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鶴彬-1 投稿者:二健  投稿日:2003年 1月11日(土)18時31分24秒

<はじめに>※2002.11.28(木)、弊店に来店した山本翠氏に「川柳を語るのなら鶴彬を知っているか?」と質問され、「さあ、誰でしたっけ?」としか答えられなかった。氏は2句メモし、指し示した。丁寧に書かれた「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」と「手と足をもいだ丸太にしてかへし」を読んで、やっと見覚えのある句であることに気付いた。しかし鶴彬(ツルアキラ)の名前も彼が川柳人であったことも失念していた。作品は物怖じしない体制批判の諧謔だの句として印象鮮明だった。数年前、自由律俳句の橋本夢道には共感し私淑したものの、鶴彬については認識不足だったことを恥じた。おりしも末期的都市に生きる歌人・穂村弘氏の掲示板サイト「ごーふる・たうん」の飛び飛びの詩歌議論で「自由律川柳は存在するのか」という質問がなされている最中でもあった。帰宅して早々ウェブ上で不勉強を補おうとした。幸いにも下記HPに辿り着き、俄仕立てでも鶴彬の大筋を知る事ができた。以下に、割付変更して転載させていただくのは、京都犬学政治経済研究会のHP(→戰旗・プロレタリア文芸委員会/下記URL)からの珠稿だ。この機会を与えてくれ教示してくれた山本翠氏と、貴重なテキストとして役立たせて頂いた京都犬学政治経済研究会の労作の賜物に感謝の意を表したい。宮崎二健
                          http://www7.tok2.com/home/seikeiken/index.shtml
※参考資料拝借HPのコンテンツ(順不同)
    ⇒[川柳作品―召集まで][川柳作品―除隊以降][川柳評論(工事中)][鶴彬評]
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          枯れ芝よ! 団結をして春を待つ
        ■ 反戦川柳人・鶴 彬 ■
         ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
わがしりとり共闘 青い鳥同志から紹介のあった反戦川柳作家・鶴彬氏を顕彰し、われわれの先達の詩歌として掲載する。
  http://seikeiken.hypermart.net/syuukai/tsuru/tsuru.html
上記リンクの鶴彬作品の中には、時代的制約等により一部「差別的表現」が存在しますが、原文のまま紹介します。

【 鶴 彬(1909〜1938) 】――――――――――――――――――――――――――∞

 若くして川柳の革新の旗手として頭角をあらわし、階級意識に目覚めてからは川柳をプロレタリア人民の戦う武器にまで高め、アジア軍事侵略にひた進む日帝に「十二文字」の鋭い刃をつきつけた。
 1937年盧溝橋事件をかわぎりとして本格的な中国侵略戦争が進む中、恐れることなく反戦川柳を発表しつづけるも、プロレタリアの戦闘的な友人を憎悪する日帝・権力の手によって短い一生を終える。
 しかし、われわれは彼を決して忘れはしない。彼の残した川柳を、彼の怒りを、諷刺の精神を、反戦に命を賭した荒々しいプロレタリアの魂を。 「暁を抱いて闇にゐる蕾」  1048-39036

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鶴彬-2 投稿者:二健  投稿日: 1月11日(土)18時28分58秒

【 鶴 彬 略 年 譜 】――――――――――――――――――――――――――――∞

1909年1月1日 石川県河北郡高松町に生まれる(実際は08年12月末らしい)。
        本名 喜多一二(かつじ)
1925年      新興川柳作家として柳壇に登場。
1927年12月   前年大阪の町工場で労働者として働いた経験などから
        階級意識に目覚め「僕らは何を為すべきや」発表。
1928年2月   ナップ(全日本無産者芸術連盟)高松支部設立。
   4月30日 高松川柳会弾圧で検束。
   9月   弾圧に伴い柳名を鶴彬と改称し、プロレタリア川柳を主唱。
        精力的に活動する。
1930年1月10日 徴兵により第九師団金沢歩兵七連隊に入営。
     秋  隊内に共青機関紙「無産青年」を持ちこみ、オルグ活動が発覚。
1931年6月13日 軍法会議において「七連隊赤化事件」の主犯として懲役二年の
        判決(治安維持法違反)。
        大阪衛戌監獄に収監。
1933年春    出獄。12月 除隊。
        その後、日雇い労働などに従事しながら、創作活動再開。
        天皇制日本軍国主義による軍事侵略の拡大、中国への全面的
        侵略戦争開始に伴い次第に発表する場を奪われていくが、主に
        柳誌「川柳人」に拠りプロレタリア川柳のために多くの作品、
        評論を発表する。
1937年12月3日 特高警察により治安維持法違反容疑で検挙。
1938年3月末  中野区野方署に留置中、赤痢に罹患するが放置される。
        病状悪化に伴い釈放されぬまま豊多摩病院へ入院。
   9月14日 死去。享年29歳。

鶴彬がプロレタリア川柳人として活動したのは、間に七連隊召集―投獄の期間を挟み実質前後6年間に過ぎない。しかしその6年間に数多くの川柳と評論を残した。

【同時代人・現代文芸家が語る鶴彬】――――――――――――――――――――――――∞

◇森田一二(プロレタリア川柳の先輩)
 『氷原』に「吾が同志への挑戦」を書いた。これで鶴が先鋭化してきた。えらい奴が生まれたものだ。川柳界の小林多喜二だと言える。
 『文芸戦線』は駄目になったけど『戦旗』は尖鋭だった。私はレーニンの「なにをなすべきか」をバイブルにしていた。三分の一が伏字、全部埋めていたが、これを鶴に貸した。鶴は社会科学の本はあまり読まなかった。労働に追われて時間もなかったのでしょう。

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◇渡辺尺蠖(川柳作家・親友)
 彼は若冠にして彗星の如く中央柳壇にのし上がり、プロレタリア川柳の尖鋭な理論化として、果敢な論争を展開した。精力型で才気煥発。あたるを幸い薙ぎ倒す武者振りは見事なものであった。昭和十二年(ママ)、彼の創作は高潮した。特に軍閥に抗した十数句は、一読、肌に粟を生ぜしむるものがある。彼は闘士にふさわしい終焉を告げたのである。

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◇井上麟二(「川柳人」主宰・井上剣花坊の子息)
 彼は色白のヤセ型だったが、何処となく骨っぽくいつも和服を着ていました。病弱のようでもあったが、精神力で支えている風だった。剣花坊は、彼を人間的に好きだったのみならず、偉い奴だと認めていましたが、私は彼を柳壇の小林多喜二だと思いますし、多喜二より尖鋭だったと思っています。
 小林多喜二と共に日本文壇の双璧だったと言えるでしょう。

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◇時実新子
   手と足をもいだ丸太にしてかへし
   もう綿くずも吸えない肺でクビになる
   屍のゐないニュースで勇ましい

 そうなのです。戦争中にこのような川柳を発表し、若くして獄中病死したのが鶴彬という川柳人でした。「ツルは偉い、口を閉ざされた民衆に代ってわずか十七字の川柳で闘った。よくやった」 鶴彬に対する評価はこれもあなたの自由です。ただ、川柳の流れの中に、このような人もいたのだということを記憶してくださればよいと思います。

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◇田辺聖子
   手と足をもいだ丸太にしてかへし

 男たちは赤紙一枚で続々と狩りたてられ戦野に送られる。歓呼の声で送られたはいいが、戦争で手足をもがれて丸太のようになって送り返される。いや、返される、という受身ではない。鶴彬は「してかへし」と、かえした国家にたいして、人民の怨嗟を匕首(あいくち)のようにつきつけている。    1047-39035

