2001年

 2月 6日

劉煥新さん証言集会

 5月25日

第6回総会

 

劉煥新さん証言集会の報告(2001年4月10日)

 故・劉連仁さんの訴訟の結審のために来日したご子息の劉煥新さんを招いて、2月6日(火)夜、仙台市内の宮城県婦人会館で、「宮城の会」主催の証言集会が開催されました。

 集会は午後6時から始まり、劉連仁さんが出演していた4年前のテレビニュースの録画を見たあと、劉煥新さんの証言を聞きました。劉さんは、幼いころ父親がいないことを母親に問い詰め母親を泣かせた思い出や、この裁判にかける熱意を約30分にわたって語り、およそ50名の聴衆に大きな感動を与えました。

 会場には、演劇部で劉連仁さんを描いた作品を演じた高校生(女子生徒2名)が、その台本を劉さんに贈るために参加していました。高校生たちは、あふれる涙にしばし中断しながらも、証言を終えた劉さんに直接台本を手渡し、会場から大きな拍手がわきました。

 当日午後北海道を発って飛行機で仙台に到着した劉さんは、車で市内を観光。「宮城の会」会員で日中友好協会の理事でもある村松勝三郎さんの案内で、仙台市博物館敷地にある魯迅の記念碑を見学したあと、仙台城址と市内繁華街を散策しました。また証言集会のあとは、宿舎のホテルで「宮城の会」スタッフたちとの夕食会にも参加。親交を深めました。

 今回の証言集会に当たっては、東北大学留学生の多大のご協力を得ることができました。空港での出迎えから翌日の仙台駅での見送りに至るまで、夜は劉さんと同宿しながら、通訳をしていただきました。流暢な日本語と分かりやすい通訳で、スタッフ一同大いに助けられました。


宮城の近況(2001年6月10日)

 5月25日夜、「宮城の会」の定期総会が開催されました。これまで宮城では、定期総会の際にはいつも、原告中国人の証言集会や、東京から招いた弁護士の講演会をドッキングさせていましたが、今回はそのような企画がなく、平日夜の、七三一部隊の証言ビデオを鑑賞するミニ学習会との連結集会になったこともあり、参加者は少数でした。しかし「悪魔の飽食」コンサートを控えていることもあり、ビデオに登場する元七三一部隊(少年隊)員の証言の一言一句が、「悪魔の飽食」の歌と重なりあって、新鮮でした。

 さて、その混声合唱組曲「悪魔の飽食」仙台公演(10月28日)の準備は、5月に入っていよいよ合唱練習の段階に進みました。5月12日の結団式では30数名だった合唱団員も、その後少しずつ増加し、練習指揮者の岡崎光治氏が目標とする「80名の仙台合唱団」も夢ではなくなりつつあります。

 6月には第2回実行委員会が開催され、コンサートの第一部にあたる企画の詳細や、コンサート本体の案内チラシの図案が審議される予定です。


宮城の近況(2001年8月10日)

 7月12日の劉連仁さん裁判の東京地裁判決に対して、私たち宮城の会では、政府宛ての「控訴するな」要請文を裏面に刷り込んだハガキを全会員に郵送し、それを各会員から政府宛てにファックスしてもらう方法で、控訴阻止の行動を展開しました。それと同時に「宮城の会」名でも同様の趣旨の要請を政府に送りました。しかしどちらの行動も控訴期限の数日前だったため、実際にはほとんど効果を発揮できなかった点が残念です。

 一方「つくる会」の中学校用歴史/公民教科書(扶桑社)の採択阻止をめぐっては、県歴史教育者協議会などとも協力して活発に情報交換をし、適宜「宮城の会」名で不採択の要請文を送りました。数多くの地域で同教科書の不採択が決まったことを喜んでいます。

 混声合唱組曲「悪魔の飽食」仙台公演(10月28日)の準備は、コンサート本体の案内チラシが完成、チケットの販売を開始しました。8月2日の実行委員会では、公演当日の進行計画、スタッフ役割分担、パンフレットの編集計画などを承認。終盤の大切な時期を迎えています。

 

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