トップ画像集
2007.01.01
2007迎春
2007年新春の画像は
雲辺寺からスタート。
徳島県、阿讃R脈の雲辺寺R(標高927m)に等身大の羅漢たちに囲まれてひっそりと佇む寺。「l国高野」とも呼ばれている。
2007.01.07
和田金(松阪)新春に相応しい画を。
場所は和田金。
O重県松阪にある創業130年(明治11年牛肉店開業)を誇る老舗。
個室で仲居さんが調理するすき焼と志お焼(塩焼)、牛hしを堪能。
2007.01.07
和田金(松阪)ロールオーバーの画像
東京深川の料理店「和田平」で修行をつんだ初代松田金兵衛≠ェ「和田平」からのれんわけを許され、「和田平」の「和田」と自身の名から「金」の字をとって「和田金」としたそうな。
2007.01.17
震災記念公園 阪神・淡路大震災から12年。
大災害の惨禍を未来の教訓にとの思いで (言葉にはよくし、よく耳にするが多くの人にとっては対岸の火事と同じ意味でしかない)兵庫県淡路島北淡町の震災記念公園を掲出。
12年前の午前5時46分、兵庫県淡路島北部地下16キロを震源とするマグニチュード7.3の地震が発生。
その日、戦後初めて大都市を襲った直下型地震は6,434名の人命を奪った。今年は、震災で亡くなった方々の13回忌の年となる。
2007.01.17
震災記念公園 阪神・淡路大震災は、観測史上最大震度7の揺れを記録。死者の過半数が家屋倒壊による圧迫、窒息死であった点が関東大震災と異なる。
大正12年の関東大震災は10万5千人を越える死者を出した。いつか再びやってくるそれを意識している関東人は少ない。しかし地震は必ずやってくる。その日のイメージをしておくにしくはない。それには阪神・淡路大震災の経験者の記録を読むのがイチバンである。ネットが良いことに役立つカテゴリーだ。
2007.01.21
彦根 彦根城のこの画角はかつてTBSの6時間ドラマ「関ヶ原」で使われていた。国宝指定がいつかは分からないが、国宝でも撮影はできるのか?
戦国物に城は欠かせない。街中に高層建築がないので天も地も藩政時代のときのままにあるような錯覚を覚えるのである。撮影もしやすかろう。
 彦根は新快速で大阪から1時間15分程度。米原停車の新幹線を使えば、所用40分程度でついてしまうが、それでは趣きに欠ける。やはり在来線で行こう。
2007.01.21
玄宮園 ロールオーバーには大名庭園の玄宮園(げんきゅうえん)を。
 実際よりも広く、奥行きを感じさせる景色に(いい庭だなあ)と思わず引き込まれてしまう。山口の瑠璃光寺五重塔を見たときと同じインパクトだ。
 大池泉回遊(だいちせんかいゆう)式の庭園は琵琶湖の水を引き込んだ中央の池に周囲の木々や城山が映りこみ、たぶん四季折々に風趣のある絵を見せてくれるだろう。
 
 
 
2007.01.27
鹿児島鹿児島では西郷(せご)どんが一番人気。かつてベッカムフィーバー全盛の頃鹿児島でカレシ(平板な発声で)にするなら西郷さんとベッカムどっち?との質問に50名中20名程度が西郷さんを選んだという驚異的な人気者である。大久保(いちぞうどん)は今ひとつ。『冷厳なること北海の氷山のごとし』と言われ恐れられた。まるで銀英伝のオーベルシュタインのよう。銅像は鹿児島中央駅のそば甲突川の橋の袂にある。この橋の下流すぐの川端の湿地帯が、西郷、大久保、大山ら明治の群像の生誕地なのである
2007.02.03
飛騨白川郷の家築200年を経た飛騨白川郷の民家。
江戸中期の建造物である。
茅葺き・切妻の大屋根は典型的な合掌築り。両手を合わせたイメージからそう呼ばれている。屋根は固定されておらず、載せているだけ。強風などへの柔構造というわけか。
暖冬の影響で今年は飛騨白川地方にも雪がない。・・・嘘です。画像は大阪服部緑地の日本民家集落博物館のもの。移築して50年は経っていると言う。南部曲家(まがりや)や奄美大島の高倉、信濃や日向、越前敦賀の家などが並ぶイイ感じのエリアだ。
2007.02.24
新潟信濃川にかかる萬代橋(ばんだいばし)は新潟の顔のひとつ。
JR新潟駅周辺の新市街と「古町」を中心とする旧市街を結ぶ。長さは300メートル、国指定の重要文化財


2007.02.24
新潟(ロールオーバー)萬代橋を渡り、古町方面を臨む。
初めての訪問は81年、次いで86年にも訪れた。今回は21年ぶりの新潟だが、街の様子は記憶の中のそれとは様変わりしている。