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鶴彬-3 投稿者:二健  投稿日: 1月11日(土)18時26分10秒

【鶴彬・川柳句抄 その1】――――――――――――――――――――――――――――∞
                    http://seikeiken.hypermart.net/syuukai/tsuru/senryu1.html

1928年/19歳 ※川柳作品割愛
*権力からの弾圧もあり、この作品以降、柳名を本名「喜多一二」から「鶴彬」に改名する。
1929年/20歳 ※川柳作品割愛
1930年/21歳 ※1930年2月1日発行「戦旗」2月号川柳作品割愛
この後、鶴は召集により金沢歩兵七連隊に配属になるが、一般に2年で除隊になるところ、
所謂「七連隊赤化事件」による下獄のため、活動再開は1934年まで待たなければならない。

【鶴彬・川柳句抄 その2】――――――――――――――――――――――――――――∞
                    http://seikeiken.hypermart.net/syuukai/tsuru/senryu2.html

1934年/25歳 ※多行及び一行川柳作品割愛
1935年/26歳 ※川柳作品割愛
1936年/27歳 ※多行及び一行川柳作品割愛
1937年/28歳 ※川柳作品割愛、末尾の句のみ示す

  高粱の実のりへ戦車と靴の鋲
  屍のゐないニュース映画で勇ましい
  出征の門標があってがらんどうの小店
  万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た
  手と足をもいだ丸太にしてかへし
  胎内の動き知るころ骨がつき

「万歳と」以下を発表した「川柳人」281号が発行されたのが11月15日、それから約2週間後の12月3日朝、出勤途上で特高に逮捕され(「川柳人」弾圧事件)、釈放されることなく、翌年9月獄死する。よって、これが生前発表された最後の一句となった。

【入手可能文献】――――――――――――――――――――――――――――――――∞
『川柳人 鬼才鶴彬の生涯』 岡田一杜 山田文子 1997年(株)日本機関紙出版センター 1300円+税
『反戦川柳作家 鶴彬』 深井一郎 1998年(株)日本機関紙出版センター 1300円+税
※上記2冊はSAMURAI図書館に蔵書されています。ご来店のおりご覧下さい。
                         ――以上 1046-39033
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(♭関連投稿各種割愛)
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≪鶴彬勉強会迫る≫ 投稿者:二健  投稿日: 1月24日(金)18時28分13秒

※1.11の当板初告示に次ぐ2回目の告示です。手直ししました。石部明さん、ヒロヨンさんコメント感謝。

       Δ__________________Δ
        俳句志{もののふの会}第87回俳句活動
          ■ 鶴 彬 勉 強 会 ■
       Δ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄Δ

日 時:2003年1月26日(日)午後3〜7時
     前半:各自研究発表と議論、後半:鶴彬の川柳朗読
場 所:新宿 Jazz Bar サムライ 新宿区新宿3-35-5 守ビル5F Tel&Fax 03-3341-0383
司 会:春日三亀
申込み・お問合せ:二健 samurai@k01.clubnets.com 携帯 090-2238-6309
会 費:千円、1ドリンク付き(飲酒可、追加分は各自精算)
予定者:(♭割愛)
要 領:参加者は、各自鶴彬研究をしてきて感じた事を簡潔明瞭に発表する。研究の切り口は自由。文書にして示されれば尚良し。それと後半は鶴彬の自由律川柳を朗読する試みを行うので、これぞと思う数句を抄出し、当日の朗読に備えるべし。マイクは使わないので大きな声で。参加者数と各自の研究発表の量により勉強会の時間配分が行われる等、司会進行に委ねる。
※当日出席が適わなくても、簡単な感想の言葉の提出で参加することができる。その場合前日迄に、二健宛てにメールを請う。また、掲示板への投稿もされたい。
               *
  ゴミ箱をあさらせるために産みつけやがった神様の畜生  鶴彬
  修身にない孝行で淫売婦                 〃
  売り物になる娘のきれいさを羨まれ            〃
  これからどうして食ってゆこうかと新婚の夜を寝つかれず  〃

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<動機>※2002.11.28(木)、弊店に来店した山本翠氏に「川柳を語るのなら鶴彬を知っているか?」と質問され、「さあ、誰でしたっけ?」としか答えられなかった。氏は2句メモし、指し示した。丁寧に書かれた「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」と「手と足をもいだ丸太にしてかへし」を読んで、やっと見覚えのある句であることに気付いた。しかし鶴彬(ツルアキラ)の名前も彼が川柳人であったことも失念していた。作品は物怖じしない体制批判の諧謔の句として印象鮮明だった。数年前、自由律俳句の橋本夢道には共感し私淑したものの、鶴彬については認識不足だったことを恥じた。おりしも末期的都市に生きる歌人・穂村弘氏の掲示板サイト「ごーふる・たうん」の飛び飛びの詩歌議論で「自由律川柳は存在するのか」という質問がなされている最中でもあった。帰宅してウェブ上で不勉強を補おうとした。幸いにも下記HPに辿り着き、俄仕立てでも鶴彬の大筋を知る事ができた。割付変更して当BBS転載やテキストとして活用させていただいたのは、京都犬学政治経済研究会のHP(→戰旗・プロレタリア文芸委員会/下記URL)からの珠稿だ。この機会を与えてくれ教示してくれた山本翠氏と、貴重な資料として役立たせて頂いた京都犬学政治経済研究会の労作の賜物に感謝の意を表したい。  宮崎二健
                             http://www7.tok2.com/home/seikeiken/index.shtml

※参考HP⇒ 枯れ芝よ! 団結をして春を待つ■反戦川柳人・鶴彬■ URL↓
            http://seikeiken.hypermart.net/syuukai/tsuru/tsuru.html

【入手可能文献】―――――――――――――――――――――――――――――――――∞
『川柳人 鬼才鶴彬の生涯』 岡田一杜 山田文子 1997年(株)日本機関紙出版センター 1300円+税
『反戦川柳作家 鶴彬』 深井一郎 1998年(株)日本機関紙出版センター 1300円+税
※上記2冊はSAMURAI図書館に蔵書されています。ご来店のおりご覧下さい。
※書物とHPなどの引用句は誤字脱字など散見されましたので、孫引きして発表される場合は良く調べて下さい。  1080-39852
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(♭関係投稿割愛)
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次回 投稿者:三亀  投稿日: 1月27日(月)02時09分43秒

時代が書かせた、という前提では始まりえないのでした。よしんば時代が書かせたとしても書いた個人がいるわけで、時代という時間に収束させるにはむりがあるわけです。それは当時の歴史を考えれば、今にかなりな手応えで返ってくるわけで、時間軸ではどうしてもはみだしてしまう鶴彬がいるのです。第2回の鶴彬を考える会が最後の懸案になりました。

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井上信子と鶴彬の「川柳談話」 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月27日(月)17時38分58秒

 昨夜は終電間際に帰宅。前日は熱海泊だったこともあり、昼過ぎまでダウン。
 まとまった報告を二健さんにカキコせよと求められているが、「リハビリ」を兼ねて、まずは、他の人の朗読作品とかぶらない、表題の、小生朗読テキストのアップから。まあ、あまり、代表的でもないが、筆名に関係した(という)名の娘の母で、剣花坊夫人とのやりとりを。どっちがどっちなのかよくわからないものあり。

川柳で話をしやうと言ふ信子
鶴首をかしげて話考へる
川柳の会話なかなか捗どらず
どこを押しても句になりそうな鶴の腹
あれこれと押問答で日が暮れる
三平を呼んで来ようかと信子言い
呼びに行くにはおっくうな雨が降り
句の浮ぶたびに信子はペンを持ち
頬杖をして腹案を考える

