ヤモリとイモリを取り違えた話。
(古文献から外来種ニホンヤモリを推理する!?)
ニホンヤモリを飼育している
と言うと、時々
ヤモリとイモリって違うものなの?という質問に出会います。
もちろん、ヤモリは爬虫類、イモリは両生類ですから全く異なる生物なのですが、
ただ、両者が混同されるのは今に始まったことではありません。
というより、ヤモリとイモリは文献に登場した時から混同された存在なのです。
そこで今回はヤモリとイモリの混乱の歴史を追いかけてみます。
どうやらそれは外来種ニホンヤモリの日本進出に密接に関わっているようで‥
まず古いところで、平安期の漢和辞典であり、百科辞典の役割もあった
『和ミョウ類聚抄』(源順撰。934年頃成立?)にヤモリの別称【エンテン】(※1)の項があります。
(※1)【エン】は虫偏に匽。【テン】は虫偏に廷。エンテイとも読む。
『エンテン、蜥蜴、【エイゲン】(※2)、竜子、守宮。止加介(トカゲ)なり。
蘇敬(唐の人物)注にいう。常に屋壁に在り、故に守宮なり』
(※2)【エイ】は虫偏に榮。【ゲン】は虫偏に原。
ここではヤモリの生態を当時の中国からの解釈そのままに載せ、
様々な呼称の全てが(日本で言うところの)止加介(トカゲ)だ、としているのです。
現代では蜥蜴・竜子(石竜子)がトカゲ、【エイゲン】がイモリを表す漢字ですから、
およそ1,000年前の混乱ぶりがよく分かります。
『和ミョウ類聚抄』以降、文学史上でもヤモリとイモリの取り違えが見られます。
イモリの粉末を女性の身体に塗ると痣になり、姦淫した時だけその痣が消えるという、
男性にとって何とも都合の良い浮気防止アイテムゐもりのしるしのことです。
『和ミョウ類聚抄』からおよそ380年後、鎌倉末期の和歌集『夫木和歌抄』(1310年頃成立?)の中から
ゐもりのしるしをテーマにした和歌を一首見てみましょう。
『ゐもりすむ 山下水の 秋の色は 結ぶ手につく しるしなりけり』 寂蓮法師
この和歌を見ると、水棲種であるイモリの生態を正しく捉えていることがわかります。
ただし、それ以前に肝心のゐもりのしるしはイモリではなく、ヤモリを使った呪術だったのです。
これについて博物学者の南方熊楠が『守宮もて女の貞を試む』という考察文を残しています。
『晋の張華(232~300年頃?)の博物誌の四には、
‥蜥蜴、あるいは【エンテン】となづく。器をもってこれを養うに朱砂をもってすれば、
体ことごとく赤し。食うところ七斤に満つれば、治めつくこと万杵す。(粉末にする)
女人の支体に点ずれば終年滅せず。ただ房室のことあればすなわち滅す。故に守宮と号く‥
古人はこれを混同して、いずれもまた守宮となづけたらしく(略)
かくトカゲ、ヤモリ、イモリを混じて同じなまえで呼んだから、
むかし女の貞上貞を試みた守宮は何であったか全く判らぬ』
守宮とは家屋を守ることではなく、後宮を守る意である、というのが興味深いところですが、
それはさておき。器に赤い砂を入れて飼育する守宮とはヤモリのことでしょう。
(イモリは水槽に水を張らなければ干からびて死んでしまいますから)
であればイモリのしるしではなく、ヤモリのしるしが正しいはずなのです。
それがどういうわけかイモリを用いた故事として日本に広まってしまいました。
イモリと房事との関連付けは、精力剤としてイモリの黒焼きが珍重されたことにも関連がありそうです。
ひょっとしたら日本のイモリの穏やかな生活を一変させた、歴史的取り違えと言えるかもしれません。
ヤモリとイモリって違うものなの?という問いに終止符が打たれるのは江戸時代のことです。
先の『和ミョウ類聚抄』からおよそ800年後、本草学の書である『本朝食鑑』(人見必大著。1697年刊)の
【エンテン】の項には、かなり近代的なヤモリに対する記述が見えます。
