ここは 「禁煙席」 です。
 
皆様からの投稿、ご意見・疑問、私に対する質問とそれに対する回答などを、掲載しております。
 ご質問、投稿等は、「
鉛筆箱」をご利用ください。なお、編集の都合上、投稿等を頂いた順と掲載日時が前後している場合がありますが、ご了承ください。


Q&A

2007, 11, 18掲載

Q
ある俳句の作品に「祭り杲つ」という言葉がありましたが、読み方と意味がどうしても分かりません。 身近に俳句に詳しい人がおらず、教えていただけると幸いです。
平成19年10月30日         まきこ
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A
お答えします、まきこさん。
おおっと、こりゃ読めません。「祭り杲つ」こんな日本語ありませんもの。 それでも無理に読むとしたら、「杲」は、【コウ】、大木の上に日輪あり、という意が有り、【杲杲(コウコウ)たる日の光り】などとして、輝かしいものの形容に用います。勿論常用・当用漢字では有りませんし、一般的・普遍的に用いられてもいません。言ってみれば死字に近い。さてこれはこれで読みましたが、このフレーズでは祭りと繋がるイメージが全く思い浮かびません。当然のこと、古今、こんな言葉は存在しませんので。わからないと言うまきこさんが正解です。 ここで、俳句のために一言申し上げると、優れた俳句は、決して無茶苦茶難しい文字や言葉を使わないということ。心得違いの初心者が試行する難解なフレーズ類を、そのまま俳句のものとして頂いては困ります。極めて常識的なところで俳句は綴られています。ですから、どうぞ常識で俳句に立ち入ってください。先入観を捨て、常識を以って立ち向かえば、大抵の事が理解できますから。 今回のことについても、@「祭り杲つ」は有り得ない、というのは常識的な知識で有り、又恐らく、一句の前後の流れからA「祭り果つ」の誤植・誤字、と見るのが常識的な智慧。 無碍に解らぬ解らぬと言い立てては非常識の謗りを受けます。常識有る優しさで楽しく対象を見詰めていれば、必ず正しい答えが引き出されます。些細な誤りも心豊かに許せます。 まきこさんもどうぞ、明日と言わず今日から、俳句を実体験してください。結構楽しいものですよ。


2006, 10, 29に掲載しました木津かずのりさんの特別投稿作品「越前の風」はるつぼ通信に移動しました。


投稿エッセイ

2006, 7, 16掲載

南米・イグアスの大滝
阿部清司 (アルゼンチン)

 水滴や虹はもちろん、蝶も舞う。  自然豊かな国立公園のなかにイグアスの大滝(瀑布)はある。日本の滝でも冬に虹が見えることはあるが、蝶までは見えない。  イグアスは温帯ではなく亜熱帯にある。亜熱帯であるので、真冬でも、真夏ほどではないが、暑い。瀑布という語が示すように、イグアスでは世界一のごう音が毎秒とどろいているが、そこに、冬でも、きれいな小さな蝶がたくさん舞っていて、青空に映える。虹も沢山見え、大小さまざまの虹があちこちに出ては消えて、まるで虹が舞っているようだ。滝の周りの自然にはきれいな花、カラフルな鳥や珍しい植物も沢山あって本当に楽しい。 圧倒的な水の迫力と、心和む蝶の華麗な姿、すさまじいごう音と繊細な美しさ、男性的 な力強さと女性的な優しさ がここにある。偉大な大自然のふところの深さを、水滴を浴びながら体感した。畏怖の念が全身を貫いていた。  イグアスの大滝はなんと奥が深いのだろう。その自然はなんと豊かなんだろう。


サロン句会報

2003, 10, 26掲載

稲 雀 の 会
10月24日  於 風雅(千曲)
報告者 樹里

 赤いルージュ啾々秋の夜風かな    音 沙
 ふるさとの海を薄めて秋の雨     音 沙
 砂時計忘れかけてた秋の傷      音 沙
 廃坑に赤のまま童女の日を走る    古津枝
 缶コーヒー斜め向かいにイラク人   古津枝
 からくりは良か良かからくり祭かな  古津枝
 指先が秋を織り成すピアノの音    樹 里
 K点を超えて紅葉の且つ散りぬ    樹 里
 心音の耳に移りし谷紅葉       樹 里