十句丈で話一先づ息をつき
用のない茶碗は底を上へ向け
北斗から選句をよせて困らす日
百句丈作らうという身ごしらへ
五十句と出来ぬうちから嫌やになり
伏せてある茶碗は闇を伏せて居る
感情をおとなしくせよとインキ壺
ペンもありインキもあって唖になり
水牛は花差しになる角を持ち
いろいろの缶を並べる柳樽寺(「缶」は原文では旧字。以下同じ)
どの缶の中にも菓子が詰めてある
一人者お菓子の缶に取り巻かれ
菓子と茶盆が平和論唱へ
弁慶のキウスがおいてある戸棚
作句してラジオニュース聞き忘れ
青い空金こうもりが二匹とび
一本のバットで駄作十句出来
既成では三光ものと言ひながら
五十句に足らずほとほと飽きがくる
水道の栓の雫がきざむ時
炊事場の乾く間のない刷りガラス
所在なく屑屋の声をきいて居る
手伝ひに誰か来そうに思はれる
映画にも行けず雨足きいてゐる
一本の柱に箒とそろばんと
いつ見てもキウスは口を尖らかし
一時間で五十句丈を作り上げ
坐ってはもう句は出来ず歩き出し
秋の田の苅り手は支那へ出勤し
どう置かれても物さしは計ってる
サア飯だ飯だと信子座を変える
まだ百句出来ぬに飯を食ひたがり
天上の蜘蛛を見付ける秋の風
飯を食いたがるのは鶴ばかり
その鶴はいまは生憎く胃病なり
六十句出来たところへドンが鳴り
雨におそれて雑誌まだ来ない
句作にこって煙草呑まずに捨ててある
シネマにも行けず雑誌も持って来ず
明日来たら怒鳴ってやろうナと思い
怒鳴られるは知らず小僧は運んで来
自分の年ほど作って信子くたぶれる
七十句作ってみたが駄句ばかり
今頃の嘘夢の姿をおもひ見る
岡本は句にされるとは露知らず
国民総同[ママ]員で国夫列に入り

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鶴彬勉強会完了 投稿者:二健  投稿日: 1月27日(月)18時56分02秒

実際の出席者は、司会者の春日三亀、山本翠、木村哲也、えるん、原浩輝、瑞恵、今溝協、ギネマ、宮崎二健、そしてテープ参加の島田牙城の10名だった。始まったのは私の遅れが原因で3時半過ぎからとなり、各自の意見を元にスリリングな議論が進んだ。大テープルを囲んだ9名という人数は丁度やりやすい数だったと思う。積極的発言タイプと寡黙タイプの知識階級と、耳を傾けつつ素朴か、お門違いの質問をしたりする無知階級のバランスも程よかった。鶴彬の川柳と俳句についての論評を『鶴彬全集』から哲也氏が、大声で分かり易く朗読してくれ大変勉強になった。6時半を回って「牙城さんのテープを聞きたい」という声が重なり、休憩後20分のカセットテープ拝聴となった。神妙な顏、にやにや顏、頷き顏、呆れ顏、笑い顏、真顔、各人各様な面持ちだった。それだけ深刻と滑稽まじりの俳表現だったということだ。つまらなくなく面白かったというのが率直な感想だ。拝聴後各人の寸感を紙に書いてもらったから、明日纏めて書き込むつもりである。続けて後半の鶴彬川柳朗読タイムに入った。二健、浩輝、ギネマ、哲也、瑞恵、えるん、翠、協、三亀と長短いろいろな朗読を試みた。客前ではないので気が楽だった。このようなことは今後も行っていきたい。8時以降からの二次会は、鶴彬の事もそうでない事も混じって雑談が進んだ。最後まで居残ったのが三亀、翠、ギネマ、二健で「ぜひ2回目もやろう」と、明日に情熱をつないだ。二健と翠さんの新宿流れ者組は深夜の隠れ家へしけ込んで成功を祝した。 1087-40070

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テープ参加作品への感想 投稿者:二健  投稿日: 1月28日(火)04時29分20秒

カセットテープへ20分間にわたって吹き込まれた牙城氏の鶴彬関連のお喋りと川柳の朗読ものは、異色参加形態だった。鶴彬の解説に私見を交えての京都弁の講話中、エモーショナルな川柳朗読は、聴衆を沸かせた。我々の持論の根幹である「俳の精神」をしっかりアピールしていたところは牙城氏ならではだ。当時の川柳人も俳人もそうだが、あれほどの論客だった鶴彬は、詩への止揚は論じていても、俳については語っていない。今回の勉強会に当たって、牙城氏作のテープには、この一大事な基本がないがしろにされていなかった。故に既成の研究成果をなぞっただけのものではなく、乗り越えたらんとする新概念のアプローチがなされていた。深刻と滑稽を地で行ったような珍妙な音声作品をどう見るか(聴くか)は、表現者としての自己の希求するものとの相対性において自覚せしむることだろう。
参加者に現場での拝聴の寸感をメモして戴いたので、順不同で下に示す。言い足したい方は改めて投稿されたい。

 三亀 :朗読、楽しかったよ。
 協  :朗読がしみじみしていてよかった。
 ギネマ:なかなかフンイキがあってよかったです。おもしろかった!
 瑞恵 :「鶴彬は、下手な作家たらんとした。」といわれたことに同感しました。
 二健 :エンターテイナーぶり発揮。五感に訴える立体的な勉強会となりました。
 えるん:テープとか初めて聞いたので、20分も一人「日本昔話」(アニメ)のを聞いた気分でした。すごいおもしろそう。
 哲也 :さんざん飲み屋説義的にやって、誰かそれはじめた時にタイムリーな「講座」。先に聞いたら要請したと思う。全集も買ったので、牙城さんに負けないように読破のつもり。
 浩輝 :こんにちわー!ご無沙汰しています。鶴彬論のテープ、拝聴しました。表現が段々せっぱつまってくると、カミソリみたいというより、ドンとしたカタマリの提示みたいなかんじになっていくという話、よくわかります。まあ、でも鶴はキレアジも、けっこう、ものすごいもんがあるとは思いますけどね(笑)。ともあれ、こちらも、充実したいい会だったように思います。そのうち、又お会いしたいですね。では、では。
 翠  :あーそーでっか。              1088-40108

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とりあえず 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月28日(火)07時42分26秒

 ↓での小生の発言中、「飲み屋的説義」とありますが、「飲み屋的談義」のつもりでした。悪筆でごめんなさい。
 また、焼酎ロックをすでに数杯飲んでいたので、自分でも、「要請」あたり、意味不明。勉強会の冒頭に聞いてしまっていたら、少なくとも小生は縮こまったかな、とかいうことを思って書いたはずです。
 自由律のこと、俳句と川柳、という、席上配付の資料については、午後か明日にでも。やっと疲労回復。
 各人の見解の総集編みたいなことは、ノートもとっておらず書けないが、勉強会に臨む前と後では、相当に見方が変わったので、参加した意義は大きい。

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皆様の御感想に深深御礼 投稿者:牙城  投稿日: 1月28日(火)12時32分30秒

申し上げます。他の方々のご意見を拝聴できなかった分、やっぱり現場に立たないといけないなあと、反省もしています。下の三亀さんの「次回」で書いておられる「時代が書かせた」感への違和は参考になりますね。

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まずは 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月28日(火)16時32分28秒

