KAMEARUKI
利島 編
(10th/Mar/2007)




▲利島の全景。これぞ洋上の神奈備!


とうとう利島(Toshima)へ!

初めてその姿を見たのは、平成10年(1998年)の夏。
新島帰りの船上から見上げた美しい円錐形のフォルムと、
船内スピーカーから聞こえてきた「To-Shi-Ma」のアナウンス。
そのとき頭に浮かんだことは…あのてっぺんに立ちたい!

第一の島をば初の島(静岡県熱海市初島)と名付け給う。
第二の島をば島々の中程に焼き出し、それに神達集り給いて
詮議有りし島なれば神集島(かみあつめのしま・神津島)と名付け給えり。
第三の島をば大なる故 大島(伊豆大島)と名付け、
第四の島は塩の泡を集めてわかせ給えば島の色白き故に新島と名付け、
第五の島は家三つ双びたるに似たりとて三宅島と名付け、
第六の島は明神の御倉とおっしゃって御蔵島と名付け、
第七の島ははるかの沖に有りとて沖の島(八丈島)と名付け、
第八の島は小島(八丈小島)と名付け、
第九の島はウの花に似たりとてヲウゴ島(青ヶ島)、
第十の島をば十島(利島)と名付け給う。

伊豆諸島創生を伝える『三宅記』では十番目の島とされますが、
利島は伊豆諸島では大島に次いで本土の近くに位置しています。
(東京から大島まで約109km、利島134km、3番目は新島で151km)

天然の“湾”がないために、外海に突き出す形で港を
造らざるをえなかった利島。今も波浪の影響を受けやすく、
就航率が安定しないという厳しい現実を抱えています。
(年平均でも50%ほどで、冬場には10%台になるとも…)
これに御蔵島と青ヶ島を加えた3島は、有人伊豆諸島9島(注1)
の中でも、気軽に渡れない小規模離島として知られています。

(注1)…有人伊豆諸島9島とは大島・利島・新島・式根島・神津島・三宅島・
御蔵島の北部伊豆諸島7島と、八丈島・青ヶ島の南部伊豆諸島2島です。
「伊豆七島」という呼称はあくまで俗称ですから、「伊豆諸島」がよろしいでしょう。


実際、私も平成18年の春に一度チャレンジしているのですが、
波浪のために当日の朝になって停泊しないという事態に。
(東海汽船の「条件付き出航」と呼ばれるものが、これ)

今回ついに捲土重来、臥薪嘗胆、精進潔斎の末の渡島へ!


▲荒天の日の利島港


利島に関するデータあれこれ…

利島は周囲7.7kmの小さな島で、中央には宮塚山(508m)がそびえ、
外縁部は30〜300mの海食崖となっている急峻な地形が特徴です。
面積は有人伊豆諸島9島中で最小の4.12平方km。人口は308人。

小さな島ですから、井戸を掘っても真水が出ません。 そのために…

昔、神津島で伊豆諸島の神様が集まって、水の分配をしたそうだ。その場所は、神津島の
天上山のハインナイサワという。御蔵島の神様は一番先にやって来て川や湖ができるほどの水を
分けてもらったそうだ。新島、三宅の神様も不自由しないだけの水を頂戴したが、利島の神様は
朝寝坊したため、もうすっかり水をほかの神様に分けてしまった後に、ようやくやって来た。
ほんの少し瓶に濁り水が残っているのを見て、この神様は怒りまくり、草履でこの わずかな
水をも蹴飛ばしてしまって島に帰ってしまった。このため利島では水に苦労するのだそうだ。


…こんな伝説が残るほど、利島の水事情の悪さは有名でした。

島の生活において、水は生命に直結する深刻な問題です。
利島の人びとは“シデ”(注2)と呼ばれる道具で、細々と樹木を
伝う雨水(天水)を溜め、大切にそれを使用していたそうです。

(注2)…「シデ」とは、篠竹の枝を束ねて、その葉の方は枝振りの良い他の樹の幹に結びつけ、
根元の方を甕に差しておいた集水装置。雨が降ると幹を伝った水が竹に移り、甕に溜まる。

もちろん、現在は簡易水道(昭和39〜59年にかけて整備)や、
海水淡水化装置(平成6年に設置)が稼動しているために、
昔に比べて格段に水の便は良くなっているそうです。


椿油の生産量日本一の島!