 
2007.03.18
8人目の総理「晋」ちゃんを送り出した山口県(「晋ちゃん饅頭」を売っているぞ。大丈夫か?)の起源はやはり、ここ萩である。幕末、維新の源流の地だ。武家屋敷の家並みはしかし、あの時代のこの藩の激しさとは対照的におだやかな風情を漂わせている。
2007.03.18
萩(ロールオーバー)菊ヶ浜ごしに萩城跡の石垣と背後の指月山を臨む。
長州至上主義の高杉ならば、「日本一美しい風景じゃ」と胸を張るであろう景色だ。美しい海、山、城。故郷の山河の一典型だ。

 
 

2007.04.01
宇和島宇和島市営闘牛場にて春場所開催!畏友Iからの呼集を受け、松山へ飛んだ筆者。松山空港から陸の孤島、宇和島へIの愛車は走る。
小結戦3戦、関脇戦3戦、若横綱戦、大関戦、横綱戦、重量級チャンピオン戦を1時間半に渡り観戦。
この日、重量級チャンピオン世代交代の瞬間をしかと見届けた2人であった。
2007.04.14
東京タワー夫を失って2年。母の頑張りの心張り棒もそろそろここまでのようだ。川崎の実家でひとり父の位牌を守ってきたがからだも弱りつつある今日この頃。
筆者のいる大阪への移住計画を立てる頃合となった。
んでもって、人気小説にあやかって、東京タワーの画です。
副題は「ボクとおかんとおとんはいない」・・・べたっす。・・・すいません。
2007.05.09
東山慈照寺「ひがしやま」ではない。「とうざん」。
「東山(とうざん)」が山号(さんごう)、
「慈照寺」が寺号(じごう)。
山号は東山(ひがしやま)に建立されたことからつけられた。
「銀閣寺」は通称。
フレッシュな表紙画像がネタ切れに。過去のストックからベタな1枚を。
京都の世界遺産17ケ所のひとつ。

 
 
 
2007.05.20
宇治平等院フレッシュな表紙画像のネタ切れが続いている。
再び過去のストックからベタな1枚を。
宇治・平等院である。
10円玉の図柄。
正面からの画像は見飽きてるでしょ。
画角を変えてみました。
1052年藤原頼道が別荘を寺にした。
世界遺産である。
 
 
 
2007.06.17
下鴨神社放浪の根無し草、旅の吟遊詩人である筆者がこんなにもどこにも行かない日々をすごすのは珍しい。仕事で出張はしてるけど。引越し&母親迎え入れ準備で私事の日々は雑事で埋め尽くされる。
そんなこんなでフレッシュな画像の補充はいまだできず。三度、過去のストックからベタな1枚を。
ここまできたら、京都でテーマを統一だ。
ついでに世界遺産でくくってしまおう。
2007.06.17
下鴨神社ロールオーバーの画像。
下鴨神社の正式名称は、賀茂御祖神社(かもおみやじんじゃ)。テストに出るから覚えておこう。
太古より続く日本最古の神社のひとつである。
毎年5月15日に実施される日本最古の祭り「葵祭」は、下鴨神社に天皇からの勅使が参拝する勅祭。勅使は下鴨神社のあと上賀茂神社に向かう。
行列は近衛使(このえづかい)の本列と十二単姿のヒロイン・斎王代が腰輿(およよ)に乗り女官・童女を従える女人列で構成され、京都御所の建礼門から出発する。
道中の行列は「路頭の儀」と呼ばれ、下鴨・上賀茂の両神社での神事は「社頭の儀」と言う。
葵祭の前儀として行われる流鏑馬(やぶさめ)や比叡山山ろくの御蔭神社から神霊を迎える御蔭(みかげ)祭なども下鴨神社の神事である。
今回はためになること書いたなあ。
2007.06.23
清水寺ネタ切れ状態、継続中。
苦肉の策の「京都世界遺産」シリーズだが、けっこう気に入ってきた。
京都まで僅か30分の幸せを今までないがしろにしていたかもしれない。
宝の持ち腐れになる前に画像資産の世界遺産を公開するのだ。

