1937年、農民からその土地を半ば強制的に取り上げ、旧陸軍士官学校として開設。1945年、日本の敗戦を境に米軍が進駐、在日米軍司令部が置かれ、現在に至っています。敷地面積は約235ヘクタール横浜スタジアムが91個も入る広さです。
 今キャンプ座間には在日米陸軍司令部と日本周辺を官轄する第9戦域陸軍地域郡司令部が置かれています。普段は千数百人の要員しかいませんが、いざ有事となれば、何万人もの米陸軍に指揮をする司令部に大変身します。他にも実体が不明の米軍の情報機関も置かれるそんな基地です。一方で、私たちの目の前に広がるキャンプ座間は、リゾートと思わせるほどに緑豊かで、広々とした基地です。ゴルフ場、野球場、各種運動施設、閑静な住宅地区・・・・そこは金網のフェンス1枚を隔てて暮らす私たちの住む・生活環境とは全くの別世界の基地です。もう70年近くも、市民は住むどころか、立ち入ることさえできないのです。ちょっとおかしいとは思いませんか。



              写真で見るキャンプ座間



キャンプ座間のへリポート管制塔 旧のへリポート座間所属のへリ


 
座間で行われた米軍の訓練 空から見るキャンプ座間陸軍司令部


社民党福島瑞穂党首らが視察 阿部ともこ議員と福島瑞穂議員


















私たちの行動を銃を持て監視する米兵 北のはしにあるへリポート格納庫



キャンプ座間の米軍家族の高層住宅
日本の思いやり予算で建てられたいる
弾薬仮保管庫・爆発危険度3の表示


第7ゲート 第7ゲート


横から見たキャンプ座間司令部 思いやり予算の米軍住宅


閑静な米軍住宅地 米軍人住宅


米・軍人住宅 米・軍人住宅


米・軍人住宅 米・軍人住宅



 今、アメリカ本国からの移転が取り沙汰されている米陸軍第1軍団は、西はアフリカ大陸東岸から東は米国西海岸までを作戦行動範囲に置くという部隊です。日米安保条約(第六条)に定められた{極東}
の範囲にはとても収まりません。今、米国などが占領しているイラクでの米軍の作戦行動にも関わる軍団です。
 こんな第1軍団の司令部がキャンプ座間に移転してきたら、この先何十年も戦争のニオイと、基地の居座りが続くことになってしまいます。だから、相模原市も座間市も基地の強化、恒久化になるとして、絶対に反対だと言っているのです。




米・の貿易センタービルはなぜテロの標的になったのだろうか


米国司令部・ペンタゴンも同日テロに襲撃された、日本は今後?
















キャンプ座間陸上自衛隊・右厚木基地のへリ 座間のへリポートでタッチアンドゴーの訓練
キャンプ座間司令部 キャンプ座間
小田急相模大野駅前広場第1軍団移住
歓迎しない横断幕
右奥/キャンプ座間米軍司令部建物


日本に基地はいらない
  基地
    めぐりの様子
      日本の基地は今
基地の説明をする金子ときお相模原市議
座間基地正面ゲート前 座間基地第7ゲート
基地隣の座間公園 基地ネットの向こうは米軍のゴルフ場
座間キャンプ第7ゲート前