ビックリ水族館

 ムーンライダーズの鈴木慶一さんがミュージシャンとして企画したページ。1985年1月号から11月号まで連載していた。
 たくさんのアマチュア・ミュージシャンから送られてくるデモテープをもとに、オムニバス・レコードを製作している『水族館レーベル』が、BHの誌上でデモテープを募集することになり、始まったのが『ビックリ水族館』だ。
 ここでは、音楽というものを解体し、音楽という枠から飛び出したもの、音によってビックリするものであれば何でもOK。最終目的は、セレクトした作品でレコードを作ることだった。
 毎月送られてくる作品ひとつひとつを鈴木氏自身が聴き、その評論を誌上で発表した。掲載されるハウサーには、電話をし、録音時のことなどインタヴューした。評価の仕方も「スズキ=えらい!」「秋刀魚=油がのってるね」「河豚=釣れると海にお返しします」「ウツボ=ウツボー」「アンコウ=暗いなぁ」「小判鮫=どっかで聴いたことがるよ」「千葉魚=ヘンだー!」の、7段階があった。
 85年の夏にレコーディングに取りかかり、26曲の素晴らしい個性を収録した『ビックリ水族館』が完成したのはBH終刊と同時だった。
(NTT出版刊驚愕大全より)

作:集団下校 川瀬哲也(15歳)他 岐阜県

[僕ら、集団下校]

 歌を歌うなら 僕らにまかせろ〜

 田辺と和多野と川瀬の3人

 僕らは陽気な集団下校

 僕らは知的な集団下校

 ラーララララララ

 ララララーララララー

 

↑私は当時すでに退社していて、このコーナーを知らないのだが、この集団下校というグループは当時岐阜の中学3年生だった。しゃれで応募したこのデモテープが評判になり最終的にレコードにも収録された。いいネーミングだったし、いい詩だよね。鈴木慶一さんもその面 白さを絶賛していた。かつて坊主頭だった3人も32歳の現在、まだ同じように坊主頭なんだろうか? 川瀬君はその後、KATEという2人組を結成し今でも音楽活動しているそうだ。そこのサイトに、集団下校とBHの裏話などが書かれている。

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