実は、利島は日本屈指の“巨樹の島”。ぐるり島の南へ回り込めば、
シイやタブノキなどの利島本来の原生照葉樹林が広がっています。
その見事な森の中には、平成9年に“御蔵島の大ジイ”(幹周13.8m)が
見つかるまでは日本一だった“利島の大ジイ”(幹周11.98m)の姿も。
おそらく、かつては利島の森の全てが、そんな原生林だったのでしょう。

ところが、今や島の面積のおよそ半分(185ha)は椿油の生産林に
姿を変えました。山裾から段々畑のようにツバキを植えていったのは、
江戸時代に生きた利島の先人たちです。それまで島の年貢といえば
養蚕・絹織物が主でしたが、18世紀の後半頃には椿油を納めるように
なったのだそうです。以降、利島は椿油の生産地として日本一の
地位(注3)を保ち続けています。何と素晴らしい祖先からの贈り物!

(注3)…日本の椿油の生産は、トップが東京都(伊豆諸島)、第2グループに長崎県、鹿児島県と
九州勢が続きます。平成16年(2004年)の数字では、日本の椿油の生産量は21.8キロリットル。
その65%が東京産(伊豆諸島産)となっています。中でも利島の生産量は5,256リットルですから、
まぎれもなく“椿油の生産日本一の島”なのです。この事実、あまり知られていないことが残念!


椿油といえば、今も多くの人が“伊豆大島”を思い浮かべることでしょう。
しかし、“大島ブランド”に変身する“利島産の椿油”も決して少なくは
ないそうです。そんなところも小規模離島“利島”の難しさなのでしょうね。


春先はまるで“椿の島”のよう


落花の頃は“椿の絨毯”が出現


段々畑状になった椿林が美しい


もうひとつの特産品“サクユリ”


伊豆諸島といえば“オカダトカゲ”


ネズミ対策で放された“イタチ”





こんな利島の楽しみ方はいかが?(宮塚山登山コース)

今回は1泊2日の夜行日帰り旅行(船中泊)。ざっと行程をご紹介すると…

前日の晩10時。客船にて竹芝桟橋を出港。

当日の朝7時30分過ぎ。利島港に上陸!

村の“明神様”である阿豆佐和気命(アズサワケノミコト)神社と
堂ノ山神社を参拝。島の神様へのご挨拶をすませたら…

…そのまま島の外周道を1時間ほど歩きます…

島の南側にある“一番神様”阿豆佐和気命神社(本宮)に到着。

引き続いて、すぐ近くの“二番神様”大山小山神社(山神様とも)へ。
(宮塚山を登る前には一番・二番の順に参拝するのが島の習わしです)

さらに10分少々で、集落の反対側にある南ケ山園地(注4)に到着!


▲南ヶ山園地からの眺望(左奥:三宅島/右端:新島)

(注4)…南ケ山園地は「新・東京百景」に選ばれている島一番のビュー・ポイント。
北部伊豆諸島(利島以南)の鵜渡根島・地内島・新島・式根島・神津島、さらには
遠く三宅島・御蔵島まで望めます。その景色は“神々しさ”を感じるほどです。


そこからさらに10数分ほど歩いて、いよいよ登山道入口に到着。
軽〜く息を整えて、9時15分から登山を開始。休憩をはさみながら
マイペースで歩いても、1時間弱ほどで、いよいよ山頂へ…!

…なんですが。あいにく周囲は樹木が茂って何も見えないので(^^;
5分ほど離れた展望台へ移動。すると、こんな風景が広がっています!
眼下には利島村の集落。そして右手には伊豆大島。こちらも絶景!


