奧の細道二人旅・須賀川1
須賀川1 記念館・可伸庵・十念寺
須賀川地図  とやかくして越え行って、阿武隈川を渡る。左に会津根(磐梯山)が高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の土地との境をつけて山が連なる。影沼という所を行くのだが、今日は空が曇って物影は映らない。
 須賀川の宿駅に等窮という者を尋ねたら四.五日とどめられる。まず「白河の関」をどう[作って]越えましたか」と問う。「長途の苦しみで、身心疲れ、また風景に魂うばわれ、古歌古人を思うて断腸の思いはし、はかばかしく思いが廻らなくて。
   風流の初めや奧の田植歌
 何もなしに越えるのもやはり何だから[こんな句をひねり出した]」と語ったら、それに脇句、第三句と続けて三巻としたのであった。
 この宿のかたわらに、大きな栗の木陰に住んで、隠栖している僧がある。橡拾う太山もこうなのかと閑寂に思われて、ものに書き付けました、その詞、
  栗という文字は、西の木と書きて、西方浄土にゆかりがあると、
  行基菩薩は一生杖にも柱にもこの木を用いなさったとか。
   世の人の見付けぬ花や軒の栗
  
芭蕉記念館 須賀川市本町 0248-72-1212

 須賀川市役所の駐車場に入る所に芭蕉記念館があります。外見は全く普通の民家のような建物ですが、1階に芭蕉関係の資料が展示してありました。
 とりあえず、市役所の駐車場に車をとめて資料館を見学してから、徒歩で芭蕉史跡巡りをしました。市役所の駐車場なので無料ですが、もしかしたらそんな利用法はいけないのかもしれないですね。記念館に、とても分かりやすいイラストマップがありました。

可伸庵跡

 記念館を出て2,3分歩くと可伸庵跡があります。芭蕉が須賀川滞在中の宿にしたのが、須賀川の駅長だった相楽等窮邸。そしてそのすぐ裏に「栗の木」の可伸庵がありました。等窮邸跡は現在NTTの建物が建っており、塀の端に右の写真の案内表示があります。また可伸庵の跡はNTTの裏に坪庭のような雰囲気で整備されており、句碑も建てられています。

世の人の見付けぬ花や軒の栗
等窮邸跡
可伸庵跡 軒の栗句碑
可伸庵跡 軒の栗句碑

十念寺 須賀川市池上町

 芭蕉記念館から歩いて10分程度。大通りから一歩脇へ入ると静かな通りになり、正面に森が見えてきます。境内に入ってすぐ右側に高さ2メートル程もある立派な句碑が立っています

境内自由
芭蕉句碑
   風流の初めや奧の田植歌


円谷幸吉氏墓
 十念寺の墓地に入って10メートルほどのところに円谷幸吉氏のお墓がありました。円谷幸吉といえば、私たち団塊の世代にとってはヒーローでした。今でもあの東京オリンピックマラソン競技の国立競技場でのデッドヒートのシーンが目に浮かびます。

円谷幸吉
 昭和39年東京オリンピック・マラソン競技の銅メダリスト。当時24歳。次のメキシコオリンピックでの活躍も期待されていましたが、身体を悪くして入院。昭和43年1月9日。「もう走れません。」の遺書を残し自殺。享年27歳。
 

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