1452年本間信濃守が創立したと伝えられている。はじめ金井町貝塚にあり「法久寺」といったが、1506年にその子の高康がこの地に移した。高康はのちに山城入道太運寿宝庵主と名乗ったので、現在の山号寺号となった。
 境内の参禅道場の裏手にある五輪塔は雑太城主の墓といわれる。
真野町竹田
曹洞宗
 昭和25年に佐渡を訪れた亀井勝一郎は
 「佐渡で私の見た諸寺の山門の中で最も端正であった。」
と絶賛している。