 いとう岬さんが書かれていた、澤地久枝「昭和・遠い日 近いひと」(文春文庫)、田辺聖子「川柳でんでん太鼓」(講談社文庫)、二健さんが持っておられた、田口麦彦「川柳入門はじめのはじめ」(東京美術)を購入。
 田辺は、「手と足をもいで丸太にしてかへし」と「働けばうづいてならぬ○○○○のあと」の二章を当てているが、普段どおりのやや饒舌な書き方であるのに対し、澤地のほうが簡潔ながら、ややシリアスである。
 結果論だが、内容的に日曜より前に読んでおくのだったが、知ったのが、日曜配付の二健さんの資料でだから、やむを得ないだろう。二度めもあるのだし。
 さて、大学院のゼミなどしょせんセレモニー。その後の飲み会のほうが大切なくらい。そこには、先生の同僚、友人、OBも混ざって楽しい。好きな言葉ではないが、「役に立つ」という言葉を使うのならば、そっちのほうだ。
 まして素性の知れない人も混ざって、最初からアルコールだから、過日の会は成功裏に終わったのだろう。
 とりあえず、サムライの正面のネット喫茶から送信。

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ついで 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月28日(火)17時12分23秒

 会場で、小生が配付した「俳句性と川柳性」という、鶴彬の論文(全集からのコピー)。
 後述の、自由律の問題と併せ、何だか絶対話題になりそうな気がした。全集を拝ませてくれ、という声もあったので、なるべく有効なところをコピーした。
 有季定型以外も俳句、とかで、会場が揉めだし、あまりにも本題から離れ、生産的論議も期待できそうもないと思えた場面で、小生が全文を朗読。
 要約と、小生の寸感のみ、手短に。

 冒頭。
 「最近柳壇の一部で、俳句と川柳とは将来一つの短詩型に統合してしまふのではないかといふ様な論議が起ってゐる」
 そして、「俳句=自然象徴詩」「川柳=人間風刺詩」だったはずが、俳句が現実的主題を採り上げ川柳に接近している、とある。
 しかし、それは「早合点であるし、また大変まちがってさへいる」という。
 長々と説明の後、以下のように言っている。
 「いかにうたふべき内容的主題が変ってもその詩のもっている特殊な創作方法が生かされている限り、それは別の詩に変化してしまふということはないのである」
 創成期には、俳句は有閑層、川柳は勤労層からであったが、その逆のような、現実俳句や神秘川柳が出てくるのも当然と言う。
 結論的部分を引こう。
 「たとへ俳句がどんなに諷刺的な立場をとらえていやうと、またいかに川柳が抒情的な対象に立ち向っていやうと、それは決して俳句が川柳になっていたり、川柳が俳句になり変っていたりしてゐない」

 以下、木村の私見。
 純理論的には正しく、鶴の作品を髣髴とさせる一徹な書き方だが、例えば、勉強会にきていた「えるん」さんの短詩のように、分類不能なものもあろう。本人が、いい意味でどのジャンルで書いているか、自覚がないからだ。
 最近、預かった雑誌原稿を持ったまま引っ込んでいる、某俳人だって、同じ句を、欠席投句で川柳系の会に出したほうが点が高かったのも、目の当たりに見た。/いったん、送信。

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そして 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月28日(火)17時43分14秒

 さっきのも、これからも、後日の感想で、当日の様子を伝えるものではないことを、先にお断わりすべきでした。
 さて、自由律の問題も、全集での直前の部分でふれられている(「自由律作品について」)。
 まずは冒頭。ついで要約。

 「木村半文銭は、最近の自由律がまるでものになっていないという森一二の意見に手をあげて賛成した一人である」
 木村半文銭は「定型的な、リズムがすぐれた音楽性をもって」いた。
 「自由律がまだ創造の初期にあり」、「幼稚な呂律しかもっていない」が、どうしたことか半文銭は近頃「みづから自由律作品ばかり創り出した」。
 しかし、鶴の考えは以下のようである。
 「自由律とは何でもかんでも思ったままのことをそもまま投げ出しさえすればいいといふ素朴な考への許につくられた作品だ」
 「詩人の韻律を決定するものこそその精神情熱に外ならないのだ」

 以下、木村の私見。
 脚韻(押韻定型)だ、女性名読み込み回文だ、という、(極端なまでの?)韻律派の小生には、理論的にはうなずけるが、やや思い込み的で、反対派への説得力を欠くだろう。
 鶴にも自由律はあり、名を伏せて出されれば、三亀兄ちゃんやギネマさんの作かと思わせるものもあった。そういうもののほうがいい、とまでは言わぬが、三亀さんの朗読では、自由律のがおもしろかったし、牙城さんのも含め、五七五の作を、律を感じさせない読みで成功していたのもあったと記憶。

 さて、話は逸れて、他人の作の朗読では、「速報」でふれたように、句会さながら「高得点」句が出てくるのも副産物だ。小生は、自由詩の存在も知りつつ、自作しないジャンルのは、読めなかった。(会場で珍しく(?)荒れなかった)原浩くんも言っていたはずだが、自由律作家でこその自由律朗読だったと思う。
 三亀さんの怒鳴りも悪くはなかったが、牙城さんのテープでは、「活字で笑えない鶴の句を、いい意味で笑えた」と何人も言っていたことをここに特に記す。/ここで送信。

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それから 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月28日(火)18時28分51秒

 待ち合わせでこの後、サムライ来店なのだが、まだまだカキコ。
 会場で配付の資料には、行分け自由詩の存在もお知らせしたが、小生の関心からは、詩人の永瀬清子とのやりとりがあったのが、やや驚いた。
 日本語での脚韻に市民権を与えたのは、詩人で仏文学の飯島耕一だ。その飯島が旧制高校の時代、岡山に住んでいた永瀬に訳詩集を借りに行き、仏文に目覚めたという。
 永瀬の詩集も散文も、いちおう目配りしていたはずだが、問題意識が低かった小生の読み落としか、永瀬のほうにはまとめなかったのか。
 「詩人」昭和十一年六月号に、南竜夫とともに、「川柳諷刺詩を否定す」を発表し、川柳は芸術ではないとしている。
 「永瀬清子に答へる」という副題をつけて、「川柳は詩でないか」という文章が、前述の文章のやや後に載っている。
 ここには要約はあえてしないし、(言うまでもなく)鶴は永瀬に猛反対だ。
 他では永瀬は好きだが、ここで引かれている永瀬の川柳観だけはいただけない。だが、永瀬のいろんな側面を知ることができたことはマイナスではなかった。

 さて、先ほどの文章よりは前あたりに、「正しい川柳大衆化のために」と「大衆的表現の問題」という、二つの鶴の文章もコピーをつけておいた。
 前者は、大衆的でなければならない川柳が、大衆化を叫ばなくてはならない矛盾、で始まる。しかし、文学的に低まってもならない、ともある。
 イデオロギーが高ければ、表現が平明でも文学的に低くはない、というのもうなづける。
 短詩型ゆえの限界もあれど、と言いつつの、最後の部分に注目。
 「真に大衆的な表現方法の完成は何よりも作者自らが大衆の中に入り大衆の思想・言語・感情・生活にとけ込むことによってのみ可能であるといふことを、しめくくりとして言ひたいのである」。
 さて、後者は、二番めの段落だが、「高く成長した川柳文学の果実を、大衆の広野にまきちらすことが、川柳大衆化の根本的主題である。これをうっかり忘れると、大衆化は卑俗化に転化してしまふのだ」という部分に、まず注目しておきたい。しかも、「既成川柳側の大衆化論は、川柳卑俗化」と直後に言っていることも。
 未完のような文章ゆえ、結論は引けないが、もう一か所だけ引くなら、途中だが、以下のところであろうか。
 「重要なことは、彼らが大衆といふ言葉の意味を正しく知ってゐないといふことである。なんでもかんでもよせあつめたものが大衆だと彼らは考へてゐる。これはまるで間違ってゐる」。