▲宮塚山展望台にて(右上の島影が伊豆大島)

展望台で一息入れたら、下りのルートは宮塚山の東側斜面を行きます。
(こちらはやや傾斜がきついので、足元に気をつけてソロソロと…)

40分ほど下れば、“三番神社”である下上神社(注5)に到着。
無事に山登りを終えたことを神様に感謝して、宮塚山登山は終了!

(注5)…“三番神社”は、“一番神社”阿豆佐和気命(アズサワケノミコト)の
后神である下上命(オリノボリノミコト)を祀ったお社です。いかにも女神らしい
もの柔らかな雰囲気を持つ社地が心地よく、大好きになってしまいました。

整備された歩道をのんびり歩いて、11時30分にはふもとの集落に到着。
客船が着く13時までは、お弁当を食べたり、あちこち散策してみたり…

…と、半日でおおかた島中を散策できるところが、利島ならではの魅力。
もちろん、お時間に余裕のある方ならば、島に宿泊するのがお勧め〜♪



▲利島港から宮塚山(標高508m)を望む


木?来?忌?島と半島を渡るキノミヤと海南法師の謎

かつて北部伊豆諸島には、旧暦1月25日前後にかけて共通する
“忌みごもり”の習俗がありました。呼び方は島ごとに、あるいは
集落ごとに異なりますが、代表的なものをご紹介すれば…

大島 日忌様
ヒイミサマ
利島 海南(海難)法師
カンナンボーシ
新島   〃  
式根島   〃  
神津島 二十五日様
ニジュウゴンチサマ
三宅島 海南(海難)法師
御蔵島 忌の日の明神
キノヒノミョウジン

…となります。その日を迎えると島の人たちは夜間の外出をせず、
屋敷入口にお供えや魔除けの品を置いて静かに寝て過ごした…とか。
ちなみに利島に伝わる『カンナンボーシ』のストーリーは以下のとおり。

1月24日に夜遅くは決して家から出てはならぬ。この夜は、カンナンボーシの出る日だからだ。
昔、キサブロウの家の人がカワに湧き水を汲みに、この夜出掛けた。家の人はみんなで止めた
そうだが、言うことも聞かずにいってしまったそうだ。しばらくすると汲みにいった男が青い
顔をして帰ってくると、一言「カンナンボーシ」の舟が赤い帆をあげてカケンマの沖を通って
いった」と言って倒れて死んでしまったそうだ。なんでも昔、代官を乗せた舟を沈めたたたり
とも、代官を殺した若者が舟で逃げてとうとう上陸できずに死んでしまったからだとも言うそうだ。


興味深いことに、島のそれらに連動するかのように、伊豆半島には
「キノミヤ」に由来する名前を持つ神社が数多く存在しています。
(例えば木宮神社や来宮神社、あるいは貴船神社などもそうらしい)
どうやら北部伊豆諸島から伊豆半島にかけて、この地域独特の
“海上からやってくる来訪神”への信仰が存在していたようです。


雨水を溜めるための“シデ”


黒潮文化圏に共通する“頭上運搬”


立石信仰の名残り?“オッテグラ”


利島村郷土資料館には…


…縄文時代の石器などや…


…和鏡の数々が展示されてます。



海上のランドマーク?“ミツケノ島”利島

伊豆諸島の伝説のヒーローといえば、保元の乱(1156年)の源為朝。
崇徳上皇側の武将として戦いましたが、時に利あらず、捕虜となり、
伊豆大島へ配流となりました。しかし、その後も持ち前の武勇を発揮。
島々を開拓し、自らの所領としていったことが伝わっています。(注4)

(注4)…為朝は、ついには朝廷からの追討軍に攻められ、八丈小島で自害したと
されます(1170年あるいは1177年とも)。が、一方で、そこからさらに南西諸島に渡り、
琉球王国の始祖・舜天の父になったという伝説も残っています。この英雄流飄譚は
曲亭馬琴の『椿説弓張月』によって、広く巷間に膾炙されることになりました。


ところで、保元の乱を描いた『保元物語』に、こんな一節があります。

伊豆ノ大島、ミヤケ島、カウヅ島、ハチヂャウガ島、
ミツケノ島、ヲキノ小島、ニイ島、ミクラ島、此ノ七島ヲゾ領シタル


昔は人間の眼に頼りながら進む航海術しかなかったのですから、
ランドマークとしてあの円錐形の島影が重要視されたことは、
想像に難くありません。“ミツケノ島”とは当然“見つけの島”。
利島は古来そう呼ばれていたのです。絶妙なネーミングですね!


