奥の細道二人旅・憧れの松島
塩釜 宮城県仙台市宮城野区
 早朝、鹽竃神社に詣でる。鹽竃神社は国主が再興されたので、宮柱は太く、彩色した垂木はきらびやかで、石段は極めて高く重なり、朝日が朱色の玉垣を輝かせている。このような道の果てまで、神霊があらたかでいらっしゃることこそ、我が国の風俗なのだと、大変貴いことと思われた。神前に古い宝燈がある。鉄の扉の面に、「文治三年和泉三郎寄進」と彫られてあり、五百年も前の様子が今、目の前に浮かんできて、ただ無性に珍しい。和泉三郎は、勇義忠孝の武士である。誉れ高い名前は今に至っているし、慕わないものはいない。誠に「人はよく道理をわきまえ、義を守るべきである。名声もまたこれに自然についてくる」という。日はもう正午に近い。船をやとって松島に渡った。塩釜から二里ばかり、雄島の磯に着いた。
 松島の見学は午前中で終わり。次は石巻ですが昨日時間切れで塩釜を飛ばしていますので、いったん塩釜へ戻ります。順序が逆になってしまうのですがいたしかたなし。で、まず鹽竃神社へ向かいました。
鹽竃神社・博物館
 鹽土老翁神(別宮)(しおつちおしのかみ)・武嚢槌神(左宮)(たけみかづちのかみ)・経津主神(右宮)(ふつぬしのかみ)の三神を御祭神とする鹽寵神社は吉くより束北鎮護、陸奥国一之宮と称され、安産守護・延命長寿・海上安全・大漁満足・家内安全・交通安全・産業開発の神として、全国より崇敬されています。
 当神社の創建は極めて吉く詳らかではありませんが、平安時代初期に編纂ざれた『弘仁式』(西暦820年)や、その後の『延喜式』にも「鹽竃神を祭る料壱万束」と記され、この頃には既に鹽竃神社が陸奥国一之宮の地位にあったと考えられます。武家社会になってからの武将豪族の崇敬は一々数え難く、奥州藤原氏を始め、伊沢氏、足利幕府、伊達家の崇敬は並々ならぬものでした。ことに伊達家歴代の藩主は大神主として奉仕し、社領・大刀・神馬等を寄進し自ら社参する例でありました。現在の社殿は四代藩主綱村公が元禄8年(1695年)に御造営に着手し、次の吉村公の宝永元年(704年)に竣功したもので、宮城県重要文化財に指定されています。その後明治7年(1874年)国幣中社志波彦神社を併せ祀り国家の宗祀として朝廷の殊遇を受け、昭和21年、新たに宗教法人として現在に至っています。鹽竃神社は千有余年の悠久の歴史のうちに御神威は弥々高く、皇室を始め、武家豪族、文人墨客、庶民に至る国民各層の崇敬は益々深く、御神前に捧げられた宝物類も多数に上り、現在に伝えられています。(「博物館のしおり」より)
 車を駐車場に止めて階段を上がると、そこは裏坂(女坂)の途中でした。石の鳥居が見え右には御神馬舎があります。前を通ると突然馬が足踏みを始め、しきりにお辞儀をします。何事かと近寄ると、わかりました。御神馬舎の前にニンジンを入れた皿が積んであります。一皿100円。これをくれとねだっているのです。案の定一皿食べさせるとおとなしくなりました。さらに上り詰めると楼門の下に出ます。表坂(男坂)との合流点です。ここから見る表坂はものすごい階段でした。202段で35度の勾配。上から見ると目が眩むようです。
 楼門・唐門とくぐると拝殿の前に出ますが、境内を見回すと、ありました、あの芭蕉が感動した「文治の灯籠」です。芭蕉もここでこの灯籠を見たんだなと思うと感慨もひとしおです。
 参拝を終え、女坂を下り、芭蕉の句碑を見ます。句碑は「御神馬舎」の近くの木立の下にひっそりとありました。さらに女坂を一番下まで管tります下ります。下りきったところに「芭蕉止宿の地」の碑があります。芭蕉はこのあたりに宿泊し神社に参拝しました。また石段を少し登ると、明治4年に廃寺となった法蓮寺の書院・勝画楼に行き着きます。
 車に戻るためにもう一度女坂を登ります。途中博物館を見学しました。学芸員さんが親切に対応してくれ、案内してくれました。
女坂途中の石鳥居 御神馬
女坂最後の急な登り(男坂の上へ) 上から見る男坂
楼門 拝殿


「文治の灯籠」
 拝殿かたわらに、鉄製の燈篭が建っています。これは、鹽竃神社を崇敬する奥州藤原三代秀衡の三男和泉三郎によって文治3年(1187年)7月に寄進されたもので「文治の燈篭」といわれています。燈篭には扉がついており、「三日月」を彫った右の扉には「奉寄進」、「日」を彫った左の扉には「文治三年七月十日和泉三郎忠衡敬白」と書かれています。
文治の灯籠
芭蕉句碑
芭蕉止宿の地の碑 法蓮寺の書院・勝画楼入り口
下から見た女坂 裏参道入り口の鳥居
鳥居奥の左側、白い壁の家あたりに芭蕉が宿泊したとか

 鹽竃神社を後にして、御釜神社に。酒造業などの老舗が建ち並ぶ商店街の四ツ角にありました。
前に路上駐車しいそいで写真だけ撮り、石巻へ向かいました。
御釜神社 拝観自由  ただし御神釜は見られません。
御神釜を祭る祠(ほこら)。

 毎年7月5日に塩釜湾の釜ヶ淵から海水を汲み取り御釜神社の御神釜の海水を取り替える神事が行われます。この海水は一年中変色しないとされ、海水に変色がおこれば凶事の前触れと信じられています。

 元禄2年(1689年)5月8日(新暦6月24日)、芭蕉と曽良は、この御釜神社を訪れました。曽良随行日記に「出初ニ塩釜ノかまを見ル」とあります。

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