 三十歳前で亡くなり、学歴的には見るところのない鶴だが、自分の同時代と比べても、はるかに立派な文章であると思う。それだけに、謀殺(?)されずに、自分の仕事を振り返るだけの期間を生きていたらと思うことしきりだ。/ここでまた送信。

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今日はこれまで 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月28日(火)18時37分52秒

 こんなに長く、昼間にネット喫茶にいたのは初めてだ。しかも連続カキコだし。
 マスターとこの後会えば、また出席者の皆さんの意見も思い出しつつ、自分なりの考えがまとまっていくだろう。
 精算して、待ち合わせ場所へ。7時にサムライ、開いてるかなー(笑)

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鶴彬勉強会うろ覚え書き 投稿者:二健  投稿日: 1月29日(水)08時53分28秒

 翠  :時代を直視して真正面から戦った。/センチメンタルの文学者像とは違う。/率直でナイービリティがある。/自分に忠実である。/頭が明晰で澄んでいる。/人間に対する信頼感がある。/よく見える人で自己凝視している。/距離感をもっている。多面的思考が働いている。等
 三亀 :あっけんからんとしている。理屈が粘ついていない。直球。
 協  :党に入らないで単独でやっていた。埴谷雄高も云々。
 ギネマ:他人との関係性で自己の座標を決めていない。
 浩輝 :それなりの確信犯。俳句(有季定型)と川柳の違い云々。
 二健 :信念を曲げないで体制に歯向かう一匹狼は劇画的ヒーローではないか。刀や鉄砲を持たず川柳という武器を携えた自己犠牲者を信頼しよう。
 瑞恵 :葛藤や決意がちょっと見えたような気がした。(会後)
 えるん:「人間的本質」とやらに触れてくる感覚がすごくある。/非常に理知的な頭の良い・・それでいて「人間」である事を人間として受け入れている人。(会後)
 牙城 :正に俳の人だった。(テープ参加)

※哲也氏は下記の如くです。各人たくさんの重要発言されていましたが、メモを取り損ねて、記憶も定かでなく情報収集が貧弱で申し訳ありません(異存があれば訂正します)。賛辞ばかりではなく批判的意見も聞かれました。

◇全体として、えるんより頂いたメールに的確に書かれてあったので引用します。
――全体的な感想は、人間の立ち位置の中でも「個として立つ」という部分への注目度が高かったような気がします。作品という残されたモノを通して、鶴彬がどのように「一人の人間として立ち」「何故立ち位置を変えなかったのか」という部分が多く語られていたような気がします。

◇一行詩と言うのかな?えるん作品は、川柳を刷新する同人誌「バックストローク」創刊号(03.1.25石部明発行・畑美樹編集/頒価500円)に5句掲載されています。詳しくは下記掲示板をご覧下さい。 1096-40213
 BBS「バックストローク」(同人専用)→ http://8418.teacup.com/akuru/bbs
 BBS「新版MANOの伝言板」↓
 http://8616.teacup.com/ishibe/bbs

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「鶴彬全集」斜め読み 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月29日(水)17時08分58秒

 連日の新宿通いで、忘れ物を取りに行ったサムライで、そのまま読書。
 やや作品より先に評論に目が行ってしまうが、他の人による鶴論に集中するよりは有効と愚考。
 急ぎ、先週末にコピーしたところは、それはそれで悪くはなかった。
 単なる(?)時評もいいのだが、まずは定型論に目が行った。昭和九年の「定型律形式及び図式主義への闘争」、十年の「自由律発展におけるセクト主義の批判」などである。
 また、九年の「川柳のジャンルに就いて」、十年の「川柳に於ける詩の問題」、十一年の「川柳職業化の問題」、十二年の「正しい川柳の詩の防衛のために」といった、川柳のアイデンティティー、とでもいったものへの「こだわり」も見逃せない。
 そして、木村半文銭批判、特に十二年の「二つのデマに対する答礼」、長詩「川柳の神様のヘド」といったものに、およそ代表されよう。
 個々の文章については、いずれ、順に紹介がてら、私見を述べていきたい。

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楽しい催事が必須 投稿者:三亀  投稿日: 1月29日(水)23時48分27秒

鶴彬、二回目やるとしたら各論になるのでしょうか。たとえば「鶴彬と満州事変」「鶴彬と昭和天皇」「鶴彬とマルクス主義」「鶴彬と生母あるいは淫売」「鶴彬と剣花坊の謎めく関係性」「なぜ鶴彬は川柳を選択したのか」「鶴彬の自由律について考える」「鶴彬における評論とは何か」「鶴彬と共産党」「鶴彬における大衆の意味」「川柳史にみる鶴彬の位置」「鶴彬にとっての転向問題」てな具合いに。でも、それだけじゃ面白くない。昭和初期にタイムスリッブした川柳句会をやるとか、鶴彬になりきって今の時代を川柳で読むとか、何か目新しい技がほしい。

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あっ、それ乗った 投稿者:牙城  投稿日: 1月29日(水)23時58分22秒

三亀さんのご提案のうち、「鶴彬になりきって今の時代を川柳で読む」に、僕、乗ります。僕の場合は研究者ではなく実作者ですので、お勉強した後にまたお勉強するよりも、お勉強したことを実作に血肉化させたいとおもうのです。鶴彬を語り継ぐ前半と、鶴彬なりきり現代川柳朗読の後半というのは面白いかもしれませんね。(再度のテープ参加かもしれませんが)

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テーマと名称 投稿者:二健  投稿日: 1月30日(木)03時19分58秒

「鶴彬勉強会2」をやるとしたらの各論案が具体性をもって出てきました。12回分のテーマも出揃ったので、月例で1年がかり、3カ月おきで3ヵ年計画になります。いやいや考えられるテーマの候補ですね。それにしても鶴彬研究の切り口は多彩ですね。それらの重いテーマを皆に勉強して来いというと、出席者が一抜け二抜けになっていくのではないかと思います。自分の関心ごとについて専門に勉強した人が、30分程度基調報告して、質疑応答や議論を行う方法をとれば、来て聴くだけでいい参加者として、気が楽ではないかと思います。ただしこの場合、先生を招いて講義してもらうのではなく、相互間の自主的研究意欲による催事であることを望みます。勿論後半の朗読会もセットです。もっともテーマを決めて勉強会を行うとなれば、それなりに予備知識を入れてくる人が多いと思いますので、基調報告者なしの持ち寄り勉強会でも反対ではないです。牙城さんの賛成した実作や朗読も欠かせない課題ですね。昭和初期レトロ川柳句会も面白そうです。朗読は後半だけで済みますが、句会はフルタイム必要になるでしょう。

