奧の細道二人旅・奥州上街道

 9:00東京発 Maxやまびこ35。目指すは「一関」。麻の古着の袖を小袖に改良し、チノクロスの野袴にスポーツサンダルという出で立ちで新幹線に乗り込みました。

 前回の旅は一関から中尊寺へ向かいましたので、2度目の一関です。芭蕉も一関に一泊後平泉に出かけ、一関に戻って二泊した後岩出山を目指して旅立ったのです。
 JRのトレンタでレンタカーを借り、カーナビ頼りに一関台町へ向かいました。
 

奥州上街道


 奥州上街道は、台町の追分から奥州街道と別れ、岩ヶ崎、迫(はさま)などを経て岩出山の天王寺追分で出羽街道に合流する脇街道です。別名「はさま街道」「西街道」などと呼ばれています。
 旧国道4号線(奥州街道)から上街道を100mほど入ったところに鳥居があり、「松尾芭蕉紀行の道」の標柱があり、その前に「庚申塚と道標」が置かれています。

大きな石が「庚申塚」右の小さな石が「道標」です。道標には「これ従(より)右ハはざま道左ハせんだい道」と書かれています。

上街道は今では荒れ果て寸断されてしまっているため、車は市道を走ります。所々にそれとわかる標柱などが立っているため運転も慎重になります。

 車が山間に入っていくと、道が3つに分岐します。ここに「奥の細道 蔵主沢」と書かれた標柱がありました。
 

苅又一里塚

 さらに走ると、右側に「苅又一里塚」の標柱と説明版があります。ここから500mのところに一里塚と句碑があるのですが、今回はパスしました。

ところどころに旧道の跡が残っています。

上街道2へ進む

一関

一関台町追分

今回の旅で「チノ野袴」は大活躍
旅には欠かせないアイテムです

購入先:「着る物屋こう吉」9800円