奥の細道二人旅・医王寺 |
醫王寺 福島県福島市飯坂町 |
月の輪の渡しを越えて、瀬の上という宿に出る。佐藤庄司の旧跡は、左の山際一里半ばかりにある。飯塚の里鯖野と聞いて、尋ねたづね行くのに、丸山というのに尋ねあたる。これが庄司の旧館である。麓に大手門の跡など、人が教えてくれるのにまかせて、涙を落とす。 またかたわらの古寺に一家の石碑を残す。中にも、ふたりの嫁の墓標が、まずあわれである。女なのにかいがいしい名の世に聞こえたものであるわと、袂をぬらした。堕涙の石碑とさほど差はない。 寺に入って茶を乞うと、ここに義経の太刀・弁慶の笈をとどめて寺宝としている。 笈も太刀も五月に飾れ紙幟 (おいもたちも さつきにかざれ かみのぼり) |
佐藤庄司と義経伝説 |
治承の昔(1178年)信夫の荘司、或いは湯の荘司といわれた佐藤基治公が当地の大鳥城を居城とし、奥州南部の広域を収めていました。 源義経公が旗揚げをした折、基治公はその子継信公・忠信公を側臣として遣わしましたが、兄継信公は屋島の合戦において義経公の盾となって能登守教経の矢を受け亡くなり、弟忠信公は頼朝公に追われた義経公を京都堀川の館から脱出させるため、義経公の身代わりとなって討ち死にしました。 その後奥州に入った義経公一行は醫王寺に参籠し遺髪を埋めて二人の法要を営みました。また、兄弟の奥方「若桜」「楓」の二人は、息子二人を失い悲しみに暮れる老婆「乙和御前」を慰めるため、甲冑を身につけ兄弟の凱旋の勇姿を装い姑の心を癒したといいます。 |
醫王寺 平泉の藤原秀衡の一族で、大鳥城主であった佐藤基治一族の菩提寺。宝物殿には松尾芭蕉の句「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」にも出てくる弁慶の笈が、県重要文化財として残されています。またその入り口には芭蕉座像が安置してありました。 奥には弘法大師作の薬師如来をおまつりした「薬師堂」があり、鯖野のお薬師様として親しまれています。 |
拝観時間 8:30〜16:00 (夏18:00) 年末年始休館 料金 大人300円 小中高生200円 交通 JR福島駅から 福島交通飯坂電車、 医王寺駅下車 徒歩15分 |
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山門を入ってすぐ 右本堂 左宝物殿 奥薬師堂 |
本 堂 | 芭蕉像 |
薬師堂 周囲は佐藤一族の墓所 |
継信公・忠信公の墓石 大きな石が3つ重ねてあります |
佐藤基治公・乙和御前の墓 |
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月の輪の渡し 月の輪の渡しがあったであろう所には立派な橋が架かっています。その橋のたもとには芭蕉の「早苗とる〜」の句を彫り込んだ祈念碑がありました。 右写真は月ノ輪側から瀬ノ上を見たものです。 |