第2弾

おもこの好きなシャーガー君(新潟県)が第1弾の後、送ってくれました。

 

シャーガーの場合

 私とビックリハウスの出会いは小学校の時。友人宅で友人の姉が読んでいた「ビックリ

ハウス」の「君こそおもこだ。知らないことは恥ずかしくない(だったかな?)」のキャ

ッチフレーズ のおもこを読み、一発ではまってしまいました。 家に帰り、母に同じ号の

「ビックリハウス」を買ってもらおうと市内のT桑書店へ連 れて行ってもらった。 うち

の母はそれほど厳しい母ではなかったが、当時画期的な表紙絵にうちの母も不信感が募っ

たらしく 書店の店主に「これはどういう本ですか?」と質問したのでした。 私は、この

ときの店主の説明をほとんど覚えていない。 ただこの人の説明によって、「ビックリハ

ウス」が買えなくなる という焦りが脳内を駆けめぐっていた。 しかし店主の言葉で今で

も鮮烈に耳に焼き付いている言葉がある。 「この本はわいせつではありませんし・・・」

この言葉の後、母が 「じょあください」と言ったのを今でもはっきり覚えている。 当時

わいせつという意味はよくわからなかったが、とにかく「ビックリハウス」 は手に入り、

それからしばらく「君こそおもこだ!」を堪能でき、16・7年後の今、再会を果 たした

のである。

 うちの近所に「ビッグハウス」というディスカウントストアがあるが、必ず間違えて

「ビックリハウス」と言ってしまう。 「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。

母に感謝。店主に感謝。ビックリハウスに感謝。

 

イメージさし絵=イノリン

イノリンより→新潟のシャーガー君は時々、そっとメールを送ってくれる。それもさりげなく。多分優しい男だと思う。で、左図のような少年を思い浮かべて描いた。貧弱そうになってしまった。

ありがとう、T桑書店のおじさん。。。

 

さて、次に紹介するのは、元・準花パーだった岸幸一君(神奈川県)からのお便りです。

岸幸一の場合 

 ビックリハウスを初めて知ったのは19才の秋、高校の先輩宅での 飲み会で部屋の片隅

に積まれた10数冊の小型の雑誌を発見。飲むのを 忘れて、その怪しげな雑誌を宴が終わ

るまで読んでいた。今まで見た 事も聞いた事もない不思議なコンテンツ。ご教訓カレンダ

ーは 衝撃的だった。「今日も元気だタバコ買うまい」・・「が」を「買」に 変えただけで

この面白さ。「地震、雷、家事するおやじ」も笑った。 コンポは奇妙だった。色んな所で

色んな人が同じポーズをとる、「不思議な フレンドシップに幸あれ!」。そしてポーズと

言えば ビックリハウサー態位新聞だ。大勢で信号前で立ち止まるポーズを している。なん

だこりゃ。このビックリハウサーなる人たちに会ってみたい と思ったら、この人達に会え

る「レモンスカッション」なるコーナーが あるじゃないですか。その時の最新号は79年

10月号。(当時16歳の 渡辺いっけい殿が名古屋でのレスカの呼びかけをしている。)こ

の号に 載ってるレスカには行けず、11月号に載った10月28日の世阿弥様なる 主催者

の御茶ノ水駅のレスカに行く事を計画した。小心者の私は2人の 友人を誘い出かけた。ハ

ウサーの方々に会う為にハウサーの態位や 「ゲコゲコする」等の全流振の認定語も覚えた。

 御茶ノ水駅に到着、すでに駅前にはBHの本を持ったり ハウサー態位をしている100人

くらいのビックリハウサー集団。 主催者の世阿弥さんを見つけ、合言葉をかわした。レス

カ常連なる 方々に連れられて、武道館の前の公園で、自己紹介したり、一芸を 披露したり

とレスカを体験。この夜30人ほどで渋谷の居酒屋に流れて 夜中まで大騒ぎした。実に楽

しかったと記憶している。誌上レスカはこの2ヶ月後の1月号で終了する事になるのだから、

この時期にレスカに参加できた事はとてもラッキーだった。(掲示板等で何回か書き込みし

たのですが、この時に来ていた女性と7年後に結婚することとなる。)4月号の花パー募集

の企画はこのレスカ常連集団に応援されて立候補し。準花パーとなり、イノリンさんをはじ

めとするBH編集部の皆さんとお会いする 事ができた。準花になってからは、よく編集部に

お手伝いに行った。 モデルや原稿書き、他のビルにコピーしに行ったり、作家の方に原稿を

もらいに行ったり、BHGWゼミの手伝い。 大山即席斎殿とともに巨泉の11PMにパロデ

ィー作家として出演。 色々な分野で活躍している大学生という企画だった。緊張して、何を

やったんだか覚えていない。ぜんぜん受けていなかった事だけは記憶している。隣に座って

いたのが大島渚殿だった。ヘンタイよいこ池袋集会のヘンよい委員にもなった。原宿の東京

糸井事務所には何回か通った。糸井さんに会っているだけですごい事なのに、ヘンよい会議

中、突然、坂本龍一氏や鮎川誠氏、シーナ女史が現れ驚いた。木馬亭?本牧亭?かで開かれ

た三遊亭楽太郎師匠のBHスタッフ合同寄席にも行った。 伝説のデーボが出ていたような・

・・・。 エビゾリングショーはサイコーに面白かった。審査員の生おすぎとピーコ、ツー

ビート、大きいさじを投げるたけし 。出演者は木梨、石橋、(とんねるず)、竹中直人・・・

を はじめて見た。それ以来、生で見たことはない。歴史に残る偉大なショーだった。  

 初掲載作品は79年12月号教カレ「電車の駆け込み乗車は おはやめください」だ。11

月10日通学途中伊勢原駅前の本屋BH12月 号を購入、電車の中で1ページ1ページじっ

くり読み進む、教カレのページを開き・・・載ってるー!うれしー!この気持ちを誰に伝え

ようか、まわりの見知らぬ人に「これ俺の作品なんです」なんて言おうとしている自分を必

至に抑える。

 その後、教カレには10数点出すが自分の気に入っているのは「今までやってきた事が水

の泡になる・・・洗剤会社」だ。22年たった今、超音波洗濯機なるものが発明され、洗剤

が無用となりつつある。本当に水の泡になる日も近いか?82年2月号でエキサイティング

コンポで熱グランプリを取った。驚愕大全に載っている。うれしい。大学を卒業するまでの

BH漬けの2年間は本当に楽しかった。結婚相手まで見つけてしまって、ありがとうビック

リハウス。

 

イノリンより→当時の編集部の内部事情までばらされてしまったけど、原稿取りまで行ってもらったの?!原稿書きまで!?多分リライトだと思うけど、忙しい時は読者でも使え(偏差値無用)の編集部だったから、素直で頼みやすい君に押しつけたんだろうね、みんな。
イメージさし絵=イノリン
 

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