それと、ミキオ・Eさんに好まれなかった会の名称ですが、単刀直入に分かりやすく普遍的だと思って「鶴彬勉強会」としました。勉強とは「精を出してつとめること」「学問や技術を学ぶこと」「さまざまな経験を積んで学ぶこと」「商品をやすく売ること」と広辞苑には載っていますので、特に変ではないと思います。ただ私事ですが、思春期に勉強が不得意だから嫌いで、劣等感に苛まれたイヤーなニュアンスはあります。今は、義務や点取りのための勉強ではなくて、自分が自分のためにやりたい勉強をしようという気持ちです。私が経験した現俳協青年部の俳句活動も、〜勉強会でした。翠さん所属の「未定」は、〜研究会と称しています。三亀さんに習って、思いつくまま列記すると「鶴彬勉強会」「鶴彬研究会」「鶴彬を考える会」「鶴彬を語る会」「鶴彬を知る会」「鶴彬を学ぶ会」「鶴彬会」、ニュアンスが違って「鶴彬同好会」「鶴彬愛好会」「鶴彬普及会」「鶴彬塾」「ツルイズム研究会」、ぐっと砕けて「つるりんの会」「つるべん」「つるけん」などです。今後また思いついたら提案します。とりあえず「鶴彬勉強会」でいいのではないかと思います。どうせやるなら斬新な会にしたいですね。 1100-40296

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個人的意見 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月30日(木)12時29分12秒

 目新しさのための句会に決して反対しませんが、句会にそれほど個人的には魅力は感じないことは別にしても、特に「なりきり」句会をやるまでには、まだ1〜2回は「つるべん」が必要にも思いますけど。
 また、テーマを決めての勉強会では、アカデミズムといい意味での無縁のよさがなくなるように思いますし、関心のないテーマだと、来ない人が増えるのでは?
 テーマをなるべく予告しないで、30分以内での基調報告と質疑応答を2〜3組、後半に朗読会、というのを希望。
 それから、名称について。あまりこだわりたくないが。「勉強」は、広辞苑はいざ知らず、よく見れば「勉めて強いる」だし、現代中国語でも「無理に」の意味だ。センセーである小生でも、好きではないニュアンス。「研究」も、ダイガクを思い出させて、なお嫌。
 例示いろいろながら、「学習」という言葉が出てこなかったのが、やや意外(現代中国語で「べんきょう」の意味)。自分のために、自発的に、ということからも、問題ないですよね。
 あと、昨日の小生のカキコのとおり、「全集」の報告を、今日、明日、行なうつもりでした。「つるべん」に有効、とまでの自信はないにしても、妨害ではないはずですから、予定とおりです。
 昨日は、サムライ以外で飲んで失礼しましたが、ちょっと心地よい疲れ。

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定型律に自由律 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月30日(木)15時39分27秒

 鶴の川柳で、自由律で成功していると思われるものが多々あるとは思っているのだが、自由律を肯定してはいないかと思われるのが、コピー配付の資料であった。
 そして、昨日夕方のカキコでタイトルを掲げた評論を読んだ。まだよくわからない、というのが本心だが、紹介がてら、見ていきたい。
 「定型律形式及び云々」は、小生にはやや苦手の政治運動がらみの記述が長い。
 山村浩と鶴彬の作品が列挙される箇所を引くのがいいだろう。

手の届くとこまでパンをひき下ろし
安定の梯子を降りる資本主義
いろいろの履物で来る自由主義
新しき頁三月十五日
あきらめて地主夜刈りの灯をながめ
搾るなら搾ってみろとベルト切れ
石炭の中から明日へ立ち上がり
石炭を絶てよシャベル投げ出され
                 (山村浩)
血をはいてシキをあがればくびになり (シキ=坑道、編者注より。はいて、の「は」の部分は、原文では、クチへんに「各」)
裏切に争議捷たれず秋の風
どてっ腹割れば俺いらのものばかり
追い込んだ飢餓の底から引ッ返し
団結の果てに俺いらの春の花
屍みなパンをくれよと手をひろげ
搾取器のけむりもくもく怒るなり
出征のあとに食へない老夫婦
食堂があっても喰へぬ失業者
群神の像の真下の失業者
ゼネストだ花が咲かうと咲くまいが
指のない手に組合旗握りしめ
団結へ賭けろどう喰へない生命ぢゃねいか (「どう」でなく「どうせ」、編者注)
深川にただよう煙は俺たちの血とあぶらの噴火だ
                 (鶴 彬)/いったん送信。

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続き 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月30日(木)16時23分42秒

 直後の、鶴の文章を引く。

 これらの作品の過半は、公式的な政治的怒号や、イデオロギイに貧弱な肉づけをした、観念的な報告にすぎないであろう。[中略]とくに、山村浩の創作態度は、現実労働から浮き上っている。インテリの観念的弱点をさらけ出してゐる。その意味において、僕は労働の中にきたへられてゐたために、公式的な怒号や図式性をもちながら、いくぶん迫力的な点において見直されると自負する。
 (そしてここにも、定型律の束縛によって、言ひたいことを半分しか言へなかったり、ために傍観的な報告的作品しかつくれぬといふいわゆる定型律的弊害を濃厚に見せつけられるのである。)
 今日までのプロレタリア川柳作家の作品の多くは、これらのむしかへしであり、またはもっと意識や技術やに劣った愚作の展列に終っている。

 長い引用になった。論評の前に、先に結論あたりから、もう一度引く。

 プロレタリア川柳は、その新しいレアリズムのために、古川柳や通俗川柳のもつ、事物を確定的に描くといふ洗練された技術などを学ぶと共に、複雑な内容を簡易な表象化や、捨象的方法によって表現する神秘川柳の象徴的技術をも消化せねばならぬ。この過去の川柳がもつ技術の吾々の川柳の備への正しい消化と止揚とによって、吾々の川柳は、一切の過去の川柳の最高に立つことが出来るであらう。それは作者の個性や才能や技術にもっともふさわしい内容や形式への創造的探求および創造的発展によって貫かれねばならぬ。自由律形式の発展はこの道を通じて創造の翼を羽ばたきせよ!
 附記 自由律形式については、別に「わが自由律形式論の発展」を書いた。これらの問題について多くの同志たちの熱意ある批判を希望する。

 ここまで来て、同題の評論の後半からふれ始めたことに気づいた。追って、前半に行く。
 なお、附記で言及されている文章については、編者注もなく、全集中にも、今のところ見当たらない。/いったん、また送信。

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後半部から先に感想 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月30日(木)17時01分13秒

 山村浩のこともよく知らないが、評論の中で、他人と自分の作品を並べて、他人のほうをこきおろす、というのは、小生にはできない。まあ、若気の至りみたいなものであろう。
 だが、自評ながら、「公式的な怒号や図式性をもち」と自認しつつも、「迫力的」という言葉には、日曜の「つるべん」での、参加者の声を思い出した。
 また、なりきり句会をするなら特に、鶴の言っている「むしかへし」「愚作の展列」にならないよう、心しなくてはなるまい。
 結論部分は、言うまでもなく、川柳に限らず、自由律全般に通じるだろう(ただ、個人的には自由律派ではないが)。
 さて、それからしばらくしての、コピー配付での、鶴の自由律の意見は、まだしっくりこないところがある。

 さて、チョンボで見落とした、前半へ。
 一「問題提出の意義」、二「吾々のおかした誤謬」、三「内容の優位性と形式の発展」の三章からなる。
 まず、一の冒頭を引く。

 われわれの川柳が生まれてから、もう十年に近い歴史が発展した。この決して短かくない歴史をもちながら、今日吾々の仕事に参加する、ほんとうのプロレタリア川柳作家と呼び得るものは、片手の指で数へるに足りない程少ない。

 二を読み進めるうちに、こういう一節がある。

 即ち新しい芸術内容は、古い芸術形式を利用することによってだんだん自分にふさわしい身構へをもって来るのである。この古い形式の利用を否定しては、どんな新しい形式も発展することが、出来ないのである。
 われわれの川柳が、最初に定型律形式をとりあげたのはこうした法則によるものであった。ところが、僕らはここで重大なる誤謬をおかしてしまったのである。といふのは、あたかも、定型律形式が、プロレタリア川柳に最も適応した唯一の形式だと思ひ込んでしまったのである。/ここでいったん、またまた送信。