「京都の建築物と言えば?」
脳裏に浮かぶのは清水寺とみた!(東寺五重塔か金閣寺って線もありそうだ)
そこで清水寺である。
しかも夜間、ライトアップされた清水寺。筆者のデジカメは年季が入りすぎて夜間撮影が弱い。祇園のオーセンティックなBar「Vespa」のW氏から提供いただいた画像を。
屋根をかすめて遠く京都市街へむかう光条が写っている。
これは、市中の人々に「今、夜間ライトアップ中」であることを伝える烽火がわりのサインなのである。
2007.06.23
清水寺ロールオーバーの画像
清水寺といえば、舞台である。
「清水の舞台」で知られる本堂は、国宝指定だ。
清水寺の開山は778年。
798年に十一面観音を安置し堂を建てたのは坂上田村麻呂。100年以上も続く奥州蝦夷(えみし)との戦争状態を決着させる3年前のことである。前年に征夷大将軍に任じられ、陸奥守の職とあわせ、奥州作戦方面での政治・軍事のすべての権限を手に入れていた頃の話だ。
その後、朝廷の進行軍をことごとく撃破した蝦夷の有力首長阿弖流為(アテルイ)の降伏を容れ、戦争状態を終了させるが阿弖流為は、中央の指示で謀殺される。
清水寺は仁王門から始まり、本堂のほか阿弥陀堂、三重塔、奥の院などがある。
本堂からは京都市街が一望でき、夕景はことのほか趣きがある。
2007.07.18
石垣島石垣島には3つの灯台がある。
画像はそのひとつ、平久保崎灯台。
石垣島の北端に位置する。

北緯24度のロケーションはハワイ諸島のハワイ島20度、カウアイ島22度に近い。
もう常夏感覚。
2007.07.18
石垣島石垣島南部の東シナ海側、御神崎灯台(おがんざきとうだい)からの画像。
春にはテッポウユリが咲き誇り、南海の壮観な眺めに彩りを添えるという。ダイビングポイントが近いため、ダイバーを載せた船が石垣島桟橋から殺到してくる。
2007.07.28
N700系新幹線の新型車両である。
偶然、乗り合わせることになってしまった。こういう偶然は困るんだ。
筆者のことを「鉄」だと信じている幾人かのマニア諸氏にさらなる誤解を招くから。本当はスルーしたかったんだけど、仕事だから、私情は差し挟めない。泣く泣く乗車した筆者。
2007.08.07
知念沖縄南部、知念の高台。通称クルク山に生まれた「くるくまの森」はカフェを中心とした行楽施設である。
沖縄には景色のいいカフェが幾つもある。ここ、「カフェくるくま」は、南部を代表する景観カフェである。
タイ出身のシェフが作るカレーが売りのようだが、食事で利用するとテラスのベンチに座れない。ドリンクのみでテラスに陣取った。
眼下に太平洋が広がり、神話の島「久高島」が左手に浮かぶ。
スコールが海面に白いレースのカーテンを張ったかと思えば、みるみるうちに虹が浮かび始めた。日常の喧騒から完全に遊離されたひと時。
2007.08.22
担たん亭(石垣島)沖縄サミットで一躍注目を浴びた石垣牛。島のものは島で食えだ。
筆者は石垣に飛んだ。
沖縄本島から420キロ。東京-大阪間ほどに離れている。台湾までなら200キロ。こっちの方が近いくらいだ。
ざわわな「でいご畑(さとうきび畑)」の中を亜熱帯の木々に包まれた丘に向かう。「坦たん亭」は木々の中に隠されていた。チャコール(炭)で焼き上げる石垣牛は時価である。(リーズナブルな豪州牛もある)旨い!筆者はハートを鷲掴みされた。画像はヘレステーキ、リブロースステーキ、ハンバーグ。いずれも石垣牛。いずれも時価、いずれも旨いのである。
2007.09.03
大通寺(長浜)湖国、滋賀の三都をご存知?
・・・・
正解は近江八幡・彦根・長浜。
大通寺は長浜にある。
表参道から眺める大通寺の山門、なかなかの迫力である。
浄土真宗中興の祖、蓮如は近江を布教活動の中心に据えた。
湖北の真宗寺院の中核「長浜の御坊さん」として教団の核となったのが大通寺である。何度か転地した後、今の位置に居を定め、伏見城の遺構と伝えられる本堂や広間を譲り受け、戦国から江戸初期までの間に7千坪の境内を基盤に真宗大谷派(東本願寺)の近江での要となっていった。
2007.09.03
大通寺(長浜)ロールオーバーの画像。
右上は大広間(重文)。本堂と同様、伏見城の遺構と伝えられる。
伏見城と言えば、「関ヶ原」。
東西手切れの折、鳥居彦右衛門を守備隊長(西軍決起を誘う捨て駒とも言う)に寡兵よく西軍の大軍を10日間以上も防いだ城(西軍4万に対し東軍2千弱)である。
家康と彦右衛門の最後の夜の逸話は筆者の涙を誘う名シーンである。
2007.09.26
飫肥「飫肥」
 読めますか?
 頷かれた方は「飫肥」の出身者に違いない。
「飫肥」・・・「おび」」と読みます。
 どこにあるかわかりますか?
 手を挙げた方は宮崎の方のはず。
 そう、宮崎にある城下町です。
 どこらへんにあるかわかりますか?
「日南地方」なんです。
 え?日南をもご存知ない?
2007.09.26
飫肥文明の手がそこまで伸びきることをためらって、かわりに文化を一滴、ぽつんとしたたり落としたかのような、山間(やまあい)の静かな城下町である。
秋月や臼杵、なぜかこのての城下町は九州に多い。
凛とした清冽さが気体となって街全体を覆っている米沢や会津、盛岡のような東北の町の気配と趣は異なりながらもどこか同根であると筆者は密かに確信しているのである。
2007.10.07
壱岐(猿岩)そっぽをむいた猿みたい
ちゅうことで名づけられた猿岩。
東西15キロ、南北17キロの楕円形として壱岐をとらえると、その、ほぼ西端に位置する。
壱岐のシンボルとして黒崎半島の突端にそそり立っている。背後に東シナ海の大海原。周囲は断崖。なかなかの景勝である。

