奧の細道二人旅・酒田象潟
酒田2 | |||
不玉邸跡 | (中町1−11−4佐藤歯科医院隣) | ||
酒田に着き、不玉邸を訪れたのですが、生憎不玉は留守だったので近くの旅籠に泊まります。 (暮ニ及テ、坂田ニ着。玄順亭ヘ音信、留守ニテ、明朝逢。 曾良随行日記) 翌14日の朝、不玉が芭蕉を旅籠に訪ねます。その夜は、酒田の浦役人、寺島彦助宅(安種亭)で句会が開かれました。 発句は 凉しさや海に入りたる最上川 (後に推敲し 暑き日を海にいれたり最上川) |
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「奥の細道安種亭令道寺島彦助宅跡」 | ||
芭蕉は15日から17日まで象潟を訪れます。18日に酒田に帰り、19日から不玉宅で3日間の句会を開きます。 発句 あつみ山や吹浦かけて夕すずみ |
近江屋三郎兵衛宅跡 (廿三日、近江ヤ三良兵ヘヘ被招。夜ニ入、即興ノ發句有。曾良随行日記) 23日夜、酒田三十六人衆の一人「近江屋三郎兵衛」に招かれました。 本間美術館収蔵の芭蕉真蹟懐紙によると、ここ(あふみや玉志亭)で瓜でもてなされたので、即興で句を作ろうということになりました。句ができなければ瓜は食べられないという座興で 初真桑四つにや断ン輪に切ン と発句を詠みましたとあります。 しかし、「あふみや」は「鐙屋(あぶみや)」という説もあります。 |
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鐙屋 三十六人衆の筆頭「鐙屋惣左衛門」。その名が井原西鶴の日本永代蔵に登場します。 |
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このような座敷に招かれて | こんな料理を食べたのでしょうか | ||