『也毛利(ヤモリ)と読む。守宮の解釈。源順(和ミョウ抄のこと)は止加介(トカゲ)と読むが、
必大(作者のこと)が案ずるところ今の也毛利なり。
蜥蜴に似るが(胴は)短肥、灰黒色、首(あたま)は扁平、頸長、眼大きく光有り、背に細鱗紋有り、
四足、身長六七寸に過ぎず、つねに屋壁、障子屏風、窓戸の間にいて、古宮、廃宅にもっとも多く、
人を畏れず、人を害さず、首を反らして人をにらんで去る。よく蝎蝿を捕らえて食べる。
江東(関東)諸州にこれ未だ見えず。京師(京都)、五畿(畿内)及び海西(九州)諸州にこれ有り。
およそ【エイゲン】【エンテン】には毒有り。これを食する者有ることを聞かずなり』
もちろんヤモリに毒はありません。ただ、それ以外は現代の我々が読んでも感心するほど
生物的・生態的特徴を良く捉えています。また、守宮はヤモリのことだ、と宣言している点に、
人見必大がヤモリとイモリの取り違えにケリをつけようとした意気込みを感じます。
ところで上記の『本朝食鑑』中にはヤモリの生息域について注目すべき記述があります。
江戸時代半ばヤモリは九州・関西に生息していても、関東以東には進出していなかった、のです。
『和ミョウ類聚抄』から『本朝食鑑』の間にはおよそ800年の隔たりがありますが、
何故ヤモリとイモリを取り違えたのか?
そのヒントがこの記述に隠されているような気がしてきました。
いかにも日本固有種のようなニホンヤモリGekko japonicusですが、
実は彼らは外来種であり、いつ日本にやって来たのか詳しく分かっていません。
ただ、入国手段については密航だったであろう、という指摘は以前からあります。
漢語におけるもう一つのヤモリの別称壁虎[bi hu]という言葉が、
大陸文化の入口、筑前福岡の方言壁虎[カベコ]として残っていることはこれを裏付けるものでしょう。
更に日本には遥か以前から固有種アカハライモリCynops pyrrhogasterが生息していました。
水田による稲作が文化の中心であった日本には井田[セイデン]、つまり、区画整理された田んぼに
井守[イモリ]がごく普通に見られたことでしょう。
(田舎を[イナカ]と読む例からも、イモリはもともと田んぼと関わりが深かったようです)
もし『和ミョウ類聚抄』や『夫木和歌抄』の時代にヤモリが侵入・定着していなかったとしたら、
守宮という吊の生き物の概念が日本に紹介された際に、ああ田んぼにゴロゴロいるヤツね、
と勘違いされても上思議ではなかったのではないでしょうか!?
およそ1,000年前、未知の生物だったために日本ではイモリと紹介されてしまったヤモリ。
彼らは貿易船に紛れ込んで筑前福岡の港から侵入。江戸時代には近畿地方まで進出を果たし、
その住家性の生態がやがて広く人々に知られるようになっていった‥つまり、
ヤモリとイモリの取り違えの原因は外来種ニホンヤモリの日本進出にあった‥と。
(2003.8月)
※引用文は漢文体や文語体のため筆者が適宜に句読点を補い、支障のないと思われる範囲で省略、
現代漢字、言い回し等に改めました。引用文中の( )は特に筆者が補足したものです。
[参考図書]
『イモリと山椒魚の博物誌』碓井益男(工作舎)
『帰化動物のはなし』中村一恵(技報堂出版)
『廣文庫』(メイ著普及会)
『古事類苑 動物部』(神宮司庁・吉川弘文館)
『全国方言辞典』(東京堂出版)
『南方熊楠全集 第六巻』(平凡社)
『爬虫類の進化』疋田務(東京大学出版会)
『両生類の進化』松井正文(東京大学出版会)
本編についてご興味のある方は『ユニークアニマル』(東海メディア刊)第5号
『ヤモリとイモリを取り違へた話』をご覧下さい。
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