サロン句会報

2003, 8, 24掲載

稲 雀 の 会
8月20日  於 風雅(更埴)
報告者 樹里

 終列車見送りなしの冷やし酒     音 沙
 痩身の女大きな夏帽子        音 沙
 鳴き交わす蝉声やまず忌中札     音 沙
 夏雲や五線譜に乗る鳥の声      音 沙
 コスモスの風にまかせて色揺らし   音 沙
 背番号1少年の夏終わる       樹 里
 かの人に似し子の背ナや盆の月    樹 里
 夏の果て男はいつも通り雨      樹 里
 行く夏や母と言う名の少女達     樹 里
 長き夜やオセロゲームのパーフェクト 樹 里
 水尾の幾許付かず離れず残り鴨    古津枝
 夏痩せて無駄てう時をたのしめり   古津枝
 羊水よりはじまる泳ぎ波高し     古津枝
 むくどりのそらかたむけて潦     古津枝
 痴れ人と成り切ってこそ涼しかり   古津枝


サロン句会報

2003, 7, 27掲載

稲 雀 の 会
7月23日  於 風雅(更埴)
報告者 樹里

 足跡の幼き春の砂場かな       音 沙
 祈る手をゆるめるように白もくれん  音 沙
 セピア色の母のアルバム春灯下    音 沙
 夕暮のかんざし揺るる合歓の花    音 沙
 マドラーの手さばき軽き春灯下    音 沙
 ひと筆の文字細くあり夏便り     音 沙
 とうすみや私を売りに街に出る    樹 里
 夏椿落ちて一日終わりけり      樹 里
 膝頭浮き出でし寝湯や夏の雲     樹 里
 白熊の目飢えており白夜かな     樹 里
 くじらの尾真夏の海に突き刺さり   樹 里
 百日紅満開欝のど真ん中       樹 里
 仁王門の吊大草鞋大西日       古津枝
 我鬼忌なり青年すたすた出て語る   古津枝
 空蝉や金貼り聖書身に重し      古津枝
 土用芽や煉獄への道独りでよし    古津枝
 月下美人夢ささくれし未青年     古津枝


投稿エッセイ

2003, 6, 15掲載

「花みずき」
かおる
 Sさんとは、入院した時同室になって、それ以来親しくして貰っている。
 八十歳。綺麗な白髪をおしゃぼにした美しいお婆さまだ。なにより所作に張りがあって、元気そのものと言った、大きな明るい声が、人の心に灯を点してくれる。
   病気で入院している身は、ともすれば沈み勝ちになリ、暗鬱になり、陰気になる。しかし、三日間を個室で過ごしていた私は、三人部屋のSさんの部屋に来て、彼女の笑顔に迎えられ、正直、心からホッとした。
 また、いろいろ話してみれば、私が十数年前住んでいた所の在の人で、同じ公民館で油絵を習っていたかもしれない、と言うことまで解って、親しさは急激に増した。
 名前を聞いてみれば、私は子育ての只中で早々と油絵をリタイヤしたのに、彼女は十年近く続けて、県展などに出品するほどの人になっていた。その名前は、私の憧れの絵を描く人として、毎年しっかりと私の脳裏に刻まれていた。彼女はまさにその人だったのである。
 絵の話、趣味の話、共通の知っている人の話。二週間ばかりの内科での私の入院生活は、ただただ楽しい、笑いに充ちた日々になったのではあった。
 同じ病ではあったが、私はその後簡単な外科的手術をし、年齢的に手術の出来ない彼女は、内科的治療を終えて、一足先に退院されていった。
 その後再び入院されたと聞いて、私は吃驚し、おっとり刀で見舞いに行ったものだった。
 それからは、何度か車で三十分ほどの彼女の家に招かれることとなった。古い、由緒ある彼女の家は、一人住まいの彼女が管理するには、手に余るほど大きく広い。そして畑なども。また、彼女はアパートの家主でもあった。
 老体に、無理をせざるを得ない環境なのだ。しかし、自立心旺盛な彼女は、決して、甘えようとはしない。ヘルパーさんを頼りに、日常をこなしながら、その研ぎ澄まされた美的感性を駆使して、部屋のあちこちを、工夫を凝らしたインテリアで飾っていた。
 そんな飾りの中に、清楚な山法師が活けられていた。昔の炬燵の櫓部分を壁掛けしたと言う、その壁掛けには、これも、清楚な一重の白山吹が、投げ入れてあった。
 「この大きな櫓には、白山吹の花では少し寂しいですね。」
 明るく華やかな彼女には、少し寂しすぎる花々に、遠慮なく言ってみた。
 「じゃ、この花みずきをいれようか」
 彼女は無造作に、活けられていた花瓶から一本を抜くと、白山吹の傍に添えた。
 白ながら、四つの大きな花びらは、ところを得たように、華やかになった。
 「あら、いいですね。でもこれ、山法師じゃないんですか?」
 私は、訂正気味に尋ねてみた。
 「えっ、花みずきじゃないの?」
 彼女も、本当に詳しくはないらしく、ハッキリするでもなく、話はそのまま、彼女の本命の趣味、器の話に移って行った。
 そのままその話は、それで忘れてしまっていたが、句文集「山河」の伊藤文緒氏の句、エッセイの中で、花みずきと山法師が同じ物との記述を読み、今更のように、彼女との会話を思い出したのだった。
 その後彼女は、二度ばかり、休養のような入院をされて、今は元気になられている。
 張り切りすぎないよう、いつまでも元気でいて欲しいと、彼女の明るい声を思い出しながら、つくづく祈る頃日である。