一番神様“阿豆佐和気命神社”


二番神様“大山小山神社”


三番神様“下上神社”


遺跡でもある“堂ノ上神社”


流鏑馬神事の“八幡神社”


海に面する“浜宮神社”



黒曜石が繋ぐ二等辺三角形?
―神津島・利島・段間遺跡―


利島の遺跡は16ヶ所。その全てが島の北部に集中しています。
本土(本州)に面して生活をしていたということですから、
そこからやって来た人たちと考えて間違いないでしょう。

以下の3つの遺跡は利島を代表するもので、古代人の活動を
物質面・精神面の双方から探る上で、とても重要な遺跡です。

(1)大石山遺跡(縄文中期/後期、弥生中期/後期、鎌倉/室町)
1〜4次までの調査の結果、42キロを越える膨大な量の
黒曜石が発見された。もちろん、神津島産である。

(2)ケッケイ山遺跡(縄文中期/後期、弥生中期)
東日本の弥生時代中期の遺跡では初めての竪穴住居。
東日本における同時代の基準資料となっている。

(3)堂ノ山神社境内祭祀遺跡(鎌倉/室町、江戸)
海洋信仰研究会の調査で、大量の和鏡が発見された。
古代〜近世にかけて特殊な鏡信仰が存在していた証拠か?


決して古代人にとって住みやすい島ではなかった利島。
しかし、発見された遺跡や遺物は、何よりも雄弁に
“ミツケノ島”の重要性を訴えているような気がします。

例えば、世界最古(約3万2千年前)の海上交通が
存在したことで一躍有名になった神津島産の黒曜石。
本土へと運ばれた黒曜石の集積センターだった場所は、
静岡県河津町見高の段間遺跡だと考えられています。
(ここから総量500キロを越える黒曜石が見つかっている)

神津島から段間遺跡まで直線距離でおよそ60kmですが、
中継基地を置けば1回あたりの航行距離も当然縮まって…


▲伊豆半島と北部伊豆諸島図

…つまり利島で意外なほど大量の黒曜石が見つかって
いるのは、そのあたりに理由があるのかもしれません。


ミツケノ島。そしてアズケノ島。

堂ノ山神社境内祭祀遺跡で大量の和鏡が発見されたことは
先にもご紹介しました。どうやら伊豆諸島には謎の鏡信仰、
鏡を使った祭祀が存在していたようです。ちなみに各島別に
見つかった鏡の数を記してみると、以下のとおり…

大島6、利島38、新島14、式根島3、神津島0、三宅島82、御蔵島7、八丈島1

…になります。伊豆諸島創生神(三嶋明神)の“御宅”である
三宅島を除けば、ここでも利島の数の多さが際立っています。

利島の神様である阿豆佐和気命は、その昔“預ケノ明神”とも
呼ばれていたそうです。ですから、それらの鏡は文字どおり
航海の安全を祈って“預け”られたものなのかもしれません。

ミツケノ島(見つけの島)。そして、アズケノ島(預けの島)。

利島は確かに“小さな”島ですが、実は伊豆諸島の中でも
かなり“大きな”役割を担っていた…そんな気がしてなりません。


▲利島で見つかった和鏡の数々(利島村郷土資料館)



【参考】
『海と列島文化(7)黒潮の道』
『島の考古学―黒潮圏の伊豆諸島』橋口尚武
『東京都HP』より 離島振興計画について
『東京の民俗(8)』東京都教育委員会
『利島村史』(通史編/研究・資料編)東京都利島村
利島村
利島村立小中学校

【画像提供】
利島村立小中学校 校長 櫻井郁男先生
(「利島港」「南ヶ山園地」「オカダトカゲ」「サクユリ」の各画像)


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