 
 
2007.10.20
壱岐壱岐に行ったら三益のうに丼。
これを避けては通れない。
先代が店を始めたのは45年前。店名は三桝寿司だったようだ。
平成15年に竜巻と雨に被災し、その年の12月にリニューアルオープンしたときに店名を変えた。
壱岐のうには日本一との自信がうに丼を生んだ。客の懐を気遣い、うにの量を控えめにした。食べ方を考えて調理に工夫をこらした結果、三益のうに丼ができあがった。
2007.10.28
仁徳天皇陵世界三大陵墓のひとつ「仁徳天皇陵」は、堺にある。ちなみに他のふたつはエジプトと中国にあるのでスーパードメスティックの筆者は見ることができない。伊丹空港へのランディングアプローチの際、眼下にこの巨大な前方後円墳を見ることがある。
地上から見たらどうなるか?
何を期待して行ったのだろう。こうなることは想像できたはずである。上から見下ろす仕掛けも墳墓に上る仕組みもない。これで終わりである。
2007.11.19
流れ橋時代劇のロケ地として有名な「流れ橋」。所在は無論、京都である。
たぶん一度はテレビや映画の映像で見かけた方も多いはず。
川の水位が上昇すると橋げたの上の渡り場が流れてしまうように設計されているのでこの名になった。
正式名称は、上津橋。
(嵐山のあたりにあるんだろうな〜)
と思っていたら、マルはずれ。嵐山の橋は渡月橋。こちらは木津川にかかっている。淀川の上流、桂川、宇治川木津川の三川が合する大山崎のそば、木津川を5キロほど遡上したポイントにある。
2007.11.24
神威岬「神威岬(かむいみさき)」は積丹半島の中央にある。札幌から小樽へ。小樽から余市へ。積丹半島の付け根まで函館本線に揺られ、余市からタクシーで229号線を北上する。96年2月トンネル崩落にバスと4駆が巻き込まれ20名の乗客・ドライバーが即死した路線だ。
11月下旬の積雪は珍しいと土地の運転手がFR車で雪面を登坂しながら言う。4駆でもFFでもない後輪駆動での運転はかなりきわどい。
「停まったら、終わりですね」
何とか島武意海岸を望む高台にも、神威岬にも登りきった。
2007.12.01
小樽
11月に雪が積もるのは珍しいと地元民にも驚かれた雪景色。
市内は一面、白一色。
日銀小樽支店は日銀金融資料館となっている。ルネッサンス様式の荘厳な建築物が、ライトアップをうけ、宵闇に浮かび上がる。
雪もやみ、雲間からこぼれる月光を背に何とも言えずいい感じである。
かつての繁栄は、札幌に奪われたが、観光地として命脈を保った。ロマンチック度は異様な高値がついているが、何となく納得か。寿司屋通りもあるし、食い気で勝負もできる。札幌から30分程度の位置もいい。
2007.12.01
小樽ロールオーバーの画像。
小樽と言えば、やはり「運河」。
赤レンガの倉庫街と、外灯。この画像を掛けなければ閲覧される方も納得がいかないだろうとのっけときます。
通商都市、小樽の象徴。




2007.12.15
大倉山

大倉山は札幌市街の西部にある。
 72年の札幌オリンピックでジャンプ競技会場となった大倉山シャンツェを擁する標高300メートルの景勝地である。眼下には、人口180万の札幌市とその後背に広がる石狩平野、石狩湾が一望できる。
2007.12.15
大倉山
ロールオーバーの画像。
大倉山シャンツェには、ウィンタースポーツが疑似体験できる「札幌ウィンタースポーツミュージアム」が併設されている。
 体感・体験ゾーンでは、ジャンプシミュレーターやバイアスロン射撃、ボブスレーやフィギュアのスピン体験などができる。筆者はこの日は入れなかったがオススメ度は高いかも。
2007.12.23
名古屋 シーズンですからね。
やはりトップもX’マスイメージということで、ひとつ。
名古屋セントラルタワーズをパチリ。
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過汲フトップ頁に使用した画像集。
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