皆様からのリクエストにおこたえする名作劇場。
感動の涙、笑いの腸捻転ふたたび!!

 

1977年8月号のぞうきん少年(現・雑巾坊主氏)の輝かしき作品をみんなで見よう!

 

第4回エンピツ賞特別賞・幼年文学部門

『汚れたぞうきん』伊藤巧

 わたしは雨がふっている天気が良い道を、あるいてくいと、そばのドブ川には、ピラニアが動ごめいている。中山が「良い物を見せてやる。」と言ったので行くことになった、ようやく、中山の家についた、中山は「これだ!!」と、奇声を上げ、見るとどうであろう、一見、化学者の、研究室のようである、「おまえ、なんだこりゃ?。」「おれ、いま、微生物の研究してるんだ。」そして、すこしのあいだ話をして、家へ帰った………。
 その後、三日たつと、電話で「ぞうきん、くれ。」と、言ったので、顔をふく、自分の手ぬぐいを、上げた。それから、2ヶ月たつと、中山が死んだと、電報が、きた、くわしく聞くと、ぞうきんを、しらべていると言い、部屋に入ると、三分たつと、悲鳴が聞こえると、いそいで、行くと、ぞうきんを、にぎり、死んでいる、中山がいた、だれがこんなことをしたのだろう。(原文のまま)

イラストーション=河村要助
受賞の言葉
ビックリハウスにぼくの名がのるなんてゆめにも思いませんでした、それにもうあきらめていたところです、「どうせ佳作ぐらいかのらないかだな」とゆうときに、母から知らせで、ビックリ、あまりのうれしさに、自転車で道30キロでふっとばしながら、本屋に行くと、どうゆうわけか8月号にのると言うのでガクッときたけどよかったなーと思いました。
伊藤巧(11歳)とくいようちえんそつ業 さぎの宮小学校ざい中 身長・1m24cm 体重・38L 視力・メガネ? 容し・すこしふとってる。中野区鷺ノ宮

↑とにかく覚えている限りでは、彼がエンピツ賞最年少入賞者だったと思う。もう一人、森脇君もとっていたが、彼は12歳だったはずである。
巧君を絶賛していた朔美さんも、送られてきた写真を見たとたん、ケケケと私の横で大笑いした。

↑これがうわさの要助さんの左手イラスト。巧君の原稿自体がよれよれっぽい字だったので、利き手じゃない方で描いてみたと、要助さんは言っていたなー。受け取った瞬間私はケケケと大笑いした。

前回の名作劇場を見る