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前半部の続き 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月30日(木)17時45分15秒

 その、しばらく後の部分である。

山村浩はこの[定型律の]問題について、詩は一定のリズムをもたねばならぬという立場から、定型律形式の五七五音律と、十七字制約を、日本語のもつ、もっとも音楽的な、簡易的な短詩形式として、プロレタリア川柳の形式に高めようと試みた。僕もまた、定型律形式は、印象的であり、歌謡的であり、従って労働大衆に記憶され易く、うたわれ易いといふ見解のもとに、それを支持したのである。この試みはかなりの期間にわたってプロレタリア川柳を支配した。

 しばらく後。

われわれは定型律的なメーデー歌より、自由律的なプロレタリア抒情詩が、より労農大衆の意識や感情を、深刻に、印象的に朗詠的に描いた実例を知っている。

 ここで寸評をあえてはさめば、二健さん、三亀さん、ギネマさんなどの傑作を前にして言っているかのような文章だ(笑)。

 その直後。

 定型律形式は、封建的芸術的内容の形式として、言い換えると、封建的意識や感情がもつ文語的用語の組織と統制との結果にあらわれる形式としてのみ可能であった。

 前後するが、カキコ冒頭の引用の直後の部分を飛ばしたが、ここに至り、やはり引いておく。

 だが、厳密に言って、山村浩の言ったやうなどんな階級の芸術にでも通用する日本語的音律性といふものは存在しない。貴族と平民の言葉がちがってるやうに、資本家と労働者の言葉は同じではない。と同時にその言葉の音格も各々ちがふのである。この意味に於いて山村浩が、五七五調は、日本語の持つ普遍のリズムだと言ったのは正しくない。また、定型律形式の、印象性、歌謡性をもって大衆的だとする僕の意見もあまりである。/ここで、また送信。

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いったんここまで 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月30日(木)18時09分06秒

 サムライでの朗読会、吟行、忘年会には出たが、勉強会は初めてである。
 先週、全集に出くわさなかったら、個人的にはずいぶん違っていただろう。
 さて、先ほどからの鶴の意見、立場が明確ということでうなずけはするが、ややもすれば個人的思い込みで、しょせん論証不足とも思う。
 韻律論に関心ある立場から、特に今の時代から見れば、よくある自由律志向で、特段、目新しいわけでもないように思われる。ただし、意義のないこと、鶴の作品がつまらないもの、と言っているわけではないので、誤解のないように願いたい。

 さて、三からは、冒頭あたりの一節と、最後の部分からは二箇所引きたい。

われわれの内容の成長のためである。内容の成長が古い形式に入れなくなったのである。

内容と形式の絶対的矛盾に基づく、内察(内容。編者注)の不可避な要求による積極的な自由律である。

 われわれは、自由な言葉と形式によって、短詩的制約のもとに、自由律格を創り出さねばならぬ。プロレタリア川柳の形式はただ一つしかない。自由律ただ一つしかない。

 逸れそうになるのを注意しつつ、私見をいくつか。
 こうした自由律による場合、よほどの自信が必要なはずだ。駄作の自由律なら、駄作の定型律のほうが、定型の分だけまし、とか思える。
 そして、鶴の実作は、この後も自由律だけではない。自由律への思い入れがよくわかるだけに、やや不可解だ。
 やはり、コピー配付箇所への疑問は消えない。

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もうやめるはずが 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月30日(木)20時34分23秒

 個人的に関心が強い律に関しての鶴のもう一文を読んだら、先ほどまでの不満が少し解消したので、ヒンシュクを承知でもう少し。
 いわゆる「セクト主義」の文章。
 数か月前に、「柳壇時評的雑感」に「定型律再批判」を書いていることも知った。
 さて、サムライ文庫にある本も注文中だが、外見からは、鶴の評論の水先案内人にはなっていないのだろう。
 最近、復刊されたほうの全集は、目下手持ちのよりページ数が多い。そこが妙に気にはなっている。
 本人が自分の仕事をまとめるどころか、見直す余裕も与えられなかったわけだが、全集の価値はおとしめないものの、解題がないのは困ったものだ。
 いや、かえって、もののふの会の存在理由もある、というところだろう。
 さてさて、中島国夫の「定型律批判の立脚点」という文章への反論の一文である。
 本題に入るあたりの、鶴の文章を引く。

 正しく言って、定型律が存在し得るのは、ただにその五七五音数律の優美さにあるのではなく、その音数律を基礎づける社会的条件とつながってゐる。いまさら言ふまでもなく、詩の形態音律はその一定の時代社会が実践しつつある複雑な生活内容の動向とその過程にあらわれる思想感情の必然的形式として要求され創造されるのである。[中略]われわれの社会的生活が、こうした[封建]時代の生活内容にくらべて高められ、密度を加へてくると、もはや定型律は、われわれのラジカルな思想・感情の形式として、適応性を喪失してくる。自由律形式の創造はこうしてはじめられたのであり、この過程には少しのあやまりも有り得ないのである。[中略]
 われわれはこの生ける現実のまへに目をつむることのあやまりをとりのぞくために、むしろ自由律は、定型律を外部的対立、闘争過程においてのみ克服すべきではなく、内部的虐使・闘争の実践において克服すべきであると考へ、ために定型律からの再出発をはじめたのである。/いったん送信。

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このへんまでよ 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月30日(木)20時50分49秒

 鶴の文章に慣れてきたせいもあろうが、あえて生意気を言えば、こなれた感じである。
 もう少し引用しよう。

 われわれは、いま進歩的なレアリストでありながら、形式には保守的な定型律をまもりつづけてゐる作品を知っゐる。[中略]といふ矛盾は、何も彼らが矛盾をよろこぶ変態者であるためではなく、その社会生活が、かかる矛盾を余儀なくせしめてゐるといふ事に外ならない。

 われわれは自由律の優位性に立つ故に、そのもっとも現実的な定型律克服のために、定型律の内に入りこみわれわれのはげしい鞭をあてる。そこには定型の虐使があり得ても、愛撫は有り得ない。定型の駆使はあり得ても、それへの降伏はあり得ない。

 これなら、コピー配付の部分も、矛盾とは感じられなくなった。
 さて、アイデンティティと、半文銭問題については、二健さんからストップがかからなければ、明日、カキコしたい。

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キムテツさんへ 投稿者:三亀  投稿日: 1月31日(金)00時28分17秒

キムテツさん、こう感じるのは僕だけかもしれませんが、そう断続的にあなたの思いれと長大な資料を流されても、他の人はどうかしらないが僕はとまどうばかりです。それは先日のまとめを越えて違う世界に入いってます。資料があってもキムテツさんの意見がよく分からないなで、レスのしようがありません。まず、問題意識を明確にしてください。それから資料を用いて展開してください。お願いします。

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鶴彬へのご関心 投稿者:岬  投稿日: 1月31日(金)03時10分49秒