投稿エッセイ

2003, 5, 25掲載

「電池が切れるまで」を読んで
かおる
2003/05/16
遊子様の感想文を読んで、改めて、感激いたしました。
「電池の切れるまで」早速読んで、ひと息に読んで、息もつけないといった感情が先にたって、感想文はとてもと思いました。そして改めて、遊子様の感想を読まして頂いて、さらに深く、本全体の、詩全体の、命の大切さの、内容を掘り下げてくださったと思いました。

また支配人様の「電池が切れるまで」のその後から、「五体満足に生きている者として、尊大になる事無く、柔和な眼で世の中を見て行こうと思うばかりです」というお言葉に、深く頷かされたのでした。



「電池が切れるまで」を読んで
遊子
2003/02/17
 もし魔法のランプが手に入り、1つ願いが叶うなら「苦しまず、迷惑をかけずに死ねる事」と言うでしょう。60余年平穏無事に過ごして来られた私の生命に対する漠然とした思いです。

「電池が切れるまで」(子ども病院からのメッセージ)支配人様の紹介です。早速近くの本屋から取り寄せました。

長野県立子ども病院に入院している子ども達が、病魔と闘い辛い手術や治療に健気に耐え、しかも親、兄弟、友達を労り、果ては蛍にまで思い遣る心、涙なしには読むことができませんでした。

中でも、5才で神経芽細胞腫と診断され、11才まで精いっぱい生きて、死の4ヶ月前に書かれた「命」 という宮越由貴奈ちゃんの詩に感銘を受けました。

宇宙の誕生より数え切れない偶然の積み重ねで生まれてきた自分を把握し、それを神の与え給うた「命」と認識し、理科の実験での電池に重ね合わせるのです。「電池はすぐにとりかえられるけど命はそう簡単にとりかえられない」と。そして「命が疲れたと言うまでせいいっぱい生きよう」と結びます。

今日もパソコンの自殺サイトで知り合った3人の若者が、命を絶ったと報道されています。

「まだたくさん命がつかえるのに」と、戦争、殺人、自殺等の絶え間のない昨今の世を憂えているのです。

1語の無駄もない、わかりやすい言葉で淡々と書かれた詩が、こんなに感動をもたらすものかと驚きました。

由貴奈ちゃんは、長野県立子ども病院に降り立った天使です。この詩と共にこれから不安いっぱいで入院して来る子ども達を勇気付け、そしてそれはいつの日か伝説となっていくことでしょう。せめて彼岸で由貴奈ちゃんに会った時に、恥ずかしくないような余生を過ごさなければと思いました。

