達して隕鉄・隕石として形をとどめますが、きっとそれらはキィーとかゴォーとか、雄叫びを上げて落下してくるのでしょう。 多分、太古の昔には、シンと静まり返った夜などは、原人たちに、遥か天空の彼方の流れ星の声が聞こえていたかも知れません。 流れ星に願うこと少なくなった歳ながら、夢想すれば限りも有りません。 時に、巨大な箒星が去るように、巨人・長嶋が監督を辞任しました。お金持ち選手のチンタラプレーも長嶋が居れば許せました。もう巨人に未練はありません。魅力もありません。 ふと、ベルリンのQちゃんの明日の疾走に声援を送りたくなりました。頑張れ若い星!! 9.29
まほろばの信濃月白一ト夜二タ夜

芭蕉は更科の詠み捨ての旅の中で先ず、姨捨で 姥ひとり泣く と詠み、翌日は又野越え里越えて場所を変え 十六夜もまたさらしなの郡かな と詠みました。その後も数箇所の月の名所を梯子したようです。私の住む地域一帯を更級月都と称する所以です。一茶も当然何回か訪れており、姨捨はあれにそうろという案山子 とか 名月や虫も鈴振る稲荷山 なんて句を残しています。 今年の十五夜は明日10月1日、又多くの俳句人が集まることでしょう。 月白 とは月の出前に白み渡る空のことです。まほろば は優れた場所、秀でた所の意味。固有名詞にかかります。そこで提案があります。 中秋の名月も結構ですが、まほろば を用いてお国自慢の作品をモノして頂けませんか。心待ちにしております。我田引水、大いに歓迎いたします。 9.30