敬意を表します。鶴彬の場合は、作品と作者が一体のものとして語られるべきでしょうね。ここでの考察は川柳に身をおいた一人としても感謝致します。
川柳界では、鶴彬(つるあきら)という名前と一部作品については知らない人はないでしょうが、川柳作家・鶴彬として深く掘り下げているのは一部の川柳関係者に留まっているかと思います。瓢箪から駒の観もありますが、かくも俳人の側から光を当ててくださっていることにありがたくも、川柳の参加がなかったのを、その一人として忸怩たるものがあります。
三亀さんが、この掲示板への木村哲也さんの論証に否定的に書いておられますが、僕には(言わんとすることはわかるとしても)学ぶべきところが多く、プリントして保存したいとさえ思っているところです。ただ、たしかにここまで書かれると、第二回への参加希望者に、敷居の高さを意識させてしまうかも知れませんね。
補足の補足ですが、感じたところを僕のサイトに載せておきますので、お手すきのときにでもお越しくだされば幸いです。

「いとう岬の文芸工房」の文芸広場です。
 http://8328.teacup.com/msk222/bbs
 http://www9.ocn.ne.jp/~msk222/

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管理人さんが来ませんが 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月31日(金)09時51分42秒

 三亀さんへ。
 ウラからは撤退だそうですが、オモテは撤退と言ってないし、小生にはっきりレスを求めているので、と断わったうえで、カキコします。
 小生もケータイで見たり、送ったりはしますが、あくまで便宜的で、二健さんの告知よろしく、パソコン画面で見ることを前提に、特に、ウラはともかく、めったに書かないこちらでは、カキコしています。パソコン画面でと、ケータイだけでは、印象が違うことがあると思います、とは、貴兄とお店でも、別の文脈でしたが、話しましたよね? 小生には、ケータイでは読みにくかった、とだけ理解しました、失礼ですが。
 当日いない人からもリンクを引いてもらっています。嫌がった人もいることがわかりましたが、小生の部分は「論文」ではなく、読書日記ですから。ここが同人誌的でもいいですが、ここで論文を書く気も書いた覚えもありません。また、個人的に同人誌に論文を書いたことはないとは言いませんが、私見では、失礼ながら同人誌に載っているのは論文ではないものがほとんどです。
 また30日、12時19分のでしたら、レスをやんわりと、当日の司会の貴兄に求めているかもしれませんが、名指しをしてはいませんけど。小生は、掲示板で、雰囲気には配慮しているつもりですが、こちらからの名指し以外では、レスの要求はする習慣がありません。貴兄がここで管理人でない以上、本日未明の貴兄のカキコは、やや不快です。
 ウラに先に書きましたが、だれのせいと言いませんけど、珍しくウラにカキコしにくく感じ(しかも「つるべん」の直後なのに)、オモテにどんどんカキコしたとも言えます。
 また、二健さんが未聴のテープだったのに、牙城さんの録音を朗読だけとか悪意なく思い込んでいたことも手伝ってか、実際に聞いたのはずいぶん後でした。もちろん、結果的にも、あまり前で聞くのも、個人的には萎縮したとは思いますが。
 さて、そのテープを聞いたころですが、勉強会の雰囲気が、あまりにも特定の人だけの発言となり、しかも、無季自由律も俳句か、という話題となると、無意味とは申しませんが、本題からあまりにも逸れすぎとは思いました。2度めの提案で、ようやくテープとなりましたが。
 また、小生が席上で配付したコピーも、小生としては、準備不足ながら、「自由律」「俳句と川柳」とか、基本点を押さえての抽出はしたつもりです。一つだけ、全文音読なんてありましたが、そんなことより、要約とか、一部抜粋のほうが重要と思いましたから、当日、会場にいなくても、掲示板を見に来た方には、配付していないものについても、そうしています。
 いったん送信します。

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それでも読みはする 投稿者:木村哲也  投稿日: 1月31日(金)10時25分47秒

 今日のカキコがこういう内容になるのは、やや不本意ですが。
 さて、全集を買ったなら拝ませてください、なんて声もあったはず。この手の本は貸さないけど、コピー配付や、内容紹介は、むしろあるところまでは積極的にすべきと思いました。まあ、まさか「拝む」の意味が、文字どおりだけではないはずですから。
 話の進行も把握しつつ、配付資料の取り込みまでなんて要求もしなかったはずですが、配付したほうとしては、十分に鶴の意図もくめず、小生の意図も伝わらなかったでしょうから、そこの続きは、むしろ義務と思いました。ただ、そこで、鶴の意図がよくわからず、長くなったとは言えます。
 そして、次回の「つるべん」が、内容まではっきり決まっているならともかく、そうでない以上、個人の読書日記といえど、今ここにカキコするのはおかしなこととは思いません。
 まして、まずければ、管理人さん、止めてください、と自分でも言ってます(1月30日20時50分)。

 今日の当初の予定は変わりましたが、ここにカキコしなくても、鶴の評論を読むことは変わりありません。心底から好きになったわけではありませんが。
 当日、小生は、関心を持ってから日が浅く、後半では「たまにはキムテツさんも発言を」なんてやられたくらい、黙って聞く側でした(岬さん、ホントです)。会場に来たけど、そういう表現をあえて使うなら、敷居が高かった。
 でも、その高い敷居は、小生のモノローグをプリントアウトしようかなんて川柳人も、思いがけずいらっしゃるとなると、自分には低くなりながら、他人には知らずと高くしてしまったかもしれない。ならば、今日予定していたカキコはしばらく見送ります。

 最後に、生意気をあえて書くと、時代背景などには詳しい人もいたようですが、本人執筆の評論は、失礼ながら、言いだしっぺの翠さんといえど、あまり詳しくなかったようで、一部のみの作品と、伝記的二次資料に依拠しての会、と思いました(おとしめているわけではありませんので、誤解なく)。
 小生としては、未読の作品をお知らせする意味も込めての、井上信子との「川柳談義」を選んで朗読しましたが、それでよかったように思います。
 「後知恵」を入れた今では、やや礼賛しすぎ、と思うようにもなりましたが、当分、関心は持てそうなことは、確かです。

 サムライ来店からは、まだ3年くらい。俳ラ、(特殊)回文、そして鶴彬が成果。発展途上でのできごとと思いますが、これからも大事にしたい場所です。
 明確に書いたつもりですが、いかがでしょうか。これまで。

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つるべん航海
俳句志{もののふの会}第87回俳句活動――鶴彬勉強会 (通称つるべん)
2003.1.26 新宿 jazzBar サムライでの集会以後の掲示板投稿の記録
BBS{俳の細道} 2003.1.11〜31

【初めに】
・新旧の投稿の順を入れ替え、時間の経過通りに読めるように編んだ。
・一般投稿は主題との関係性により任意で割愛削除した。
・この場に及んで主たる投稿者木村哲也(通称キムテツ)氏の言葉を記す。

2003年1月26日(日)に行なわれた、「鶴彬勉強会」(もののふの会第87回俳句活動)。
その後、BBS「俳の細道」に連日書きつけた「つるべん」読書日記。
今こうして読み返すと、懐かしい思い出である。
いずれ書物にまとめようと思っていたが、妻子との出会いと死別もあり、中断した。
『鶴彬全集』としては、勉強会寸前に古書店で入手した、たいまつ社版(1977年)に拠っていた。
さて、1998年に澤地久枝が出した、増補改訂復刻版を最近になってようやくネットで手に入れたが、
大幅な変更があった。 (2004年11月21日 木村哲也)

と言うことで典拠とした1977年版の全集は、欠落や誤字脱字など誤謬が多くあった事を後で知りえた。
したがって、ここに投稿された読書日記も誤謬が正されないままのものである。
ありのままに発表するのは、ドキュメンタリーとしての息吹が感じられれば幸いと思った次第。
増補改訂復刻版に拠る読書日記は只今、
当姉妹サイト「ブログ天狗」で「鶴彬全集繙閲」として展開中。
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