 上原久美子さんの「プラス思考」「本音」「実感」「退院を前にして」という詩。その他どの子どもの絵も詩もみんな素晴らしいのです。

そんな子ども達と一緒に頑張っておられる親御さんの「親の思い」という詩も又然りです。

院内学級の山本先生をして「かわいい修行僧たち」と言わしめた立派な子ども達に幸多かれと祈らずにはいられません。

 「命」は大切なもの、そしてそれは長さではなくその質にあるのだとつくづく考えさせられました。




万葉集と私
遊子
2002/11/26
 今朝の新聞の一面広告に犬飼孝先生の懐かしい笑顔があった。

もう20年も前になるが、月1回2時間の万葉講座に通い出し、10年以上は続いたろうか。月に1回位は、バスと電車で1時間の梅田まで出掛け都会の空気に触れてみたいと、当時はまだ珍しかったカルチャー教室に友達と行く事になった。

講師は、かの有名な大阪大学名誉教授、文学博士の万葉学者犬飼孝先生だった。

1300年前の祖先の心を現代の暮らしと対比させながら、ユーモアを交え分かり易くそして熱く語られた。そして1首終える毎に先生に続き皆で朗誦した。犬飼節である。

教科書として「新刊万葉集」佐佐木信綱編と「万葉の旅」犬飼孝著を使用された。

特に「万葉の旅」は、先生が万葉歌の生まれたすべての地を踏査され、写真に撮り解説されていて、1964年が初版、私の買った1980年はすでに52版という隠れたベストセラーであった。

 大化の改新、壬申の乱等歴史をふまえて歌の解説をされ、柿本人麻呂、山部赤人、山上憶良、大伴家持、遣新羅使人、東歌等の歌の数々にすっかり魅せられてしまった。

例えば、遣新羅使人の妻が「君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ」と詠い。夫は「秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ」と慰め、「わが故に妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり」と詠う。この霧の3首など好きである。

その時先生は、「ご主人が東京へ出張されました。ご主人は新幹線で週刊誌など読んでいて妻のことを、奥さんの方は帰りが遅いと喜んで映画など見に行って夫のことを、お互いにすっかり忘れていて何の心配もしませんね。古代の旅は生死の別れになるかも知れない命がけのもの。旅立ちの時には相手の霊魂の、相手の命の一番ぴったりと付いている下着の交換をして、毎日相手の身に思いを馳せ帰って来るまでの無事を祈るのですよ。」と、交通の便の良い今を万葉の昔に引き戻し話される。

瀬戸内海「風早の浦」の位置を地図で示し、教科書の写真を撮った時点と今頃の開発されてしまったその地の模様、近くの魚料理の美味しいお店まで教えてくださる。

その先生も全国に請われて揮毫された128基の歌碑を残し、4年前91才で世を去られた。

 先日「声に出して読みたい日本語」という本を買った。その中に万葉集の「あかねさす・・・」をはじめ馴染みの8首が載っており、暗唱、朗誦している。

美しい日本語が見直され、この本がベストセラーになっていることは喜ばしい。

2000年に、先生の生前愛してやまなかった飛鳥に「犬飼万葉記念館」が完成し開館された。先生のお人柄を偲びつつ、いつか訪れてみたいと思っている。


Q&A

2001, 6, 3

Q しゅんです。
質問です。
1)ナイターは季語ではありませんね、それから
2)俳句は今の季節だけ(現在)を読むのですか?また、
3)季語とは歳時記にあるものだけなのですか?たとえば、夏の季語のヨットには、ウィンドサーフィンもあればクルーザーと呼ばれる大型艇もあります。類似と言うか、その仲間のものは使えるのですか。また、
4)無季とおもわれる俳句もあるように思うのですが、その点は?見当違いの質問もあるとおもいますが、すみません。でも、たのしいです。

A 支配人です。お尋ねの各項について、既に確立している、また、牢固たる「俳句学」の受け売りで済ませるのば容易いのですが、ここは電脳坩堝の主義主張に基づいたお答えをすることと致します。ということは、勿論異を唱える俳句人もあるということをお踏まえになってご解釈なさることが必要となります。
1) 季語になっております。現今ナイターは春先から晩秋まで、また野球に限らぬあらゆるスポーツに亘っておりますが、この季語が出現した当時はプロ野球に限られ、しかも盛夏、昼の炎熱を避ける目的のものでした。これは現場の観客は勿論、ラヂオの実況を聞くものにとっても絶好の消夏手段でもあった訳です。誰が名づけたか判りませんが、ナイターなる日本製英語が定着してしまいました。恐らくナイター俳句も極く早い時期に出現したものと思います。秋桜子さんの
 ナイターの光芒大河へだてけり
は有名です。 さて、現代、どう対処するか、ですが、私は、ナイターと言えば夏のプロ野球、とします。春秋はそれぞれ春のナイター、秋のナイター。しかし思います。来年はサッカーで騒がしくなります。俳句界にも影響があるでしょうね。ナイターと一線を画す必要を感じます。先ず、ナイト・サッカーとでもしましょうか。
2) 私はそうありたいと願っています。今の新鮮な感動を尊ぶからです。
3) 歳時記云々と言うことになれば、そうであるとも言えますし、そんなことは無いとも言えます。 私は、俳句原初の四季の名物に基づいた季語の約束から、好む好まざるに係わらず、現代、そして以後、俳句も季語も進化するのが当然と思っていますので、歳時記に収載されていなくても季節感を如実に表すものであれば、当然一句の中で季語として働 くものとして容認できると考えています。まあ余り深く考えず、先ず楽しく俳句にかかわることでしょう。俳句はガクモンじゃない、詠ムモンで楽シムモンですから。
4) 例え無季であってもいい作品はいい作品。勿論有季定型が俳句の大原則ですが、原則は超えることが可能と考えます。常識も、破ることはいけないが超えることには賛辞を呈したい。それが現代です。しかし、無季俳句に挑戦するのは至難の技、深く立ち入らぬことをお勧めして置きます。
ご質問有難う御座いました。俳句を楽しんでいただくことは即私の愉しみ、喜びです。お礼を申し上げます。


Q&A

2000, 12, 10

Q 粋狂です  投稿日:11月19日(日)21時39分58秒
「此れがまあ終の住処か雪五尺」
有名と言うより、知っているのが常識のような句ですがこの句の解釈というか、作者の作意について疑問に思うことがあります。粋狂が学生の時に、この句から、作者の宗教的な悟りにも似た、深い諦念を読み取るべし、と習いました。しかし、粋狂はこの句を読み作者の無念さを感じたのでした。
作者が豪奢な邸宅で死にたいと願っていたとは思えませんが、望ましい死場所が得られないという無念、失望が感じられるのです。この作者の他の句や著作を抜きにして。ただ、この句から読み取れる解釈としては諦念と無念の、どちらが深いのでしょうか。粋狂は、解釈、感想の正誤は些細なことで、深浅をこそ問うべきであると思っております。この考えも含めて、前記についての御教授をなにとぞお願いいたします。

A 体調が余り勝れず、思いながらもご返事が申し上げられず済みませんでした。お尋ねのこと、一茶作品から読み取れる諦念・無念について、結論から先に申し上げればどちらも当たっているとしか言えません。ただし、作品の鑑賞というものは、作家の人となりを探るのが本義ではなく、作品そのものの好し悪しにとどまるべきもので、作家の生活態度や地位・性格までに立ち入るべきではないと考えます。
と言うことで、鑑賞者の自由意思を尊重して、どちらも当たっている、しかしながら有るべき鑑賞法からすればどちらも当たっていないだろう、と私は言うほか無いのです。おらが一茶、格別大悟の人でもひねくれた世捨て人でもなかったと私は見ています。しかし、大変頭の切れた人だったでしょう。でなければ歳若くして信州の山中から江戸へ出て俳諧で名を挙げることなど出来る筈も有りません。今なら東大無試験入学・学費免除、くらいな優秀な少年だっのでしょう。故郷へ帰ったのも無残な都落ちでもなく、故郷の資産を継ぐ為、そして俳諧で食えるといった思惑があったればこそのこと。農人で有りながらもっぱら農作業はかあちゃん任せ、俳諧で食ってのけました。でも、人並みな欲望は充分有って、弟と遺産争いをしたり、男の子が欲しいとばかり、弟子の薬種屋にバイアグラを注文したりと、実に人間臭いのです。そんなところ
から数々の一茶伝説も生まれます。
  信濃では月と仏とおらが蕎麦
  なんのその百万石も笹の露
  盥から盥に移るちんぷんかん
とても一茶が詠むまいと思うようなものをイッサ作品と信じて疑わないイッサ信者もいるのです。
要するに、一茶は、全くの普通人、別に大悟徹底もせず、世を恨む事もひねくれもせず、俳諧で楽しい世渡りを果たした幸福人、これが私の一茶観です。ですから、私からすれば、お尋ね冒頭の、学校教育者の意見などは穿ち過ぎとしか思えないし、粋狂様の『無念』も一茶がくすぐったがるのでは、と心配します。勿論作品鑑賞は主観によるものですからすべて御自由。でも、ここで先に申し上げた但し書きが着きます。そしてこの但し書きに拠れば、粋狂様がお悩みの正誤も深浅も作品鑑賞の埒外のものと言う結果になります。いかし、埒外とは言いながら、掬い得た感念をみずから信ずることは全く自由。その感念を他に押し付けることなく、個人的にお楽しみ頂く分にはいずれで有っても構わないのです。答えになりましたでしょうか。
たまたまお尋ね頂いた10月19日は一茶の忌日でした。私は郷土の勝れた俳人一茶が大好きですので本当に嬉しく感じました。有難うございました。      文緒


Q&A

2000,8.27
Q たまごです。
添削ありがとうございました。こちらの不手際でアウトルックのほうにメールがこなかったためにメールがきていることにきづくのが、遅れました。
子供の使っているメールソフトで先に子供がメールを受けてしまっていたのが原因でした。すみません。
最近は俳句に夢中になってしまっています。俳句が、子供の小さな成長を大事に暮らしていくための自分の支えになってくれます。
俳句の本もやっぱり読んだ方がいいかしら、と思ったんですが、本がたくさんありすぎて(図書館にいきました)目が点です。
初心者はこの辺から・・とか、教えていただけませんか。お時間のある時にまた返信下さるとうれしいです。よろしくお願いします。

A 俳句の為に本をお買いになるのでしたら、歳時記と、広辞苑をお勧めします。それに、広辞苑は勿論、歳時記もいまや俳句愛好者以外の人も愛読する隠れたベストセラー本です。ご一家に有って決して邪魔にならないでしょう。F


Q&A

2000.8.25.
Q 南山さんの紹介で添削をお願いする、俳句歴1年の林湧水と申します。よく「意味不明」「俳句以前」とか批判されますが、向上心は人一倍あり、基礎から学び直したく、気長にご指導下さい。                        林 湧水

A ご来店感謝。雑音は余り気になさらず、自分の信ずるところを先ずおこなってください。その内何かが見えてきます。急ぐことは有りませんから。


Q&A

2000.8.28
Q 最近俳句ができたときになんだか、聞き覚えがある感じがすることが、あります。既視感と、いうか。誰かの句が無意識に入っていて、その表現が出たのじゃないかととても気になります。俳句を読んだのは、それこそ授業と、朝日新聞くらいなのですけど。でも確認のしようがなくて。
こういう場合はどうしたらいいのでしょうか。罪悪感があるんです。思い上がりでしょうか。              たまご

2000.8.29
A 余り気になさることは有りません。私達が普通話をする時に使う言語は2500から5000語ということですが、ちっぽけな俳句・川柳でも文芸ということになると一挙に10000語くらいに跳ね上がり、30000語以上を駆使して初めて俳句もさまになるといわれています。勿論、俳句がものを言うのは言葉でなく、幾千幾万の言葉が持つ魂、言霊が物言うのですが。
さて、幾万の言葉があっても 自分だけの言葉 、なんてものは有りません。きっと誰かがどこかで使っている筈です。ただ、どこかで見聞きした言葉が脳髄で消化され、意識下でも無意識にでも出てきた場合、それは 自分の言葉 になります。お尋ねのようなことは良くある事ながら、当面余り気にせず、私の言葉、と信じておこなうことをお勧めします。楽しくなければ俳句じゃない。くよくよして萎縮しないことです。          F